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探偵小説三昧

日々,探偵小説を読みまくり、その感想を書き散らかすブログ


Posted in 09 2015

戸川昌子『黄色い吸血鬼』(出版芸術社)

 戸川昌子の短編集『黄色い吸血鬼』を読む。戸川昌子は『大いなる幻影』で乱歩賞を受賞した女流作家。今ではそれほど読まれることもないのだろうが、ひと頃はシャンソン歌手という経歴や特異なキャラクターもあってテレビにもよく出ていたし、何より作品がよく売れていた。
 作風は乱歩賞受賞作家ながら本格というよりサスペンスやスリラー中心。エロティシズムやセックスをテーマとすることが多く、そのあたりも読者を多く掴んだ要因だろう。
 ただ、エロティシズムやセックスといっても、彼女の作品は単なるお色気路線ではない。そのジャンルの特殊さや発想の豊かさにこそ注目しなければならない。ぶっちゃけると、人はどこまで変態チックに走れるかがポイントであり、そこから発生する悲劇、滲み出る男女の心理が読みどころとなるのだ。

 黄色い吸血鬼

 本書はそんな戸川昌子の傑作選である。出版芸術社の「ふしぎ文学館」の一冊だからある程度の水準は保障されているし、実際、なかなか読み応えのある作品ぞろいだった。まずは収録作。

「緋の堕胎」
「人魚姦図」
「円卓」
「変身」
「疑惑のしるし」
「蜘蛛の糸」
「ウルフなんか怖くない」
「猫パーティ」
「蟻の声」
「砂糖菓子の鸚鵡」
「誘惑者」
「黄色い吸血鬼」

 いきなりになってしまうが、冒頭の「緋の堕胎」は本書中のベスト。
 金儲けに走り、違法行為を積み重ねる堕胎専門の医者。その妻で、新興宗教に走り、夫を責め続ける女。医者の言われるまま違法行為に手を染める助手。ある日、中絶にやってきた女性患者が行方不明になったことで、彼らの微妙な関係が崩れ始める。
 重苦しさを通り越して吐き気さえ覚えるような密度が秀逸。事件の全貌が明らかになったとき、さらにダメージ必至である。

 次点は表題作の「黄色い吸血鬼」。舞台は吸血鬼への血液提供者が監禁されている寮。その血液提供者の一人の眼を通し、吸血鬼や血液提供者、寮の様子が語られる。
 ファンタジックな世界観でありながら、物語が進むうち、どうやら語り手が信頼できない存在であることに気づかされる。お見事。

 三位は「ウルフなんか怖くない」を推す。ミステリ的な興味は低いけれども、とことん人間の業の深さを見せられる作品であり、戸川昌子は下手に技巧に走るより、こういうタイプの方が合っている気がする。

 このほか人魚と人間の相姦を描く「人魚姦図」、犬の着ぐるみで女性を襲う「変身」、蟻による拷問が恐ろしい「蟻の声」など、もう尋常ではないシチュエーションが目白押し。エロ耐性が低い人にはちょいとあれだが、戸川昌子の発想の奔放さを存分に愉しむなら、まず文句無しにおすすめの一冊といえるだろう。


菊池幽芳『菊池幽芳探偵小説選』(論創ミステリ叢書)

 論創ミステリ叢書から『菊池幽芳探偵小説選』を読む。
 菊池幽芳は明治中頃から昭和の戦前あたりにかけて活躍した作家。大阪毎日新聞社に勤めながら執筆活動を行い、名声を博してからは同紙を中心に作品を発表、家庭小説というジャンルで人気を博した。
 この時代の探偵小説は黒岩涙香以外ほぼ読めないこともあって、まずはこうして一冊の本としてまとめられたことがありがたい。いや、実際、かなり貴重な一冊なのだ。
 収録作は以下のとおり。

『秘中の秘』
『探偵叢話』
  「はしがき」
  「犯人追躡(はんにんついじょう)の失敗」
  「郵便切手の秘密」
  「富豪の誘拐(かどわかし)」
  「異様の腕」
  「二千三百四十三」
  「暗殺倶楽部?」
  「少寡婦」
  「試金室の秘密」

 菊池幽芳探偵小説選

 家庭小説というのはあまり聞きなれない言葉だが、当時の近代文学が人間や社会の暗黒面ばかりをとりあげた観念小説中心であることの反動として生まれたジャンルらしい。したがって普通小説や大衆小説とは似ているけれど、その精神があくまで道徳に根ざしているところが大きな特徴と言えるだろう。
 解説によると幽芳はその家庭小説の代表格ということだが、彼は新聞社の社員として働きながら新聞小説を書いていたこともあって、新聞小説の使命というものには相当な信念があったらしい。

 ただ、家庭にあっても安心して読める健全さ、そういうものが読み物として本当に面白いかどうか。
 重要なのは正にその点だが、本作に収録されている長編『秘中の秘』は、あの江戸川乱歩が小学生の頃に母親から読み聞かせてもらい、探偵小説の面白さに目覚めた作品。翻案ものということもあり、あまり家庭小説云々は意識せずともOKである。
 実際のところ、本当に道徳とか意識していたのかというぐらい内容はハデハデ。当時の読者には異国情緒で惹かれるところもあったのだろうが、冒頭から幽霊船が出てきて、その中からは生き残りの怪老人が出る、財宝は出る、暗号は出るで、まあなんとも激しい展開である。原作が何かは不明なのだが、新聞連載のせいか読者を引っ張るためにかなりのアレンジを加えているのかもしれない。
 だが、残念ながらそれを収斂させるほどのテクニックはなかったようで、後半はかなり適当になってくるのが惜しまれる。

 文語体ゆえ読みにくさはあるが、やはり読めてよかったというのが一番。内容はこの際置いといて、戦前探偵小説好きは一度は読んでおくべきかと。


クリス・コロンバス『ピクセル』

 レトロゲームをネタにした映画『ピクセル』を観賞。ガキの頃からゲーム好きで、社会に出てからも長らくゲーム業界にお世話になっている身としては、これは観ないわけにはいかない。

 1982年のこと、NASAはまだ見ぬ地球外生命体との交流を図ろうと、地球の様子や文化などをまとめ、電波に乗せて宇宙に送っていた。そのなかには当時爆発的に流行していたゲームの情報も含まれていた。だが、それを受け取った異星人はそれを地球からの宣戦布告と勘違いしてしまう……。
 時は流れ、2015年。異星人は受け取ったゲーム情報をもとに地球侵攻を開始した。巨大なゲームキャラクターが地球のあらゆるものをピクセル化していくなか、かつてのゲーム世界チャンピオンたちが立ち上がった。

 ピクセル

 まあ、B級臭はぷんぷん臭っているんだけれど(笑)、予告編がなかなか良くて、おまけに監督が『ホーム・アローン』や『ミセス・ダウト』などのホーム・コメディ、『ハリー・ポッターと賢者の石』や『パーシー・ジャクソンとオロンポスの神々』などのファンタジーアクションを撮ってきたクリス・コロンバスである。そこそこ悪くないレベルに仕上がっているのではないかと少し期待していたのだが、これがまあ何と予想以上に楽しい映画であった。

 「パックマン」「ギャラガ」「ドンキーコング」などなど1980年代の傑作ゲームのキャラクターが敵としてバンバン出てくるのだが、当時のゲームなので元はドット絵。それをピクセルによる3D化して見せてくれる。これらのキャラクターがけっこう違和感なく都市の情景や戦闘シーンに溶けこんでいて、そういう絵面を見ているだけでもなかなか楽しめる。
 ストーリーはいたってシンプルというか、よくある地球侵略もののパロディだが、それをゆるいギャグでつなぎつつ、要所では締める。テイストとしては『ゴーストバスターズ』あたりを思い浮かべてくれればよろしいかと。

 もちろん基本的にはB級なので、地球侵略ものといっても大作感はないし粗もいろいろある。間違っても感動などは期待できないけれど、普通にSFアクション映画としてよくまとまっており、昔のゲームを知らなくても十分楽しめる一作ではないだろうか(もちろん知っていれば面白さはさらに倍増するが)。
 管理人としては近年ゲームをここまでフィーチャーしてくれた実写映画はなかったので素直に嬉しい。
 それにしてもこういうバカなネタを最新特撮技術で大真面目に作り上げてしまうからハリウッドは侮れない。

 蛇足だが、本作の上映館はそこそこあるのだけれど、字幕版の上映が少ないのはちと困った。結局、仕方なく吹き替え版を見たのだが、肝心の主役の声優が大根に近いレベルでこれだけが痛恨の極み。
 よく言われることだが、声優と俳優は似て非なる仕事である。もちろん例外はあるだろうが、基本的には俳優は声優としては素人。それをいきなり重要な役に就かせるのはまったく意味不明だ。本作にしてもその俳優で集客が見込めるわけではないだろうに、よくあんなレベルでOK出したなぁ。


村上春樹『村上さんのところ』(新潮社)

 シルバーウィークは普段読めないものを読もうと思っているのだが、いまひとつ調子が上がらず、急遽、軽いもので調整すべく『村上さんのところ』を読んでみる。
 本書は村上春樹が期間限定で開設したサイト「村上さんのところ」を書籍化したもの。3ヶ月半にわたって読者から受けた質問37465通のうち3765問に村上春樹が答え、その中から473問をセレクトして収録した傑作選である。

 村上さんのところ

 質問の内容は千差万別。作家・村上春樹に創作の秘密を聞いたり、人生相談するあたりはまあ予想に難くないが、とにかく質問の量が多いので、あえて息抜きに入れたと思われるようなしょうもない質問もけっこう多い。
 そんな質問も含めて楽しめるのは、村上春樹がどんな質問に対しても誠実に丁寧に、そしてユーモラスに答えるからだろう。ときには「自分で考えることです」と少し厳しい言葉もあったりするが、それだけ真摯に答えている証しともいえる。返事の多くは自然体で書いているようで、実はかなり考えて答えているのだろう。
 そんな問答が繰り返され、そして積み重ねられることで、人生との向き合い方のひとつの形がそこに示され、本書の余韻は素敵な随筆を読んだそれに近い。

 個人的に興味深かったのは、やはり創作に関する記述。「時系列は表で確認する」「チャートで事実関係などを管理する」「結末は決めないで書き始める」「自分の中の異界(深層意識)にアクセスする」などなど、ときにはぼかして答える場合もあるけれど、こういう流れのなかで書かれていると、思わずハッとすることも少なくない。
 読者との交流本といった軽いイメージで読み始めてはみたものの、ちょっと横っ面を張られるぐらいのショックもあってこれは侮れない。うん、これもひとつの代表作と言っていいのではないか。


ハーバート・ブリーン『メリリーの痕跡』(論創海外ミステリ)

 ハーバート・ブリーンの『メリリーの痕跡』を読む。
 著者は主に1940年代後半から60年代にかけて活躍した、当時のアメリカでは珍しい本格探偵小説の書き手。かの乱歩をして、カーの作風を継承するものとして言わしめたブリーンだが、そのイメージ、実はちょっと違うんじゃないのというのが本書。

 まずはストーリー。雑誌記者のウィリアム・ディーコンは、恋人のトゥイッケンハム、友人のドーラン夫妻と共に豪華客船モンマルトル号に乗り込んだ。一見すると友人同士で楽しむ旅に見えたが、実はディーコンには秘密の使命があった。秘密裡に乗船した映画女優メリリー・ムーアを警護しなければいけないのだ。
 ディーコンは船内で無事、メリリーと落ち合ったが、そこで奇妙な話を告白される。なんと彼女には予知能力があり、緑色の顔の男が首を吊っている夢を見たというのだ。果たしてそれは予知夢なのか。半信半疑のディーコンだったが、彼女の周囲にいるものが次々に殺されて……。

 メリリーの痕跡

 ミステリの出来としてはまずまず。
 本作でいえば殺人事件という柱のほかに、メリリーの超能力は本物なのかというサブ的な謎や主人公の三角関係というロマンスも盛り込まれて、リーダビリティはなかなか。航海中の船上という閉ざされた空間による舞台設定も効果的だ。
 ただ主人公の使命があくまでメリリーの護衛であり、事件の真相を解き明かすことではないため、謎解きものとして見た場合やや散漫な感じも受けるのは残念。とはいえ語り口は柔らかく、ユーモアも多いので退屈はしないだろう。

 先に書いたように、ブリーンの作風については、これまではあくまで本格探偵小説として語られることが多かった。しかし実はそんなにガチガチしたものではなくて、都会的な語り口やユーモアを楽しむ緩めの本格風味ミステリーではないかというのが解説にあって思わず納得した。
 その例としてネルソン・デミルやデヴィッド・ハンドラーの名前が挙げられており二度納得である。ハンドラー、確かにいいところを突いている。
 とはいえ恥ずかしながら管理人はほかのブリーン作品といっても代表作『ワイルダー一家の失踪』ぐらいしか読んでいないので、あくまで二冊読んだだけでの印象である。最終的な判断はもう少し持ち越しで。


E・S・ガードナー『レスター・リースの新冒険』(ハヤカワ文庫)

  E・S・ガードナーの『レスター・リースの新冒険』を読む。先月に読んだ『レスター・リースの冒険』と同様、義賊レスター・リースの活躍する中編集。そちらの記憶が新しいうちに残りも、ということで。
 収録作は以下のとおり。

In Round Figures「六人の肥った女」
Bird in the Hand「手中の鳥」
The Hnad Is Quicker Than the Eye「手は目よりも速し」
A Tip from Scuttle「スカットルの内報」
The Exact Opposite「リース式探偵法」

 レスター・リースの新冒険

 全般的な感想は『レスター・リースの冒険』とほぼ変わらず。自ら盗みを起こすのではなく、新聞で見つけた盗難事件を解決しつつ、その犯人の盗品を掠め取るという趣向である。
 しかし、このシリーズで一番楽しめるのは、実はスカットルの存在だろう。リースの従僕にして実は警察から送り込まれたスパイ、スカットル。明文はされていないがリースがスカットルの正体に気づいていることは明らかで、リースはあえて自分の企みをスカットルに匂わせることで、警察の動きを誤誘導させる。
 そういうミステリ仕掛けもさることながら、スカットルとリースのやりとり、さらにはスカットルと彼の上司アクリー部長刑事とのやりとりが単純にバカバカしくて楽しいのである。リースからは馬鹿にされ、アクリー部長刑事からはアイディアや手柄も横取りにされ、言ってみれば中間管理職の悲哀を体現しているような役回りであり、この面白さばかりは読んでくれとしか言いようがない。

 例によって、若干ボリュームがありすぎてテンポが悪いのが玉に瑕だし、他愛ない話ではあるけれど、まあ、ガードナーの器用さを確認するには格好の一冊といえる。


トム・ロブ・スミス『チャイルド44(下)』(新潮文庫)

  トム・ロブ・スミスの『チャイルド44』の下巻読了。なるほど、これは傑作。さすがに当時の各種ミステリベストテンで選ばれただけのことはあり、非常に良質のエンターテインメントだった。

 スターリン体制下のソビエト連邦。捜査官レオ・デミドフは部下の策略に填められ、妻ライーサとともに僻地へ左遷されるが、そこでかつて自分が関わった殺人事件と再び交わることになる。地位や名誉、妻、家族……あらゆるものを失おうとしているレオだったが、人としての尊厳を取り戻すため、最後の捜査に挑む。

 チャイルド44(下)

 この作品が凄いなと思わせるのは、大きな三つの要素を違和感なくプロットに溶け込ませ、ストーリーとして展開していることである。
 その三つの要素だが、ひとつはもちろん子供を狙った連続殺人の捜査だ。しかも口の中に土を入れ、胃袋を取られるという猟奇的な犯罪である。主人公レオはこの共通点に気づいて、既に解決済み扱いされた事件をあらためて調べてゆく。
 純粋なミステリ的興味としては、実はそこまでの力があるわけではない。ただ、レオをとりまく状況があまりに過酷なため、その弱い部分を補って余りあるのである。上からの圧力などはほんの序の口、捜査権を剥奪されたうえ、最終的には国家に対する反逆者として追われながら捜査を進めていく。ハードボイルドを越えてもはや冒険小説の世界である。

 もうひとつの要素は体制による支配の恐ろしさを描くこと。本来は相反するべきではない国家と個人の利益。だが彼の国では様子が違う。その在り方を一歩間違えただけで、個の存在は理想の国家のためにいともたやすく葬られる。主人公のレオだけではなく、さまざまな地位・立場の者を通して、恐るべき国家の姿を描いてゆく。
 結果的にレオは反逆者として追われる羽目になるが、このレオと妻ライーサの逃避行が、事件の捜査以上に大きなストーリーラインとなっている。

 三つ目の要素は、そういった極限的な状況に置かれたなか、人はどう生きるべきなのか、どうあるべきなのかを問うている。物語の大きなテーマのひとつでもあるのだが、ライーサや両親との愛、そして人の尊厳。それらに対する問いかけは物語の中で何度も描かれる。
 レオも当初は体制側の人間である。理想の国家を信じ、家族を守るためと自分に言い聞かせながらも、他者に対しては権力を振るい続けた。
 だが、それが自分に跳ね返ってきたとき、ようやく自分の愚かさに気づく。そしてどん底の状態になったとき、初めて守るべきものが見えてくるのだ。
 舞台が舞台なだけに、ベタではあるがこの喪失と再生の物語は非常に強烈なインパクトを与えてくれる。

 正直、盛り込みすぎではないかという気もしないではない。とはいえ上に挙げた要素は実に密に融合しており、また、ダイレクトに結びつける鍵が終盤に明らかになるなど、著者は抜かりがない。
 後半はけっこう御都合主義的に走る場面もあるのが玉に瑕だが、結果的にはそれが静かな前半から後半怒濤の展開という流れを生み、これも結果オーライという感じだ。とにかくこれほど詰め込んだわりには派目立ったプロットの破綻もなく、綺麗にまとめ上げた手腕を評価したい。

 当然、次は続編の『グラーグ57』になるのだが、続けて読むのは少々胃にもたれそう。とはいえストーリーを覚えているうちに手をつけたいところだし、ううむ、悩みます。


市川崑『獄門島』

 市川崑監督の『獄門島』(1977年)をDVDで視聴。ミステリの国内オールタイムベストをやれば、まずベスト3は間違いない名作中の名作、それを市川崑&石坂浩二のゴールデンコンビで映画化した作品。

 終戦から1年後、瀬戸内海に浮かぶ獄門島へ向かう船の中に金田一耕助の姿があった。知人の雨宮が引き揚げ船で最後を看取った鬼頭千万太の死を伝えるためだった。表向きは体調を崩した雨宮の代理だったが、実は千万太の最後の一言、「俺が生きて帰らなければ、3人の妹たちが殺される……」という言葉に不安を感じた雨宮が、金田一に調査を依頼したのだ。
 島にある千光寺の了然和尚を訪ねた金田一は、島の網元である鬼頭家が、本鬼頭と分鬼頭に分かれて対立しており、その跡目をめぐって緊迫した状況にあることを知る。そしてその夜、早くも惨劇は起こった。本鬼頭家の異母妹の一人、花子が殺されたのだ。
 奇怪にもその死体は千光寺の庭にある梅の木から逆さまにぶら下げられていた。金田一はそのとき和尚が「きちがいじゃが仕方がない」とつぶやくのを耳にする……。

 獄門島

 まあ、原作がいいせいもあるけれど、やはりこのシリーズは出来がいい。トリックがどうだとか意外な真相がどうだとかミステリとして注目すべき点はもちろんあるのだが、映画ではそれ以上に、古い封建的な日本が抱える問題や、人間の悲しい業といった部分をクローズアップし、総合的な娯楽作品として成立させてくれるのが素晴らしい。
 それを再現してくれる俳優陣も豪華で、本作でも大原麗子、太地喜和子、司葉子、草笛光子、佐分利信、東野英治郎あたりが入魂の演技。
 ちなみに若手にも池田秀一、浅野ゆう子、荻野目慶子など、へえと思う人が出演している。

 ただ、残念ながら本作には大きな疵がある。ご存知のように犯人が原作と異なっているのである。まるっきり違うわけではなくアレンジレベルではあるが、やはりこの影響で真相がややぼやけてしまうのがもったいない。
 理由については先行していたテレビ版の影響が大きいとされているが、絵的に一作目、二作目と合わせたかったのではないかという気もする。どちらにしてもそこに原作変更の必然性はなく、残念なかぎりだ。 むしろ普通に撮ってくれていれば、犬神家や手毬唄に匹敵する出来になったはずなのだが。


トム・ロブ・スミス『チャイルド44(上)』(新潮文庫)

 『チャイルド44』を上巻まで読了。
 英国の作家トム・ロブ・スミスのデビュー作であり、CWAイアン・フレミング・スチール・ダガー賞受賞作。『このミステリーがすごい! 2009年度版』では海外部門第一位にも選出されたので、当然ながらミステリファンには何をいまさらの一冊なのだが、何となく読むタイミングを逸していたところ、今年はとうとう映画化もされたため、ようやく手にとった次第である。

 チャイルド44(上)

 舞台はなんとスターリン体制下のソ連。国家保安省に所属する捜査官のレオ・デミドフは、厳しい現実を認識しながらも、一方では祖国を信じ、忠実に職務を務めていた。
 そんなある日、部下の息子が殺害される事件が起こったが、当時は「ソビエト連邦には犯罪は存在しない」という建前があり、これに抵抗することは国家への叛逆と見做されてしまう。レオは部下の将来も考え、あえてそれを事故として処理する。
 時を同じくして、スパイ容疑をかけていた男が逃亡するという事件が起こる。レオは何とか捕獲に成功するが、その過程で部下である副官の恨みをかってしまう。
 レオの温情から出たことではあったが、それらいくつかのミスが重なったことで、レオ自身の立場もいつしか危うくなっていた。そして副官の策略に嵌り、遂に自身の妻がスパイの疑いをかけられてしまう……。

 さすがに読ませる。これがデビュー作とは思えない達者な描写力。上巻ではこの後、主人公レオが公私ともに最悪の危機を迎えつつも新たな殺人事件によって様相が徐々に変化を迎えていく。詳しい感想は下巻読了時に。


ハリー・スティーヴン・キーラー『ワシントン・スクエアの謎』(論創海外ミステリ)

 ハリー・スティーヴン・キーラーの『ワシントン・スクエアの謎』を読む。
 キーラーの長編作品が刊行されるのは本邦初である。当然ながら一般の知名度はほぼ皆無。ミステリファンでも論創社の本が出て初めて知ったという人も多いのではないかと思うが、実はこの作家、海外では「史上最低のミステリ作家」とか「ミステリ界のエド・ウッド」と呼ばれるぐらい、一部のマニアにはカルトな人気を誇る作家なのだ。
 活躍したのはなんとミステリ黄金期、当時は普通に人気があったようで著作は七十作以上に及ぶのだが、1940年代頃から人気が下火となり、50年代には表舞台から消えてしまった。
 日本では翻訳家の柳下毅一郎氏らが早くからこの作家の特異性について注目しており、ホームページで詳しく紹介していた>詳しくはこちら
 管理人もこういう情報で噂だけは知っていたので、果たしてどれぐらい最低でどのぐらい特異なのか、近年ここまでワクワクして読んだ海外ミステリはない。なんせ何年か前には論創社さん自らが無理とつぶやいていたぐらいなので(苦笑)。

 まずはストーリー。 シカゴのワシントン・スクエアで一人ベンチに腰かけている青年がいた。名前はハーリング。彼は仕事で大きな失敗をしたため、その手がかりを追ってサンフランシスコからやってきた。だが万策は尽き果て、所持金も残り僅か。
 そんな彼が目にしたのは、自由の女神像が12個しかないエラー硬貨を持ってくれば5ドル払うという奇妙な新聞広告だった。ハーリングは偶然その硬貨を持ち合わせていたが、あいにく広告主のところへいくほどの金がない。金目のものはないかと近くの廃屋に忍び込んだところ、そこで見つけたのは男の死体。しかもなぜかそこへいきなり警官が現れて……。

 ワシントン・スクエアの謎

 ううむ、確かに妙な作風である。ただ、本作に限っていえば基本的には巻き込まれ型のスリラーで、テンポも早く、正直予想していたほどひどい作品ではなかった。もちろん間違っても傑作とはいえないし、純粋にミステリとしてみればせいぜい並といったところである。
 だが読んでいるといろいろな意味で引っかかる点が多く、確かに他の作品を読んでみたいという気持ちにならないわけではない。
 とりあえずその引っかかったポイントをいくつか挙げてみよう。

 まずは複雑に入り組んだプロット。キーラーは自らの作風をwebwork novelと称しており、複数のプロットやエピソードが人や物を介してクモの巣のように繋がり、絡み合う物語を最優先していたらしい。本作でもメインの殺人事件だけなら恐ろしいほどシンプルな話なのに、硬貨の話やら何やらが絡んで、それがのっけから立て続けに発生するため、読者は先がまったく予想できない。

 続いては御都合主義の多さ。プロットが複雑な割には、そのつながりが偶然によっていることが極めて多い。そのときはあとで必然性が明らかになるのだろうと思っていると、本当に偶然だったりする。おかげでテンポは早くなり、何が連鎖するかわからないため、やはり読者は先が予想できない。

 三つ目は「読者への挑戦」。こんなものが入っているとクイーンばりの正統派本格探偵小説かとも思えるが、実際はまったくそんなことがなくて、むしろ「読者への挑戦」以降にも新事実が出てくる始末である。なぜそんなアンフェアな真似をするのか、あるいはアンフェアなのになぜ「読者への挑戦」などを入れているのか、そもそも「読者への挑戦」の意味がわかっているのか。

 最後に結末の意外性。良い意味ではない(笑)。
 これもプロットの問題とも関連するが、メインのストーリー展開は何だったのだというぐらい本筋と離れたところに真相がある。その犯人や動機も恐ろしいぐらい腰砕けで、「まさかそうくるとは」というサプライズはある意味、非常に得ることができる。

 挙げていくときりがないので一応まとめに入るが、深読みはできるけれども、やはり基本的にはミステリがヘタなんだと思う(笑)。ミステリとしての要素はそれなりに揃っているのだけれど、それの組み合わせやバランスの勘所が著しく悪い。そしてその原因は、本書の解説や柳下氏のホームページでも書いてあるがキーラーのミステリに対する解釈が一般のそれとズレていることにある。
 キーラー自身はミステリを普通に書いているつもりでも、そのズレがいい按配に収まって、結果的に奇妙な味(といっていいのかどうか)に昇華しているのである。いわゆる"天然”。まあ、これを狙ってやっているならキーラーは天才と言えるだろうが、おそらくそれはない(苦笑)。

 実際こういうタイプの作家はほとんどいないだろうが、むちゃくちゃ強引にいうと、リチャード・ホイトの作品とかジョエル・タウンズリー ロジャーズの『赤い右手』、シニアックの『ウサギ料理は殺しの味』あたりは、キーラーの持つ魅力にやや近いものを感じる。これらの作品がぴんと来た人は、ぜひキーラーを試すべきだろう。
 ちなみに管理人としてはこの一作だけでまだ評価をくだす気にはなれないので、論創社さんには頑張ってもらって、少なくとももう一、二作は読ませていただきたいものである。


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プロフィール

sugata

Author:sugata
ミステリならなんでも好物。特に翻訳ミステリと国内外問わずクラシック全般。
四半世紀勤めていた書籍・WEB等の制作会社を辞め、2021年よりフリーランスの編集者&ライターとしてぼちぼち活動中。

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