ひさしぶりに出版芸術社のミステリ名作館から一冊。ものは樹下太郎の『鎮魂の森』。
今でこそ論創社の頑張りが目をひくが、一昔前に国産の名作発掘といえば出版芸術社の「ふしぎ文学館」であり、「ミステリ名作館」だったように思う。『鎮魂の森』も元本は桃源社から1962年に刊行され、長らく絶版だったものがミステリ名作館の一冊として1993年に復刊されたものである。
こんな話。食品会社社長の長男である貴一郎は、跡継ぎの座を弟に奪われ、「調査室」室長という閑職で毎日を無為に過ごしていた。そんな貴一郎の秘書として配属された冴子は、やがて社内の噂とは異なる貴一郎の一面に気づき、心惹かれるようになる。そんなとき、貴一郎にあてて高橋と名乗る男から脅迫電話がかかってきた。貴一郎の過去に関係があるらしいことを知る冴子は、貴一郎に脅迫者と闘うよう懇願するが……。

出版芸術社の本も久しぶりだが、考えたら樹下太郎の著作もずいぶん久しぶりに読んだ。派手なトリックなどとは無縁だが心理描写で読ませる作品が多く、地味ながらも小説を書く技術は確かな作家である。
本作もまたその例に漏れず、ミステリとしては弱いのだけれど、登場人物の設定や描写が上手くて意外に引き込まれた。
形としては主人公が脅迫者を突きとめていくという展開ながら、そこにミステリ的な企みはほとんどない。狙いは事件の真相云々ではなく、戦争に翻弄された主人公の運命であり、それが事件と重なることでいっそう鮮明になるという構図。そこには著者の戦争体験が色濃く反映されており、作品におけるメッセージも正にそこに尽きるはずだ。
ただ、全体的な印象としてはいわゆる反戦の物語というより、主人公とヒロインの関係とか、あるいは過去の痴情のもつれとか、そちらの方が明らかに物語を引っ張ってしまっている(苦笑)。描写もけっこうねちっこい。だから救いがたいラストを見せられても、主人公自業自得以外のイメージは正直つきにくいのが困ったものだ。
上で書いたように主人公たちの設定や心理描写は効いているのだが、テーマとそれらがもうひとつ合致していないというか、このちぐはぐさは弱点であろう。純粋なミステリといえない作品ということもあるし、樹下マニア以外にはオススメしにくい一作である。
なお、本書には短篇「お墓に青い花を」も収録されている。これは後のサラリーマン小説を彷彿とさせるコミカルな味つけをした犯罪小説。皮肉なオチが効いて楽しめるが、何故にこれをわざわざ同時収録したのか意図が不明である。