久々にサスペンスの女王、マーガレット・ミラーの作品を読んでみた。創元推理文庫から二年ほど前に出た『悪意の糸』である。
夏のある日の午後、女性医師のシャーロットのもとへ訪れたヴァイオレットと名乗る若い女性。彼女は夫ではない男の子供を身ごもってしまい、中絶を依頼する。
だが正当な事由がないのに処置をしてしまうのはもちろん違法。シャーロットはヴァイオレットの頼みを拒絶したが、混乱の激しいヴァイオレットは、シャーロットの話を最後まで聞くこともなく、途中で姿をくらませてしまう。その様子があまりに気にかかり、シャーロットはヴァイオレットの住まいを訪れてみたが……。

ミラーの傑作といわれる『殺す風』や『鉄の門』、『狙った獣』あたりは、ほぼ40年代から50年代にかけて発表されており、本作はほぼその時期のど真ん中に書かれた作品。つまりミラーがノリノリの時期に書かれた作品と言えるわけで、本作もなかなか悪くない作品に仕上がっている。
まあ、内容的にはそれほど大掛かりな作品でもないので、それらの傑作に比肩するところまではいかないけれど、質的に安定しているというか、ミラーの良さは楽しむことができる。
ではミラーの良さって何かという話だが、これは管理人があえて説明するまでもなく、もちろん心理サスペンスを盛り上げる巧さ。ストレートにびっくりさせる怖さではなく、不安を徐々に煽っていくテクニックである。
本作では序盤こそベタベタな展開だが、中盤を過ぎる頃になると、今までの主人公に忍びよる危険がどうやら表層的なものに過ぎないことがわかってくる。このさじ加減が見事。そもそも主人公も含めてあまり感情移入しやすい登場人物がおらず(苦笑)、全員の一挙一動がとにかく胡散臭い。そういった人間たちの絡みによって主人公の日常が綻びをみせ、不安がさらにつのっていくという按配。
もうひとつミラーの良さを挙げるとすれば、サスペンスに頼るだけではなく、ミステリとしてのケレンがしっかり意識されているところか。ただ、描写が巧いとかストーリーが盛り上がるとかではなく、サプライズの部分もしっかり忘れてはいないのがありがたい。
本作もその点で抜かりはないが、まあ今読むとそこまでの驚きはない。ただ犯人の真の姿が明らかになる過程の描写は実にスリリングで、やはりミラーならではだろう。
ともあれ全体には手堅い印象。個人的にはロマンス成分の強さがやや鼻についたけれど、まあ、それは好みの問題なのでよしとしよう。『殺す風』等の傑作群にはやや劣るが、決して読んで損はない作品である。