仕事絡みで何かと気忙しい。本日も休日ながら仕事絡みで出かけたり、資料をまとめたり。
鮎川哲也の短編集『崩れた偽装』を読む。まずは収録作。
「呼びとめる女」
「囁く唇」
「あて逃げ」
「逆さの眼」
「扉を叩く」
「赤い靴下」
「パットはシャム猫の名」
「哀れな三塁手」

「哀れな三塁手」が文庫初収録ということで一応は目玉。ただ、本書が興味深いのはそんなことではなく、倒叙ミステリを集めた短編集だということ。オースティン・フリーマンのソーンダイク博士やロイ・ヴィカーズの迷宮課事件簿などもあるし、別に珍しくないでしょとのたまうなかれ。それらはみなシリーズ探偵の倒叙ミステリであり、こういうノンシリーズの倒叙ミステリ短編集はあまり記憶にない。
倒叙ミステリであるから、犯人=主人公の犯行が最初に描かれるのは両者とも共通である。ここではなぜ犯行を犯すに至ったかという人間ドラマ、あるいはいかにして完全犯罪が行われるのかというサスペンスを含む興味がメインとなる。
しかし、シリーズ探偵ものとノンシリーズでは、犯行後の興味が微妙に異なってくる。シリーズ探偵ものは犯行後に探偵役が登場すると同時に、主人公の座も探偵側に移行。どのようにして探偵役がその犯罪を切り崩していくかに主眼が移っていく。コロンボなどの例を出すまでもなく、この手のタイプは下手な本格以上にパズル性が強く、知的興味を満たせてくれるものが多い(もちろん例外はある)。
対してノンシリーズは探偵役が登場することもあるけれど、ほぼ主人公は犯人のまま物語が進む。犯人としては自分の犯行が成功したと思っているから、事件そのものが大きく動くことはない。もちろんその裏では捜査が進んでいるが、あくまで犯人視点なので捜査の状況などは詳しく描写されない。読者としてはせいぜいどこに犯行の穴があったのか考える程度で、知的パズルとしての興味はどうしても落ちてしまう。たとえ本格ミステリの体をとっていたとしても、結局、興味は犯人の心理や動機が中心となってしまうのである。
少々、粗っぽいけれど、以上が倒叙ミステリについての個人的認識。
本書を読んで感心したのは、そのパズル性を強めたノンシリーズの倒叙ミステリを、鮎川哲也が意外なほど多く残しているというその事実であった。
これだけまとめるとパターンが見えてしまい、やや飽きやすいということはあるが、アベレージは悪くない。ひとつひとつの作品はまずまず楽しめるので、アユテツファンなら買いだろう。