GWは特に遠出の予定もなく、近辺をうろうろするのがせいぜいなのだが、それでも土曜は秩父は羊山公園の芝桜まつり、日曜は書店&古書店巡り、月曜の本日は立川の昭和記念公園のフラワーフェスティバルなどに出かけている。管理人はミステリが第一の趣味ではあるのだが、実はこう見えても各種フラワー関係のイベントにもドライブがてらこまめに出かけており、つい先週も塩船観音つつじ祭りに行ってきたばかり。命の洗濯というほど大げさなものではないが、仕事を少し忘れていられるのはやはり精神衛生上よいものである。
こちらも命の洗濯になるのだろうか。DVDで『007 消されたライセンス』を視聴。
『リビング・デイライツ』で新ボンドにキャスティングされたティモシー・ダルトンの二作目で、トータルでは十六作目。監督はおなじみジョン・グレン、公開は1989年である。
親友でもあるCIAのフェリックス・ライターの結婚式に出かけるボンド。だが、その途中で麻薬取締局が長年追っているサンチェスが現れたとの連絡が入る。ボンドとライターはサンチェスの乗るセスナ機をヘリコプターで釣り上げるという荒技で、ついにサンチェスを捕らえた。
しかしサンチェスは刑事を買収して再び逃亡に成功。しかもあろうことか新婚初夜のライター夫妻を襲い、新婦を殺害、ライターを拉致してサメに左足を食いちぎらせてしまう。
帰国途中のボンドはサンチェス逃亡の方を聞きつけ、ライターの元へ急ぐが、そこで見たものは夫妻の変わり果てた姿だった。復讐を誓うボンドに危惧を抱いたMは別の任務を指示するが、ボンドはその場で諜報部を辞めると宣言した……。

『リビング・デイライツ』で若返りを図り、路線もシリアス方向へ大きく舵をきったわけだが、007映画の歴史は結局、この繰り返しの歴史でもあるような気がする。そしてその軸がぶれている作品、つまりシリアス路線なのかがっつりエンタメ路線なのか、このあたりが中途半端になってしまったものは出来も落ちるのではないか。
そういう意味でいうと、『007 消されたライセンス』は復讐に燃えるボンドという、いつになくシビアなボンド像というものを提示しており、一応はシリアス路線。だが『リビング・デイライツ』でいろいろと修正が入ってしまったらしく(おそらく興行上の理由で)、結局は従来の路線に一部戻しているのがなんとももどかしい。
例えば香港の麻薬取締局が繰り出す忍者部隊、元空軍パイロットとのお手軽なラブロマンス、Qの馬鹿げた秘密兵器、ちょっとしたボヤだけで簡単に燃えてなくなる大工場などなど。これらはわかりやすい部類だが、ストーリーの核心を突く部分でも問題点は多い。友人のためとはいえボンドはなぜここまで復讐にかけるのか、また、ボンドは殺しのライセンスを何故こうも簡単に放棄してしまったのか。表面的な理由はもちろん立っているけれども、そこに至るまでの説得力の弱さが致命的である。
ティモシー・ダルトン・ボンドの良さを再認識できたのは収穫だし、ムーア時代の凡作よりは全然上だとは思うが、それだけにこのバランスの悪さがなんとも残念な一作だった。