先日読んだ『田沢湖殺人事件』がなかなか良かったので、中町信をもういっちょ。ものは『奥只見温泉郷殺人事件』。
中町信の主な執筆時期は1960年代後半から2000年にかけてだが、代表作が主に前半、1970年代から80年代に集中しているというのは衆目の一致するところだろう。創元で復刊された一連の『〜の殺意』はもちろん(ただし『三幕の殺意』は遺作)、そのあとに続く『田沢湖殺人事件』、そして本作もまた中町信の技巧を堪能できる一冊である。

※以下、ネタバレには十分注意しておりますが、例によって中町作品は内容の性質上、紹介が難しい面が多々あるため、未読の方は覚悟をもってお読みください。
まずはストーリー。出版社に務める牛久保は妻と娘を連れ、久々に家族旅行に出かけることにした。向かったのは奥只見温泉郷にある大湯温泉。ところがそこで、かつて彼の弟と結婚していた多美子という女性に出会う。
実は牛久保の娘は弟と多美子の間にできた子供だったが、弟が死んだあと、牛久保が引き取ったという経緯があった。その事実を娘は知らず、多美子はそれを種にして、牛久保を強請ろうとする。
とりあえずその場を繕った牛久保だが、翌日、思いがけない出来事がおこる。宿のスキーバスが川に転落し、五人の客が亡くなったのだ。その中には多美子も含まれていたが、彼女の死因は事故死ではなく、事故直後に絞殺されていたことが判明する……。
物語はこのあと多美子殺しの容疑を受けた牛久保が、無実をはらそうと独自に調査するという展開となる。まあ、これだけでは普通の推理小説っぽいが、もちろん中町信ならではの仕掛けがガッツリと張り巡らされている。
それが中町信おなじみのプロローグと、それに絡む日記の存在である。
プロローグが例によって胡散臭い(苦笑)。"私"が仏壇の据えられた部屋に座り、ある人物を自殺に追いやった責任は自分にあると悔恨し、傍らにある日記帳に目を通す様が描かれる。そして、その日記と覚しき内容が各章の冒頭に抜粋して記され、さらにはそれをなぞるようにして物語が進んでゆくという結構だ。
日記の書き手は妻である。そこで語られるのは、夫が調査を始めたらしいこと、しかし、実は夫が犯人ではないかという疑惑の念。本編は牛久保の一人称で語られるため、この日記との微妙なズレがサスペンスを生み、読者を煙に巻いてゆく。
プロットも見事。たまたま居合わせたかに思われた宿の客たちが、実はさまざまな因縁をもった人々であり、人間関係や事件の背景はけっこう複雑である。この偶然と必然が交差するカオスを、一人称で追いかけることによって意外にわかりやすく読ませるのは高ポイント(相変わらず美文とはいえないけれど、こういう内容だとまあ許せる範囲か)。
そもそもメイントリックなしでも一応は成立するミステリなのだが、もちろんそれだけでは物足りないわけで、そこに著者お得意のトリックをかませることで一気に傑作に高めた印象である。
『田沢湖殺人事件』同様、カバーとタイトルで損をした感は否めないが、内容的にはオススメである。創元さんは、ぜひこちらも改題復刊の方向で。