フェルディナント・フォン・シーラッハの『コリーニ事件』を読む。『犯罪』という優れた短編集で注目を浴びた著者の、初の長篇。
老齢の大物実業家がベルリンにあるホテルの一室で殺害された。犯人は六十七才になるイタリア人のコリーニで、事件後にそのまま自首し、即刻逮捕されていた。
新米弁護士のライネンに、そのコリーニの弁護を受ける意志があるかどうか裁判所からの問い合わせがあった。大手弁護士事務所に所属せず、最初から独立の道を選んだライネンには、どんな仕事も重要だ。気軽に国選弁護人を引き受けたライネンだが、相対するは被害者が雇った凄腕のベテラン弁護士マッティンガー。しかもコリーニは動機についてひと言も話そうとはしなかった。さらには被害者がライネンのよく知る人物だったことが明らかになり……。

ううむ、これは凄いな。『犯罪』と『罪悪』、過去二冊の短編集でシーラッハの魅力は十分に理解していたと思ったが、長編ではまた違った味で魅せてくれる。
そもそも短編集では手法がけっこうトリッキーで、その淡々とした語り口と相まってどこかシュールな味わいで人間の哀しい姿を際だたせていた。だが長篇はもっとストレートだ。殺人事件に隠されたドイツの抱える問題を告発し、そこで正義や法の在り方を問う。そして、その向こうに見えてくるものは、やはり人間の業なのである。
本作では犯人だけでなく、被害者やその家族、弁護士に至るまで、みな何かしら抱えているものがある。それにどう対応していくのかは人それぞれ。シーラッハはそんな状況を「薄氷の上の踊り手」と表現し、読者に提示する。
さあ、あなたならどう踊るのか? ラストで語られるシーラッハの答えは、この悲しい物語の一服の清涼剤でもある。