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探偵小説三昧

日々,探偵小説を読みまくり、その感想を書き散らかすブログ


Posted in 02 2013

『映画秘宝EX映画の必須科目05 突撃!モンスター映画100』(洋泉社)

 映画秘宝別冊のMOOKから『映画秘宝EX映画の必修科目05 突撃! モンスター映画100』が出ていたので、怪獣映画好き特撮映画好きとしてはやはり黙って見過ごすわけにはいかない。さっそく一冊ゲットして、ぱらぱらと眺めてみる。

 映画秘宝EX映画の必須科目05 突撃!モンスター映画100

 中身はタイトルどおり古今東西のモンスター映画100本を紹介したガイドブック。新しいものから古いもの、話題作からマニア向けなど、まんべんなく網羅しているといった印象である。
 とはいえ紹介記事そのものは相変わらずのマニアっぷり爆発で、楽しいネタが満載である。まあ良くも悪くもライターの腕ひとつで記事の面白さはだいぶ変わるのだが、それもまたよし。
 ただし、ある記事では褒めている映画が、別の記事ではくさしていたりと、評価がまちまちなのは困る。一人で書いている本ではないからそういうこともあろうが、一応はガイドブック的な本なのだし、これを参考に映画を観てみようという人がいるからには、やはり足並みはある程度揃えるのが正しいスタンスだろう。
 また、本書の構成として、各映画を紹介するメインの記事の最後に、類似映画を紹介するミニコラムがある。一本でもより多くの映画を紹介したいという姿勢は好ましいけれど、メイン記事とミニコラムで扱う映画がかぶっていたりするのはいかがなものか。
 先に挙げた欠点と合わせて考えるに、これは編集とライターがうまく摺り合わせできていないということになるのだろう。次作以降、考慮してもらいたい部分ではある。

 あとは以前にも書いたことだが、このシリーズ、誌面デザインをほとんど気にしていない(ように思われる)のが非常にもったいない。文字の大きさのバランスやレイアウトがとにかく情報を詰め込めばいいでしょ的な印象で、古くさいうえに読みにくい。表紙絵などを見るに、レトロな雰囲気を出すという方向性はわかるが、本文はそれとは違うものなぁ。

 本として持つ楽しみをもう少し。それが一番の希望か。


ジョン・ラフリー『別名S・S・ヴァン・ダイン ファイロ・ヴァンスを創造した男』(国書刊行会)

 ミステリマガジンの4月号が「シャーロック」とそのライヴァルたち特集。ライヴァルといっても隅の老人や思考機械、アブナー伯父、ソーンダイク博士といったいわゆる聖典のライヴァルではなく、BBS製作のテレビドラマ「シャーロック」の方。ただ、特集と謳うわりにはページも記事も写真も少なくて、ちょっと拍子抜けである。ただ、あまり面白そうなものを次々紹介されても、いかんせんテレビドラマまで追いかける時間はさすがにがないのだが。気になるものはあとでDVDを大人買いして、老後に楽しむことになるんだろうなぁ(苦笑)。
 ちなみに小特集が「百合ホームズ」という、ここまできたか的なお馬鹿企画。笑える。むしろこっちが楽しめた。ただ、こちらも解説的な記事が少なくてややツッコミ不足。


 読了本はジョン・ラフリーの『別名S・S・ヴァン・ダイン ファイロ・ヴァンスを創造した男』。『グリーン家殺人事件』や『僧正殺人事件』で知られるS・S・ヴァン・ダインことウィラード・ハンティントン・ライトの評伝だが、これがとんでもない傑作であった。

 別名S・S・ヴァン・ダイン ファイロ・ヴァンスを想像した男

 これまでヴァン・ダインの経歴は、日本でほとんど知られていなかった。ガイドブックの類で紹介されているのは、ほとんどがヴァン・ダインとして登場した以後のことであり、その内容すらも乏しい。だいたいがどの解説でも判で押したように、 「美術評論家時代に病を患い、その療養中に二千冊の推理小説を読破して、自分でも書こうと思い立った」というものばかり。これはあの名著、森英俊氏編纂の『世界ミステリ作家事典』をもってしても同様である。
 しかも、このエピソードすらどうやら真偽のほどが怪しいといわれていたのだが、実際、本書では、これが明らかな本人による捏造であることが説明されている。

 本書はそんなヴァン・ダイン、いやウィラード・ハンティントン・ライトの半生を克明に描くとともに、彼の人となりを鮮やかに浮かび上がらせている。また、その副産物として、当時のアメリカの世相や風潮、文壇の様子や思想なども面白く読めるのがいい。
 何といっても読みどころはライトの人間性、そして芸術に対するスタンスであろう。その結果としてライトの人生はわずかの栄光と数々の挫折に彩られており、その歩みは実に驚くべきものだ。
 早熟で早くから文学に対する情熱をもち、その才能で頭角を現すライト。常に知的向上心と野心に満ちあふれていたライト。雑誌編集長から文学評論家、美術評論家、文学者としての変遷のなかで、自らのアイデンティティと常に背中合わせで挑戦を続けてきた彼は、妥協することなく理想を求め、多くの敵を生んでしまう。
 だが最大の敵は自らの内面にこそあった。現実と理想の間で、ライトは酒に溺れ、薬に溺れ、女に溺れ、借金をこしらえる。そして、これまで自分が軽蔑していた探偵小説で成功したにもかかわらず(いや成功したからこそ、か)、その苦悩はさらに膨れあがる。やがて成功を収めたはずの探偵小説にも裏切られたとき、ライトはその生涯を終える。
 これまで日本のミステリファンがもっていたイメージは完全に覆るといってよい。ライトの存在感は圧倒的で、正直、友達にはなりたくないタイプだが、そのラストは涙なしでは読めない。

 結局、本書はある時代を生きた文学者の苦悩の記録である。人間ライトの歩みなのである。とはいえ、一時代を築いた探偵作家の真実もそこにはある。
 ・ライトがなぜS・S・ヴァン・ダインというペンネームを用いたか、
 ・本当に二千冊以上のミステリを読んだのか、
 ・なぜ嘘の略歴を発表したのか、
 ・なぜファイロ・ヴァンスは共感しにくい嫌なタイプの探偵になったのか、
 ・「どんな偉大なミステリ作家も六作以上の傑作は書けない」というコメントの真意はどこにあったのか、
 ・にもかかわらず本人はなぜ六作以上の作品を書いたのか、
 ・作中の語り手ヴァン・ダインはなぜあそこまで存在感のないワトソン役なのか、
 ・ガイドブック等でよく紹介される自画像はなぜ描かれたのか、
 ・そもそもなぜライトは探偵小説を書いたのか。
 もう一切合切の疑問が本書で明らかになるのである。ひとつ言えるのは、ファイロ・ヴァンスはライトの理想とする分身であったということか。

 管理人が初めて『ベンスン殺人事件』を読んだのは中学生の頃だった。当時のガイドブックや解説では、イギリスが牽引してきた探偵小説を母国アメリカに取り戻した功労者こそヴァン・ダインであり、その作品を近代建築に準えていたほどであった。長らく日本では探偵小説史を語るうえで欠かせない一ページだったのだ。
 だが、いまやファイロ・ヴァンスの物語は、欧米のミステリ界では完全に忘れられた存在である。いや、そもそもヴァン・ダインの名前が本国で輝いていた時代はほんの一瞬に過ぎないのだ。この彼我の差は何なのだろう。思えば本格探偵小説がここまで人気のある国も珍しいという。日本はガラパゴスになっているのだろうか。
 その答えを、今度は日本の評論家に書いてもらいたいものである。

 とりえずクラシックミステリのファンや、ファイロ・ヴァンスの物語を六作は読んでいるという人であれば本書は必読。本書を抜きにして以後ヴァン・ダインを語ることは不可能である。それぐらい素晴らしい。
 折しもヴァン・ダインの新訳も行われているので、ン十年ぶりに再読してみたくなってきた。


ガイ・ハミルトン『007 ゴールドフィンガー』

 飽きもせずDVDで『007 ゴールドフィンガー』を視聴。
 1964年公開(日本では1965年)で、監督は一、二作目を手がけたテレンス・ヤングからガイ・ハミルトンにバトンタッチ。ハミルトンは007シリーズをトータル四作撮ったが、その後も『ナバロンの嵐』や『クリスタル殺人事件』など、アクションやミステリ映画を多く手がけた監督さん。だがこの時点ではまだ若手であり、007をきっかけに大きく飛躍した人である。

 今回のジェームズ・ボンドの敵は、異常なまでに金(きん)に執着する実業家、ゴールドフィンガー。もちろんただの実業家ではなく、世界中の金を手に入れるためなら手段を選ばない悪党である。
 そんなゴールドフィンガーが金の密輸を行っている節があるということで、調査を命じられたボンド。マイアミでゴールドフィンガーがやっていたカードゲームのいかさまを見抜き、大損をさせることに成功。さらには賭けゴルフでもゴールドフィンガーのインチキを見破り、またも勝利を収める。
 やがてジュネーブへ向かったゴールドフィンガーを追い、愛車アストン・マーチンDB5で追跡するボンド。だが、そこでゴールドフィンガーを狙撃しようとする女性と出会ったことから窮地に陥ってしまい……。

 007ゴールドフィンガー

 前作『007 ロシアより愛をこめて』と同様、傑作の誉れ高い一本。その時代の先端をゆく派手なアクション、ボンドカーや破天荒な秘密兵器、世界を股にかけるスケール感、次から次へと登場する美女の数々、ボンドの女好きな性格など、前作でも固まりつつあった007の要素が、本作で完全に固まったといってよい。
 極端なことをいうと、以後のシリーズ作はすべてこれの繰り返しであり、焼き直し。見た目の派手さや美麗さが肥大化してゆくだけにすぎない。まあ、それでも作品によっていろいろな変化は求めているし、十分面白い作品は多いけれど、やはりこれをもってスパイアクションの嚆矢とする意見は多いようだ。
 「ロバート・B・パーカーのスペンサー・シリーズは大人のためのハーレクインである」ということを言った評論家がいたが、本シリーズは正しくその偉大なる先達であろう。ハラハラドキドキと安心感が同居し、本来は物騒な物語でありながら優雅さやユーモアをも感じられるのは、撮られた時代のせいばかりではない。

 見どころは何といっても、緩急をつけつつもだんだんと激しくなっていくバトルの数々。カード、ゴルフ、カーアクション、頭脳戦、軍隊、中ボスとの対決、ラスボス対決と、ボンドとゴールドフィンガーの対決のみで押し通した構成は魅力的。 前作の感想でも書いたが、戦いの決着をつけるのにも、ほとんどの場合きっちりと伏線が貼ってあって、これが爽快感をアップしてくれる。
 妄想爆発的なゴールドフィンガー、巨漢の殺し屋オッド・ジョブ、魅惑のプッシー・ガロア(名前はどうかと思うが)らも、見事にボンドを引き立てる。

 今時の映画に比べると、少々スローテンポに思われるところもあるかもしれないが、観客を置いてけぼりにしないこのペースこそが逆に完成度の高さを示すのである。久々に観たけれど、やっぱりこれは名作だ。


北原尚彦/監修『別冊宝島1965 シャーロック・ホームズ完全解読』(宝島社)

 昨日紹介した『別冊宝島1957 増補改訂版 刑事コロンボ完全捜査記録』といっしょに買った本をもう一冊。こちらも同じく「別冊宝島」のシリーズで、『別冊宝島1965 シャーロック・ホームズ完全解読』。これまでの「別冊宝島」のミステリ系ガイド本と同様に、聖典のホームズ譚全六十作を解説した作りである。
 BBCのテレビドラマ『SHERLOCK(シャーロック) 』のヒットが少なからず影響しているのではあろうが、いいかげんホームズ関係も食傷気味ではある(苦笑)。これとは別に『SHERLOCK(シャーロック) 』の翻訳物のガイド本『シャーロック・ケースブック』も出ているが、こちらは何となくデザインがそそらないのでスルー。ぬるいファンで申し訳ない(笑)。

 別冊宝島1965 シャーロック・ホームズ完全解読

 さて『別冊宝島1965 シャーロック・ホームズ完全解読』だが、こちらは聖典のガイドブックとしてはなかなか良書である。
 ホームズの評論やガイドブックは聖典のみならず映像関係に焦点を当てたものや贋作を紹介したものまで山ほど出ているが、こちらはイラストを交えて全作をわかりやすく解説したもの。この全作というのがミソで、これが今までありそうでなかったのだ。犯行現場の図や蘊蓄、初出などのスペックも入れているし、こういう形で見られるのはなかなか便利。シャーロキアンの方々には物足りない内容だろうが、「何かテレビや映画も面白かったし原作も読んでみようか」という人には間違いなくおすすめ。
 正直、これだけで元はとれると思うが、ほかにもドイルやベーカー街、登場人物や映像や贋作、書影などをさらっとコラムレベルでご紹介。最近のホームズ本の例にもれず『SHERLOCK(シャーロック) 』に相当なページをあてているのはうんざりだが、まあこれは売ることを考えたら仕方ないか。

 個人的にやってほしかった企画としては、原作のエピソードがどの映画やテレビに使われているかという検証。逆はよくあるんだよね、このホームズ映画にはこれこれのネタが使われているとか。本書にもそういう記事はある。ただし、この作品がどの映画どのドラマで使われたかという逆引きはあまり見当たらない。何のため、とは聞かないように(笑)。単なる個人的な興味の問題である。
 あと、不満な点としては、これも「別冊宝島」でちょくちょく見られるのだが、意味のない捨てカット。正直ページの埋め草としか思えないイラストの使い方はどうかと思う。しかもレベル的にもやや厳しい。イラスト自体に大きな意味がある記事が多い本で、この使い方はないよなぁ。

 ま、そんな欠点もありながらトータルでは満足。パラパラ眺めているだけでも楽しい一冊である。


町田暁雄/監修『別冊宝島1957 増補改訂版 刑事コロンボ完全捜査記録』(宝島社)

 かつて2004年に出版された『別冊宝島973 刑事コロンボ完全事件ファイル』は「刑事コロンボ」のガイドブックとして非常にありがたい一冊だったが、その後2006年には改訂増補版となる『別冊宝島1330 刑事コロンボ完全捜査記録』が登場。こちらは新シリーズの解説が大幅に増えた、正に決定版ともいうべきものだった。
 そして2013年。さらなる増補改訂がなされた『別冊宝島1957 増補改訂版 刑事コロンボ完全捜査記録』が刊行された。正直、2006年版が相当充実したものだったので、これ以上のものとなるとよほどの企画勝負、あるいは本格的な評論書でないと意味が無いのではと思っていたのだが。ううむ、店頭でみて、やはり買わずにはいわれなかった。

 別冊宝島1957増補改訂版刑事コロンボ完全捜査記録

 気になるのは何が増補改訂されたのか、ということだろうから、本日はそれを検証してみよう。
 まず2006年版からなくなった記事だが、これはコラム「コロンボ・クッキング チリ・コン・カーンを作ろう!!」のみ。これはもともとページ数調整の意味合いが強そうな1ページのミニコラムだし、題名どおり内容も他愛なかったので、なくなっても別段こまることはない(笑)。

 一方、追加された記事は「刑事コロンボ データファイル」から「凶器あれこれ」「食べ物いろいろ」「舞台劇 殺人処方箋」、以上3つのコラム。そして巻末の「名犯人せいぞろい」と題した新旧総計七十二人の犯人のイラスト付きデータファイルである。
 この「名犯人せいぞろい」が本作の最も大きな変更点であり、売りとなる部分。こうして俯瞰的に犯人像を眺めることで、シリーズとしての狙いなどが浮かび上がってきてけっこう興味深い。ただ、正直コアな人向けの企画だなぁとは思うが(苦笑)。
 また、「舞台劇 殺人処方箋」はあまり情報のないコロンボのルーツを解説したナイス企画。筆者は拙ブログでリンクさせて頂いている「めとLOG ~ミステリー映画の世界」のめとろんさん。さすが。

 構成やレイアウトが変更されている記事は、「刑事コロンボ データファイル」に含まれるコラムの類。このあたりは見た目が多少変わっているものの、テキストは前作の流用である。
 例外的にテキストが書き直されているのは「調書ピーター・フォーク」。コロンボを演じ、先頃亡くなったピーター・フォークの生涯をまとめたコラムだが、気になったのは内容よりもむしろ文体である。というのも前作の「である体」から「ですます体」に変更されていたからで、実はこれが案外重要に思えてしまった。
 基本的にはガイドブックや評論の類は「である体」で十分である。この表現が難しい、堅苦しいと思うのであれば、その人はまだその文章を読む資格がないということである。コロンボを演じるピーター・フォークの生涯を短くまとめ、読者にその経歴やコロンボドラマとの関わりを紹介するという目的で書かれた前作においては、まずは客観的に、そしてコンパクトにまとめることが優先されたはずで、その結果としての「である体」である。
 ところが本書ではそれが「ですます体」に改められた。正直、増補改訂版であるから、作り手としてはできるだけ無駄は省きたい。テキストの流用や新規書き下ろしはあっても、同じ内容を書き直すというのは出版ビジネス上あまり効率のいい話ではないのである(もちろん間違い等を正すのは別である)。それをわざわざ「ですます体」に書き直した。
 思うに、これはピーター・フォークが亡くなったことで、作り手がまだ客観的に彼の生涯を語れる状態にないということではないか。時が経てばそれもまた解消されるのだろうが、コロンボファンにとってピーターの死はまだまだ受け入れにくい事実なのだろう。ファンが数十年にわたって慣れ親しんできたピーターはもはやただの俳優ではないのである。そんな故人の思い出を語るとき、文体はやはり親しみを込めた「ですます体」であるべきと考えたのではないだろうか。
 まあ、管理人の勝手な妄想かもしれないけれど。


マイクル・クライトン『ウエストワールド』

 この週末は所用で京都へ。公私とも相変わらずバタバタ。


  DVDで『ウエストワールド』を視聴。1973年のアメリカ映画で、監督はあのマイケル・クライトン。
 才人クライトンが小説だけでなく映画でも活躍していたのはよく知られているところだが、本作は初監督作品にあたる。内容が後の『ジュラシック・パーク』にも通じることでも特徴的な作品である。

 こんな話。シカゴで弁護士を営むブレナンは友人マーティンと共に巨大遊戯施設「デロス」を訪れた。そこはアメリカの西部開拓時代、ヨーロッパの中世、帝政ローマ時代の三つの時代を体験できる世界だった。ゲストはそこでガンマンや騎士などに扮し、精巧なロボットの住人たちを相手にして戦いやロマンスを楽しむのだ。
 だが、厳重な管理システムにより絶対安全なはずのその施設に、いつしか綻びが生じ始めていた。ロボットのガラガラヘビが人を襲い、ホステス役の女性ロボットが客の誘いを断る。技術者たちは点検と修理のため一時閉鎖を提言するが、上層部はこれを拒否し、やがて……。

 ウエストワールド

 上でも書いたように本作の設定はほぼ『ジュラシック・パーク』と同様である。コンピュータによって管理されているはずの機械が暴走して人を襲うという、科学万能主義への警鐘は昔からよくあるネタだが、ここまで魅力的な形に昇華させたクライトンの腕前はさすが。終盤はユル・ブリンナー扮するガンマンのロボットと主人公による追いつ追われつのアクションに占められるが、こちらは『ターミネーター』を彷彿とさせ、SF映画史上、非常にエポックメイキングな作品といえるだろう。

 ただ、今こうしてあらためて観ると、意外に欠点が多く感じられる。もちろん特撮がしょぼいとかは不問である。これは時代故に仕方ないところだが、それよりも話のつなぎとか間の悪さとかが気になるのである。つまりは編集がよくないのだろう。
 また、ユル・ブリンナーのガンマンロボットの行動に矛盾があったり、コンピュータが暴走した原因がまったく説明されなかったり、オープニングのみ中途半端に未来的だったりと、イライラが募るポイントも多々あり。加えて主人公のキャラクターの弱さもマイナスであろう。
 クライトンの発想とユル・ブリンナーの怖い演技は必見なれど、あまり過大な期待はせずに観るのが吉か。


テレンス・ヤング『007 ロシアより愛をこめて』

 節分。文字どおり「季節を分ける」ことを意味しており、季節の変わり目には邪気=鬼が生じると考えられていることから、それを追い払うために悪魔祓い=豆まきが行われる。ただ、豆まきはわかりやすくていいけれど、恵方巻きは諸説紛々でよーわからん。とりあえず今日の晩飯のために恵方巻きは買ったけれども(笑)。

 宣言どおり本日はだらだらと過ごすが、それでも一週間分の掃除を済ませ、散髪にいって、仕事の資料に目を通すぐらいはやっておく。ううむ、けっこう忙しいのう。

 夕方からはDVDで『007 ロシアより愛をこめて』を視聴。監督は前作に引き続きテレンス・ヤング、日本公開は1964年、公開時の邦題は『007 危機一発』。
 ちなみに「危機一発」は「危機一髪」の間違いではなく、銃弾の一発をかけた造語らしい。当時はともかく最近では「危機一発」と誤用する人が多いから、原題に忠実な『ロシアより愛をこめて』に変えて正解だよなぁ。

 さて、本題。
 世界をまたにかける犯罪組織スペクターは、ドクター・ノオの計画を阻止された恨みを晴らす機会を狙っていた。標的はもちろん英国の秘密諜報員007ことジェームズ・ボンド。
 計画はこうだ。ソ連情報局の女性情報員を、暗号解読機の持ち出しを条件に英国に亡命させ、その任務にボンドを要請させるというもの。その過程で暗号解読機を奪うとともにボンドを殺し、英ソの関係をも悪化させるという一石三鳥の作戦である。
 ボンドは罠の臭いを感じつつもイスタンブールに赴き、英国情報局のトルコ支局長ケリムと作戦を練るが……。

 007ロシアより愛をこめて

 シリーズとしては二作目であり、屈指の高評価を受けている作品。今ではお馴染みのオープニング・アクション、Qの秘密兵器などの定番シーンなどはここから始まったのだが、スタイルが固まってきたこともあるうえ、アクションやボンドの個性がより洗練されてきているところが魅力である。
 アクションでいうなら後半のオリエント急行、ヘリ、ボートとたたみかける流れが美しい。もちろん最近の派手なアクションではないが、手を変え品を変え「たたみかける」展開は案外先駆けではないだろうか。

 また、アクションシーンを単なるアクションのみで終わらせず、その場面を大きく左右する伏線がけっこう丁寧に入っているのも楽しみのひとつ。例えば英国諜報部のアタッシュケースひとつにしても、その仕掛けがいくつもあるのに、それを後のシーンで残らず使い切る生真面目さ。骨までしゃぶるとはこのことかと。
 伏線といえば、オリエント急行の食堂車のシーンも白眉。詳しくは書かないが、こういったストーリーをただつなぐような場面にも隠し味が入っており、そういう伏線がどんどん絡まって全体を引っ張ってゆく。 

 ショーン・コネリーのみならずロバート・ショーやロッテ・レーニャ、ヴラディク・シェイバルらスペクター陣の役者も非常にいい味を出しており、管理人もシリーズベスト3に入れたいぐらい好きな作品。


ドナルド&アビー・ウェストレイク『アルカード城の殺人』(扶桑社ミステリー)

 向こう半年ほど仕事がとてつもなく忙しくなりそうな予感だが、とりあえずこの週末はできるだけ体を休める方向で。


 ドナルド・E・ウェストレイクが奥さんのアビーと合作した『アルカード城の殺人』を読む。
 本作は普通のミステリではなく、ホテルで行われた推理ゲームイベントをノヴェライズしたもの。日本でもそういうイベントがあったと記憶するが、これは参加者が探偵役としてホテルに宿泊し、そこで演じられる芝居やムービーを見たり、出演者に訊問して、犯人を当てるという観客参加型推理イベントである。
 本作のもとになったイベントはウェストレイク夫妻が構成を担当しているだけでなく、スティーヴン・キングやピーター・ストラウブが出演しているということで、なかなか人気を博したようだ。

 ルーマニアはトランシルヴァニアの森に立つアルカード伯爵の古城。蔵書を整理する仕事に雇われた図書館司書のジョゼフ・ゴーカーは、到着早々に何者かに殺害されてしまう。その首筋には小さな二つの傷痕が……。夜にしか活動しないアルカード伯爵とその娘、信用おけない博士と助手、曰くありげな占い師、突然現れた推理作家夫妻など、容疑者たちの証言から明らかになる真実は……?

 アルカード城の殺人

 なんせ一夜のイベント。正解者がいないと盛り上がりに欠けるということもあるらしく、それほど複雑な謎ではない。正直けっこうストレートな真相で、え、本当にこれでいいのというレベル。
 でも設定はなかなか面白くて、ドラキュラがモチーフになっているのはもちろんだが、他にもクラシック・ホラーのネタが散りばめられている。例えば伯爵の名前アルカード(Alucard)は昔からよく使われるアナグラムで、もとはドラキュラ(Dracula)である。その娘の名前プリメヴァ(Primeva)はヴァンパイア(Vampire)のアナグラムだし、他にもフランケンフィールド博士(これはかなりストレートだね)なんてのも。内容的にも狼男を彷彿とさせるネタがあったり、まあ、いろいろ遊んでいるようだ(この辺、見る人が見ればもっといろいろあるはず)。

 また、ノヴェライズにあたっては単なる小説形式ではなく、できるだけイベントを疑似体験できるような構成にしているのもウェストレイクならではのサービス精神。最初にスライド上映される事件のあらましはナレーション形式(翻訳は講談調?)、参加者が容疑者に質問する部分は、各容疑者の証言というスタイルになっている。
 この容疑者の証言によって事実が徐々に明らかになってくるのだが、これがなかなか読ませるわけで、さすがウェストレイク。まあ、真相を考慮すると積極的にオススメできるような代物ではないが、読んでいる間はそれなりに楽しい一冊であった。


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プロフィール

sugata

Author:sugata
ミステリならなんでも好物。特に翻訳ミステリと国内外問わずクラシック全般。
四半世紀勤めていた書籍・WEB等の制作会社を辞め、2021年よりフリーランスの編集者&ライターとしてぼちぼち活動中。

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