探偵小説芸術論を唱え、その実践として書いた『人生の阿呆』で、探偵作家として初めて直木賞を受賞した作家といえば、もちろん木々高太郎。その功績は著作のみならず、宮野村子や松本清張を見出したことでも評価されて然るべきだろう。とはいえ『探偵小説芸術論』がいまでも通用するのかといえばそれは無理もあるし、『人生の阿呆』が探偵小説として傑作かといわれれば、それもまた厳しい話と言わざるを得ない(苦笑)。
ただ、持論と実践を一致させるのは木々に限らず難しい話で、論争相手だった甲賀三郎や江戸川乱歩にしても然りである。重要なのは、この探偵小説黎明期において、木々が実に真面目に探偵小説を考え、数々の活動を行っていたことだろう。その情熱をこそ買うべきであり、短編のいくつかはまさに傑作といってよいと思う。
本日の読了本は木々高太郎の『網膜脈視症』。

「網膜脈視症」
「就眠儀式」
「妄想の原理」
「ねむり妻」
「胆嚢(改訂)」
本書はデビュー作の「網膜脈視症」を初めとする初期の短編を集めたもので、元本は昭和十一年に刊行された。当然ながら芸術論云々はまだ発表しておらず、好きな探偵小説を、自分の武器である医学知識を駆使して書いていた頃の作品である。
とりわけ心理学や精神医学をモチーフにした作品が多く、人間の心理を深く掘り下げるという点では、後の探偵小説芸術論につながる部分も見えないわけではない。しかしながら、やはりここは素直に、事件の隠れた真相を炙り出すための探偵小説的ギミックとして、心理学などをうまく料理していると評価しておきたい。
特に精神医学教授の大心地先生を探偵役とする「網膜脈視症」や「就眠儀式」は、奇妙な謎を論理的に解明するという実に真っ当な探偵小説である。しかも心理学等をネタにすることで木々ならではの個性も強く打ち出せ、結果として十分楽しめる「娯楽」作品となっている。
なお、「胆嚢(改訂)」のみ珍しいことに戯曲形式だが、ネタは予測しやすいし、出来としては並。ただし、この登場人物のねちっこいやりとりこそ探偵小説の醍醐味、とか思ってしまうところが、我ながら悲しい性である。