fc2ブログ
探偵小説三昧

日々,探偵小説を読みまくり、その感想を書き散らかすブログ


Posted in 06 2008

ジョルジュ・シムノン『メグレ警視と生死不明の男』(講談社文庫)

 読書のペースを取りもどそうと、安心して読めるシリーズものに手を出してみる。トリックとか派手な要素はなくてもかまわない。まずは作品ごとのムラが少ないもの。何より読後に深い余韻の残るもの。そういうものこそ読書のリハビリにはふさわしい。個人的には、シムノンのメグレものがそれにあたる。本日の読了本はジョルジュ・シムノン『メグレ警視と生死不明の男』。

 メグレ警視と生死不明の男

 メグレのもとへ、部下のロニョン刑事の夫人から連絡が入る。何でも直々にあって相談したことがあるという。自宅を訪ねたメグレが聞いた話は驚くべきものだった。ロニョンが姿を消し、その隙を狙うかのように、自宅へギャングが押しかけたというではないか。<無愛想な刑事>として知られるロニョンの身に、いったい何が起こっているのか……。

 本作の前半で物語の中心にいる男ロニョンは、ポケミスの『メグレと無愛想な刑事』でもお馴染みの刑事。仕事もでき真面目な性格だが、いかんせん被害妄想が強いことから周囲の刑事たちとは馴染めず、気難しいことでも知られている。
 そんなロニョンがたまたま奇怪な事件に巻き込まれるところから物語は幕を開ける。このあたりはいつものペース。ロニョン夫人や本人との会話から、ロニョンの人となりがじわじわと炙り出される。この辺りは常套手段ながら本当に巧い。だが本当に唸らされるのは、ロニョンがギャングに連れ去られるという事件以降。ただでさえ複雑なロニョンの人柄が、この事件でさらにどう転ぶかわからなくなる。ロニョンに対するメグレの反応も見どころである。

 ちょっと意外だったというか、実は少し物足りなかったのが中盤以降。このままロニョンを中心に置いておくのかと思いきや、本作のもうひとつの胆であるギャングとの対峙に流れが移る。
 というか、そもそも本作の本来のテーマは、メグレがプロの犯罪者たるアメリカのギャングたちといかに戦うか、というところにあるようで、派手なアクションシーンなども珍しく盛り込まれている。そういう意味では自然な流れといってもよいのだが、ううむ、個人的にはあくまでロニョンを最後まで中心に置いてほしかった。焦点が途中から微妙にずれる感じで、なんだかシムノンにはぐらされた気がするのである。
 時期的に油の乗っている頃の作品だけに、少し期待しすぎたかな。悪くはないんだけれど。


『刑事コロンボ/溶ける糸』

 DVDで『刑事コロンボ/溶ける糸』を視聴。遠い昔、NHKか日テレのどちらかで観ているはずなのだが、ほぼ内容を忘れていたのでなかなか新鮮。結論から言うと、先日の『刑事コロンボ/偶像のレクイエム』に勝るとも劣らない出来映え。っていうか、世評的にはこちらの方が上なんだが。

 以下、ややネタバレっぽくなので、未見の方はご注意。






 犯人役は『スタートレック』のスポック役でお馴染みのレナード・ニモイ。彼がスポックのキャラクターそのままに、冷静沈着な心臓外科医メイフィールドを演じる(さすがに耳はとんがっていないけれど)。良い意味でも悪い意味でも、本作はそのキャスティングがすべてであり、視聴者がスポックとメイフィールドをだぶらせて観ることを前提とした作品といってもよい。
 その小憎らしいまでにクールなメイフィールドの振る舞いは、まさしくスポックが犯罪者になったかのようである。あまりのふてぶてしい言動に、珍しくコロンボが怒りを爆発させるシーンもあるなど、見どころも満載(とはいえ、これもメイフィールドに手術をさせるためのコロンボの戦術なのだから、正に虚々実々の駆け引きといってよい)。
 何よりそのキャラクターが活かされるのは、クライマックスシーンだろう。正直メイフィールドが仕掛けた最後のトリックについては、それほど感心するものではない。しかしながら、「沈着冷静なキャラクター」というキーワードをこういう形でプロットに組み込み、かつコロンボに逆転勝利させる脚本は見事と言うほかない。

 しかし、最近どうも映像の感想ばかりになりつつあるな。たまには本の感想も書かないと。


小林久三、他『仙台ミステリー傑作選』(河出文庫)

 河出文庫の紀行ミステリーから『仙台ミステリー傑作選』を読む。まずは収録作。

小林久三「わが青春の仙台」(序文)
小林久三「東北新幹線殺人事件」
高城高「X橋付近」
都筑道夫「七月・星の女」
高橋克彦「妻を愛す」
阿刀田高「瑠璃色の底」
藤雪夫「遠い春」
中井英夫「人形たちの夜・秋」

 仙台ミステリー傑作選

 本書の刊行は1987年。当時であれば、目玉は何といっても高城高であろう。序文や解説でも、高城高の消息について言及されているぐらいであり、当時であればその名前を知っているミステリファンも少なかったはず。ところが今では文庫全集化もスタートし、その作品にずいぶん手軽に接することができるようになったため、ありがたみはやや減ってしまった感じである(苦笑)。

 まあ、それはともかく。
 中身の話に移ろう。仙台といえば歴史や観光等で非常に特徴的な地であるから、そういった要素の活かし方はどの作品も比較的しっかりしているようだ。ただ、一部の作品をのぞくと、やや全般的に低調な感じは否めない。謎解き系のミステリがずいぶん少ないのも気になる。
 そういう意味で「東北新幹線殺人事件」のようにオーソドックスなサスペンスは好印象。やや詰め込みすぎのせいかバタバタしている嫌いはあるが、ラストシーンはどんでん返しも含めてきれいに決めている。
 また、今さら言うまでもないのだが、「X橋付近」は日本流のハードボイルドがどのように進化していったのか、その道標たる意味合いで必読。
 中井英夫の「人形たちの夜・秋」は連作短篇のひとつでこれだけでも読めるが、やはりまとめて読む方が吉かと。
 正直、それら以外はいまひとつで、なんとも物足りなさの残る一冊であった。


アンドリュー・アダムソン『ナルニア国物語 第2章カスピアン王子のつのぶえ』

 通勤にJRの中央線を使っているのだが、昨日は帰りの電車が信号故障とかで完全にストップ。その日は神保町で知人と一杯やって、御茶ノ水駅で電車に乗ったのは23時をまわっていたはずだが、まずその電車がそもそも動かない。御茶ノ水駅だけでたぶん三十分はいたはず。で、ようやく動いても一駅ごとに十分以上停止。当然ながら乗客数は尋常ではないほどに膨れあがり、新宿でピークを迎える。電車の壁や窓が圧力でミシミシと音をたてたときには、正直、圧死するか、あるいは窓が破れるのではないかと思ったほどである。
 東京で暮らしてもう二十年以上になるが、こんな満員電車はおそらく初めて。結局、家に帰り着く頃には2時をまわっていたのだが、電車には最低でも二時間半は乗っていた計算。電車はその後にもまだまだ残っていたはずだが、終電はいったい何時になったのやら。


 明けて本日、土曜日は武蔵村山にあるワーナー・マイカルへ『ナルニア国物語 第2章カスピアン王子のつのぶえ』を観にいく。
 原作のナルニア国物語は一巻より二巻、二巻より三巻と、巻が進むに連れて内容もよくなっていったが、映画も今作の方が上手くまとまっていたという印象。『ナルニア国物語 第1章ライオンと魔女』ではややシンプルすぎたメッセージがより自然にストーリーラインに組み込まれ、さらに次なる展開につないでいる。
 ただ、原作ではナルニアが壮大な歴史物語であることを実感できるのだが、映画はそれほど押し出しているわけではないのが少し残念。
 残念ついでにいうと、カスピアン王子の活躍をはじめ、原作から割愛されている部分も多い。まあ、これもある程度は致し方ないのだが、そのために四兄妹とカスピアン王子の扱いがどっちつかずになっている嫌いはある。また、ピーターとスーザンが今後二度とナルニアに戻れないという話についても、映画ではやや説明不足ではなかろうか。ナルニアの存在意義に関わる部分でもあるので、ここはもう少し突っこんでおいてほしかったなぁ。

 ま、そんなこんなで不満もないではないが、昨今の刺激の強い映画とは違い、安心して楽しめ、家族で話し合うことのできる上質なファンタジーである。課題は、原作に思い入れがない人に対し、どこまでそのメッセージや世界観を伝えることができるかであろう。次巻がより娯楽性の強いストーリーだけに、その辺りの焦点がぼやけないかどうか、ちと心配ではある。


『刑事コロンボ/偶像のレクイエム』

 そろそろ限界っぽいなぁと感じてきたので、やばくなる前に臨時休暇。ほぼ一日中、家でごろごろしながらDVDなどを観たり、本を読んだり。仕事のことなど忘れていたいのだが、それでもときどきはメールをのぞき仕事の打ち合わせなどもぽつぽつ進める。因果やのう。


 久々にコロンボをDVDで視聴。ものは『刑事コロンボ/偶像のレクイエム』。
 見どころは、何といっても本作がメタ映画的に作られていること。犯人役はアン・バクスターが演じているのだが、実生活そのままにハリウッドの映画スターの役柄でもあり、内容もいわばハリウッド内幕物。けっこう皮肉の効いたエピソードやセリフも多く(アン・バクスターが出演すること自体が一番強烈なのだが)、そこへコロンボがミーハー丸出しで絡むから楽しさもさらにアップ。
 ミステリドラマとしての部分も、実はなかなかいい。ネタバレになる危険もあるので詳しくは書けないが、視聴者をあっと言わせる仕掛けが二カ所ほど仕組まれている。コロンボが倒叙ものであることを踏まえてのひねりなので、見事に「あ、やられた」という感じだ。特に後の方は巧い。
 シリーズでは割と話題に上らない作品だと思うが、このレベルならもう少し評価されてもいいんではなかろうか。オススメです。



地震に御注意

 急遽クライアントとの飲み会に召還され、先ほど生還。一風呂浴びて時計を見れば、ああ、もう三時ですか(苦笑)。
 本日は特にブログに書くこともないなぁと思いながら、ぼけた頭でしばらくネットのニュースを眺めていると、次のような記事を発見。思わず自宅の状況に思いを馳せたマニアは少なくあるまい。うちも他人事ではありませぬ。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080616-00000914-san-soci

若狭邦男『探偵作家追跡』(日本古書通信社)

 かつて鮎川哲也が著した『幻の探偵作家を求めて』や『こんな探偵作家が読みたい』という本がある。マイナーではあったが忘れるには惜しい戦前の探偵作家たち。そんな作家を紹介すべく、本人やあるいはその遺族を訪ねて行ったインタビューをまとめたものである。
 本日読んだ若狭邦男の『探偵作家追跡』は、それらの本に触発された著者が、その続編にチャレンジした一冊。

 探偵作家追跡

 取り上げられている作家をほんの一部紹介すると、魔子鬼一、香山風太郎、吉良運平、大月恒志、水上幻一郎、華村タマ子、薄風之介、土屋光司などなどといった面々。読んだことがないどころか名前すら知らない作家も多い。
 著者の若狭氏は膨大な探偵小説のコレクションをもとに、その作家の歴を追跡していくわけだが、これにかかる時間と金はいかほどのものだったか。いや、想像するだに恐ろしい(笑)。読まされる読者も不幸である。本書で興味を持った作家がいても、おいそれとは読めない作家ばかりで、まさに目の毒。まあ、名前だけはこれで覚えたので、死ぬまでにはなんとかしたいものだ(笑)。

 さて、基本的には情報がウリの本であるから、そういう意味では十分に満足できたわけだが、残念なところもないではない。
 一番厳しいのは、多くの関係者や文献にあたったであろう取材の過程やインタビューの模様が、それほど盛り込まれていないことだ。個人的には書誌データよりそちらの方に遙かに興味があるのだが、これもマニアの性か、著者は書誌データにこだわりまくる。しかも表などを用いて見やすくしてくれればまだしも、けっこう地の文でそのまま載せることも多い。これがまた読みにくい。
 まあ、私見だが、こういうのは担当した編集さんの責任なんだよなぁ。著者はおそらく文筆のプロではないはずだから、もう少しプロである編集者が気を遣ってあげないとね。


ビル・S・バリンジャー『美しき罠』(ハヤカワミステリ)

 ビル・S・バリンジャーの『美しき罠』を読む。
 一昔前であれば『歯と爪』などの作品で知られていたバリンジャーだが、最近では、六年前の小学館と創元の『煙の中の肖像』バッティング事件で名前を知った人も多いのではなかろうか。まあ、事件の真相は知らないが、少なくともファンの間で改めて名前が注目されたことだけはよかっただろう。それ以後、論創社から『歪められた男』が刊行され、そしてポケミスからは『美しき罠』が出たのも、このバッティング事件の影響が多少はあったかもしれない。
 まあ、そんなことはともかく。

美しき罠

 第二次大戦後、ニューヨークへ戻ってきた元ジャーナリストの「ぼく」。しばらく暇ができたのを幸い、かつて取材で親しくなった刑事ラファティと旧交を温めることにしたが、警察に問い合わせても冷たくあしらわれるばかり。いったいラファティに何があったのか。やがて新聞記事でラファティのトラブルを知った「ぼく」は、関係者からさらに情報を集め、事件を再構築してゆく。

 クライムノベルをベースにしつつ、小説全体に仕掛けを施すようなトリッキーなところが目立ち、それでいて消化不良な結果を招く。バリンジャーの作風といえば、個人的にはこういうややネガティブなイメージになってしまう(ファンの人ごめん)。
 本書は、そんな技巧に走りすぎる嫌いがあるバリンジャーが、意外にもノワールに徹した作品。語り手の「ぼく」が過去を再構築する、つまり回想的に物語が語られてゆくため、最初は叙述トリックっぽい印象をもってしまうが、かなり真っ当な犯罪小説である。序盤から中盤にかけては語り口も丁寧で、「この人こんなに渋いものも書けるんだ」という驚きもあり、リーダビリティは高い。ただ、終盤に脱獄の手助けやお宝探しという盛り上がる展開を見せながらも、構成自体はしまりが無く、演出も中途半端。どちらかに絞って徹底的にやってくれた方が物語としてもスッキリするし効果的だと思うのだが。語り口は悪くないものの、残念ながらトータルではいまひとつ。


カテゴリー修正

 カテゴリーの「評論・エッセイなど」がけっこうな数になってきたので、少し細分化してみる。
 とりあえず小説と同じように、すべて五十音順の著者別に分けてみたのだが、小説と違って、個人と団体、国産と海外がごちゃ混ぜなので、見た目がちょっと落ち着かない(笑)。加えて著書と編書の区別も面倒なので手をつけず。まあ、また上手い分類を思いつくまで、当面はこれで。少なくとも最低限の目次機能は果たしてくれるはずである。
 なお、右カラムが長くてウザい場合は、「-評論・エッセイ」のように「-」がついている見出しをクリックすると、そのツリーを折りたためるのでご利用ください。

アゴタ・クリストフ『どちらでもいい』(ハヤカワ文庫)

 本日の読了本は、アゴタ・クリストフの『どちらでもいい』。『悪童日記』で鮮烈なデビューを飾ったハンガリー出身の作家クリストフの短編集で、そのほとんどがショートショートといってもいいぐらいの短さである。まずは収録作。

La hache「斧」
Un train pour le Nord「北部行きの列車」
Chez moi「我が家」
Le canal「運河」
La mort d'un ourvrier「ある労働者の死」
Je ne mange plus「もう食べたいと思わない」
Les professeurs「先生方」
L'écrivain「作家」
L'enfant「子供」
La maison「家」
Ma sœur Line, mon frère Lanoé「わが妹リーヌ、わが兄ラノエ」
C'est égal「どちらでもいい」
La boîte aux lettres「郵便受け」
Les faux numéros「間違い電話」
La campagne「田園」
Les rues「街路」
La grande roue「運命の輪」
Le cambrioleur「夜盗」
La mère「母親」
L'invitation「ホームディナー」
La vengeance「復習」
D'une ville「ある町のこと」
Le Produit「製品の売れ行き」
Je pense「私は思う」
Mon père「わたしの父」
「マティアス、きみは何処にいるのか?」

 どちらでもいい

 実は本書に収められている作品は、彼女の創作ノートなどから採られたもので、長編や戯曲の元になった作品も多いらしい。そういう意味では習作的な意味合いが強いようだが、だからといって本書の価値が下がることはない。アゴタ・クリストフの持ち味が存分に発揮された、実にスリリングな作品揃いなのである。

 例によって現在形を多用した、研ぎすまされた文体は実に強烈である。無駄なことは一切書かず淡々と事実を連ねてゆく。投げやりなどこか虚無的にすら感じられる文体である。なかにはまるで散文詩のような作品もあり、タイプこそ違うけれども城昌幸のいくつかの作品を彷彿とさせる。『悪童日記』をはじめとした三部作では凄まじいテクニックも見せたが、この文体こそが彼女の最大の特徴であり、武器であることは言うまでもないだろう。
 そして、この文体によって語られる話も、毎度のごとく重く暗いものばかりである。その多くには死の影も濃厚であり、読んでいる者を何ともやりきれない気持ちにさせるのもいつもどおり。文体も含めて、こうした作風に、彼女の経歴や出身国であるハンガリーの国情が影響していると考えるのも、あながち間違っているとはいえないだろう。ソ連と西欧諸国の狭間で翻弄され続けた国民である。虚無的な文体なれども、その底にはもちろん著者の苦悩と叫びが流れ続けているのだ。

 ただ、上でも書いたとおり、本書は習作的な作品を集めている。彼女の魅力を削ぐことはないけれども、その他の著作より読みやすいこともまた確か。個人的には初めてクリストフを読む人にこそオススメする次第であり、そのうえでぜひ『悪童日記』三部作を読んでもらいたい。


ヘイク・タルボット『絞首人の手伝い』(ハヤカワミステリ)

 管理人ばかりではないだろう。野田昌宏、氷室冴子の相次ぐ訃報には実に驚き、そしてショックを受けてしまった。ミステリファンでもお二方の著作に触れた人は多いだろう。ことに残念なのは、二人とも早すぎたということだ。氷室冴子は言うに及ばず野田昌宏だってまだ七十代だから、これから総仕上げ的な仕事にとりかかるイメージだって持っていたかもしれない。今はただご冥福を祈るのみーー合掌。


 読了本はヘイク・タルボットの『絞首人の手伝い』。不可能犯罪+オカルト趣味が見事に結実した『魔の淵』で、一躍その名を知られたタルボットの長篇第一作である(といっても長篇は本書と『魔の淵』の二冊しかないのだが)。

 絞首人の手伝い

 孤島にあるフラント氏の邸宅で始まった晩餐会。だが、その席上でフラント氏と義弟のテスリン卿との間で口論が発生。異変はそのとき起こった。なんとテスリン卿が呪いの言葉を放った直後に、フラント氏が絶命してしまったのだ。しかもフラント氏の死体は死後数時間もたたないうちに腐乱し、泊まり客には水の精霊ウンディーネが襲いかかる。果たしてこの島には何が起こっているのか……?

 個人的には、正直、世間で言われるほど『魔の淵』を評価していないのだが、何が不満なのかというと、広げすぎた大風呂敷のたたみ方がもうひとつ上手くない。それほど雑ではないと思うのだが、見事なまでの背負い投げをくらった、という気持ちにはなれない。導入や設定が魅力的なだけに、かえってトリックや謎解きの小粒さが気になるのである。
 『絞首人の手伝い』もほぼ同様の傾向を持った作品である。だが立て続けに提示される不可能犯罪という状況や、オカルトチックな設定は、本書の方がより挑戦的。種を明かされるとガックリくる部分もあるが、トータルでは本書の勢いを買いたい。

 また、謎解きとは関係ない部分だが、本書で何より興味深かったのは、探偵役ローガンの設定である。当時の本格探偵小説の名探偵たちとは明らかに一線を画すそのキャラクター。冒険小説やピカレスクロマンの主人公といっても通用しそうな行動力。あるいは複雑な過去をもち、悩めるところの多いその人間性。完全なる第三者ではなく、関係者として事件の渦中で苦しむローガンの姿は意外な収穫であり、彼の存在なくしては、この物語はありえない。ある意味、本書の一番の読みどころといってもいいだろう。

 マニアックな作品だから、買う人はどうせ世間の評判など気にせず買うだろうが、一応は書いておく。少なくとも『魔の淵』が気に入った人は本書も読んでおいて損はない。


フランシス・ローレンス『アイ・アム・レジェンド』

 一生懸命仕事をしていたので特にネタもなく、先日観たDVDの感想など。

 ものは、フランシス・ローレンス監督、ウィル・スミス主演の『アイ・アム・レジェンド』。
 ミステリやSFファンなら先刻ご承知だろうが、原作はリチャード・マシスンの『地球最後の男』である。だが、映画化に合わせて、確か文庫も映画と同じに改題されたはずだ。のっけから横道に逸れるが、この本、これまでもタイトルがかなり変わっているようだ。
 刊行はすべて早川書房だが、最初は1958年の『吸血鬼』。続いて映画化『地球最後の男オメガマン』公開に合わせ、『地球最後の男〈人類SOS〉』に改題。次は文庫化に際して『地球最後の男』。最後がまた映画化に合わせ『アイ・アム・レジェンド』と改題。
 既に吸血鬼ものの新古典ともいえる位置を獲得している作品なのに、これだけ改題される事例はそうそうないんじゃないかな。個人的には映画化に合わせた改題って、何の芸もないし好きじゃないんだが。特に英語をそのままカタカナにしたようなやつは最悪。映画のタイトルはオビに謳っておけばすむのだし、『地球最後の男』でいいと思うのだが。

 映画の話に戻そう。基本的には原作の設定を活かしただけの別物だが、あまり話を膨らませることもなく、予想よりはずいぶん淡泊な作りである。予告編で観たときは、廃墟のニューヨークという、かなりインパクトのある映像に衝撃を受けたが、いざ観てみると本編は『バイオハザード』を彷彿とさせるようなホラー映画のノリ。けっこう心臓にはよくないものの(笑)、原作が本来持つ方向性とはかなり違ってしまって、そこは期待はずれ。トータルではまあまあの60点といったところだろう。

 あと、ネタバレかもしれないが、犬好きは観ない方が無難かもしれない。
 ウィル・スミスの相棒、シェパードのサムが見事な熱演で、本当だったら犬好きは必見といいたいところなのだが、なんせ涙無しでは観られないストーリー展開ゆえ、ある程度の覚悟を持っていないと辛いかも。このパターン『妖怪大戦争』にもあったが、後味が悪すぎるんだよなぁ。


中野美代子『綺想迷画大全』(飛鳥新社)

 久々に気持ちのいい天気の休日だが、とにかく昨日から眠る眠る。昼頃までたっぷり睡眠をとったあとは愛犬と公園をはしごし、帰ってきてからはふたたび昼寝。まあ、これだけ寝たのも久しぶりで、少しは疲れも解消できた感じ。


 一ヶ月ぐらいかけてボチボチ読んできた、中野美代子の『綺想迷画大全』を読み終える。
 古今東西の幻想的な絵画を集め、エッセイ風に解説した本だが、これが実に面白い。こちとら絵画に関してはまったく素人なので、もとより技術的なところなど大した理解はできない。もっぱら興味は絵のテーマであったり、その主義思想、文化的背景などに向きがちなのだが、本書に収められている絵画も専らそのような、「読み応え」のあるものばかり。

 綺想迷画大全

 例えばマルコ・ポーロの『東方見聞録』に描かれた、一本足でそれを傘のように使う人間(スキヤポデスというらしい)の絵など、皆さんも何かの本やテレビで見たことがあるはず。
 東洋にそんな怪物がいたのか、という疑問はもっともだが、そもそも『東方見聞録』自体の出自がかなりいい加減。今では『東方見聞録』がマルコ・ポーロの正式な書物でないことを知っている人は多いだろう。実は『東方見聞録』は第三者による聞き書きの本であり、その本からさらに様々な写本が生まれて、我々が『東方見聞録』だと思っているのも、そのような写本の一冊なのである。そんな成り立ちのもとに生まれた本には、次第に第三者の思惑や創作までが入り交じってくる。先ほどのスキヤポデスももちろん東洋で本当に見聞きしたものではなく、すでに以前から西洋では知られたキャラクターであり、当時の他のまったく関係ない本でもひんぱんに登場していたりするのだ。

 なんていう蘊蓄が満載で、とにかく絵そのものは珍獣やら不思議な空間ばかり。理屈抜きでも楽しいのだが、上のような解説つきで読むと、面白さも倍増である。
 著者の中野美代子は中国文学が専門で、最近だと岩波文庫の『西遊記』の新訳なども著しているお方。けっこうなお歳のはずなのだが、これがまた軽妙でユーモラスな文章を用いてくれるので、難しい話もすんなり頭に入ってくる。
 値段は少々高めだが、図版は豊富で印刷製本にも気を配った好著。この手の本が好きな人なら間違いなくおすすめの一冊である。
 もし、この本に収録した絵画を集めた展覧会があるなら絶対観にいくのだがなぁ。どこかの美術館で企画してくれないものか。


« »

06 2008
SUN MON TUE WED THU FRI SAT
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 - - - - -
プロフィール

sugata

Author:sugata
ミステリならなんでも好物。特に翻訳ミステリと国内外問わずクラシック全般。
四半世紀勤めていた書籍・WEB等の制作会社を辞め、2021年よりフリーランスの編集者&ライターとしてぼちぼち活動中。

ツリーカテゴリー