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探偵小説三昧

日々,探偵小説を読みまくり、その感想を書き散らかすブログ


Posted in 04 2014

喜国雅彦『本棚探偵最後の挨拶』(双葉社)

 喜国雅彦の『本棚探偵最後の挨拶』を読む。おなじみ本棚探偵シリーズの第四弾、といっても小説ではなく漫画家の喜国雅彦氏が趣味のミステリや古書、本のあれこれについて語ったエッセイ集である。
 ただし、そんな趣味に明け暮れる日常を綴ったエッセイ集ではまったくなくて、ギャグ漫画家がネタやオチ、企画の類を積極的に盛り込む、いわゆる攻めのエッセイであるところが大きな特徴だ。したがって先に挙げたジャンルに興味があれば爆笑ものなのだが、興味がない人にはまったく面白さが理解できないに違いない。

 本棚探偵最後の挨拶

 相変わらず楽しく読めるけれど、四作目ともなるとさすがにネタ的には少々パワーダウン。『〜冒険』や『回想』に比べると物足りなく感じてしまうのは致し方ないところか。
 その中でもやはり傑作なのは日下三蔵氏宅再訪記であろう。目次では「ゴジラ対キングギドラ」とか『エイリアン対プレデター』といったタイトルがつけられているやつ。なんでこんな題名がついているかというと、喜国氏と同行したのがシャーロキアンの北原尚彦氏だから。古書収集家版二大怪獣の激突というイメージだったようだが、いざ蓋を開けてみると日下氏の蔵書のあまりの凄まじさに、さすがの北原氏も毒気を抜かれてしまった感じなのが笑えた。

 このシリーズは装丁や造本にも趣向を凝らしているのが特徴だが、こちらもやり尽くした感があるのか、本書では口絵に月報とややおとなしめ。
 同じ編集を生業としているせいか、他人事ながらいつも費用を心配してしまうのだが、まあ今回程度なら双葉社の担当編集者もおそらく胸をなで下ろしたのではなかろうか(笑)。

 なお、本シリーズはとりあえず本書で完結とのこと。本家には『〜事件簿』があるけれども、創元版で育った著者としてはあまり『〜事件簿』には執着がないらしく、『〜最後の挨拶』をもって〆としたいようだ。
 新潮版で育った管理人としては、『〜事件簿』どころか『〜叡智』まで期待していたんだけどなぁ(笑)。


梶龍雄『ぼくの好色天使たち』(講談社文庫)

 コロンビアの作家ガルシア=マルケス氏が亡くなったようだ。先月から急に調子が悪くなり、しばらく入院したのち、自宅静養を続けていたらしい。八十七歳という年齢では致し方ないところもあるだろうが、それにしても残念。
 文学史に大きな足跡を残したことは言うまでもないのだけれど、日本でも南米文学やマジックリアリズムのブームを巻き起こし、ご多分に漏れず管理人も脳みそをぐちゃぐちゃにされた口である。あの頃は確か筒井康隆がエッセイとかにもしょっちゅう取りあげていて、その影響もあったかな。
 とりあえず『百年の孤独』や『族長の秋』は頭が柔軟な若いうちにぜひチャレンジしていただきたい本ではある。ただし、最初から挫折する可能性なきにしもあらずなので、『予告された殺人の記録』『エレンディラ』あたりから入るのもよいかも。

 
 読了本は梶龍雄の『ぼくの好色天使たち』。『透明な季節』、『海を見ないで陸を見よう』と並び、青春三部作と呼ばれる一冊である。
 三部作と呼ばれるからにはもちろんそれなりの理由があって、まずはいずれも戦時から戦後間もない頃を扱っているということ。次に旧制中学や高校に通う男子が主人公であること。しかもその主人公は本来いいところのお坊ちゃんなのだが、早くに父を亡くし、今はむしろ質素な生活を送っていること。生活や価値観が混沌とする時代において、そんな主人公が何を感じ、どう成長していくか、そういったものが叙情性豊かに描かれているところも共通である。
 そして何よりも、それら文学的アプローチがミステリの部分と非常にうまく融合しているところこそ、最大のポイントといえるだろう。

 さて、本作の主人公は浪人生の伊波弘道である。池袋の闇市で、ある復員兵に絡まれたことをきっかけに娼婦らと知り合い、闇市の住人たちと交流するようになる。これまでの暮らしとはまったく縁の無かったいわゆる裏の世界。だが、そこで暮らす人々もまた、彼らなりのルールや価値観をもって生きていた。
 新しい価値観を学びながらも、ともすると目標を見失いがちになる弘道。だが、あるとき娼婦の一人が殺害されるという事件が起こり、そんな日々も終わりを告げようとしていた……。

 ぼくの好色天使たち

 これは傑作。『透明な季節』、『海を見ないで陸を見よう』との共通項は確かに多いのだが、モノクロームで静謐なトーンの前二作と違い、本作は原色的かつ猥雑なイメージで迫ってくる。
 闇市を闊歩する男女の活き活きとした姿は圧倒的だし、そんな彼らが垣間見せる陰の部分もまた魅力的だ。タイトルにもある”好色天使たち”はもちろん娼婦を指すわけだが、彼女たちと主人公の交流もまた読みどころのひとつである。

 まあ、静かであろうが騒がしかろうが、どちらにしても結局は描写力のなせる技なのだが、この描写が効いているからこそ、よりミステリの部分が生きてくるのは前作同様である。
 人物描写が深くなればなるほど、実はミステリとしてのハードルが上がってくる。動機や性格をいちいち忠実に説明していては、意外性の欠片もなくなってしまうのは自明の理。梶竜雄はそこを怖れずに踏み込んでいくのが素晴らしい。

 そんな描写の細やかさをカモフラージュする手段として、本作ではフラッシュバックを巧みに放り込んでくるのが特徴だ。主人公や登場人物の一人ひとりを際立たせる目的もあるのだろうが、実は時系列をひっくり返すことで、上手く伏線を散らしたり、紛れ込ませているのがわかる。
 まあ著者のよくやる手ではあるのだが、これもプロットがしっかりしているからこその技。
 加えて最終章では、そういった複雑なプロットを鮮やかに収斂させてくれるわけで、しかもそこでもさらに一捻り加え、ただの謎解きに済ませないのもお見事である。

 ひとつ難を上げるとすれば動機の問題か。
 その有効性もさることながら、物語にマッチしていない印象なのである。ここに関しては伏線らしい伏線もほとんどなかったはずで、物語にほぼ落とし込めておらず、最後の最後で釈然としない部分が出るのはもったいない。だからこそ動機はよりわかりやすいものにした方がよかった。

 とはいえ、トータルではベストテン級の見事な一作。例によって絶版ではあるのだが、もし古書店で見かけたら迷わずどうぞ。


パトリック・マクグーハン『新・刑事コロンボ/奪われた旋律』

 相変わらず読書が進まず、したがってブログの更新も進まないので、例によってDVDの感想でお茶を濁す。『新・刑事コロンボ/奪われた旋律』はシリーズ通算六十八作目。いよいよラス前の作品である。

 サスペンス映画緒音楽の巨匠として知られるフィンドレー・クロフォードだが、実は弟子のマッケンリーがこの数年の楽曲のほとんどをゴーストライトしていた。いつまでもチャンスを与えてもらいないマッケンリーは遂にしびれを切らし、すべてを暴露するとクロフォードに告げる。慌てたクロフォードは次のコンサートで1曲を彼に指揮させ、かつ次の映画音楽を監督に推薦すると応じ、その場をしのいだが、すぐにマッケンリーの殺害計画を練りはじめ……という一席。

 新・刑事コロンボ/奪われた旋律

 監督が前作に続いてパトリック・マクグーハンというのがポイントで、全体的に作りは丁寧。リハーサル無しでコンサートを行うなど、いくつかの点で無茶な御都合主義はあるけれども、基本的にはコロンボファン・ミステリファンの気持ちがわかっているというか、ツボをしっかり押さえているので安心して楽しめる。
 コミカルな要素も新シリーズにありがちな意味のないものは少なく、むしろコロンボが仕掛ける陽動作戦といった趣なので、それも気にならない。

 残念なのはラストだ。
 最後の謎解き部分で状況証拠や疑惑は山ほど出るのだが、それが直接的な決め手につながらず、どういう締め方をするのかと思っていると、あっさり犯人が自供するのである。まあ、コロンボではたまにあるケースだが、本作ではちょいとやりすぎ。なんで犯人がここで自供するのかまったく不明である。
 犯人がちゃんとした楽曲を自分で作曲できなくなったというエピソードがあるので、将来に希望がもてなくなった犯人が最後でやけになったという可能性は考えられるのだが、それにしても……ううむ。

 ぶっちゃけこの一点があるから本作は絶対に傑作にはなり得ない。むしろ途中までのわくわくを台無しにしているといっても過言ではないレベル。逆にいえば、これでコロンボの逆トリックなどがきれいに決まっていたら、新シリーズでもトップグループに入るレベルだったろう。惜しい。

 蛇足。楽曲のゴーストライトという題材が、つい最近世間を賑わせたあの事件を連想させて笑えた。犯人の風貌まであの人に似ていて(ついでに言えば役所広司にもけっこう似ているぞ)、これから見ようという人は要注目である。


バルドゥイン・グロラー『探偵ダゴベルトの功績と冒険』(創元推理文庫)

 このところ仕事が立て込んでいて、気がつくとこの三週間ぐらいは完全な休日というのがまったくない。せめて一日ぐらいはと、本日は駅前に出て大学通りとさくら通りの桜見物にいく。なんだか今年は開花の時期と週末のタイミングが微妙に悪いようで、勤め人には正味、この週末が唯一の花見のチャンスであろう。なのに午後からは予報どおり天気が崩れてしまうわけで、ううむ、儚いのぅ。


 バルドゥイン・グロラーの短編集『探偵ダゴベルトの功績と冒険』を読む。まずは収録作。

Die feinen Zigarren「上等の葉巻」
Der grosse Rubin「大粒のルビー」
Der schrectliche Brief「恐ろしい手紙」
Ein sonderbarer Fall「特別な事件」
Dagoberts Ferienarbeit「ダゴベルト休暇中の仕事」
Eine Verhaftung「ある逮捕」
Das halsband der Gesandtin「公使夫人の首飾り」
Empfang beim Ministerpraäsidenten「首相邸のレセプション」
Dagoberts unfreiwillige Reise「ダゴベルトの不本意な旅」

 探偵ダゴベルトの功績と冒険

 著者は十九世紀末から二十世紀初頭にかけて活躍したオーストリアの作家である。ホームズの大ヒットはドイツ語圏においても大きな影響を与え、探偵小説が多く書かれた。その中でもバルドゥイン・グロラーはオーストリアのコナン・ドイルとも呼ばれるほど人気があったらしく、探偵小説としての代表作が探偵ダゴベルトを主人公としたシリーズであったらしい。
 ダゴベルトはいわば高等遊民である。退役した身だが経済的にも困ることなく、いまは音楽と犯罪学に情熱を燃やしつつ、ときにウィーンの社交界に起こる事件を解決するアマチュア探偵でもある。
 時代的にはいわゆる”シャーロック・ホームズのライヴァル”の一人ということになるが、もちろんグロラーもホームズ譚を強く意識していたはずである。ではグロラーの描いたダゴベルトの物語は、ホームズ譚と比べてどこが違うのか、どこに魅力があったのか。

 ぶっちゃけ言うと、ミステリとしてのレベルはさほど期待しない方がいい。ソーンダイク博士を髣髴とさせるダゴベルトの科学的な捜査方法は、クラシックファンならではの温かい目で見ればまずまず許せるといったレベルではあるが、いかんせん現代ものしか読まない一見さんには辛かろう。

 畢竟、読みどころはストーリーや世界観、キャラクターといったところになるだろう。世紀末のウィーン、しかも上流社会を舞台にしたミステリというだけで相当のレア感はあるわけで、登場人物のやりとりなどから当時のウィーンの暮らしぶりや価値観をうかがえてなかなか楽しい。
 特筆すべきなのは、ダゴベルトが依頼される事件が、どれもこれもブルジョワたちの尻ぬぐいであるということ。上流階級の人々はその身分ゆえ常に様々な危険にもさらされている。そしてそれがスキャンダルにつながることを極度に怖れ、それゆえダゴベルトに秘密裏に依頼が舞い込むのだ。
 この部分を単なる上流社会へのゴシップ的興味で読むか、それとも虚飾に満ちあふれた上流社会の脆さ、オーストリアの脆弱さを浮かび上がらせるものとして読むかどうかでずいぶん印象は変わるだろう。当時の人気はおそらく上流社会へのゴシップ的興味として読まれた面が大きいと思うのだが、果たしてグロラー自身がどちらの方向を意識していたのか気になるところである。

 残念なのはどちらにしてもグロラーの視線にあまり市井の人々が入っていないことだ。ホームズの物語との最も大きな違いはその点にこそあるわけで、だからこそホームズは世界中の人々から共感を得た。ブルジョワの味方であってもそれが悪いというわけではなく、そう思うグロラー自身の真意やメッセージがより強く感じられる仕掛けがほしかったところである。
 まあ、そうはいっても”シャーロック・ホームズのライヴァル”としては相当にレア度合いも高く、その世界観もかなり異色。そのあたりに興味がある向きには十分に楽しめる一冊だろう。


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プロフィール

sugata

Author:sugata
ミステリならなんでも好物。特に翻訳ミステリと国内外問わずクラシック全般。
四半世紀勤めていた書籍・WEB等の制作会社を辞め、2021年よりフリーランスの編集者&ライターとしてぼちぼち活動中。

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