fc2ブログ
探偵小説三昧

日々,探偵小説を読みまくり、その感想を書き散らかすブログ


Posted in 06 2006

仁木悦子『名探偵コレクション1線の巻 吉村記者の全事件』(出版芸術社)

 仁木悦子『名探偵コレクション1線の巻 吉村記者の全事件』読了。
 仁木作品での名探偵といえば、すぐに思い浮かぶのが仁木兄妹シリーズと三影潤シリーズであろう。しかし仁木作品には他にも知名度が低いながらレギュラー探偵がおり、それぞれのシリーズを各一冊ずつにまとめてしまったのが出版芸術社の「仁木悦子名探偵コレクション」である。
 ちなみに出版芸術社からは既に「仁木兄妹の探偵簿」「仁木兄妹長篇全集」「子供たちの探偵簿」「探偵三影潤全集」などがまとめられており、さながら仁木悦子全集の様相を呈している。まあ、はなからそういう企画なのだろうが、ここまで続くにはそれなりの売上が立たねばならないはずだし、仁木悦子の小説が今でも多く読まれている証しともいえる。実際、仁木作品の長所のひとつは、当時の風俗などがしっかり描かれているにもかかわらず、今読んでも古さをあまり感じさせないことであろう。書かれた時代を考えると、これはなかなか凄いことだ。
 さて、『名探偵コレクション1線の巻 吉村記者の事件簿』である。収録作品は以下の5作。

『殺人配線図』
「死の花の咲く家」
「幼い実」
「乳色の朝」
「みずほ荘殺人事件」

 ほのぼの系の仁木兄妹ものとは異なり、吉村記者シリーズは若干辛め。物悲しい余韻を漂わせる作品も少なくはなく、個人的にはかなり意外であった。でも考えると仁木悦子自身はハードボイルドが好きだったらしいので、これもその流れを汲んでいるのかもしれない。
 作品のグレードは全体的に高めである。どれも安心して読めるが、しいておすすめを挙げるとすれば、やはり本書中唯一の長編「殺人配線図」になるだろうか。シンプルなネタだが非常に巧妙に書かれた作品で、あちらこちらに伏線やらミスディレクションやらを張り巡らせているのに感心する。また、「幼い実」はエンディングがあまりにも切ない。ミステリはあくまで娯楽と考える著者ではあるが、ただのミステリ作家にはこの味わいは出せないよなぁ。


京都出張

 京都出張。仕事が立て込んでいて、新幹線車中での読書はなし。代わりに会社のiBookを鞄につめて出かけ、車中でもせっせとお仕事。おお、ビジネスマンっぽい(笑)。だが、基本的にiBook重すぎ。歩いていると肩が抜けそうなほどである。ああ、もう少し軽量コンパクトなMacがでないものか。

中村真一郎、福永武彦、堀田善衛『発光妖精とモスラ』(筑摩書房)

 DVDで『妖怪大戦争』を観る。超B級に仕立てようとする狙いは十分わかるが、ストーリーや特撮にムラがありすぎ、いまひとつ乗り切れない。見所も多いのだが、肝心なところでしょっぱさが目立つというか。例えばスネコスリの特撮部分、妖怪の戦い、宮迫演じる編集者のエピソードなど、肝になる部分が弱すぎ。力の入れ具合が間違っているような気がする。

 読了本は中村真一郎、福永武彦、堀田善衛の共作『発光妖精とモスラ』。妖怪に怪獣……、少しは自分の歳も考えねばと思うのだが、好きなものは仕方ない(苦笑)。
 それはともかく。
 この『発光妖精とモスラ』という作品は映画『モスラ』の原作にあたるわけだが、原作が先に書かれたわけではない。まず映画の企画が先にあり、そこから作家に本の依頼があるという具合。この辺は香山滋の『ゴジラ』と同様で、そもそも『ゴジラ』のヒットを受けて企画された作品だから、これは不思議でも何でもない。ただ何故に中村真一郎なのか(他の二人は中村真一郎から協力を求められたらしい)。箔をつける意味合いもあるのだろうが、怪獣という特殊なジャンルを描くなら、もう少しそれらしい作家に頼む手もあったと思うのだが。このあたりの事情が気になるところである。
 ただ結果的にはこの三人の起用がなかなか成功している。原作といっても脚本化が前提なのでさっぱりしたものだが、肝となる当時の安保闘争などに代表される反米思想は強烈。彼らが『モスラ』をただの怪獣映画に終わらせず、社会派のドラマとして通用するものを目指したことは想像に難くない。これは香山滋の『ゴジラ』にもいえることで、まだ怪獣映画が大人向けに作られていた証しでもある。誰にでも、という本でもないが、下手なノンフィクションよりは当時の世相を体感できるかもしれない。


ドナルド・E・ウェストレイク『弱虫チャーリー、逃亡中』(ハヤカワミステリ)

 なぜか急にモンティ・パイソンが見たくなって、HMVまで出かける。だが残念ながらTV版はなく、仕方ないので再編集された映画版『モンティ・パイソン・アンド・ナウ』を購入。
 中学の頃、ブラックユーモアの何たるかを教えてくれたのが、テレビでやっていた『空飛ぶモンティ・パイソン』だった。それ以来ギャグが面白いかどうかの線引きは、常にモンティ・パイソンだったような気がする。

 ドナルド・E・ウェストレイクの『弱虫チャーリー、逃亡中』読了。元々はシリアスな作品でデビューしたウェストレイクが、コメディ路線に方向転換した最初の作品である。
 主人公はなんの取り柄もなく、就職しては失敗だらけのダメ男チャーリー。今では叔父のとりなしで、しがないバーの雇われマスターをこなす日々だ。ただし、この職には裏がある。ときどき店に出入りする怪しげな男たちに、荷物を橋渡しする役目を負っていたのだ。これこそチャーリーだからこそできた役目。変に好奇心が強かったり山っ気がある人間にはとても務まらないというわけだ。ところがそんなある日、状況は一変する。チャーリーが組織を裏切ったと誤解され、いきなり命を狙われる羽目になる。追う二人組の黒服の男。逃げるチャーリー。おまけに組織のボス殺しの容疑まで突きつけられ、もはや運命は風前の灯火。こうなったら自分の手で犯人を見つけ出すしかないのか!?
 基本はチャーリーの逃亡を軸としたスピード感あふれる犯罪小説。これにコメディタッチの味付けがなされ、おまけにチャーリーが事件を通して成長してゆく様なども盛り込むなど、滅法口当たりのよい作品となっている。最後には関係者全員を集めて謎解きを行うなど、サービス精神も満点。コメディ路線一作目とはいうものの、すでに何の迷いもない完成された作品であるといえるだろう。
 残念ながら長らく絶版中であり、もし古書店で見かけたらぜひ。まあ、何千円も出すほどのものではないけれど。


日本vs.ブラジル

 仕事は気になりながらも、結局は寝ないで日本vsブラジルを観戦。前半終了間際まではドキドキしながら見ていたが、結果はご存じのとおり。前半リードのまま後半に入っていたら、また違う感じになったとは思うのだが。後半はすっかり選手のテンションが落ちていたように見えた。まあ仕方ないわな。

田島莉茉子『野球殺人事件』(深夜叢書社)

 ちょっと珍しい本を先日オークションで落札した。まあ、マニアの間では有名な本なのでそれほど自慢にもならないが、田島莉茉子の『野球殺人事件』である。初出が雑誌『八雲』で、昭和23~24年にかけて連載されたものらしい。それが岩谷書店から単行本化されたのが昭和26年、そして昭和51年には復刻版が深夜叢書社から刊行されている(ちなみに私が入手したのももちろんコレ)。
 ところでこの本が有名な理由というのが、作者が覆面作家だということである。その正体は今では、文藝評論家の大井廣介であると見てほぼ間違いないらしい。とはいえ大井がすべて自分で書いたのかとなると、これまたいろいろ説があるらしく、当時、大井と交友のあった埴谷雄高が協力したという話もある。しかも埴谷雄高が坂口安吾のところへ出向き、かなりの手助けをしてもらったのではないか、という説もあり、これはなかなかいい線をついているのではないかと思う。
 というのも今挙げた三人はみな戦時中から探偵小説にはまり、安吾が主催して探偵小説の会みたいなものを作って楽しんでいたらしい。本作でも作中で、『グリーン家殺人事件』や『黄色い部屋の秘密』など海外のミステリについて語る部分があったり、探偵小説に関する論考がされたり、探偵ゲーム的な要素が非常に強い。しかも安吾の『不連続殺人事件』をくさしている会話まであるので、やはり本人の安吾以外が書いたとすればいろいろと問題もあるだろうから、やはり安吾の占める割合が大きいのではないかと想像できるわけである。

 前置きが長くなったが、肝心の中身に入ろう。こんな話だ。
 主人公は売り出し中の探偵作家、坂田兵吾。ある日彼は中学時代の同級生であり、現在はプロ野球選手となっている沢井から、ある相談を持ちかけられる。沢井は賭け集団から試合での八百長を頼まれたらしく、すっぱりと手を切れずにいる状況を何とかしたいというのだ。その相談を受けた直後の試合中に、なんと井筒という選手が毒殺されるという事件が起こる。実は井筒もまた沢井と同様、八百長事件の渦中にある選手だった。しかし、この毒殺事件はさらなる悲劇の幕開けに過ぎなかった……。

 昔から野球が好きなこともあって、事件の背景にある当時のプロ野球界の事情はなかなか興味深い。戦後間もない頃の野球界というのは実に混沌としていた。戦争の影がまだ色濃く残っている状況もあり、そこが暴力団のつけいる隙になったのか、実際に八百長事件でプロ野球界を追放になった選手も少なくない。しかし、時代が時代である。選手やファンの倫理感も今ほどには高くなく、殺伐としたなかにも、どこかのんびりしたムードも漂っているのが妙な感じだ。どこまで信じていいのかはわからないが、この設定はなかなか面白かった。
 それに比べると、探偵小説としての価値はやや落ちる。先ほども書いたように、探偵ゲームとしての性格が非常に強いのが本作の特徴だが、それは別によい。娯楽であろうが芸術であろうが面白ければかまわないわけで(いや、本当はかまうのだが、それはまた別の話)、要はそのレベルであろう。本作は完全に娯楽としての探偵小説だが、事件が多い割にはメインとなるネタが弱く、読者をあっと言わせようという気概には欠けるように思う。話自体はうまくまとめているし、野球好きや探偵小説好きのツボも押さえているだけに、肝心要のトリックが弱いのはなんとも残念だ。
 話の種には読んでおいてもいいが、大枚をはたいてまで……となると微妙な内容ではある。


リチャード・レイモン『殺戮の<野獣館>』(扶桑社ミステリー)

 なぜかここ数日というもの、さくさく進む読書。本日はリチャード・レイモンの『殺戮の<野獣館>』を読む。日本での刊行当時は、そのスーパーエログロ系が評判になり、今でもカルト的な人気を集めている作品らしい。
 しかし一読して唖然。いや、これは何といったらいいのか。まあ、典型的B級ホラー小説であることは確か。よりわかりやすくいえばエログロ満載の悪趣味なホラー小説である。レイプ、殺人、人とも獣ともつかぬ怪物、カニバリズム等、健全な人であればたちまち眼を背けたくなるような要素がてんこ盛り。それらの要素を一気に叩き込むかのようにストーリーを展開させる。刺激があればよい、それがすべてだ。
 解説で風間賢二氏がうまいことを書いている。
「ベストセラー・リストに登場するホラー作家たちが意識的に抑えている過度にいかがわしい想像力がある」
 まさしくそのとおりである。キングやクーンツ等のメジャーなホラー作家にはすでに自分たちのスタイルがあり、しっかりした読者がついている。ホラーに対する自身の主義や美学がある。表面的な刺激のみを求める作品など、書くに書けないのは当たり前だ。そこをついてきたレイモンは、ある意味したたかである。
 もうひとつ、レイモンがカルト的人気を集めている理由が考えられる。今書いたことと少し矛盾するかもしれないが、描写や内容が過激すぎるが故にリアルさをなくし、ホラ話に転化している気配がある。それを象徴するのがラストのオチだ。本来なら後味が最悪になるところを、思わず笑ってしまうぐらいの衝撃がある。レイモンが好きだという人は、おそらくこのホラーを超えてしまったところに魅力を感じているのではないだろうか。
 かくいう私も正直、途中までは辟易しながら読んでいたにもかかわらず、このラストで本書の評価は大きく変わってしまった。人にはおすすめできない作品だが、このラストだけは教えてあげたい。そんな気にさせるパワーはある。なんとも悩ましい作品なのだ。
 ちなみに本書はシリーズ化されていて、本国では四巻まで刊行されている(邦訳は二巻まで)。別に続けて読む気はないけれど。


ロバート・シェクリイ『無限がいっぱい』(早川書房)

 本日はロバート・シェクリイの『無限がいっぱい』を読む。早川書房のおなじみ異色作家短編集の一冊で、著者のロート・シェクリイはSFファンなら誰でもご存じの名前だろう。まずは収録作。

Gray Flannel Armor「グレイのフラノを身につけて」
The Leech「ひる」
Watchbird「監視鳥」
A Wind Is Rising「風起る」
Morning After「一夜明けて」
The Native Problem「原住民の問題」
Feeding Time「給餌の時間」
Paradise II「パラダイス第2」
Double Indemnity「倍額保険」
Holdout「乗船拒否」
Dawn Invade「暁の侵略者」
The Language of Love「愛の語学」

 本書も一応SF作品を集めた短編集ではあるが、異色作家短編集のシリーズ名どおり、特にSFファンでないと楽しめないというものではない。皮肉の効いたオチや寓話的内容はジャンルを超えたものであり、古くささもまったく感じられない。何よりアベレージの高さが素晴らしい。短編集でどの作品も当たりはずれなく読めるというのは、そうそうないことだ。
 その中で無理矢理ベストを選ぶとすれば、「風起こる」を推す。どちらかというと本書のなかでは異色作になるのかもしれないが、ハリケーンに遭遇する主人公のエピソードは冒険小説さながらの迫力であり、長編でも傑作になりえたほどのインパクトを持つ。そして思わず「そうきたか」と叫ばずにはいられないオチ。これだけでお腹いっぱいである。
 とにかく満足のいく一冊。SFはちょっと、というミステリファンもぜひ。


村山槐多『村山槐多耽美怪奇全集』(学研M文庫)

 学研M文庫「伝奇ノ匣」シリーズから『村山槐多 耽美怪奇全集』を読了。
 短編「悪魔の舌」しか読んだことのない作家だが、本来、村山槐多は画家であり、詩人である。小説はどちらかというと余技であるが、他にも戯曲や童話なども書いており、とにかく創造することにとりつかれた芸術家であることは間違いないだろう。しかもその作風というか嗜好がまた幻想的であり、加えて若干23歳にして夭折したのだから、一部に熱狂的ファンがいることは頷ける。
 本書はそんな村山槐多の怪奇趣味を満喫できる全集である。数少ない小説に加えて(未完のものもいくつか含まれている)、戯曲や童話、日記、エッセイ、詩、散文詩などをまとめているほか、津原泰水氏による槐多の評伝的作品をも収録。作品数が少ないせいもあるだろうが、まあ至れり尽くせり。ミステリサイドから見た村山槐多の功績はほぼこれで俯瞰できそう。
 ただし、小説だけをみれば、それほど収穫があるわけではなかった。やはり出来でいえば「悪魔の舌」はダントツであろう。「魔童子伝」「魔猿伝」といったモンスター系ホラー(という言い方でよいのか?)も対決シーンなどはなかなか手に汗握る出来で、悪くはないのだが、「悪魔の舌」の気色悪い発想や描写には勝てない。
 むしろ短編小説と共通するテーマで書かれている(と思うのだが、違う?)いくつかの詩や散文詩などに、幻想的な美しさを備えた作品が多く、そちらの方がよりイメージをかき立ててくれる。これも画家というスキルがあればこその技なのだろうが、画家なら誰でもいいかというと、もちろんそんなことはあるまい。ちなみに本書では小説その他の作品と詩を交互に収めており、おそらくこれも編者の狙いと思われる。
 画家の目を通して描かれた探偵小説。そんな位置づけで読んでみるのも一興かと。


ロマン・ポランスキー『戦場のピアニスト』

 昨日は少し晴れ間も見えたが、本日はまたいつもどおりの曇天+雨。簡単な買い物以外はほぼ家にこもり、借りてきた『戦場のピアニスト』を観る。監督はごぞんじロマン・ポランスキー。
 今更ではあるが、さすがにアカデミー賞監督賞などを受賞した評判どおりの良作。重く暗いテーマではあるが、戦争の悲惨さの中にも生きることの喜びを高らかに描きあげている。エイドリアン・ブロディの飄々とした演技が一服の清涼剤となっており、見終えた者に人生への希望を抱かせるのは見事。ポランスキー監督、会心の一作といっていいだろう。


石原千秋『大学生の論文執筆法』(ちくま新書)

 久々に南大沢のアウトレットモールへお買い物。トレーニングウェアやシャツなどを購入。本屋へは寄らず。

 先日の『高校生のための論理思考トレーニング』に続いてお勉強シリーズというか。石原千秋の『大学生の論文執筆法』を読む。こっちは文系大学生を対象にした、論文の書き方について語った本。だが、この手の本にありがちというか、そういう話は全体の半分(本書では前半)で終わる。
 読みどころはむしろ自由に書かれた後半。
 一応は「二項対立的思考」をトレーニングするための実践編として書かれている。すなわちいくつかの論文を俎上にあげながら、「いかにして線引きをするか」を提示していくのである。ただし、少し意地悪な見方をすれば、本書の務めは前半で一応終えているせいか、後半は著者の芸をアピールする場に思えなくもない。そこには学者としての顔よりも、文筆業者としての顔がある。スタンスもはっきりしているし、舌鋒も小気味よい。おまけに自虐的なネタまで盛り込むなどサービス精神も豊富。それだけに攻撃的かつ面白く読めるのだが、本当にタイトルに惹かれて本書を買った読者にすれば、著者の意識はやや遠いところにあるかもしれない。


『ハマースミスのうじ虫』待望の文庫化

 東京創元社のメルマガでビッグニュース。何とあのウィリアム・モール作『ハマースミスのうじ虫』が文庫化である。しかも新訳。ネットでの感想をいくつか見ると、必ずしも大傑作というわけではなさそうなんだけど、この際出来はどうでもいいや。読めりゃあいいんです。

横山雅彦『高校生のための論理思考トレーニング』(ちくま新書)

 仕事で京都出張。新幹線の中で読んだのが、横山雅彦『高校生のための論理思考トレーニング』。普段は仕事絡みの読書についてはほとんど記述していないのだが、ちょっと日本語に関する話が面白かったので、感想を少し。

 基本的には、英語における論理思考を、日本語にも応用していこう、というテーマ。タイトルからもわかるように高校生を対象としているため、それほど難しい話ではない。「論理的な考え方とはどういうものか、その実践テクニックは?」といった内容で、少々お勉強しているサラリーマンであれば、普段から何気なく実践しているレベルであろう。

 面白かったのは、その前提として日本語と英語の背景にあるものを語った部分だ。そもそも英語は論理に適した機能を有しているという話や、もともと日本語に「論理」はなかった、という話など、へぇという内容も多い。後半は本当に実習のためのページなので少々だれるが、この前半だけでも読んで損はない。

 なお、用例として「きむたく」とか2ちゃんねる語を平気で使っているのだけはいただけない。若者ぶる必要はないのにね。言葉に関して苦言を呈している本なのだから、その辺のセンスにも、もう少し気を配って欲しいものである。


ジョン・ディクスン・カー『悪魔のひじの家』(新樹社)

 ジョン・ディクスン・カーの晩年の作、『悪魔のひじの家』を読む。
 イングランド南東部に、その地形から名付けられた「悪魔のひじの家」と呼ばれる邸宅があった。ニック・バークリーはその屋敷と財産を相続することになり、アメリカから帰国。旧友の歴史家ガレットとともに屋敷へ向かった。だが、二人が屋敷に着くやいなや、一発の銃声が鳴り響く……。
 歴史物を書いていたカーが、久しぶりに発表したフェル博士ものの本格。カーといえどもさすがに晩年の作品はあまり出来がよくないらしいが(いかんせん晩年の作品を読み残しているので、あくまで伝聞だが)、本作は幸せな例外ということができるだろう。
 ストーリーにしてもトリックにしても、それほど新たな試みや派手なことはやっていないが、基本に忠実というか、丁寧に書きこまれている印象を受けた。伏線などもしっかり張っているし、オカルト趣味やロマンスなど、カーならではの要素もちゃんと盛り込まれている。全盛期を期待するのは酷だが、それなりに読めたのは嬉しい誤算だった。


日本vsオーストラリア

 日本vsオーストラリアがあるというのに、仕事関係の飲み会。窓口を担当した人間に、先方は本当にこの日で了承したのかと思わず確認する。恐ろしいことにそれなりの年代の男性が十人近く集まるというのに、特にみな興味がないらしい。こういう状況もあるのだな(笑)。
 ところが意外に早く飲み会が終了して、何とか試合中には帰宅。そのまま即観戦モードに入ったが、ラスト10分でひっくり返る。こんなことなら外で飲んでればよかった……。

ポール・ドハティ『白薔薇と鎖』(ハヤカワミステリ)

 イマイチの天気が続くので、最近はドライブもご無沙汰。ペットどもがすこぶる不満げであるが、仕方ない。W杯の再放送など見ながら、せっせと著作リストの整頓などに励む一日。

 読了本はポール・ドハティの『白薔薇と鎖』。
 カーばりの不可能犯罪を扱うなどの本格志向で、かねてよりネット上では面白いらしいと噂されていた、イギリスの歴史ミステリ作家ポール・ドハティ。これまでは原書フリークな方々の感想だけでしか、その片鱗をうかがうことはできなかったが、遂に長篇がポケミスで日本初登場である。ただ、ポール・アルテのときみたいに、あまり過剰に期待するとガックリくるので、ほどほどに期待するのが吉であろう。
 さて『白薔薇と鎖』。本作は愛すべき悪党ともいうべきロジャー・シャーロットと、その主人ベンジャミン・ドーンビーの二人組を主人公に据えたシリーズの第一作だ。16世紀のイギリスやフランスを股にかけ、殺人事件や王族の秘密を巡って、二人が大活躍する。
 こんな風に書くと、なんだか時代物の冒険小説みたいに思えるかもしれないが、正にそのとおり。本作は序盤こそ密室殺人を出したり、本格っぽいムードを醸し出すものの、すぐにその中心的興味が活劇要素であり歴史要素であることがわかる。歴史的な背景がしっかり理解できないと、事件の全貌が掴みにくいのが弱点だが、キャラクターが際だっている上にストーリー展開が激しいので、英国の歴史の知識が浅くともそれなりに楽しく読むことができた。とりわけロジャーの破天荒なキャラクターは悪くない。歴史ミステリなどというとなかなかお上品な響きがあるが、女性読者は軽いショックを受けるかも(笑)。それぐらいの毒は持っている。
 しかし、楽しいとはいっても、正直な話、この手の作品をそこまで読みたいとは思わない。あくまで期待していたのは本格系なので、できれば他のシリーズ、謎解きがメインとされる修道士アセルスタンものなどを次は訳してもらいたいものだ。多作でシリーズも多い作家だけに編集者も迷うところだろうが、次はぜひそちらで>早川書房様


W杯開幕

 ドイツW杯開幕。ビールでも飲みながら、ゆったり開幕戦のドイツvsコスタリカでも観戦、と思っていたのだが、いろいろと仕事がたまっており、あっという間に終電が無くなる。はあああああ。
 とりあえず三時を回ったあたりで切りをつけ、タクシーで帰宅。風呂で汗を流した後、当初の予定どおりビールを飲みながら、第二試合のエクアドルvsポーランドを観ている午前五時。なんだかなぁ。

ピーター・ディキンスン『エヴァが目ざめるとき』(徳間書店)

 ピーター・ディキンスンの『エヴァが目ざめるとき』を読む。
 ミステリではなくSF作品なのだが、ヤングアダルト向けということもあってか、かなりストレートなお話。ディキンスンにはミステリで変化球ばかり読まされてきたので、こういうちゃんとした話(?)も書けるのだと、まず変なところに感心してしまった(笑)。

 野生動物のほとんどが絶滅し、人類もゆるやかに滅びようとしている近未来が舞台。チンパンジーを研究する父と出かけた13歳の少女エヴァは、大事故にあって昏睡状態となってしまう。やがて200日を超える長い眠りから目覚めた彼女は、自分の体の異変に気づく。そう、彼女の命は、チンパンジーの体に記憶を移植することによって、かろうじて取り止めることができたのだ……。

 チンパンジーの体を持つしかなくなった少女は、どのように折り合いをつけて生きていくのか。暗い未来しか残されない世界で、人類はどこへ行こうとしているのか。エヴァは何を成すべきなのか。
 さすがにこれだけテーマが重いと、いろいろ考えさせられることも多い。だが意外に悲壮感が少ないのは、主人公のエヴァが自分の境遇を悲観することなく、前へ前へ進んでいくからであろう。ただし、逆にエヴァの葛藤が少なすぎるところが不満だったりもするわけで、そこが本作の弱点といえなくもない。大人向けではないから作者も加減をしているのだろうが、読後感が悪くなろうと、もう少しエヴァの苦悩を描いてもらわないことには物足りなさは否めない。なんとも惜しい一冊である。
 とまあ、やや辛口にはなったが、実はこのテーマと舞台設定だけでも一読の価値はある。普段SFに縁がない方こそぜひ。


甲賀三郎『妖魔の哄笑』(春陽文庫)

 朝イチで人間ドックへ。いつもの起床時間より三時間も早く起きたうえ、検便、検尿、検痰用のサンプルを採り、身動きできないほどの満員電車に揺られる。病院へ到着する頃には普段より数段ぐったりした状態となり、そのまま検診を受ける羽目になるのだが、本当にこれでいいのか?
 ちなみに昨年は二日間コースだったのだが、あまりに待ち時間が長いので、今年からは日帰りコースにしてもらう。ただ、それでも待ち時間がけっこうあり、一気に甲賀三郎の『妖魔の哄笑』を読んでしまう。

 とにかく凄い小説である。一応、話の筋はある。一度は殺されたと思われた会社社長の行方を追うという縦軸に、黒眼鏡の女や謎の組織が絡むという展開。もともとは新聞に連載された小説をまとめたものだ。
 当時の新聞小説の常というか、読者を飽きさせない工夫として、毎回のようにヤマ場や新たな展開があるのが特徴である。その結果、単行本化したときにはほぼ数ページ毎に山場があるという、ジェフリー・ディーヴァー顔負けのジェットコースターノベルになってしまうことがままある。まあ、それは別にかまわないのだが、ただ残念なのは、複雑になりすぎた物語を成立させるため、どうしてもご都合主義に走ってしまうことだ。「偶然」に起きてしまう重大事の何と多いことか。
 しかしである。ミステリとしては確かに傷が多すぎる『妖魔の哄笑』だが、作中に溢れる熱気というか、テンションの高さは、見逃すにはあまりに惜しい。
 甲賀三郎が活躍した時代、大正から昭和初期にかけては、作家も読者も探偵小説に関しての知識と経験が不足していた時代である。探偵小説という市場そのものが成熟していなかった時代ともいえる。論理的だろうが凄いトリックがあろうが、まず必要だったのはわかりやすい表面的な面白さ。それによって一般読者を探偵小説に振り向かせる必要があったのだ。ある意味それは現代にも通じる真実であり、そういう観点からいえば、『妖魔の哄笑』は、読者のツボを見事に押さえた傑作といえるのかもしれない。
 横溝や乱歩などの代表作ばかりを読んでいると、どうしてもそちらが当時の探偵小説の主流と思ってしまいがちだが、こういった通俗的な作品もまた多かったことは覚えておきたいものである。


ジョセフィン・テイ『魔性の馬』(小学館)

 所沢で開催されている「彩の国古本まつり」をのぞきにいくも大した収穫なし。セシル・デイ・ルイスの『オタバリの少年探偵たち』を買えたのが唯一の救い。

 読了本はジョセフィン・テイの『魔性の馬』。こんな話。
 広大な牧場を経営するアシュビー家に、自殺したと思われた長男のパトリックが帰ってきた。家督相続予定者だった双子の弟サイモンを初め、困惑する家族や周囲の者たちだったが、次第に彼を受け入れようとする。だが実はパトリックは、従兄弟の売れない役者ロディングが送り込んだ偽物、ブラットだったのだ。
 テイの長編を読むのは『時の娘』『列のなかの男』に続いてこれが三つ目だが、どれも作風が異なるのは本当に驚くばかりだ。本作は偽パトリックの犯罪が成功するのか、はたまたミスを犯して自滅してゆくのか、そのサスペンスで引っ張っていく物語であり、さながらハイスミスの『太陽がいっぱい』を彷彿とさせる。これまで本格の人だと思っていたジョセフィン・テイだが、どうやら予想以上に懐が深く、多彩なテクニックの持ち主らしい。
 ただ、サスペンスや意外性(まあ予測はつくけれども)もいいのだが、本作のミソは、どちらかといえば描写力とか文章の豊かさにある気がする。主人公ブラットの心理描写はもちろんだが、ブラットの目を通して描かれる家族や近所の知人たち、あるいは馬の様子や情景描写なども巧い。綿密に書き込むというタイプではない。さらっと書きながらも、その表現が実に印象的で心に残るのだ。後味の良さもなかなかで、幅広くおすすめできる一冊。


ピーター・ジャクソン『キング・コング』

 梅雨入り前だというのに、このところずっとイマイチの天気。晴れていればたいてい土日のどちらかはドライブに出かけるのだが、この天気ではそれもままならない。買い物をさっとすませたあとは、おとなしくDVDに落ちたばかりのPJ版『キング・コング』を観て一日を過ごす。

 いや、しかし『キング・コング』。劇場で観れなかったのは実に不覚である。ピーター・ジャクソンン監督が元祖『キング・コング』への思い入れたっぷりに描いた本作は、奇をてらわないストレートなリメイクであり、まずは堂々の大作といえるだろう。
 一番の見せ場であるコングや恐竜らのCGや特撮は言うに及ばず、もうひとつのテーマであるコングとアンのラブ・ストーリーも見事。また、そのほかの人間ドラマもなかなか仕込みが効いているというか手が込んでいる。3時間という長さはまったく感じさせない出来だ。
 個人的には時代設定を現代にせず、ちゃんとオリジナルに合わせて1930年代のニューヨークにしていることが嬉しい。この時代の雰囲気こそが『キング・コング』には必要不可欠なのではないか。戦争の色濃くなり始める不安定な時代であるとともに、才覚さえあれば一山当てることが容易だった時代でもある。もちろんそれを具現化しているのが、劇中のカールであることは言うまでもない。
 ちなみにこの1930年代のニューヨークというのは、まさにエラリー・クイーンやヴァン・ダインが活躍していた時代・場所でもある。当時の風俗、ファッションや劇場の雰囲気など、そちらを読む際の参考にもなってなかなかいい。


« »

06 2006
SUN MON TUE WED THU FRI SAT
- - - - 1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30 -
プロフィール

sugata

Author:sugata
ミステリならなんでも好物。特に翻訳ミステリと国内外問わずクラシック全般。
四半世紀勤めていた書籍・WEB等の制作会社を辞め、2021年よりフリーランスの編集者&ライターとしてぼちぼち活動中。

ツリーカテゴリー