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探偵小説三昧

日々,探偵小説を読みまくり、その感想を書き散らかすブログ


Posted in 05 2016

アーサー・ロウ『地上最強の美女 バイオニック・ジェミー 逃亡地帯を撃て』(ミカサ・ノベルズ)

 海外のテレビドラマというのはどこか独特の魅力がある。今でこそ衛星放送やらケーブルテレビ、インターネットやらで多くの番組が見られるようになったけれど、ほんの二、三十年前まではほぼ地上波に頼るしかなかったわけで、番組数も実に少なかった。それがまた職場や学校で共通の話題にもなり、だからこそものによっては社会現象にまでなったのだろう。
 管理人もご多分にもれず海外ドラマは嫌いではないのだが、最近はいかんせん連続ドラマを観るだけの時間がない。畢竟、好きなドラマはそれこそリアルタイムでテレビ放映を楽しんでいた昔のものになるのだが、個人的ベスト3を挙げるとすれば、刑事コロンボ、事件記者コルチャック、バイオニック・ジェミーあたりに落ち着くだろうか。あとはSHELOCK/シャーロックとかツインピークスとかも好み。

 で、上に挙げたような作品は本来、再放送やDVDで楽しむしかないのだが、その他の手段としてノヴェライゼーションという手もないではない。ただ、小説の映画化がほぼほぼ上手くいかないのと同様、映画やテレビの小説化というのもだいたいが厳しい(苦笑)。

 本日はそんな杞憂を抱えつつ、アーサー・ロウの『地上最強の美女 バイオニック・ジェミー 逃亡地帯を撃て』を読む。
 ちなみに日本で放映されていたのが1977年頃。今ではバイオニック・ジェミーを知らない人も多いだろうし、念のために少し設定を記しておくと。
 基本はSFスパイドラマであり、もちろん徹底したエンターテインメント路線である。
 主人公は元プロテニスプレイヤーのジェミー・ソマーズ。スカイダイビング中の事故により瀕死の重傷を負うが、婚約者オースティン大佐が科学情報局に頼み込み、自分と同じバイオニック移植手術を施させる。その結果、彼女は一命を取り戻すと同時に両足、右腕、右耳がサイボーグ化された。
 だが、移植の拒絶反応からジェミーは記憶を失い、自分を救ってくれた科学情報局のために諜報活動に従事することになる……。

 地上最強の美女バイオニック・ジェミー 逃亡地帯を撃て

 本書は元になったドラマが二話分あり、それをつなげて一冊にしている。本国の放映順で言うと第57話『Rancho Outcast(ジェミー!犯罪ホテル潜入)』と第43話『Rodeo(ジェミー!ロデオ大会で大奮闘)』を合わせて『逃亡地帯を撃て』としているのである。
 おそらくこれは本にする際、単純に尺が足りなかったための策だろう。

 さてドラマの魅力はいろいろあるが、やはり何と言ってもジェミー・ソマーズのキャラクターが一番だろう。
 パッと見は正統派の美人ながら、快活で茶目っ気もあり、いざというときには常人離れした腕力や脚力で悪人を蹴散らす。しかも潜入捜査が多いせいか、毎回コスプレ状態となり、今、この記事を書いていて、これはもしかしたら萌え系ヒロインの走りではないかと思ったほどである。
 本作でも場末のバーの踊り子やカウボーイなど、きっちりファンの心を掴む展開になっているのはさすがである。

 ただ、正直、ノヴェライズで読むほどの内容ではない。アクションシーンやそれらしい演出がなどがあるからテレビ版はまだ楽しめるけれども、SFスパイドラマとしては非常に他愛ない。
 脚本から起こしているのか、あるいはテレビから直接起こしているのかは不明だが、とにかく映像を追っているだけの描写なので、まあ、なんともアッサリしたものである。ジェミーがサイボーグ化された体について葛藤するシーンもあるにはあるが、これも恐ろしく浅い。まあ、こんなものだろうとは予想していたけれど。
 一応、バイオニック・ジェミーのノヴェライズは全部揃えているはずだが、ううむ、これを読破するのはけっこう辛いぞ(笑)。

ルーパート・ペニー『警官の騎士道』(論創海外ミステリ)

 論創海外ミステリからルーーパート・ペニーの『警官の騎士道』を読む。既訳の『甘い毒』、『警官の証言』で、本格ミステリとしてのディープ度合いは重々理解していたが、本作はそれらの作品をさらに上回るガチガチの本格ミステリであった。

 こんな話。ナイフ収集家の元判事サー・レイモンド・エヴェレットが自宅で刺殺された。凶器は被害者のコレクション。容疑者と目されたのは、過去、エヴェレットに有罪宣告されたアルバート・カルーである。彼はのちに冤罪であることが判明し、エヴェレットに脅迫状を出し続けていたのだ。
 しかし、捜査が始まるとすぐに新たな容疑者として、被害者の姪、イーヴリンが浮上する。ビール警部はイーヴリンが犯人とは思えず、粘り強く捜査を進めていくが……。

 警官の騎士道

 あっぱれ。探偵小説としての面白さ以前に、ここまで本格探偵小説としてのスタイルを固持する、その姿勢にまず敬意を表したい。
 以前、『警官の証言』を読んだときにも感じたことだが、論理やフェアプレイへのこだわりが尋常ではない。見取り図やダイムテーブル、供述書などの小道具はもちろんだが、ストーリーの大半が尋問や推理、議論で占められるミステリが果たしてどれだけあるだろう。
 少々やり過ぎの嫌いはあるが、クラシックミステリのエキスだけを抽出したような作品はなかなか得がたいものであり、それだけでも読む価値があると言えるだろう。

 ただ、これまた『警官の証言』の感想でも書いたことだが、それが小説としての面白さに直結するわけではないことが残念だ。上質な本格ミステリという表現に嘘はないが、あまりに地味な展開に、退屈することもしばしば。被害者エヴェレットの遺言が発表されるあたりから多少は盛り上がってくるが、それまでがしんどい。
 生真面目な本格であり、好感は持てるのだが、それだけでは読者の気持ちは掴めないんだよなぁ。ううむ、複雑。

 なお、作者的には犯人の動機について引っ掛かりがあったようで、作中でも言いわけがましく説明しているが、これは現代の感覚からすると全然許容範囲。当時でもそれほど気にするレベルではないと思いのだが、こういうところにも作者の生真面目さが表れているようで興味深い。


ドロシイ・B・ヒューズ『孤独な場所で』(ハヤカワミステリ)

 ちょっと懐かしいところでポケミス名画座からドロシイ・B・ヒューズ『孤独な場所で』を読む。ハンフリー・ボガートが気に入って、自らのプロダクションで製作・主演した映画の原作として有名な作品である。
 ただ、著者ドロシイ・B・ヒューズについては、我が国ではそれほど知られた存在ではない。かつては『別冊宝石』で長編が訳載されたり、ハヤカワミステリで『デリケイト・エイプ』なんてものも出ていたが、いま読めるのは本書と論創海外ミステリの『青い玉の秘密』ぐらいである。実は本国ではアメリカ探偵作家クラブ(MWA)賞の評論賞や巨匠賞まで受賞したほどの作家なのだが、まあよくある話とはいえ残念なことだ。

 まずはストーリー。東海岸からロサンジェルスにやってきた戦争帰りのディックス・スティール。自称作家の彼は、昼間は怠惰な生活を送り、夜になればふらりと街へ出かけてゆく。彼の目にとまるのは若い女。かつて彼が愛した女性の面影をたたえた女だった。
  そんなディックスがあるとき戦友のブラブと出会う。今ではロス市警の刑事となったブラブは、世間を騒がす美女連続殺人事件を捜査していた。犯人の足取りは掴めず、事件に共通するのは絞殺されたという事実のみ。ブラブの話に思わず引きこまれたディックスだが、それには密かな理由があった……。

 孤独な場所で

 映画は傑作の誉れ高いものの(恥ずかしながら未見です)、それは原作の設定やストーリーをかなり改変した結果ということでやや心配したのだが、いやいや、原作もなかなか読ませる。

 本作はシリアルキラーを主人公にし、犯罪者の側から連続殺人を描いた物語。ただ、いわゆる倒叙ものではなく、ノワール、サスペンス、犯罪小説といったテイストだ。
 ポイントはなんといってもディックスが殺人鬼であることを明言しないそのスタイルだろう。殺害シーンなどの描写も一切ない。犯罪を犯したことはあくまで匂わせる程度であり、また、彼の暮らしぶりや友人たちとの会話などから、少しずつ彼の病んでいる部分が浮かび上がり、静かにカタストロフィへ雪崩れ込んでゆくという寸法。最近のド派手なシリアルキラーものとは極北にあるような作品で、ゆっくりとした、だが確かな物語に酔うことができる。
 とりわけ秀逸なのは会話の部分。特に警察関係者との会話では、怪しまれないよう細心の注意を払って情報を手に入れるべくカマをかけたり、相手が自分を試しているのではないかと疑心暗着に陥ったり、ディックスの不安に苛まれる気持ちが実に巧く表現されている。

 惜しいのは終盤のバタバタ感か。まずディックスが容疑をかけられるきっかけが雑というか、ざくっと片付けすぎる嫌いがある。いわゆる推理の部分がほとんどないのはかまわないけれど、物語の整合性まで不足するのはいただけない。
 また、ディックスの闇の底の部分が完全に明らかにならないもどかしさがあるのも残念。早い話が、連続犯罪に走った動機がもうひとつ見えてこない。
 もちろん説明はある。むしろ物語のラスト一行でその答えを劇的に見せる演出を企てているほどなのだが、この答えは表面的に過ぎるだろう。そこは読者が汲み取るべきなのかもしれないが、ラストまでの積み重ねが良いだけに、著者には最後までトーンを維持してほしかったところだ。

 これらの弱点を考えると傑作とまではいかないのだが、それでもシリアルキラーの心情を見事に描いた佳作として評価したい。


宮崎惇『21世紀失楽園』(戎光祥出版)

 ミステリ珍本全集から宮崎惇の『21世紀失楽園』を読む。
 宮崎惇は日本SF黎明期に登場した作家である。かの伝説的SF同人誌『宇宙塵』にも初期から参加しており、商業デビューを果たしたあとは少年ものや時代物でも活躍したが、1981年に四十八歳という若さで亡くなった。
 ミステリ珍本全集とはいいながら、実際はエンターテインメントの珍品なら何でもありのこの叢書。今回は完全にSF畑ということで、それほどSFに強くない管理人などは正直ありがたみがあまり実感できていないのだが、まあ、それはおいといて(苦笑)、まずは収録作。

PART1 『21世紀失楽園』
「γ博士のロボット」
「愛」
「かわいそうな火星人」
「火星人になった男」
「3と2」
「理科の実験」
「お出迎え」
「バイオリンはお好き」
「声」
「動物園」
「顔」
「忍者」
「21世紀失楽園」
「どれい」

PART2 『金毛九尾秘譚』
「幻の八百八町」
「金毛九尾秘譚」
「役行者」
「忍者猿異聞」

PART3 単行本未収録作品集
「チンクルチンクル」
「珪素生物」
「もしもしどなた」
「お化けの行列」
「人を食う家」
「緑の霧」
「望郷」
「合成人間(アンドロイド)東京に死す」
「地球が喪服を着るとき」
「砂地獄悪魔教」
「幻花吸血境」

 21世紀失楽園

 本書はごらんのとおり三部構成。著書もそれなりにあり、ソノラマ文庫の『ミスターサルトビ』などは比較的知られているはずなので、レア度はそれほどでもないのかと思っていたが、やはりそれなりに濃い。
 なんせPART1の『21世紀失楽園』、PART2 『金毛九尾秘譚』は著者が初期に作った私家版をそのまま収録、PART3は章題どおりこれまで単行本に収録されていなかった作品を集めている。

 日本SF黎明期に書かれたことが影響しているのだろうか、内容的には想像以上にきちんとしたSFである。短いものが多く、多少はトリッキーだが、結末はある程度予測できてしまう。しかし、その結末から立ち上る余韻にこそ著者の持ち味があるように思う。
 その余韻はたいていの場合、憂いや悲しみを伴っており、ときにそれが美しさにまで昇華する。特にPART1 『21世紀失楽園』に収録された作品はその辺りが心地よく、素直に味わえる。

 一方、 PART2 『金毛九尾秘譚』は時代ものとSFの融合であり、当時のアイディアとしても抜群だろうし、何より物語が軽快で楽しい。考えたら、これらの作品は後に流行したSF伝記小説のはしりと捉えることもでき、個人的にはこのPART2が最も気に入った。

 PART3の単行本未収録作品集では、小品ながらミステリ的味わいのある「珪素生物」やホラー系「人を食う家」が好み。この手の作品があるなら、もっと読んでみたいものだが。


陳舜臣『三色の家』(昭和ミステリ秘宝)

 陳舜臣の『三色の家』を読む。
 扶桑社から出た 「昭和ミステリ秘宝」版で読んだのだが、本書は表題作に加えて長編『弓の部屋』、短編「心で見た」というラインナップ。『弓の部屋』は以前に感想をアップしているので(こちらをどうぞ)今回は割愛。本日は『三色の家』と「心で見た」にフォーカスしよう。

 三色の家

 まずは『三色の家』から。
 昭和八年のこと。日本での留学生活を終え、帰国の準備を進めていた陶展文のもとへ、友人の喬世修から手紙が届いた。そこには喬世修の父に関する黒い噂、父から自分には腹違いの兄がいると聞かされたこと、そしてその兄が来日したことが記されていた。喬世修は特に兄について懸念しており、その人柄を陶展文に観察してほしいので、帰国前に一度、神戸まで来てくれないかというのだ。
 それから一週間後、再び喬世修から手紙が届いた。父が急死したため、すぐに神戸へ来てほしいという。陶展文は急いで喬世修の住む”三色の家”へ向かうが、彼を待っていたのは殺人事件であった……。

 本作は陳舜臣が生んだ名探偵・陶展文の若かりし日の活躍を描いた作品である。とはいえ異色作という感じはあまり受けず、デビュー作『枯草の根』だけでなくノンシリーズ『弓の部屋』とも共通し、相変わらず手堅いミステリという印象である。
 何といっても人物描写が優れている。神戸で水産加工に携わる人々の暮らしや日本人と華僑の関係など、実にリアリティをもって迫ってくる。特別、名調子とか美文ではないのだけれど、控えめに、かつ細やかに綴っていく著者のバランス感覚が素晴らしい。

 本格ミステリとしては不可能犯罪を扱い、そのトリックは機械的なものではあるが、これも変に突飛なものを使わないので、けっこう自然に受け止めることができて好印象。ただし、そこまで驚くようなものではなく、ガチガチの本格を期待する向きには物足りないかもしれない。
 それよりも気になったのはストーリーの構成か。プロットはしっかりしているが、それがいざストーリーに落としこまれると起伏に乏しく、なんとなく登場人物たちのやりとりだけで進行している感じになってしまうのだ。これは『枯草の根』を読んだときにも感じたことで、終盤の謎解きで盛り返しはするが、爆発するところまでいかないのが惜しい。
 喬世修の兄についてはとりわけ興味深い存在なので、彼をもっと掻き回し役として活用したほうがよかったかも。

 なお、本作はデビュー作『枯草の根』に続いて書かれた作品なのに、いきなりシリーズ探偵の若き日の活躍ってどういうことかと思っていたのだが、読んで納得。
 本作はおそらくテーマありきで書かれた作品であり、その物語の設定上、年配の陶展文は必要がなかったのだろう。そこで若い探偵役に、青年時代の陶展文を当てはめたのではないか。まあ、単なる想像ですが。


 「心で見た」は単行本初収録、しかも著者唯一のジュヴナイルというボーナストラックである。
 学習雑誌『高二コース』(管理人も読んでました)に掲載されたもので、ずらっと関係者の供述書を並べてそこから推理するという趣向が楽しい一作。


パトリック・クェンティン『犬はまだ吠えている』(原書房)

 パトリック・クェンティンの『犬はまだ吠えている』を読む。おなじみピーター・ダルースものではなくて、ジョナサン・スタッグ名義で発表されたヒュー・ウェストレイク医師を主人公にしたシリーズ一作目である。
 まずはストーリー。
 マサチューセッツ州はケンモア・ヴァレーという田舎町で、娘ドーンとともに暮らす医師ヒュー・ウェストレイク。ある晩のこと、いつになく猟犬たちの吠え声に不安を感じていると、裕福だが口やかましいルエラという患者から呼び出しがあり、ヒューはしぶしぶ往診に出かけていく。その夜は狩犬が騒がしいこともあり、ルエラは神経質になっていたようだ。しかし、帰り際に彼女が口にした不吉な言葉がヒューには気がかりだった。
 翌日、前日のルエラの言葉が的中した。町の狩猟クラブでキツネ狩りが行われ、キツネの巣穴から腕も頭もない女性の胴体が発見されたのだ。ヒューはコブ警部の要請で保安官代理に任命され、ともに捜査にあたるが、事件はこれだけでは終わらなかった……。

 犬はまだ吠えている

 全体的にはきちんとまとまった本格ミステリである。
 あっと驚くような傑作を期待してはいけないが、本作ならではのアイディアもあり、クェンティンのファンならおそらく失望するようなことはないだろう。
 惜しいのはメインとなる大きな仕掛け。首なし死体という時点で、今どきの読者にネタを読まれるのは致し方ないところだ。とはいえそれに続く馬の殺害事件はよくできているし(特に動機)、伏線やミスディレクションもここかしこに仕掛けられており、本格としては水準作といってよい。

 物語そのものも面白い。推理することを主眼に置いた本格ミステリ(特に黄金期)では、往々にして物語が膠着するケースも多いのだが、本作ではけっこう人の出し入れが印象的で、しかも細かな事件を連続して畳み掛けてくる。ストーリーにも起伏ができて、読者を退屈させることなく興味をうまく引っ張っていってくれる。
 事件の背景にあるのが田舎町ならではの複雑な人間関係であり、そういうのが苦手な人はどうしようもないが、ストーリーや謎解きへの活かし方もこなれたものだ。

 本格ミステリには珍しく、探偵役(ヒュー医師)の一人称というスタイルをとっているところも注目。
 本格におけるフェア精神という点ではマイナスになりかねないが、容疑者や関係者への洞察の描写、サスペンスの盛り上げという観点では非常に効果的であり、本作においては十分に成功しているように思う。

 ということでこうして書いていくと褒めどころ満載なのだが、最初に少し書いたようにメインの謎が読まれやすいのがウィークポイント。ただ、それを含めても悪くない作品であり、残りの作品の紹介にも期待したいところだ。

 ちなみにピーター・ダルースものとほぼ並行して書かれていたヒュー・ウェストレイク医師ものだが、本作を読んだ限りでは陽のピーターもの、陰のヒュー医師ものという感じである。これはキャラクターの性格ではなく、物語の雰囲気の話。
 それこそピーターが狂言回し的に活躍するあちらのシリーズは、あえて作り物めいた雰囲気にしているのに対し、本作はあくまでサスペンス要素も強いシリアス路線。著者が自分の中でのバランスを考えていたのか、ビジネス的なところなのかはわからないが、この差は興味深い。
 そもそもパトリック・クェンティンという作家の活動が、コンビだったり単独だったり、ときにはパートナーも変わったりと、複雑な創作体制である。このあたりの影響がどの程度あったのだろうかも気になるところである。


鷲尾三郎『過去からの狙撃者』(カッパ・ノベルス)

 クラシックミステリの復刻ブームがすっかり定着して、今では相当レアな作家でも代表作ぐらいは読めるようになった昨今だが、今でも相変わらず入手難な作家がいる。鷲尾三郎もその一人。
 かつて2002年に河出文庫から『鷲尾三郎名作選 文殊の罠』が出て、そこそこ再評価の動きがあったと思うのだが、結局、それ以降の復刻は皆無。かろうじて2015年に盛林堂ミステリアス文庫で『妖魔の横笛』が出たが、あれはジュヴナイルだし、そもそも私家版だからなぁ。やはり単純に内容と売れ行きの問題なんだろうか。

 本日の読了本はそんな鷲尾三郎から『過去からの狙撃者』。1980年代に著者が長い沈黙を破って発表した最後の長編である。

 まずはストーリー。
 文化の日の夜、神戸の高層ビルで一発の銃弾が鳴り響いた。巡回中の警備員が二十三階の碇山興産に駆けつけたとき、そこには碇山社長の射殺された姿が。そして現場はなんと密室であった。
 さっそく県警捜査一課の各務警部をリーダーに捜査が始まったが、さらに関係者のあいつぐ不審死が発見され、捜査は難航する……。

 過去からの狙撃者

 鷲尾三郎の長編を読むのはこれが初めてなので、いまひとつ自分のなかでも落とし込めていない気はするのだが、いやあ、これは微妙だわ。決してつまらないわけではなく、そうかといって諸手を上げて賞賛するほどでもない。

 全体的な構成はオーソドックスな警察小説である。著者自身もマクベインに心酔していたとあとがきで述べているとおりで、これは割とよくできている部分。部下との連携や個々のキャラクターを出しつつ、地道な捜査が少しずつ功を奏していく様は意外にこなれている。
 ただ、主人公格の各務警部のプライベートの描写が弱い。夫婦仲の揺らぎを交えての描写は狙いとしては悪くないが、とってつけたようなレベルでサイドストーリーとしては物足りない。

 ミステリ的なポイントとしては二つの密室殺人だろう。ひとつは高層ビルの一室で起こった密室殺人、もうひとつはアパートで起こった毒ガスによる密室殺人である。
 しかしながら前者は簡単すぎてすぐに読めるし、後者はよくできてはいるがあくまでパズル的な物理トリックなので、ああそうですかとしか言いようがない感じ。二つの密室を盛り込んだはいいが、そこまでハッとするものではなく物足りなさは残る。

 さて、本作にはもうひとつ大きなポイントがあって、それは戦争犯罪というテーマである。長らく執筆を中断していた著者が再び筆をとった動機、それが本作のテーマになっているわけだが、これがなかなか重い。
 ミステリとしてこれを消化する場合、社会派的なアプローチだったり純粋な警察小説という形であればともかく、密室殺人のようなゲーム性の強い要素などを絡ませてはなんとも収まりが悪い。本来はトリックメーカーたる鷲尾三郎としては、本格の部分も疎かにしたくなかったんだろう。しかし、それがかえって裏目に出た感じである。
 戦争犯罪と人間について考えたかったのか、警察小説であらたなスタイルを築こうとしたのか、あらためて本格ミステリで再出発を図ろうとしたのか、著者の思惑が入り混じった結果、本作のバランスが大きく崩れてしまったのかもしれない。


ジャック・リッチー『ジャック・リッチーのびっくりパレード』(ハヤカワミステリ)

 ジャック・リッチーの我が国では五冊目となる短編集『ジャック・リッチーのびっくりパレード』を読む。
 本書は昨年末に亡くなった小鷹信光氏が翻訳・編纂にあたったもので、リッチーのデビュー作「故意の季節」から最後の雑誌発表作「リヒテンシュタインのゴルフ神童」、そして遺作「洞窟のインディアン」に至るまで、発表年代にそって構成されている。しかも全作本邦初訳。まさに小鷹氏のこだわりが感じられる編集ぶりだ。

 もちろん小説の中身もその編集に十分応える出来である。ジャック・リッチーの持ち味というとやはりオチの鮮やかさにあるのだが、全編を包むとぼけた味わい、ノスタルジックな雰囲気もまた絶妙。その両者が有機的にあわさった結果がリッチー節とでもいうようなものに昇華されている。
 本書ではSF系やシリアスなものも収録されていて、それがまたいいアクセントになっており、疲れた頭を癒してくれるには最適の作品集といえるだろう。
 収録作は以下のとおり。

Part I 1950年代
Always the Season「恋の季節」
Handy Man「パパにまかせろ」
Community Affair「村の独身献身隊」
Hospitality Most Serene「ようこそ我が家へ」
No Shroud「夜の庭仕事」

Part II 1960年代
Preservation「正当防衛」
They Won’t Touch Me「無罪放免」
Goodbye, Sweet Money「おいしいカネにお別れを」
Six-Second Hero「戦場のピアニスト」
The Push Button「地球壊滅押しボタン」
Pardon My Death Ray「殺人光線だぞ」

Part III 1970年代
Home-Town Boy「保安官は昼寝どき」
The Value of Privacy「独房天国」
The Killer from the Earth「地球からの殺人者」
Four on an Alibi「四人で一つ」
But Don’t Tell Your Mother「お母さんには内緒」
Bedlam at the Budgie「容疑者が多すぎる」
Finger Exercise「指の訓練」
The Canvas Caper「名画明暗 カーデュラ探偵社調査ファイル」
The Return of Bridget「帰ってきたブリジット」
Stakeout「夜の監視」

Part IV 1980年代
More Than Meets the Eye「見た目に騙されるな」
That Last Journey「最後の旅」
The Liechtenstein Imagination「リヒテンシュタインのゴルフ神童」
The Indian「洞窟のインディアン」

 ジャック・リッチーのびっくりパレード

 基本的にアベレージは高いけれども、やはり初期のものは比較的他愛ないものが多く、後期になるにしたがって凝った設定が多く、描写も上手くなってくる印象である。
 各年代からお好みを挙げてみると、1950年代からは「村の独身献身隊」と「ようこそ我が家へ」。前者はほとんどアメリカンジョークのような話だけれど、こういうの好きだわ(苦笑)。

 1960年代は傑作目白押し。「無罪放免」「おいしいカネにお別れを」はしゃれた犯罪小説、「殺人光線だぞ」はおバカなオチが効いたSFである。
 しかし、それらをさらに凌ぐのが「戦場のピアニスト」。この短い枚数の中に戦争や人生の苦さが詰め込まれており、本書中でもベストのひとつ。

 1970年代からはまず「保安官は昼寝どき」か。著者のテクニックが冴える逸品でこちらも本書中のベスト。
 どういうオチが待っているのか予測困難な「独房天国」、珍しく正統的なミステリ「容疑者が多すぎる」もいい。「帰ってきたブリジット」は傑作というわけではないのだけれど、この妙なユーモアはぜひ試してもらいたい。

 1980年代は著者自身の年齢もあってか、老いをテーマにした作品にいいものが多い。「最後の旅」などは他愛ないけれど、意外なところにオチをもってきて面白い。
 遺作となった「洞窟のインディアン」(息子のスティーヴ・リッチーが補完)などは、これが遺作となった事実にまず驚いてしまう。最後まで人を驚かせることに長けた作家だったのだなと、あらためて感じ入った次第である。


森鴎外『文豪怪談傑作選 森鴎外集 鼠坂』(ちくま文庫)

 ゴールデンウィークは最初の連休を使って石川県まで帰省。初めて北陸新幹線に乗ってみたけれど、いやあ金沢がほんと近くなったと実感。トンネルが多いのは玉に疵だが、北陸新幹線とのと里山海道のおかげで自宅までの移動時間はほとんど半分に減った気がする。
 さすがに帰省なのであまりミステリ的な話題もないのだが、金沢の謎屋珈琲店だけは行きたかったなぁ。今回は時間がとれなかったので次回はぜひとも。

 帰省中の新幹線の中で読み終えたのが、ちくま文庫の『文豪怪談傑作選 森鴎外集 鼠坂』。
 これまでも文豪怪談傑作選はいくつか読んできているが、ついに森鴎外である。文豪の中の文豪というか、夏目漱石と並ぶ日本近代文学の祖。一般的な人気という点では漱石に一歩譲るのだろうが、玄人筋からは圧倒的に鴎外推しが多いらしい。
 そんな森鴎外の怪奇小説を集めたのが本書。もともと鴎外が欧米怪奇小説の紹介や翻訳をしてきたことは知られているが、本書ではその業績を俯瞰すべくオリジナルと翻訳を交互に収録するという構成である。具体的には以下のとおり。

「常談」 ファルケ
「正体」 フォルメラー
「佐橋甚五郎」
「二髑髏」 ミョリスヒョッフェル
「魔睡」
「負けたる人」 ショルツ
「金毘羅」
「刺絡」 シュトローブル
「鼠坂」
「破落戸(ごろつき)の昇天」 モルナール
「蛇」
「忘れて来たシルクハット」 ダンセイニ
「影/影と形」
「心中」
「己の葬(おれのとぶらい)」 エーヴェルス
「不思議な鏡」
「分身」 ハイネ
「百物語」
「我百首」より二十五首

 文豪怪談傑作選森鴎外集鼠坂

 文豪怪談傑作選などを読んでいつも思うことだが、いわゆる文豪と呼ばれるような作家ともなると、みな語る技術が半端ではない。本書に収録されている作品なども現代の基準からするとそれほど怖くもないネタなのだが、これを森鴎外ならではの文体でもって、読む者の心にじわじわと染み込ませてくる。あまり内容にこだわらなくとも、結果的に鴎外流のふしぎ物語を読んだという満足感を得ることができて、何よりそこが凄い。
 何を語るかという精神の部分だけでなく、いかに語るかという技術の部分。その両方を満たしてくれなければ、やはり文学としては物足りない。鴎外の文体などは漱石のそれに比べるとだいぶ読みにくいのだけれど、それは表面的なスタイル以上に大きな意味をもち、両者の決定的な違いでもあるだろう。

 個人的な好みは、得体の知れない何かががじわっと感じられる「正体」 、鴎外の抑圧された心理が垣間見える「魔睡」や「鼠坂」、ノンフィクションとしても読めるらしい「金毘羅」あたりが管理人としては好み。上でも書いたが、怪談というほど怖い物語ではないので、鴎外の幻想作品集として味わう方がよいだろう。
 今の若い人がどれだけ森鴎外を読んでいるのかしらないが、こういう方が入門編としては悪くないかもしれない。


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プロフィール

sugata

Author:sugata
ミステリならなんでも好物。特に翻訳ミステリと国内外問わずクラシック全般。
四半世紀勤めていた書籍・WEB等の制作会社を辞め、2021年よりフリーランスの編集者&ライターとしてぼちぼち活動中。

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