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探偵小説三昧

日々,探偵小説を読みまくり、その感想を書き散らかすブログ


Posted in 05 2002

フリードリヒ・グラウザー『クロック商会』(作品社)

 ワールドカップが遂に開幕。うう、リアルタイムで開会式から見たいところだがそんなに早く帰れるはずもないので、家人にフランスVSセネガル戦も含めて録画を頼み、帰ってさっそく観戦モード。これで当分読書時間も減ってしまうだろうなあ。仕方ないので読書日記ならぬワールドカップ日記も平行して書いてみようか。しかしいろんなミステリサイトで(いやミステリに限らず)サッカーが取りあげられ、にわかサッカー評論家だらけになっていて、本当のサッカーマニアには苦虫を噛みつぶしている人も多そう。まあ、滅多にあることじゃないんで(というか最初で最後だろうなあ)多めに見てやってください。
 ちなみにフランスVSセネガルはなんと1-0でセネガルの勝利! 前予想では圧倒的にフランス優位。結果的にセネガルの金星となったわけだが、決してまぐれではないだろう。セネガルにとっての好材料がいろいろあったのも事実だ。まずは何といってもジダンの欠場。また、セネガルの潜在能力の高さ。なんせ身体能力はアフリカ勢の常として基本的に高いうえ、セネガルのほぼ全員がフランスリーグの在籍者。戦術はイマイチというアフリカ勢に言われる弱点は通じない。日本だって昨年セネガルに0-2で負けているのだ。ついでに言うと元フランス領という歴史的な背景によるセネガルの意地もあっただろう。
 だが、見逃せないもうひとつの事実がある。新聞でも話題になった例のセネガル司令塔によるあの万引き事件だ。あのときもっと事件が公式に扱われて、出場停止処分などを受けていたら今回の快挙はなかっただろう。誠にセネガルはついている。


 フリードリヒ・グラウザーの『クロック商会』を読了。先日読んだ『狂気の王国』がいまひとつ消化不良だったため、今回でなんとか自分なりの結論を出したいと思ったのだが果たしてどうか?

 シュトゥーダーの娘が部下の刑事と結婚するため、式を挙げる小さな村にやってきた。ところが旅先の小さなホテルで起こった殺人事件にシュトゥーダーが駆り出される。ただし問題がひとつだけあった。宿の女主人はシュトゥーダーの幼なじみで初恋の人だったのだ……。

 『狂気の王国』とまったく異なる軽妙な雰囲気。主人公の探偵シュトゥーダーは「スイスのメグレ」と呼ばれているが、これはスイス国民に広く親しまれているという意味での喩えだろう。
 『クロック商会』を読む限りではメグレというより「スイスのピーター・ダイヤモンド」という感じだ。一緒に捜査する娘婿にやきもきしたり、幼なじみの女主人にいいところを見せようと張り切ったり、なかなかの奮闘ぶりを見せる。どうやらこちらの方がシュトゥーダーものの本領ではないだろうか? 『狂気の王国』は、暗い過去を背負いつつもあるがままに現実を受け入れてひたむきに生きるシュトゥーダーが、不思議の国に飛び込んで人間とは何かを考える異色作だったのだ。

 それに比べて『クロック商会』はもっと娯楽に徹した話だ。当時のスイスの社会問題を事件の背景に置き、前述のとおりシュトゥーダーの捜査を中心にグラウザーは物語を進める。当時のスイスの社会問題も興味深いが、やはりシュトゥーダーの一喜一憂が読むものの共感を呼び、このシリーズの魅力となっていると思われる。
 ただ、『クロック商会』の方が実は例外という可能性もないことはないので、もう一冊残っている邦訳『砂漠の千里眼』も読んでみたい。


フリードリヒ・グラウザー『狂気の王国』(作品社)

 朝日新聞の夕刊にトホホなニュースが掲載されていて、思わずネットで詳しく調べてみる。なんとあのジョルジュ・シムノンの甥の娘にあたる女性が、同棲相手の男性を木槌で殴り殺したらい。被告の女性はなんと医者で、男性が突然倒れて亡くなったと供述していた。ところが埋葬直前に元警察官の葬儀社社員が遺体に不審な傷跡を発見、刑事が自宅を捜索したところ、天井に血痕を見つけて逮捕されたというもの。
 いやあ、こりゃ何ともすごい状況だ。医者という地位、埋葬直前の殺人発覚、元警察官の葬儀社社員なんていくらなんでも出来過ぎではないか。しかも事件とは直接関係ないにせよ、背景にはシムノンのナチ協力説とか、シムノンという偉大な作家の呪縛に苦しむ子孫の姿とかが浮き彫りにされていて、探偵小説にすればかなり面白そう、と言ったら不謹慎ですか。

 特につながりがあるわけではないが、「スイスのシムノン」という表現がぴったりくる刑事の登場する「探偵小説」を読む。フリードリヒ・グラウザーの『狂気の王国』である。
 何とも珍しいスイスの「探偵小説」。スイスへは一度だけ新婚旅行で行ったことがあるので、ちょっと感慨深いものもある。ああ、あの頃は若かった……(遠い目)。

 まあ、そんなことはおいといて。
 カギカッコつきで「探偵小説」とやったのは、もちろんこれが普通の探偵小説ではないからである。書かれたのは1930年代、スイスの精神病院を舞台にした殺人事件、作者は自らも精神病院に入院経験があるスイス人、そして翻訳者は種村季弘。オビには「探偵小説」と謳っているし、事件が起これば探偵も登場するが、上記の要素を見るだけでこれが探偵小説でないことは一目瞭然である。
 読了前の予想では、ミステリ寄りだとしても『ドグラマグラ』もしくは『薔薇の名前』のように哲学や思想、心理学を盛り込んで、正気と狂気の狭間を描き出す物語ではないかと思っていた。おお、それはそれで期待できそうだ。

 と思ったのが三日ほど前の話。いざ読み終えてみると、いや、なんとも読みにくいというか非常に居心地の悪い小説である。
 理由はいくつかある。まずは文章。セリフがいつのまにか地の文になっていたり、心理や思考が「」で表記されたりする。また、ーーや……の多用も辛い(セリフだけでなく地の文にも連発される)。
 登場人物の性格づけは悪くない。患者であろうが医師であろうがみな何かしら狂気をはらんだような口調。そのうえ行動も怪しい。それはありでしょう。しかし、その割にはソフトな語り口で物語が進むため、狂気の淵へ飲み込まれるというほどの衝撃はないし、逆説的な意味を求める読者を四苦八苦させるほどでもない。
 事件は事件として認識され、さらに第二の事件なども発生するが、それでも物語はなんとなく進んでいく。このぬるさがなんとも気持ち悪いのだ。主人公のシュトゥーダー刑事はそんな中途半端な混沌のなかにあって冷静に人々を観察するのだが、これまた自信がありそうななさそうな。シュトゥーダーの過去はハードボイルドの主人公に似つかわしいほど勇ましいが、そこまでの覇気は本書からは感じることができない。
 なんだか作者のグラウザーにはぐらかされているような気がする。これらがグラウザーの企てなのか狙いなのか(もしかすると訳者の狙い?)。これに続いて邦訳では二番目の紹介となる『クロック商会』も読むつもりなので、判断はそれを待って決めることにしよう。


ミステリー文学資料館/編『幻の探偵雑誌10「新青年」傑作選』(光文社文庫)

 寝る前にぼちぼち目を通してきた『幻の探偵雑誌10「新青年」傑作選』をようやく読み終える。収録作品は以下のとおり。

川田功「偽刑事」
持田敏「遺書」
平林初之輔「犠牲者」
小酒井不木「印象」
羽志主水「越後獅子」
瀬下耽「綱」
妹尾韶夫「凍るアラベスク」
浜尾四郎「正義」
戸田巽「第三の証拠」
勝伸枝「嘘」
延原謙「氷を砕く」
渡辺文子「地獄に結ぶ恋」
佐左木俊郎「三稜鏡(笠松博士の奇妙な外科医術)」
乾信一郎「豚児廃業」
赤沼三郎「寝台」
竹村猛児「三人の日記」
守友恒「燻製シラノ」

 これでこの叢書も完結したわけで、いやあ、実にめでたい。「新青年」傑作選みたいなものは今までにも相当数出ているが、それとは極力ダブらせない方針だったというのもエラい。おかげで初めて読む作品が目白押しでどれをとっても楽しめる作品ばかり。イヤ、なかにはトンデモ系もありましたが、この叢書については、あまりそんなことは気にしていないので全然OKです。


西村京太郎、他『沖縄ミステリー傑作選』(河出文庫)

 天気もよいので埼玉の森林公園に出かける。うちからだとクルマで2時間以上かかるが、行っただけの甲斐はある。お目当ては愛犬を放して遊ぶことができるドッグラン。いくつかドッグランには行ったことがあるが、施設の充実ぶりや広さ、清潔さを総合するとここが圧倒的にベストである。駐車場からドッグランまでが少々遠いが、人間にもいい運動になるからヨシとしましょう。でも帰りの運転はさすがに疲れた。

 本日の読了本は沖縄をテーマにしたアンソロジー。『沖縄ミステリー傑作選』だ。1980年の半ば、河出書房新社がなぜか力を入れていた御当地ミステリのアンソロジーのひとつである。とりあえず収録作は以下のとおり。

西村京太郎「南神威島」
大城立裕「逆行のなかで」
三好徹「遠い島の女」
森詠「ジュークボックス」
佐木隆三「星の降る夜」
南部樹未子「ニライカナイの島で」
田中光二「幻魚の島」

 御当地ミステリは観光情報を全面に押し出しすぎて肝心のミステリとして弱いのではという先入観があることから、今まであまり手を出してはこなかった。ではなぜ今回に限って手をつけたかというと、ほとんど理由が思い浮かばない。しいていえばなんとなく。
 買った理由は割とはっきりしていて南部樹未子が載っているから。南部樹未子は以前から気になる作家で、短編をちらほら読んだだけだが、なかなか人間の見方が意地悪くて興味を惹かれていたのだ。
 逆にそれ以外の作家については代表作と呼ばれるものを二〜三冊読んではいたが(未読は大城立裕のみ)、正直あまり興味が続かなかった。今回は沖縄テーマの観光ノベルという偏見もあり、あまり期待しないで読み始めたのだが……。

 一読して驚いた。これってミステリとは言い難い作品もあるけれど、スゴく上質な作品集ではないか。青い空、青い海なんてイメージはどこへやら、戦争や先住者、返還問題をテーマにした重いものが多い。
 解説にも書いてあるが、沖縄をテーマにした小説は少なくないが、ミステリだと途端に少なくなる。それも沖縄の歴史が抱える重さゆえではないか。単なる娯楽作品であればミステリの舞台などどこでもよい(ちょっと暴論ですが)。沖縄だって東京だってよいわけである。しかしあえて沖縄を選んだからには、作家もそれなりの覚悟をもって臨まなければならない。上っ面だけでは済ませられない問題を今も沖縄は内包しているのである。

 このアンソロジーに載る作品はそんな沖縄を舞台にしただけあってどれも読み応えがあるが、お好みはまず巻頭の西村京太郎「南神威島」。似たような話が割とあるが、終盤の種明かしがお見事。全編をおおう怪しい雰囲気もよい。
 佐木隆三「星の降る夜」はミステリとはいえないが、ノンフィクションタッチで当時の沖縄の若者の、素直でいながらどこかねじれた複雑な心理を描き出している。これも雰囲気がすごくよい。
 南部樹未子「ニライカナイの島で」は期待に違わぬサスペンス。ある沖縄ツアーで遭遇した女性3人の比較が見事で、ラストの破滅へ持っていくまでの心理描写などがさすがだ。
 とにかくこんな御当地ミステリならもっと読んでみたい。そんな気にさせる優れたアンソロジーだ。


ペレ『ワールドカップ殺人事件』(創元推理文庫)

 いよいよワールドカップも近づいてきたので、サッカーにちなんだミステリーを読んでみる。本日の読了本は、タイトルもそのものずばり『ワールドカップ殺人事件』。しかも著者はあのペレだ。
 出版されたのは前々回のワールドカップの頃だったと思うが、いやあ、それにしてもよくこんな契約がとれたものである。版元も契約が成立したときは思わずガッツポーズが出たのではなかろうか。スーパーエクセレントビューティフルゴ〜〜〜ル!!てな感じですか。

 ストーリーを一応紹介すると……ついに開幕したアメリカ・ワールドカップ。アメリカが地元の利を活かし、とうとう決勝まで上り詰める。ところがそんなとき、アメリカ代表に有力選手を送っているクラブチームのオーナーが何者かに殺される。被害者の頭にはスパイクシューズの跡が(笑)! 生前の被害者には敵が多く、関係者はいずれも怪しい奴ばかり。さあ、犯人は誰かというフーダニットものだ。

 サッカーをネタにしたエンターテインメントとみれば、本書は決して悪くない。残念なのはミステリとしてはまったくの駄作というところであろう。え、そんなもん聞かなくてもわかるって? そりゃそうだ。門外漢の著名人に書かせたミステリが成功した例なんて聞いたことない。
 とにかくスポーツ記者の主人公と心理学者のヒロイン、主人公を脅迫して捜査させる刑事、主人公の上司など、どいつもこいつも頭が悪くて嫌な性格の連中ばかり。設定も無理があるし、オチもすぐに予想できるものだ。

 まあ、これをペレが自分で書いたというのであれば、けっこうやるねと言うことはできるだろう。ただ、いくらサッカーの神様であろうとそんな簡単にミステリを書けるはずもないので、気になるのは誰がゴーストしたかという点。そしてペレがどこまで執筆にかんでいたかという点だろう。
 前者の答えはハッキリしていて、創元から出版されたゴールドシリーズで有名な(?)ハーバート・レズニコウである。実はこの作者の著書は一切未読なのだが、書評やネットの感想を拾ってみると本格の書き手としてはイマイチの評価しかされていない。

 で、後者のペレの関与具合についてだが、勝手に想像する限りではサッカーやワールドカップに関する描写の監修といったところではないだろうか。実際、一読してみるとサッカーの技術や戦術についてはそうとう濃い描写がされており、アメリカがワールドカップで快進撃するという理論的裏付けもしっかりしたものになっている。
 例えばアメリカの基本戦術をブラジル+オランダ式の融合にするというくだりや、決勝でアメリカと対戦する東ドイツ(ただ米×東独という決勝の組合わせは変えてほしかった)が徹底した組織プレイで全員守備全員攻撃をかけるというくだりなど。また、商業主義に走ろうとするアメリカのサッカー協会の動きも興味深い。

 まあ、たまに変な描写もあるが、ゲテモノ好きのミステリファンなら読んでおいてもいいかも、という程度か。ワールドカップの前に気分を盛り上げるために読む、という手もあるが、逆に萎えないようご用心。


ジョン・ディクスン・カー『九つの答』(ハヤカワミステリ)

 なかなかの厚さで少々読むのに手こずったのが、本日の読了本、おなじみカーの『九つの答』。
 読み始めたのは実は一週間ほど前だったのだが、途中で『ドライビング・レッスン』や『サン・フィアクル殺人事件』などに寄り道しながら読み終えた。だからといって、これがつまらないわけではない。

 こんな話だ。主人公はビル・ドーソンというイギリス出身の青年。アメリカで一旗揚げようと思ってやってきたのだが上手くいかず、たまたま尋ね人の広告を見てやってきた弁護士事務所で、とんでもない契約をする羽目になる。ラリー・ハーストという男の身代わりとしてロンドンに行き、伯父ゲイロードを訪ねて相続人になってほしいというのだ。しかも報酬は一万ドル。
 その深刻な表情と好奇心から仕事を引き受けたドーソンだが、ラリーは何者かに青酸カリを飲まされて倒れてしまう。そして何とかゲイロードに会うことができたビルに、さらにとんでもない契約が待っていた……。

 とにかく茶目っ気たっぷりのカー先生。本作は『読者よ欺かるるなかれ』と同様、ミステリとしてのゲーム性を強く打ち出した一冊なのだ。ただし、こちらはノン・シリーズもの。折々にカーの注釈がつくのだがこれがまた人を食った代物で、読者が推理しそうな疑問を先手先手でつぶし、「○番目の答えは捨てていただきたい」とやらかしてくれるのである。これさえなければ基本的には冒険小説ノリで進むのだが、この注釈のおかげでこちらは常に考えることを余儀なくされ、気がつけばカーの術中にはまっているというわけだ。
 最後の謎解きも「九つの答」を織り交ぜ、これでもかと言わんばかりのロジックで固めてくる何とも楽しい一冊。『読者よ欺かるるなかれ』も悪くはないが私はこっちを推す。おすすめ。


ジョルジュ・シムノン『サン・フィアクル殺人事件』(創元推理文庫)

 読書に疲れたときのための読書、というのも変な言い方だが、もしそういうものがあるとすれば、わたしゃ軽い心理サスペンスなどがよいのではと思う次第だ。特にフレンチミステリー、なかでもメグレものなどは心に染み入る話が多いので、胃にもたれることなく栄養をとることができておすすめ。
 そういうわけで本日の読了本はジョルジュ・シムノン『サン・フィアクル殺人事件』である。まあ、別段読書に疲れたわけではなくて、何となく手に取っただけなんだけど。

 発端はなかなか魅力的だ。メグレが警察署内で殺人予告の脅迫状を発見する。しかもその場所は、何とメグレの故郷ではないか。単なるいたずらと地元警察では相手にしなかったらしいが、メグレは何故か胸騒ぎを覚え、一人故郷に足を向ける。そして悲劇の幕が開く……。

 シムノン節炸裂の渋い一冊。
 この作品で注目すべきはやはりメグレの幼少時代が語られることである。父の思い出、父を雇っていた故サン・フィアクル伯爵の思い出、そして今回の事件の被害者であり、幼い頃メグレが憧れていた女性でもあるサン・フィアクル伯爵未亡人の思い出。これらが捜査を進めるメグレの心理に微妙な影を落とし、メグレの幼少時代がぼんやりとだが浮き彫りにされる。
 事件そのものはこんなものかという感じだが、読者はこの作品でまた一歩メグレの内面に近づくことができ、ほのかな満足感を得ることができるだろう。


エド・マクベイン『ドライビング・レッスン』(ヴィレッジ・ブックス)

 遂にワールドカップの日本代表が決まったようだ。俊介や久保、高原、名波あたりが落選ですか。まあ、しようがないかなとも思えるし、俊輔のフリーキックを見たかったなぁなどという感想もあるのだが、それよりもさらに強烈だったのは秋田の代表入りですな、やはり。まあ、今後のニュースやネットでも話題を集めることでしょう。ゴンはぎりぎりセーフと思えるが、秋田はなぁ。結局トルシエはフラット3諦めるんかい? 秋田を入れるメリットもわからんではないが、この唐突な選択がどう出るか。ワールドカップ終了後にいっそう議論を呼びそうで楽しみ楽しみ。

 本日の読了本はエド・マクベインの『ドライビング・レッスン』。
 まず作品の出来とは関係ないところから。本作はもともとボリュームのない中編なのだが、それにしてもこのスカスカの組み方はないでしょ。マクベインの作品ということで、やっぱり読者層の中心はミステリファンだろうし、こんな編集は株を下げるだけだと思うのだが。どこかから短編ぐらいもってきて合わせちゃうとか、それぐらいはやってほしいなあ。

 中身の方も大変軽めだ。路上教習中に死亡事故を起こした少女。事故当時なぜか意識朦朧の教官。偶然にも教官の妻だった被害者。あまりにもあまりな状況に、ただの交通事故ではないと事件を調査する離婚寸前の女性刑事。この設定だけでさくっとまとめる手腕はさすがマクベインだが、肝心の謎が弱い。
どちらかといえばミステリ風味の恋愛小説という感じで読んだ方がいいのかも。


ポール・ギャリコ『スノーグース』(新潮文庫)

 先日読んだ『雪の死神』の主人公は、障害にめげず前向きに生きようとするヒロイン。陰惨な事件を扱いながら、どことなく清々しい印象を受けるのも、キャラクターの魅力によるところが大きい。一方、本日読了したポール・ギャリコ『スノーグース』の主人公ラヤダーは、障害のために人との接触を嫌って隠遁生活を送る男である。
 全然ミステリーじゃないし、しかも何を今さらって感じの本ですが、一応あらすじを紹介すると……。

 障害を持つ画家ラヤダーは、美術と動物を愛する穏やかな性格ではあるが、その容姿ゆえに人との関わりを嫌い、灯台小屋でひっそりと日々を送っている。そんな彼の元へ、傷ついたスノーグースを治してもらいに少女がやって来た。
 女性との接触は最も苦手とするラヤダーだが、スノーグースの治療をきっかけにその少女との間に交流が生まれ、治癒したスノーグースが旅立つ季節が訪れるころ、彼と少女の交流も確かなものに変化してゆく。
 しかし時は戦時中。二人にも戦争の悲劇が襲いかかる。ラヤダーは敵に包囲された兵隊を救うため、命をかけて救援に旅立つのだ。一羽のスノーグースと共に……。

 まさに大人の童話。大人のためのファンタジー。
 渡り鳥の目印のために羽先を切って飛べなくした鳥を飼うなど、「おいおい、それが動物好きのすることか」って、ツッコミをいれたくなるところもあるが、細かいことはいいでしょう、この際。これは生きることの価値や真実の愛を高らかに謳う美しい物語なのである。
 スノーグースはラヤダーと少女をつなぐ絆であり、二人の心を表す象徴でもある。最後にスノーグースが空高く舞うシーンなど絵がまざまざと心に浮かぶようで、何とも詩的で絵画的な作品。
 人殺しの話ばかりじゃなく、たまにゃ心洗われる物語もいいもんです。


ブリジット・オベール『雪の死神』(ハヤカワ文庫)

 毎度毎度変わった趣向にチャレンジし続けるブリジット・オベールは、お気に入りの作家の一人。スケールや味わいは異なれど、ネルソン・デミルやジェフリー・ディーヴァーなど、この手のサービス精神が強い作家は正直エラいもんだと思う。

 『雪の死神』はそんなオベールの最新作で、あの『森の死神』の続編である。
目も見えず口もきけない全身麻痺のエリーズ。二年前に解決した殺人事件が小説化され、一躍有名になったのはいいが、雪山を訪れた彼女へ不気味なプレゼントが送りつけられる。折しも麓の町では凄惨な殺人事件が発生。どうやらプレゼントの送り主が殺人事件と関係あるらしい。ミステリ史上もっとも非力なヒロイン、エリーズは、果たしてどのように殺人鬼に対抗してゆくのか!?

※ややネタバレ気味にて注意

 全身麻痺の探偵役というと、今ではディーヴァーのリンカーン・ライムが有名だが、『森の死神』で登場したエリーズが実は一年先輩。しかし、こちらは強力な仲間もいなければ、天才的な頭脳もない(いや、けっこう頭はいいんだが、ライムと比べてはさすがに分が悪い)。もちろん優れた鑑識設備もない。そんな人が積極的に事件に関わるわけがないので、必然的にストーリーを巻き込まれ型サスペンスにせざるをえない。
 で、オベールはその辺の設定を無理なくクリアするため、エリーズの前回の活躍が小説になったという設定をもうけ、犯人側からの接触を説得力あるものにしている。
 それだけではない。オベール自身がその小説を書いた作家として登場したり、作中オベールの新作プロットが事件のカギを握っていたりして、いや、つくづく煮ても焼いても食えない作家だわ。こういうところがムチャクチャ巧いんだよなあ。舞台も「吹雪の山荘」というやつで、本格をバリバリ意識した作りだ。しかもただの山荘ではなく、これが実は身障者の養生施設。エリーズを含めた患者同士のコミュニケーションをコミカルに、ときにはサスペンスフルに味付けしてストーリーに膨らみを持たせている。

 以上のようにハッタリは十分な本作品だが、ただし今回はさすがにちょっとやりすぎたかも。
 アンフェアとか言う前に、これってバカミスではないのかな。特殊な主人公に加えて、その他の登場人物もかなり特徴的なので面白いことは面白いが、犯人が登場してから気持ちがすぅっと冷めていったほど、ガッカリした。ネタに前例があることもあるが、これなら犯人は何だってできる。動機も納得いかないし、トータルの実行力という点ではかなり疑問。ネットなどで書評を読む限り好意的な意見が多いが、私は×です。


スティーブン・ソダーバーグ『エリン・ブロコビッチ』

 DVDで『エリン・ブロコビッチ』を観る。監督はスティーブン・ソダーバーグ。三人の子供をかかえて生活苦に陥っている主人公(ジュリア・ロバーツ)がひょんなことから法律事務所で働くようになり、公害訴訟(実際は調停ですが)で地元住民のために大活躍するというお話である。

 一応実話。法廷ものとしての興味もいくらかあったのだが、事件としては大変単純。当時はまだ企業もそれほどずる賢くなかったためか、最終的にはあっさり原告が勝ってしまう。まあ、これはジュリア・ロバーツ演じる女性を描く方に重点が置かれているので仕方ないのだろうが、それならもっと違う裁判を扱った方がよかったとは思う。ハリウッド式に扱うには事件の内容が重すぎるのだ。これって結局はジュリア・ロバーツのための映画だしね。もっと法廷ゲームとして楽しめる事件の方がよいでしょう。実話としての重みを訴えるなら、逆に彼女を使っちゃいかんし、もっとシリアスに作るべき。この辺がどっちつかずで消化しきれていない。

 といっても娯楽映画としては、ジュリア・ロバーツの魅力は十分出ているし、満足できるレベルではある。
 事件はしょっぱいけれど、恋人のジョージや子供たちとの関係、働く女性としての彼女はうまく描かれている。運転中の携帯電話で、末っ子の赤ん坊が初めて言葉を話したとジョージから聞く件や、長男がたまたまジュリアのまとめたファイルを読んで、事件の悲惨さと母親の努力を知り、それまでのぎくしゃくした関係が氷解する件は、とても印象に残るシーンだ。


山田風太郎『赤い蝋人形』(廣済堂文庫)

 本日の読了本は山田風太郎の『赤い蝋人形』。まずは収録作。

「赤い蝋人形」
「賭博学大系」
「美女貸し屋」
「とんずら」
「わが愛しの妻よ」
「痴漢H君の話」
「ダニ図鑑」

 どれもさくっと読めるうえ、ミステリ的に際だって目立った作品というのはないのだが、それでいてハズレなしの大変レベルの高い作品集。粒ぞろいである。
 一見ユーモラスに進めながら、皮肉なオチや毒を盛り込むことも決して忘れてはいないのも山風流。山田風太郎といえば発想の凄さばかりが取りあげられる傾向があるが、この辺のテクニックやものの見方も、他の作家では真似のできない領域にあると思う。読書中はまさに至福の時間でありました。


小倉孝誠『推理小説の源流 ガボリオからルブランへ』(淡交社)

 最近あちらこちらのミステリ系のサイトや掲示板などを眺めていて思うのだが、今の若いミステリファンというのは翻訳ものって読まないのだろうか?
 どんな本を読もうと、それはもちろんその人の勝手なのだが、何とももったいない。管理人が江戸川乱歩やホームズの児童向けを卒業し、創元推理文庫などに手を出し始めた頃は(中学一、二年生ぐらい)けっこうガイドブックのようなものを買って、系統立てて読んでみたり、傑作と呼ばれるものを軒並みあたってみたりした思い出がある。あらかた世の名作というのをひととおり読み切って、そこから本当の長い長い旅が始まるわけである。

 ミステリは純文学とは違い、その芸術性だけで語れる文学ではない。どれだけテーマが深かろうと、どれだけ秀逸な文章力であろうと、そこに謎や犯罪、ロジックやトリックといった一定の構成要件を満たす必要のある特殊な文学なのである。
 それはある種のコードといってもよいだろう。ミステリのコードである。
 あまり深刻に考えなくてもいいのだが、極端なことをいうと、純文学の作家は何を書いても、著者が「これは文学だ」と言えば、それは文学なのだ。
 だがミステリでそれをやることは許されない。いや、やってもいいのだが、ミステリのコードを破った時点でその作品がミステリでなくなってしまうだけの話だ。だからこそ著者、読者、編集者……ミステリに関わる者であれば、最低限知っておかなければならないコードがあり、その上でミステリは成り立っている。『アクロイド殺し』などはそのコードを逆手に取った作品であり、だからこそ歴史に残る傑作となった。

 ただ、このコードは普遍ではない。ミステリにおけるコードはあくまで技術的なものであり、したがって時代とともに進化すると考えてよい。
 それだけに進化の過程を追ったり、過去の蓄積を知っておくことが重要なのだ。今の日本のミステリ作家たちのエッセイなどを読んでも、やはり外国の名作などに触れた結果、今の自分があるようなことを書いている人は多い。それを見習えなどと不遜なことを言うつもりはないが、やはりミステリファンを名乗る以上はその道の一般教養だってほしいじゃないか。ごくごく当たり前のことなのである。
 自分で書いていても年寄り臭い説教めいた話だと思うが、要は海外の古典も少しは読もうよってことで。ほんと、面白いんだから。

 長々とこんなことを書いたのも、小倉孝誠の『推理小説の源流』を読んだからだ。淡交社というミステリとは縁のない版元なので(裏千家の経営する出版社で、当然だがメインコンテンツは茶道関係の出版物である)、あまり知られていない本だとは思うが、これはなかなか面白かった。

 内容は仏文学者の著者によるミステリ史に関する評論である。ポーを祖とし、ドイルで完成したといわれる推理小説の定説。それを否定するところから論は始まる。そしてフランスにおける犯罪小説からミステリに至るまでの歴史を解説し、続いてポーとドイルの間を埋めたフランスミステリ界、っていうかガボリオの意義や役割を立証してゆくのである。

 ガボリオの果たした功績もよくわかるが、それよりも前半のフランスの犯罪小説の始まりについて書かれた部分が、個人的には面白かった。それはイコール、フランスの新聞小説の歴史でもあり、大衆小説の歴史でもある。十九世紀のフランスの一般社会の様子や大衆の興味の推移などについても触れられ、なかなか刺激的な内容。若いミステリファンも、たまにはこういうのも読んでほしいぞ、と思うのはやっぱりこっちがオッサンになった証拠なんだろうな。


サイモン・ウェスト『トゥームレイダー』

 レンタルビデオで『トゥームレイダー』を観る。監督はアクションもので頭角を表しているサイモン・ウェスト。
 典型的なB級アクション映画だが、思わぬ拾いモノと言ってよいだろう。何といっても主役のララ役のアンジェリーナ・ジョリーがハマりすぎである。ここまで原作(なんとテレビゲームである)のイメージ通りの役者って、そうそういないでしょ。

 中盤から終盤にかけての雰囲気も悪くないが、見どころは何といってもオープニング直後のロボットとの格闘シーン、そして前半でのララの屋敷を舞台にしたアクションシーン。いやー、かっこいいわ、こりゃ。特に屋敷でのシーンはバンジー・ジャンプ(?)をアクションに利用した初めての試みではないか? 
 やはり映画はメッセージがストレートに伝わってこないとだめだな。監督の思いこみは腐るほどあってもいいけど、それをこんな風に明確に伝えてくれないと。これはシリアスでもコメディでもアクションでも同じだと思うのだが、それを勘違いしている人が多い世の中だと、最近思う。


ヘンリイ・スレッサー『グレイ・フラノの屍衣』(ハヤカワ文庫)

 本日の読了本はヘンリイ・スレッサー『グレイ・フラノの屍衣』。先日亡くなった短編の名手による長編第一作。有名な作品だが、恥ずかしながらずっと積読だった。

 ストーリーはこんな感じ。主人公は広告代理店に勤務する将来有望な青年。おりから一大キャンペーンをうっている食品会社の担当を任されることになる。しかし、そのキャンペーンにはどうやら不正があるらしい。青年はキャンペーンの担当として仕事を進めながらも、その裏を探ろうとする。しかし広告の元担当カメラマンが死亡したのを発端に、青年にも魔の手が迫る……。

 洗練された文章と味付け。広告業界を舞台にしていることもあって、ひとつひとつの場面はイキイキとした印象を受ける。会話は楽しいし、当時の広告業界の雰囲気もよくわかる。
 しかし残念ながらこちらの精神状態がイマイチなせいもあってなかなかノレない。ただ、すべて気持ちのせいかというと、あながちそうもいえないだろう。特に物語の序盤は全体に状況説明が乏しく、そのくせ登場人物が入れ替わり立ち替わり出てくるため、一見テンポはよさそうだが意外に読みにくいのである。

 また、軽みがこの作家の持ち味だが、それが長編になるとコクのなさばかりが目立ってしまうのもいただけない。例えは悪いかも知れないが、この感じはエドワード・D・ホックを読んだときの物足りなさとよく似ていると思う。
 そんなこんなで読後の印象は残念ながらいまひとつ。スレッサーの真価はやはり短編で発揮されると見た方がよいのだろう。


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プロフィール

sugata

Author:sugata
ミステリならなんでも好物。特に翻訳ミステリと国内外問わずクラシック全般。
四半世紀勤めていた書籍・WEB等の制作会社を辞め、2021年よりフリーランスの編集者&ライターとしてぼちぼち活動中。

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