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探偵小説三昧

日々,探偵小説を読みまくり、その感想を書き散らかすブログ


Posted in 03 2009

デニス・ルヘイン『運命の日(下)』(早川書房)

 運命の日(下)

 デニス・ルヘインの『運命の日(下)』読了。
 舞台は1918年のアメリカ。第一次世界大戦末期の頃なので、ただでさえ騒然とした社会情勢ではあるが、ロシア革命の影響によって多くの労働紛争やテロなどが勃発、加えてインフルエンザが猛威を奮う混沌とした状況にあった。
 この時代に翻弄される主人公が、有能な警部を父にもつボストン市警の巡査ダニー・コグリン。そしてギャングとのトラブルから追われる身となった黒人の若者ルーサー・ローレンスの二人。

 ダニーは、世の中が決して綺麗事だけではすまないことは知っている。だが同時に、それを潔しとしない正義感をも併せ持ち、ときとして彼を英雄的行為に走らせる。自然、ダニーにはある種の魅力が備わってゆく。カリスマ性といってもよい。そんな彼だからこそ、周囲は彼が警部の息子であるにもかかわらず、いや、警部の息子だからなのか、警官たちが組織する組合(正確には組合の前身)活動に勧誘する。ところがダニーは昇進を餌に、そうした組合活動に潜入する囮捜査に加わることになる。だがそこで貧困にあえぐ警官たちの現状を目の当たりにし、いつしか活動に賛同するようになっていく……。

 一方、ルーサーは恋人を妊娠させたことで、彼女の故郷で共に暮らすことになる。そこは彼がこれまで暮らしてきた地とは、比べものにならないほど恵まれた土地だった。もちろん人種差別はあるが、しっかり働けばその分は稼ぎとなり、車ですら買うことができるのだ。だが、そんな土地には誘惑もまた多い。彼はいつしかこずかい稼ぎにギャングの仕事を手がけるようになる。やがて相棒のトラブルに巻き込まれ、ついには人の命を奪ってしまい……。

 物語は、この二人の主人公のエピソードが交互に進む形となる。やがてそれが交差し、次第に一本の線となっていく。線そのものは彼らが抱える男女の問題であったり、家族の問題であったりするのだが、実はその線に激しく絡みつく、その他の様々な線があることを思い知らされる。それは人種、思想、労働、貧富……ありとあらゆる人権の問題といってもよい。すべて当時のアメリカが抱える問題であり、それらはあまりにも根深いため、もちろん個人の問題とも切り離すことはできない。
 物語が進むほどに、その線はますます複雑に、そして太くなる。ルヘインは、時代に翻弄されながらも己の信ずる道を進もうともがく二人の主人公の生き様を描き、同時にアメリカの抱えている病をはっきりと読者に突きつけようとしている。歴史的ドキュメントの部分と人間ドラマの部分、双方のバランスというかシンクロ具合が絶妙だからこそ、物語への興味がまったく途切れることがない。

 上で「二人の主人公のエピソードが交互に進む」と書いた。これらのエピソードは長編のなかの一章、一節、あるいはもっと小さな単位で構成されているが、そのまま短編としても読めるぐらい素晴らしく、とりわけ冒頭の草野球シーンは絶品である。
 ちなみにこの草野球シーン、実はかのベーブ・ルースの視点で語られるエピソードである。本作のなかにおいてはベーブ・ルース視点のエピソードが節目で挿入され、ときに労働問題、ときに人種問題を照らす狂言回し的な役割を担っている。特殊な世界の中の特殊な人々の話であるため、主人公たちとの対比はもちろん、本作のテーマをより鮮やかにする効果を生んでいるといえる。ストレートに押すだけでなく、こういう緩急をつけるテクニカルなところもルヘインの凄さだろう。

 とにかく圧倒的な筆力である。極太のテーマを、ハードボイルドの手法でもって、緻密に、ときにはテクニカルに描いてゆくという離れ業を見せてくれる作家が、果たして他に何人いるだろう。おそるべし、ルヘイン。


デニス・ルヘイン『運命の日(上)』(早川書房)

 デニス・ルヘインの『運命の日』を読書中。本日ようやく上巻を読み終え、下巻に突入。まだ上巻だけではあるが、これは非常に読み応えあり。『このミス』等で上位にランクインしたのも頷ける。まあ、ルヘイン(個人的にはいまだにレヘインの方が馴染みはあるんだけどなぁ)の力量からすれば、それも当然のことなのだが。

 運命の日(上)


『刑事コロンボ/二つの顔』

 本日もだらだら過ごそうとは思っていたが、あまりの天気のよさに渋滞覚悟で愛犬と共に公園へドライブ。東京は明日の天気が崩れるそうで、本日は皆ここぞとばかりに外出しているような混みよう。すっかりグッタリしてしまうも、相方が帰省中ゆえ、帰宅後もけっこうまめに家事をこなす……はずがいつのまにか昼寝モードへ。途中で我に返り、何となくケーブルTVやDVDなどを視聴。いかん、本が読めてない。


 そんなわけで本日はDVD『刑事コロンボ/二つの顔』の感想など。もしかしたら、ややネタバレくさくなるので、未見の方はご注意あれ。

 さて、本作は第2シーズンのラスト、通算では第17作目にあたる。第2シーズンは基本的にトリッキーな作品が多く、特に目立つのはシリーズのパターンを逆手にとったネタが多いことだが、本作はそんな第2シーズンの締めにふさわしい、実に印象的な趣向を用意していた。
 いつものとおり倒叙ではあるけれど、実は犯人が一卵性双生児(これは序盤で明らかになります)。つまり犯行そのものを見せられても、視聴者はそのどちらが犯人かは解らないというものである。この手は映像という媒体ならではのもので、要は視聴者相手のトリックと言ってもいい。しかも真相はさらに一捻りされており、これを例によって、犯行のささいなミスに着目したコロンボが解き明かしてゆく。一卵性双生児という素材自体が、ミステリ的にはいまや胡散臭いものになってしまっているわけだが、本作はあまり複雑にはせず、スマートにまとめているところが好感度大。おすすめです。


近況報告など

 昨日は仕事絡みで「東京国際アニメフェア2009」というイベントを視察。文字どおりアニメ業界のお祭りだが、ビジネスデイのせいかいまひとつ入りが悪く、ちょっと心配になる。たぶん一般日の本日からはすごい人出になると思うのだけれど……いや、なってほしいものである。
 ちなみに場所はビッグサイトだったのだが、東京マラソンのイベントも同じくビッグサイト同時期開催。双方の参加者の雰囲気が、意外に似ていて面白い。マニアックな方向に走ると、対象が何であれ自ずと人種が似てくるのだろうか。

 この三連休は相方が実家に帰省。こちらは週明けからちょっと厄介な仕事が始まるので、できるだけ体調を整えることに専念する。要は家でゴロゴロと(苦笑)。
 といっても天気は午後からピーカン(死語?)だし、さすがに家にこもるものなんだなぁということで、初日は愛犬を連れて近場のカーショップへETCの申し込みに出かける。さすがにあの料金の差を見るとETCを使わざるをえないわけだが、何とこれが見事にどこも売り切れである。考えることはみな同じか。

 一応ミステリネタもひとつ。先日の記事でも書いた『宮野村子探偵小説選I』が出ました、買いました。さっそく読みたいところだけれど、こういうときに限って上下巻の分厚いハードカバーを読んでいるという罠。そちらは一時中断して、先に宮野村子を読もうともチラと考えたが、実はこの上下巻がまた面白くて。ううむ、困ったもんだ。

樹下太郎『非行社員絵巻』(文春文庫)

 樹下太郎の『非行社員絵巻』を読む。恋人に振られたことがきっかけで、より彩りのある人生をめざすため、非行社員となるべく修行する若手サラリーマン花見八郎の奮闘を描く連作集。なお、本書はミステリーではなく、純粋な明朗サラリーマン小説なので念のため。

 非行社員絵巻

「元旦開幕」
「鬼はうち」
「ひなの夜」
「花見花見」
「N号作戦」
「…………」
「多忙社員」
「アナタン」
「月明悲歌」
「ソコツ人」
「清潔城主」
「涙の太陽」
「飛行社員」

 『四十九歳大全集』『サラリーマンの勲章』あたりでは、まだ普通にサラリーマンの生き様や悲哀を描いていたと思うが、本書は本当にお気楽な娯楽もの。なんとも脳天気なストーリーに、適度なお色気とユーモアを散りばめた暇つぶし的一冊である。女性修行がメインになるので、ちょっと古いが『俺の空』的な一面もあり。とはいえその方面を期待するなかれ。なんせ書かれたのは昭和四十一年。描写そのものは非常に牧歌的というか何というか。
 ただ、昭和四十一年といえば高度経済成長時代の真っ只中。高度経済成長時代はサラリーマンの時代でもあり、こうしたサラリーマンを主人公にした元気が出る小説に需要があったのは納得できる話だ。さすがに現代では通じにくいところも多いけれど、逆にそういう時代性を感じながら読む手もあるだろう。ま、オススメはしませんけどね(苦笑)。


S・H・コーティア『ドリームタイム・ランド』(論創海外ミステリ)

 S・H・コーティアの『ドリームタイム・ランド』を読了。以前に読んだ『謀殺の火』は設定の妙と奇抜な構成で読ませる佳作だったが、やはり異色作の部類であろう。その点、本作『ドリームタイム・ランド』は、シリーズ探偵のヘイグ警部が登場することもあって、著者にとってもメインストリームのはず。したがって、こちらの方がより著者の力量がハッキリ出るのでは、などという興味のもとに読んでみた次第。

 商店を経営するジョックのもとへ、不仲の従兄弟ローリーから至急会いたいという手紙が届いた。ローリーは現在、オーストラリアの先住民アボリジニの神話を再現したテーマパーク『ドリームタイム・ランド』で働いている。そこで何やら窮地に陥っているらしく、手紙には彼が借金をしているという人のリストと金額が同封されていた。
 ただならぬ雰囲気を感じたジョックは急いでローリーの元へ向かうが、その途上で車にはねられて死んだローリーを目撃する。だが警察の調べにより、ローリーの死は殺人だったことが判明する……。

 ドリームタイム・ランド

 『謀殺の火』同様、やはり一筋縄ではいかない世界観。良くも悪くもこの強烈なオリジナリティで読者を引き込んでゆく。そのあまりに特殊な世界観ゆえ、ちょっとディキンスンの作風を連想させるが、コーティアのそれはミステリとして成立させる意識が明白であり、あくまで論理で恐怖を鎮めようとする。クセのないディキンスン、といったら作者に失礼か。
 とはいえアボリジニの神話世界をミステリに溶け込ませる手際は不自然ではなく、必然性すら備えているところは評価できるだろう。
 登場人物の書き分けも悪くないし、ヘイグ警部のキャラクターは世界観に負けないほどの印象を残す。こちらは喩えればH・M卿とかの路線っぽい。

 ただし、瑕もまた多い。気になるところが随所にあって、その筆頭はやはり暗号。暗号自体を用いる理由はわかるけれども、この暗号では受け手が暗号と気づくかどうかも疑問であり、解読されたとしてもその意味がおそらく通じないという、どうしようもない代物である。殺人が発生した状況でテーマパークが客を入れて営業し続けるのもどうかと思うし、ううむ。
 あと、願わくばテーマパークの見取り図というか、地図がほしかったところだ。ひとつひとつの場面は頭に浮かんでも、そのつながりや全体像がまったくイメージできないのは辛い。これは原書になかったとしても、新たに起こしてほしかった。

 で、最初の興味、著者の実力は果たしてどの程度なのかという問題だが、もしかするとコーティアにはあまり緻密なものを望まないほうがいいのかもしれない。謎解きが疎かになっているとまでは言わないが、どうしても特殊な設定や舞台により心を砕いている印象が強い。もちろんそれが他の作家では味わえない魅力となっているのも事実なので、できればもう少し紹介を続けてもらいたいものだ。


エリザベス・フェラーズ『ひよこはなぜ道を渡る』(創元推理文庫)

 エリザベス・フェラーズの『ひよこはなぜ道を渡る』を読む。
 友人のジョンの屋敷を訪れたトビーは、自分の目を疑った。書斎に倒れているのはまぎれもないジョンの姿。部屋は荒れ果て、弾痕や血痕までが残されている。だが、驚いたことにジョンの死因は自然死だった。では弾痕や血痕は果たして何を意味しているのか。“死体なしの殺人”と“殺人なしの死体”で幕を開けるトビー&ジョージ最後の事件。

 ひよこはなぜ道を渡る

 E・X・フェラーズなどと呼ばれていたときはけっこう渋い英国ミステリの印象だったが、創元でトビー&ジョージ・シリーズが紹介されるや、あっという間にユーモア本格ミステリの第一人者として認められた感のあるエリザベス・フェラーズ。実際はかなり古い物語なのだが、現代的にアレンジした翻訳、キャラクター設定も功を奏した感じで、見事に女性ファンを掴んだようだ。これは訳者の勝利か、はたまた版元の勝利か(笑)。

 ただ、キャラで読ませる部分も大きいが、それ以上に本格としてのエッセンスを備えているところがフェラーズの魅力である。本作でも“死体なしの殺人”と“殺人なしの死体”というひねくれた導入、次々と墓穴を掘りまくる登場人物など、ひと癖もふた癖もある設定で読者を引っ張っていく。真相もそれに応えるだけの驚きはあるし、タイトルの「ひよこはなぜ道を渡る」から一気に解決までもっていくジョージ君の推理も見事。
 そんなわけで基本的にはオススメの一作。
 ただし、ただしである。個人的にはどうしても本シリーズのユーモアが馴染めない(爆)。以前に『その死者の名は』の感想でも書いたのだが、笑いのセンスが合わないのである。登場人物たちが終始はしゃぎすぎているから逆にギャグが生きないというか、物語の起伏がぼやけるというか。ま、いろいろ理由も考えつくのだが、結局これは生理的なものに尽きるのだろうなぁ。ファンの人、ごめん。


ピーター・バーグ『ハンコック』

 DVDで『ハンコック』を観る。
 ウィル・スミス演じるジョン・ハンコックは、空を飛び、超人的なパワーを持ったまさにスーパーヒーロー。ところが普段は酒浸り、事件を解決するのはよいが、同時に市民や街にも多大な被害を与えることから、逆に人間のくず呼ばわりされる羽目に。そんなある日、ハンコックに命を助けられた広告マンが、彼を助けようと戦略を練るが……。

 ううむ、ダークヒーローの更正物語だと思っていたら、後半はトンデモな展開に。伏線として広告マンの奥さんとハンコックの因縁をちらつかせてはいるのだが、そうくるか。
 まあ所詮はハリウッドの特撮コメディなので、細かいことをいちいちあげつらうつもりはないが、前半と後半でシナリオの方向性がまったく別物になっているのは、さすがに唖然。後半の胆であるハンコックの出自についても、もう少しちゃんと説明すれば話も膨らむだろうになぁ。
 まあ場面毎のエピソードはそれなりに楽しめるけれど、ほんとに暇つぶしにしかならないレベルであった。なんでこう、売れっ子にこんなしょっぱい仕事をさせるのかね。


スコット・フィツジェラルド『ベンジャミン・バトン 数奇な人生』(角川文庫)

 現在、ブラッド・ピット主演で公開されている映画『ベンジャミン・バトン 数奇な人生』だが、この原作を書いたのが、あのフィッツジェラルド(角川文庫のフィツジェラルドはどうも馴染めん)だと知った当時はなかなか驚いたものだ。
 なんせ、生まれたときが老人で、年をとるにつれ若くなっていく男の物語である。まず驚くのはフィッツジェラルドがそういう幻想譚みたいなものを書いていたのかという事実。しかも、ものの本によると、フィッツジェラルドにはそういうファンタジーやミステリの著作も少なからずあるという。
 本書はそんなエンターテインメント寄りの作品を集めた短編集。これはもう読むしかないではないか。

 ベンジャミン・バトン

The Curious Case of Benjamin Button「ベンジャミン・バトン 数奇な人生」
The Mystery of the Raymond Mortgage「レイモンドの謎」
Shaggy’s Morning「モコモコの朝」
The Last of the Belles「最後の美女」
The Dance「ダンス・パーティの惨劇」
One Trip Abroad「異邦人」
Outside the Cabinet-Maker’s「家具工房の外で」

 収録作は以上。ジャンルで集めただけあって、やや玉石混淆の感はある。
 まず石で言うと、「レイモンドの謎」と「ダンス・パーティの惨劇」の両ミステリにはがっかり(笑)。特に十三歳にして書き上げたといわれるデビュー作「レイモンドの謎」はかなりきつく、ほんとに話の種程度にしかならない。
 一方、玉で言うと表題作「ベンジャミン・バトン 数奇な人生」はやはり悪くない。映画と違って精神も肉体も老人から始まり赤ん坊に至る人生で(映画では、肉体は逆行するものの精神は普通どおり成長していくらしい)、ちょっと『アルジャーノン~』を思い出した。赤ん坊であろうが老人であろうが、人生の黄昏時というのは結局一人に還ってしまうというのがもの悲しい。淡々とした語り口で、短い話にまとめたところがかえって効果的に思う。
 「最後の美女」と「異邦人」にはどちらも妻ゼルダを連想させる人物が登場し、堪らない喪失感を誘う。とりわけ「異邦人」のイメージは強烈で、ラストはまったく意表を突く形で落としどころをもってきている。個人的には本書のベストであり、以上の三作で本書の元は十分とれるはずだ。


ジョセフィン・テイ『歌う砂』(論創海外ミステリ)

 ジョセフィン・テイの『歌う砂』読了。1952年に亡くなった著者の最後の作品である。

 療養のためにスコットランドへ向かったグラント警部は、列車の中である青年の死に遭遇する。死体には特に不審な様子もなく、あくまで休暇中であることから、その場を地元警察に任せて立ち去ったグラント。だが、そこで偶然手に入れた新聞には、奇妙な詩が書き込まれていた。
「しゃべる獣たち 立ち止まる水の流れ 歩く石ころども 歌う砂………」
 果たしてその詩を書いたのは死んだ青年なのか? また、その意味するところはいったい? やがて新聞に掲載された青年の死亡記事。だがそれを読んだグラントは、青年がフランス人と書かれていたことに疑問を抱き……。

 歌う砂

 一応はグラントの調査によって謎は解明していくのだが、純粋な本格探偵小説を期待すると少し肩すかしをくらうかも。今作のグラントは警察の肩書きではなく、個人として調査を進めることになる。組織的な助力のないなか(まあ最後には使っちゃいますが)、ひとつひとつ地道に材料を集め、余分なファクターを潰していくという展開がメイン。そこには謎解きの魅力もないことはないのだが、むしろ捜査の過程を楽しむ警察小説的な面白さが勝っているように感じられた。
 あっと驚く真相というほどでもないけれど、相変わらず人物描写などはハイレベルで、リーダビリティそのものは高い。

 なお、ミステリとしてのアプローチではないのだが、少々気になった点をひとつ。
 読めばわかるとおり、本作は基本的にはポジティヴな意識に満ち溢れた物語である。例えば、前半を占めるグラントの再生といったエピソード、ローラ一家に象徴される英国の古きよき一般家庭のイメージ、何より希望を感じさせるラストなどなど。
 ところが冒頭に書いたとおり、ジョセフィン・テイは、本書が刊行された年に亡くなった。不勉強ゆえ彼女が亡くなった状況などはよく知らないのだが、本作を書いていた時点で、果たしてテイはどの程度、自分の死を意識していたのであろう。あるいは健康状態や精神状態はどうだったのだろう。
 というのも、スコットランドの憂鬱な天候やグラント警部の喪失感等、いつになく暗い影を想起させる描写も、実は本作では目立つのである。暗い影が自身の状態の投影だとすれば、その影を払拭するためにこそ本作が書かれたのではないか、そんな気もするわけである。考え過ぎか。


松本清張『松本清張短編全集02青のある断層』(光文社文庫)

 『松本清張短編全集02青のある断層』を読む。『01西郷札』に続く初期の短編を集めたもので、質の方も相変わらず素晴らしい。ミステリマニアからすれば松本清張といえば社会派推理小説の大家だが、一般には歴史作家としての側面も強く、本書でも収録作のほとんどが歴史ものである。
 ただ、清張にとっては、ミステリにせよ歴史小説にせよ、突き詰めてゆけばどちらも人間の業を描くための手段に過ぎないのであろう。本書を読んでますますその意を強くした。

 松本清張短篇全集2青のある断層

「青のある断層」
「赤いくじ」
「権妻」
「梟示抄」
「酒井の刃傷」
「面貌」
「山師」
「特技」

 収録作は以上。印象に強く残ったものでいうと、まずは表題作「青のある断層」か。この時期の数少ない現代もので、個人的には本書のベスト。ある青年が描いた売れるはずもないその未熟な絵を、なぜ銀座の画廊は興味をもって買いとり続けるのか……? 画壇の内幕ものという読み方はもちろんできるが、むしろ芸術に関わる人間の性や業という点で興味深かった。無論ミステリではないが、“奇妙な味”といえないこともない。
 「赤いくじ」は戦時中の物語で、ある将校と軍医がひとりの戦争未亡人をとりあう話。三角関係というだけでは済まされない、社会や世情の闇を扱った悲しい話である。
 歴史ものでは、本人のコンプレックスを反映させたと「あとがき」でも述べられている「面貌」が注目。ただ「面貌」もそうだが、「権妻」や「酒井の刃傷」など、清張の作品は独特の無常観に包まれていることの方がより気になる。


宮野村子が遂に出るぞ

 論創ミステリ叢書で、今月とうとう宮野村子が出るらしい。光文社文庫のアンソロジー『本格推理マガジン 鯉沼家の悲劇』を読んで衝撃を受け、以来もっとも読みたかった作家の一人なので、こんなに嬉しいことはない。一時期ほどの勢いは無いにせよ、先頃の横溝本といい、論創社、相変わらずがんばってる印象である。

 ところで彼女が実際にどの程度のものを書いていたのか、実はハッキリしたところは知らない。なんせこれまで読んだのはアンソロジーに採られた『鯉沼家の悲劇』ほか短篇を二~三作といった程度だ。
 ただ、少ないながらも、それぞれの作品が醸し出している独特のウェットな雰囲気は十分に感じることができたし、『鯉沼家の悲劇』には実にしびれた。木々高太郎に師事し、文学派の一翼を担ったというのも納得できる話だ。彼女の作品は語りに酔えるのである。それは彼女が磨いた小説を書く力であるから、そういう意味においては作品ごとのムラは比較的少ないと考えられるし、それ故に他の作品もぜひ読んでみたくなるのだ。

 とりあえず今回は『宮野村子探偵小説選I』と題し(嬉しいことに『II』もあるのだ)、『鯉沼家の悲劇』初版を丸ごと復刻し、プラス九短篇という大ボリューム。望むべくはこれらの本が売れて、長篇の方も復刻されることなのだが。ううむ、多少は高くなってもかまわないから、ついでに全集とかどこかでやってくれないものか。

F・W・クロフツ『フレンチ警部と漂う死体』(論創海外ミステリ)

 本日の読了本は、実に久々のクロフツで、『フレンチ警部と漂う死体』。

 電気機器会社を経営するウィリアム・キャリントンは、年齢による衰えから、会社を後進に譲る決意をする。ところが本来なら候補一番手の甥のジムは、仕事に興味がないばかりか会社のお荷物になっている始末。そこでウィリアムはオーストラリアに住むもうひとりの甥、マントを呼び寄せた。しかしマントは期待通りの働きを見せるものの、ウィリアムの一族の間にぎくしゃくした空気が流れ始める。そんなある日、ウィリアムの誕生日での晩餐において、一族全員の食事に毒物が混入されるという事件が起こる……。

 フレンチ警部と漂う死体

 いやあ、クロフツ、本当に久しぶりに読んだのだが、予想以上に楽しいではないか。
 一応、『樽』『マギル卿~』『クロイドン~』といった有名作品をはじめとして十作ぐらいは読んでいるのだが、それももう三十年ぐらい昔の話。当時は本格ミステリ黄金期の五大作家、ということで読んだはずだが、どうしてもクイーンやクリスティあたりに比べると地味だから、それほどのめり込むことがなかった。
 ところがこっちも年をとり、ようやくクロフツを楽しめる準備が整ったということなんだろう。ここまで自分の波長に合うとは思わなかった。

 ややもすると退屈な作風と評されたりもするクロフツだが、おそらくそれは退屈と地味を混同している。本書に関していえば、練られた人物造形、(こぢんまりとはしているが)しっかりしたトリック、適度なユーモア、そして屋敷での最初の事件~船旅と第二の惨劇~フレンチ警部の捜査という構成の妙など、確かに突出した部分はないけれど、非常にバランスよく仕上がっている。実にまっとうな英国の本格ミステリなのだ。
 また、フレンチ警部のキャラクターについても、捜査一筋、真面目一辺倒の面白みのない性格という記憶しかなかったのだが、本書を読むかぎりは、これもけっこう印象が異なる。
 仕事の合間に観光もできるだけやっておきたいぞという俗っぽいところ、ロンドン警視庁に誇りをもちすぎているせいか田舎の警察官をちょっとなめているところ、推理する過程での一喜一憂、奥さんとのユーモラスなやりとりなど、クイーンやポアロに比べればはるかにリアルで人間くさく、これがまたいい味つけになっている。

 クラシックブームの功績としてよく挙げられるのは、何より未知の作家や作品を読めるようにしてくれたことなのだが、こうした評価されるべき作家をしっかりと再評価、再認識させてくれる意義もあったようだ。反省も踏まえつつ、二十年物の積ん読クロフツを少し消化しなければ。


橋本五郎『橋本五郎探偵小説選I』(論創ミステリ叢書)

 論創ミステリ叢書から『橋本五郎探偵小説選I』を読む。
 橋本五郎は1903年生まれの探偵小説作家。若い頃は森下雨村に誘われ『新青年』を発行していた博文館で働いた経験もあり、荒木十三郎や女銭外二(めぜに そとじ)のペンネームでも活躍したが、今ではほぼ忘れられた存在といっていいだろう。アンソロジー等でも掲載率は決して高くなく、ごく一部の作品を除き、本書が出るまではほとんど読むことすら叶わなかった作家である。

 橋本五郎探偵小説選I

「レテーロ・エン・ラ・カーヴオ」
「赤鱏のはらわた」
「狆」
「探偵開業」
「塞翁苦笑」
「海竜館事件」
「脣花No.1」
「青い手提袋」
「お静様の事件」
「ペリカン後日譚」
「地図にない街」
「蝙蝠と空気船」
「眼」
「疑問の叫び」
「撞球室の七人」
「美談の詭計」

 収録作は以上。
 なかには悪くない作品もあるのだけれど、全体的にはパンチ不足というか地味で他愛ない話が多い。ミステリというよりはコント的なものも多いし。なぜ忘れられた作家になったのか、その理由がある程度は納得できる作品集である。
 ただ解説では、橋本五郎が実力的にそこまで低いわけではなく、むしろ構成力やリアリティ、ユーモアという点では評価すべきであり、橋本作品が現在まで生き残れなかった理由については、本格と変格の狭間にいた作家たちの不遇、という観点から説明している。なるほど確かに本書を読むかぎり、そういう側面は見られるのだが、これはいくらなんでも持ち上げすぎだろう。

 例えば本格と変格の狭間といえば聞こえはいいが、その範疇に入る当時の探偵小説は通俗性を押し出した程度の読み物で、そもそも探偵小説として決定的なウリに欠けていたのではないか、という疑問もある。また、構成力やリアリティといった要素は確かに認められるが、本書でそれが際だっているかと聞かれればそれもまた疑問。
 唯一、ユーモアという点に関しては、作風を表すキーワードとして適切な気はするが、橋本五郎のそれは妙にほのぼのとしており、いわゆるブラックな笑いでもなければドタバタでもなく、これまた探偵小説としてはどうなんだろうという気分になってしまう。

 とはいえ本書の価値を全面否定するつもりはない。当時の雰囲気など、それこそ通俗的だからこそ楽しめる部分はあるのだし、少なくとも松本泰よりはしっかりした物語にまとめあげている。惜しむらくは、多少の読者を唸らせるだけの何らかのインパクトがほしかった。けっこう面白そうな話もあるのだが、どうもさらっとまとめすぎている嫌いがある。
 その代表格が「脣花No.1」で、女性の唇紋をコレクションするというフェチなテーマながら、けっこう掘り下げが甘く、意外なほど味わいは淡泊。「眼」も眼科病棟の中の悪意という特殊な設定で途中まではかなりゾクゾクするのだが、やはりラストが弱い。
 出来だけなら「地図にない街」がイチ押し。鮎川哲也のアンソロジーにも収録されただけあって、完成度が高い。乞食に導かれるままに体験する奇妙な世界、その不思議な緊張感を壊すことなく最後まで引っ張っている点がお見事。
 トンデモ系では「蝙蝠と空気船」。タイトルが乱歩っぽくて凄く魅力的なのだが、内容は腰砕けである(笑)。「美談の詭計」もあまりに無茶なトリック(といっていいのかどうか)が逆に潔い。

 まあ、とても全面的にオススメできるような内容ではないが、戦前の探偵小説が好きな人ならどうせ読むに決まっているから、まあいいやね。本書に続く『橋本五郎探偵小説選II』の感想もそのうちに。


ティムール・ベクマンベトフ『ウォンテッド』

 早くも三月。暦の上では春だというのに天気は一向によくなる気配がない。おまけに季節の変わり目のせいか体調もいまいち。加えて今月から来月にかけては、けっこう気の重い仕事が続くし、いろんな意味でしばらくはブルーであります。
 ま、それだけに休日こそはしっかりとリフレッシュしたいわけだが、基本的には酒と探偵小説、映画ぐらいなので、まあ、あまり平日と変わらないな。しかも安上がり(笑)。

 ところで映画といっても最近はすっかり映画館にも足が遠のき、DVDばかりである。本日もDVD落ちしたばかりの『ウォンテッド』を視聴。去年の秋頃にロードショーがあったやつ。予告編ではアンジェリーナ・ジョリーばかりが目立っていたので、てっきり彼女が主役だと思っていたら、ジェームズ・マカヴォイだったのね。
 物語はマカヴォイ演じるダメ青年ウェスリーが、なぜか殺し屋に命を狙われるところからスタート。この危機を救ったのがアンジェリーナ・ジョリー演じるフォックス。実はウェスリーの父は謎の暗殺組織フラタニティの腕利きだったが、組織を裏切った男によって命を奪われたのだという。超人的な動体視力を父から受け継いだウェスリーは、組織の一員に誘われ、過酷な殺しのトレーニングに身を投じるが……。
 お、予想していたよりはいいじゃないか。トンデモなストーリーだし、『マトリックス』の影響もずいぶん感じられるが、最新の映像技術とそれを利用したアクションのアイディアは要注目である。いわゆるハリウッドのアクション映画とは微妙にテンポや演出が異なる点も興味深い。監督のティムール・ベクマンベトフが、ロシアで大ヒットしたSF映画『ナイト・ウォッチ』を撮った人と知り、それも納得。
 これでラストのアクションシーンの盛り上げ及びどんでん返しを、もう少し盛大かつスマートにやってくれるとよかったのだが。特にアンジェリーナ絡みね。これもティムール・ベクマンベトフ監督の個性と見るかどうかは、意見の分かれるところだろう。とはいえ、トータルでは十分楽しめる出来、暇つぶしには最適の一本である。


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プロフィール

sugata

Author:sugata
ミステリならなんでも好物。特に翻訳ミステリと国内外問わずクラシック全般。
四半世紀勤めていた書籍・WEB等の制作会社を辞め、2021年よりフリーランスの編集者&ライターとしてぼちぼち活動中。

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