相変わらず読書が進まず、したがってブログの更新も進まないので、例によってDVDの感想でお茶を濁す。『新・刑事コロンボ/奪われた旋律』はシリーズ通算六十八作目。いよいよラス前の作品である。
サスペンス映画緒音楽の巨匠として知られるフィンドレー・クロフォードだが、実は弟子のマッケンリーがこの数年の楽曲のほとんどをゴーストライトしていた。いつまでもチャンスを与えてもらいないマッケンリーは遂にしびれを切らし、すべてを暴露するとクロフォードに告げる。慌てたクロフォードは次のコンサートで1曲を彼に指揮させ、かつ次の映画音楽を監督に推薦すると応じ、その場をしのいだが、すぐにマッケンリーの殺害計画を練りはじめ……という一席。

監督が前作に続いてパトリック・マクグーハンというのがポイントで、全体的に作りは丁寧。リハーサル無しでコンサートを行うなど、いくつかの点で無茶な御都合主義はあるけれども、基本的にはコロンボファン・ミステリファンの気持ちがわかっているというか、ツボをしっかり押さえているので安心して楽しめる。
コミカルな要素も新シリーズにありがちな意味のないものは少なく、むしろコロンボが仕掛ける陽動作戦といった趣なので、それも気にならない。
残念なのはラストだ。
最後の謎解き部分で状況証拠や疑惑は山ほど出るのだが、それが直接的な決め手につながらず、どういう締め方をするのかと思っていると、あっさり犯人が自供するのである。まあ、コロンボではたまにあるケースだが、本作ではちょいとやりすぎ。なんで犯人がここで自供するのかまったく不明である。
犯人がちゃんとした楽曲を自分で作曲できなくなったというエピソードがあるので、将来に希望がもてなくなった犯人が最後でやけになったという可能性は考えられるのだが、それにしても……ううむ。
ぶっちゃけこの一点があるから本作は絶対に傑作にはなり得ない。むしろ途中までのわくわくを台無しにしているといっても過言ではないレベル。逆にいえば、これでコロンボの逆トリックなどがきれいに決まっていたら、新シリーズでもトップグループに入るレベルだったろう。惜しい。
蛇足。楽曲のゴーストライトという題材が、つい最近世間を賑わせたあの事件を連想させて笑えた。犯人の風貌まであの人に似ていて(ついでに言えば役所広司にもけっこう似ているぞ)、これから見ようという人は要注目である。