Posted in 12 2013
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松本清張『眼の壁』(新潮文庫)
松本清張の長篇第二作『眼の壁』を読む。『点と線』同様に、こちらもン十年ぶりの再読である。まずはストーリー。
電機製品メーカーの会計課長を務める関野は、給与の金策に奔走していた。ところがパクリ屋のグループに騙され、白昼の銀行で三千万円の手形を搾取されてしまう。評判を気にした会社は事件を公にしなかったが、責任を感じた関野は山中で首吊り自殺を図る。
関野の残した遺書の中に、彼が信頼を置いていた会計課の部下、萩崎宛てのものがあった。それは事件の概要をつぶさに記したもので、萩崎は関野の無念をかみしめる。そして会社が事を公にせず、警察にも捜査を頼まないのであれば、自ら真相を究明しようと決意した。友人の新聞記者、田村の力を借りて調査を開始する萩野。やがて彼の前に闇に蠢く巨大組織の存在が浮かび上がった……。

本作が「週刊読売」に連載されていたのは1957年。既に清張は「張込み」「殺意」「顔」「声」といった傑作短編を発表しており、推理作家としても一定の評価は得られていた時期である。そこに満を持して連載を始めたのが『点と線』、そしてこの『眼の壁』であった。
いまもなお代表作として知られるこの二作を同時進行していたわけだから、清張の充実ぶり、気合いの入れ方が理解できるところだが、そういえばかの横溝正史も戦後すぐに『本陣殺人事件』と『蝶々殺人事件』を平行して書いていたわけだから、ここぞというときの一流作家の創作意欲というかエネルギーは、我々のような凡人には到底真似できないところであろう。
まあ、それでも清張ですら『点と線』ではかなり煮詰まったらしく、編集者に何も告げず行方をくらましたこともあったらしいが(笑)。
それはともかく『眼の壁』である。
本作も今では枠組みとして社会派ミステリとして読まれることが多いのだが、『点と線』同様、まずはミステリとして評価できる作品であり、あまり社会派云々にこだわる必要はないのではないか。組織犯罪を扱うことで、どうしても社会派のイメージは強くなるのだが、この時点ではまだ後の作品ほどにはテーマが消化されていないようにも感じた。
本作はサスペンスとしての面白さが普通に勝っている。あまり本格の要素は強くないけれども、主人公たちの地道な調査で少しずつ真相が紐解かれる展開は十分に楽しめる。
なんせ相手が巨大組織ゆえにどうしても素人調査の限界はあるのだが、そこは警察に先を進ませて情報を与えたり、ときには友人の新聞社という組織的バックアップも交えたりして、できるだけ素人捜査にリアリティを持たせようとしているのは清張ならではの巧さだろう。
逆にリアリティという部分で失敗していると思うのが、萩崎の事件関係者の女性に寄せる恋心。それほど直接的な関わりのない間柄なのに(要は外見だけの一目惚れである)、これを最後まで引っ張っていくのが何とも不可解。恋愛要素を入れるなら入れるでもう少し膨らませないと、萩崎の行動に説得力が生まれない。本作で最も惜しまれる点である。
本格という衣は着ていないけれど、随所にその片鱗がうかがえるのも本作の見どころである。冒頭の手形詐欺やメインの死体処理のあたりは、今となってはさすがにシンプルだが、ミステリとして十分に折り目正しいのが高ポイント。
ストーリーに沿ったうえで、決して奇をてらうわけではなく、それでも最後はやっぱり読者に驚いてもらう。著者の中でミステリとして仕上げる意義、ミステリとして成立させる意識は間違いなくあったはずで、社会派とかリアリティというキーワーばかりが目立つが、ミステリとしての胆を忘れなかったからこそ清張はあそこまで成功したのではないだろうか。
実はン十年前の初読時、けっこう退屈した記憶しかなかったのだが、いやいや人間変わるものですなぁ。
電機製品メーカーの会計課長を務める関野は、給与の金策に奔走していた。ところがパクリ屋のグループに騙され、白昼の銀行で三千万円の手形を搾取されてしまう。評判を気にした会社は事件を公にしなかったが、責任を感じた関野は山中で首吊り自殺を図る。
関野の残した遺書の中に、彼が信頼を置いていた会計課の部下、萩崎宛てのものがあった。それは事件の概要をつぶさに記したもので、萩崎は関野の無念をかみしめる。そして会社が事を公にせず、警察にも捜査を頼まないのであれば、自ら真相を究明しようと決意した。友人の新聞記者、田村の力を借りて調査を開始する萩野。やがて彼の前に闇に蠢く巨大組織の存在が浮かび上がった……。

本作が「週刊読売」に連載されていたのは1957年。既に清張は「張込み」「殺意」「顔」「声」といった傑作短編を発表しており、推理作家としても一定の評価は得られていた時期である。そこに満を持して連載を始めたのが『点と線』、そしてこの『眼の壁』であった。
いまもなお代表作として知られるこの二作を同時進行していたわけだから、清張の充実ぶり、気合いの入れ方が理解できるところだが、そういえばかの横溝正史も戦後すぐに『本陣殺人事件』と『蝶々殺人事件』を平行して書いていたわけだから、ここぞというときの一流作家の創作意欲というかエネルギーは、我々のような凡人には到底真似できないところであろう。
まあ、それでも清張ですら『点と線』ではかなり煮詰まったらしく、編集者に何も告げず行方をくらましたこともあったらしいが(笑)。
それはともかく『眼の壁』である。
本作も今では枠組みとして社会派ミステリとして読まれることが多いのだが、『点と線』同様、まずはミステリとして評価できる作品であり、あまり社会派云々にこだわる必要はないのではないか。組織犯罪を扱うことで、どうしても社会派のイメージは強くなるのだが、この時点ではまだ後の作品ほどにはテーマが消化されていないようにも感じた。
本作はサスペンスとしての面白さが普通に勝っている。あまり本格の要素は強くないけれども、主人公たちの地道な調査で少しずつ真相が紐解かれる展開は十分に楽しめる。
なんせ相手が巨大組織ゆえにどうしても素人調査の限界はあるのだが、そこは警察に先を進ませて情報を与えたり、ときには友人の新聞社という組織的バックアップも交えたりして、できるだけ素人捜査にリアリティを持たせようとしているのは清張ならではの巧さだろう。
逆にリアリティという部分で失敗していると思うのが、萩崎の事件関係者の女性に寄せる恋心。それほど直接的な関わりのない間柄なのに(要は外見だけの一目惚れである)、これを最後まで引っ張っていくのが何とも不可解。恋愛要素を入れるなら入れるでもう少し膨らませないと、萩崎の行動に説得力が生まれない。本作で最も惜しまれる点である。
本格という衣は着ていないけれど、随所にその片鱗がうかがえるのも本作の見どころである。冒頭の手形詐欺やメインの死体処理のあたりは、今となってはさすがにシンプルだが、ミステリとして十分に折り目正しいのが高ポイント。
ストーリーに沿ったうえで、決して奇をてらうわけではなく、それでも最後はやっぱり読者に驚いてもらう。著者の中でミステリとして仕上げる意義、ミステリとして成立させる意識は間違いなくあったはずで、社会派とかリアリティというキーワーばかりが目立つが、ミステリとしての胆を忘れなかったからこそ清張はあそこまで成功したのではないだろうか。
実はン十年前の初読時、けっこう退屈した記憶しかなかったのだが、いやいや人間変わるものですなぁ。