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探偵小説三昧

天気がいいから今日は探偵小説でも読もうーーある中年編集者が日々探偵小説を読みまくり、その感想を書き散らかすページ。

 

ヘレン・マクロイ『逃げる幻』(創元推理文庫)

 ヘレン・マクロイの『逃げる幻』を読む。1940年代の中頃、『ひとりで歩く女』や『暗い鏡の中に』などの佳作をばんばん世に送り出しておいた時期に書かれた作品で、これは期待するなという方が無理な話である。

 まずはストーリー。精神科医でもある予備役のダンバー大尉は、ある秘密の任務を帯びてハイランド地方を訪れた。ところが旅の途中で知り合ったネス卿から、家出を繰り返す少年が荒野の真ん中で消失したという話を聞かされ、興味を覚える。その夜、宿泊先で偶然その少年を見つけたダンバーは、彼が異様なほど何かを怖れていることに気づく。そして、二日後、悲劇は起こった……。

 逃げる幻

 いやあ、面白い。これはまた非常にマクロイらしい作品である。マクロイのいいところと悪いところが明確に顕れているというか。いや、悪いところはマクロイの計算尽くだと思いたいので、ここはむしろマクロイの狙いどおりに驚かされ、考えさせられた作品といっておこう。

 ぶっちゃけ悪いところというのは表面的なトリックの部分である。すなわち少年の消失と密室殺人。この二つがかなり腰砕けで、マクロイを読み慣れていない一見さんだと「何じゃこりゃ」ということにもなるのだろうが、もちろん著者の狙いはそこではない。
 本作における最大の謎は"なぜ少年は何度も家出を繰り返すのか"なのであり、先のトリックそのものが、この謎を活かすための壮大なカモフラージュになっているといったら褒めすぎだろうか。
 だが、それぐらいこの謎の結構は鮮やかであり、しかも、それが解き明かされたとき本書のテーマが読む者の胸に迫ってくる。こういう小説としての企みが何よりマクロイは巧いのである。そしてそれを実現させる描写の確かさがある。

 特に感心したのは、このサプライズのための仕掛けである。伏線が巧妙に張られているのはもちろんだが、それを誤誘導する手並みがまた鮮やかなのだ。
 人間消失を序盤から盛大にアピールしているのもその一つだし、語り手をダンバーという精神科医に設定しているのも巧い。ダンバーは精神科医という職業柄、相手を極めて客観的かつ冷静に分析する。その断定的な分析が逆に……というところもあり、加えてダンバーが担う秘密任務がいったいどういうふうに絡むのかという興味もあって、これが忘れた頃にドカンとくるから堪らない。

 ちなみにシリーズ探偵のベイジル・ウィリング博士の登場も、本書三分の二あたりからと少々遅いタイミングである。この登場シーンも含め、事件が一気に動く終盤は至福の時間であった。テーマから謎解きに至るまで、実にマクロイらしさに溢れた一作。おすすめ。


プロフィール

sugata

Author:sugata
ミステリならなんでも好物。特に翻訳ミステリと国内外問わずクラシック全般。
四半世紀勤めていた書籍・WEB等の制作会社を辞め、2021年よりフリーランスの編集者&ライターとしてぼちぼち活動中。

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