fc2ブログ
探偵小説三昧

日々,探偵小説を読みまくり、その感想を書き散らかすブログ


Posted in 10 2016

校條剛『作家という病』(講談社現代新書)

 ネットで見かけて面白そうな新書があったので読んでみる。ものは『作家という病』。
 著者は「小説新潮」の元編集長・校條剛(めんじょうつよし)。九年間の編集長時代を含め、トータルで二十九年間を文芸誌の編集者として務めあげた彼が、仕事を通じて知りあった作家との思い出を綴ったノンフィクションである。

 作家という病

 取り上げられている作家は以下のとおり。

第一章 流浪の民
水上勉/田中小実昌/ 渡辺淳一
第二章 硬骨の士
城山三郎/結城昌治/藤沢周平
第三章 二足の草鞋
伴野朗/山口洋子/久世光彦
第四章 遅筆の理由
井上ひさし/都筑道夫/綱淵謙錠
第五章 仕事をせんとや、遊びをせんとや
遠藤周作/北原亞以子/吉村昭
第六章 早すぎた旅立ち
山際淳司/楢山芙二夫/多島斗志之
第七章 全身流行作家
黒岩重吾/西村寿行/山村美紗

 現役作家はさすがに差し障りがあるのか、すべて物故作家ばかりなのだが、「小説新潮」絡みとあってメジャー級がズラリと並ぶ。
 とりわけエンターテインメント系が多いのは意図的なもので、こちら方面の作家の事績を残しておきたいという気持ちからだそうだ。確かに人気はあれども文学的に論評されることが少ないエンタメ系作家の記録は貴重である。そういう意味でも本書の価値は思った以上に高い。

 さて肝心の中身だが、何と言ってもベテラン文芸編集者の著作である。単なる思い出話に済まさず、作家の特異なエピソードを切り出し、そこから作家の業ともいうべきものを炙り出していく手際は見事だ。
 作家は作家であり続けるために、内的エネルギーをどんどん肥大させると著者はいう。ときにその過剰な部分が特異な習慣や傾向となって外に現れる。そんな過剰さがいってみれば”作家という病”であり、作家を作家たらしめる業なのだ。
 不謹慎な言い方だが、その過剰さがとてつもなく面白い。本当にまずいことはさすがに書いていないだろうが、それでも相当に楽しめる。管理人的にはもちろんミステリ系の作家が気になって買った部分はあるのだが、正直、読み始めるとジャンルに関係なくどの作家の内容も興味深い。
 多島斗志之の項だけは、さすがにまだ失踪事件の記憶が新しく、しかも事件が解決していないこともあって痛々しいものがあるが、その他は比較的、作家の変人奇人ぶりを堪能できるだろう。


エリザベス・デイリー『閉ざされた庭で』(論創海外ミステリ)

 エリザベス・デイリーの『閉ざされた庭で』を読む。アガサ・クリスティが愛読していた作家というキャッチのとおり、その作風はアメリカ出身ながら英国本格探偵小説風味である。全体的に上品でまったり、それでいて底意地の悪さもちらほら窺えるというタイプ。
 ただ我が国での人気はクリスティ・レベルとはいかず、これまではポケミスで『予期せぬ夜』、『二巻の殺人』の二冊、今はなき長崎出版のGemコレクションで『殺人への扉』(これだけ積ん読)が紹介されているのみ。
 やはり全体的に地味すぎるのか、あと、言葉は悪いが、下手にクリスティの名前なんか出すものだから、どうしても劣化版クリスティみたいなイメージがついてきている気もする。
 さて、本作ではこうした評価をひっくり返せるかどうか。
 
 従姉のアビィに誘われて、アビィの隣人ジョニー・レッドフィールド家のパーティに訪れた古書研究家のガーメッジ。だが、パーティの参加者の間には、いまひとつ妙な空気が漂っていた。
 それもそのはず、ジョニーの叔母である資産家のマルコム夫人が、夫を亡くしてから少々おかしな言動をするようになっていたのだ。おまけに、そのマルコム夫人と疎遠になっていた継子の双子の相続問題が勃発するなど、水面下では何やらきな臭い動きも。そんな雰囲気の中、ついに邸宅のバラ園で殺人事件が起こる……。

 閉ざされた庭で

 ううむ、微妙である。
 人間関係が把握できないまま、早々にパーティー場面となるため、なかなか物語に入っていけないのが辛い。決して登場人物が多いわけではないのだが、主要人物のキャラクターをのみ込めないうちに意味ありげな(と思われる)会話が交わされるため、何となく消化不良のまま読まされる感じなのである。
 だが、ここを過ぎるとV時回復。徐々に個々のキャラクター性が発揮され、どうやらほとんどの関係者が信用できない者ばかりだということが理解できると、彼らのやりとりについては俄然おもしろくなってくる。
 クリスティが愛読していた理由も、ミステリとしての質より、こういう登場人物同士の駆け引きや心理のあやを描いているところにあったのではないか。

 とはいえ先に書いたように、ストーリーは地味だし、トリックについても特筆するようなものでもないため、これでスマッシュヒットにつながるかというと、やはり難しいと言わざるをえないだろう。
 個人的にはこういうタイプは嫌いではないのだが、もうひとつ著者ならではの武器がほしい。少し前に読んだミルワード・ケネディも似たようなタイプといえるが、あちらはもう少しクセが強くて、その分リードされている感じ。
 トータルではちょっと甘くしても六十点といったところか。

 とりあえずは読み残している『殺人への扉』も消化しておかないとだが、さて、いつになるやら。

 なお蛇足だが、シリーズ探偵の名前がポケミス版のヘンリー・ガーマジからヘンリー・ガーメッジに変更されたのはなかなかきつかった。
 日本語的にはガーメッジのほうが響きはいいし、母国語の発音に近いほうがいいのはわかる。しかし日本語の場合、同じ語でもイントネーションでだいぶ感じは変わるので、よほどの違いではないかぎり、そのまま踏襲してもいいのではないだろうか。いったん刷り込まれた固有名詞が変わるのはできれば避けてほしいところである。


高城高『夜より黒きもの』(東京創元社)

高城高の『夜より黒きもの』を読む。
 バブルに沸きかえる1980年代後半の札幌ススキノ。その夜の世界を描いた連作短編集『夜明け遠き街よ』の続編である。すでに三作目『眠りなき夜明け』も今年の六月頃に刊行されており、ススキノ三部作として完結しているようだ。

 収録作は以下のとおり。独立した作品としても読めるが、エピソードや登場人物が相互にかかっているので、やはり通して読むほうがおすすめである。

「猫通りの鼠花火」
「針とポンプ」
「6Cのえにし」
「悲哀の黒服」
「企業舎弟の女」

 夜より黒きもの

 主人公はキャバレー〈ニュータイガー〉の黒服・黒頭悠介。夜の街に生きるさまざまな男女のトラブルに巻き込まれる黒頭の活躍を通し、バブル当時のススキノのイメージが浮かび上がってゆくという趣向は前作どおり。
 国全体がバブルに翻弄されていた時代、今とは比べ物にならないほど金が動いていた時代である。夜の世界の住人はそれを肌で感じていたはずで、堕ちてゆくもの、野心を実現させるもの、その落差もまた激しい。そんな人間模様を著者は比較的淡々とした筆致で描いてゆく。シャブ、地上げ、横領、ホステスの引き抜き合戦……そういう世界に縁がない人間にも、どこか惹きつけられる危険な魅力がそこにはある。

 夜の世界を描く割には、それほど激しい事件が描かれるわけではない。また、上でも書いたように、その筆致も比較的淡々としている。
 世の中自体が狂っていたようなバブルの時代を描くにしては意外な感じも受けるが、それはもちろん本作がハードボイルドであるからに他ならない。簡潔で乾いた文体、そしてあくまで客観的に。事実のみを第三者の目でクールに描くことで、内面や感情を表現していく。
 前作ではそれでもまだピリピリした空気もあったが、本作はさらに洗練されている印象で、正直、管理人などはこの語り口だけでも十分満足。日本のハードボイルドは本場に比べるとどうしてもウェットな印象があるのだけれど、高城高はやはり別格である。

 さて、残すは『眠りなき夜明け』となったが、ううむ、読むのがもったいないなぁ。


カミ『ルーフォック・オルメスの冒険』(創元推理文庫)

 『ルーフォック・オルメスの冒険』を読む。『エッフェル塔の潜水夫』や『機械探偵クリク・ロボット』で知られるフランスのユーモ作家、ピエール=アンリ・カミが書いた、同時代の名探偵シャーロック・ホームズをネタにしたパロディである。
 まずは収録作。

第一部 Loufock-Holmès contre tous「ルーフォック・オルメス、向かうところ敵なし」
L'Assassinat de l'Accordeur「校正者殺人事件」
La Tragique Affaire des Somnambules「催眠術比べ」
La Main Rouge sur Blanc「白い壁に残された赤い大きな手」
Le Squelette Disparu「骸骨盗難事件」
Le Scaphandrier de Venise「ヴェニスの潜水殺人犯」
L'Assassinat du Commissaire「警官殺人事件」
Un Étrange Suicide「奇妙な自殺」
L'Écuyere Chauve「禿げの女曲馬師」
Un Vrai Flair de Limier「本物の嗅覚」
Étrangleurs de Hernies「証拠を残さぬ殺人」
L'Énigme du Canot Volant「空飛ぶボートの話」
Un Drame Passionnel「愛による殺人」
Les Pirates du Rail, ou l'Attaque du Train 11「列車強盗事件」
Les Mystères de la Rue Saint-Couic「聖ニャンコラン通りの悲劇」
L'Homme aux Deux Profils, ou l'Étrange Assassinat「ふたつの顔を持つ男」
La Villa Isolée「後宮の妻たち」
Réincarnée「生まれ変わり」
Les Mystères de Chicago, ou Cloches Muettes et Oeufs Qui Parlent「シカゴの怪事件-鳴らない鐘とおしゃべりな卵」
Marat, ou le Bain Fatal「ミュージック・ホール殺人事件」

第二部 Spectras contre Loufock-Holmès「ルーフォック・オルメス、怪人スペクトラと闘う」
L'Affaire des Malles Sanglantes「血まみれのトランク事件」
Le Mystère de Trou-du-pic「《とんがり塔》の謎」
Le Trou de Clarinette「〈クラリネットの穴〉盗難事件」
La Mystèrieuse Guillotine「ギロチンの怪」
Les Bandits de l'Atlantique「大西洋の盗賊団」
Le Damier Qui Tue「チェッカーによる殺人」
Le Bébé Rouge「人殺しをする赤ん坊の謎」
Le Secret du Sphinx「スフィンクスの秘密」
Les Escargots de Minuit「真夜中のカタツムリ」
Le Clown Mystérieux「道化師の死」
Le Mystere du Champ de Courses「競馬場の怪」
Les Microbes Sanglants「血まみれの細菌たち」
Le Mystère des Catacombes「地下墓地の謎」
Le Tango de l'Échafaud「死刑台のタンゴ」
Le Retour de l'Incinéré「巨大なインク壺の謎」

 ルーフォック・オルメスの冒険

 いやあ、カミって本当にアホだわ(褒めてます)。
 オルメスのシリーズ作品はいくつか読んだことはあるけれど、単品で読むとあまりのアホさ加減に、これはもしかしたら、こちらの読み方が悪いのかぐらいに思えることもあったのだが、まとめて読むとやはり相当にぶっ飛んだシリーズであることを再認識できた。
 全編これコントか冗談のような話ばかりで、しかもシナリオのようなスタイルで書かれているから、よけいドリフのコントみたいに思えてくる。
 これが先にあげた『エッフェル塔〜』や『機械探偵〜』のような長篇だと、少しは裏テーマや著者のメッセージみたいなものも感じられないこともないのだが、本作の場合はストレートに笑いのみを追求している感じ。

 もう、ホームズとか関係なし。事件、犯人、探偵、論理、科学すべてがくだらなすぎて楽しい。
 例えば管理人お気に入りの一品は「禿げの女曲馬師」。
(以下ネタバレあり、ネタバレというほどのネタでもないけれど)
 アパートの七階から墜落してきた女曲馬師が、その場にあった地球儀に衝突して死亡する。だが死因はなんと溺死。ちょうど大西洋にぶつかったからという推理も出る中、どうやら真相は地球儀の中に水が入っていて、それで窒息したらしい……などという話がてんこ盛りで、もう脱力しまくりである。とにかく一度は騙されたと思って読んでほしい怪作ぞろい。
 訳者は大変だったろうけれど、ノリノリな感じが伝わってきてそちらも◎


フェルディナント・フォン・シーラッハ『テロ』(東京創元社)

 短編集『犯罪』で鮮烈なデビューを果たしたフェルディナント・フォン・シーラッハ。簡潔で研ぎ澄まされた文体、そして犯罪をまったく別のアングルから見ることで真実を追究し、独特の人間ドラマを見せてくれるのが魅力である。
 ただ、最近の『禁忌』あたりになると、個人的には少々あざとさが気になっているのも事実。では最新作の『テロ』はどうよ?というのが本日のテーマである。

 まずはストーリー。
 ドイツ上空で発生したハイジャック事件。テロリストがサッカースタジアムに旅客機を墜落させ、七万人の観客を殺害しようとしたとき、発進した空軍少佐の操る戦闘機が独断で旅客機を撃墜する。スタジアムの観客は救われたが、旅客機の乗客164人の命は犠牲になったのだ。
 この空軍少佐の行った行為は果たして正義なのか、それとも罪なのか。結論は一般人が審議に参加する参審裁判所に委ねられたが……。

 テロ

 非常にシンプルで奥深いテーマ。
 これは実に倫理的に難しい問題である。被害の大きさを考えたとき、客観的に見れば少佐の行為は賞賛にも値するように思える。いやまあ賞賛はないにしても、ほぼ常識的な判断として甚大な被害が結果として見えているなら、より小さな被害を選択することを責めるのは酷ではないかという気持ちはわかる。

 だが、そこに落とし穴がある。
 まず、命の重みは同等としても、それを積み重ねて単に数量で判断してよいのかという是非が問われる。
 さらには、それが緊急判断だったとしても、個人の判断で人の命を奪ってしまってもよいのかという疑問がある。
 この二つの問題は異なるようで実は根本的には共通であり、要は命の重さや量を合理的に解釈してもよいのかということに他ならない。

 命を数量として見ることの危惧は計り知れないわけで、この見方が正当化されるなら、例えば戦争を終わらす手段として原爆が許されるということにもつながりかねない。また、どのような事情があっても私的判断で命を奪う行為は結局テロと変わらないのではないかという懸念。
 被害の大きさ=罪の大きさとするならば、それこそ極端な話、裁判所はいらない。そこに様々な事情があるからこそ、それらを加味して判断する裁判という制度があるわけである。すべてを合理的に処理することの恐怖、ましてや個人で判断することの危険を決して見過ごしてはいけないと思う。
 この議論は簡単に答えが出るようなものではないが、そういうわけで、管理人としてはひとまず”有罪”を選択しておきたい。

 さて、本作は問題提議の書としては傑作に値するのだが、実は小説としては少々、問題がある。
 というのも、実は本作では裁判の結果が、「有罪」「無罪」両方のパターンを収録しているからである。小説である以上は作者のメッセージとして、「有罪」なのか「無罪」なのか、きっちり主張してほしかったところであり、そういう結末を取りたかったのなら、本作はエッセイやノンフィクションという形でもよかったはず。
 十分な実力のある人なのだから、こういう演出過多の部分はもう少し抑えたほうが、より迫るものがあると思うのだが。惜しい。


江戸川乱歩『明智小五郎事件簿 IV「猟奇の果」』(集英社文庫)

 名探偵・明智小五郎の活躍を物語発生順に紹介するシリーズ『明智小五郎事件簿』。本日の読了本はその第四巻『明智小五郎事件簿 IV 「猟奇の果」 』である。

 猟奇趣味が高じた青木愛之助はすべてに退屈していた。だが招魂祭で賑わう靖国神社で友人の品川四郎に瓜二つの男を目撃することで、その生活に変化が生じ始める。やがてポン引きに誘われた「秘密の家」で、再び品川四郎そっくりの男に遭遇するが、それは国家を揺るがすとてつもない大事件への入り口であった……。

 明智小五郎事件簿IV

 ン十年ぶりぐらいの再読である。本作の世評というのはだいたい駄作というあたりで定着しているけれども、こちらが年取ったせいか、いや、そこまで腐したものではない。

 駄作といわれる理由は明らかで、主に前半と後半の落差によるところが大きい。前半は乱歩の猟奇趣味が全開していて、それこそ東京中のいかがわしい遊びや娯楽が描かれて実に楽しい。これに瓜二つの人間が存在するという不思議を絡ませ、読み手の想像を膨らませてゆく。
 ところが後半に入って、明智が登場するとテイストは一変。幻想譚が冒険ものに転じ、瓜二つの不思議も単なる科学技術で済ましてしまうから、白けてしまうこと夥しい。まあ、当時はSF的な整形ネタもそれなりに注目されたのかもしれないが、ううむ、これではロマンがないんだよなぁ。

 ちなみに本作の前後半が大きく乖離している事情も有名な話で、前半で煮詰まった乱歩がもう書けないと当時の連載誌の編集長だった横溝正史に相談したところ、途中で止められては困る正史が、乱歩が当時書き始めていた通俗冒険ものにしてしまえ(正史はルパン式といったらしいが)とアドバイスしたことによる。
 正史も出来については諦めていたとは思うが、編集長として中断だけはさすがに避けたかったのだろう。とりあえず中断の危機だけは避けられたおかげで、こうして一冊の書物としてその後も読めるようになったのだから、正史には感謝しておきたいところだ。

 話を本作に戻すと、管理人も以前は単なる駄作というふうに思っていたのだけれど、久しぶりに読み返すと、前半の魅力だけでも十分お釣りがくるのではないかという気持ちになった。
 そもそも乱歩は探偵小説を「主として犯罪に関する難解な秘密が、論理的に、徐々に解かれていく経路のおもしろさを主眼とする文学」と説明しているぐらいだし、あと、これは誰の言葉か忘れたが「推理小説とは恐怖を論理が鎮める物語である」なんていうのもあったはず。
 探偵小説にあっては、むしろ前半と後半のギャップはあってこそ当然という気がしないでもない。そういえば『蜘蛛男』も前半と後半で趣が変わるパターンといえないこともなく、これは探偵小説の構造上の宿命といえるかもしれない。

 まあ、そんな無理矢理な理屈はともかく、前半の退廃的な雰囲気、青木愛之助という主人公格の男の東京遍歴は怪しくも魅力的で、この部分だけでも読む価値があると思うのである。
 とある秘密売春倶楽部での覗き行為などは、乱歩の真骨頂であり、このあたりをクライマックスにしてさらっと中編でまとめていれば、大したオチでなくとも佳品として評価されたはず。まあ、実際、光文社文庫版の江戸川乱歩全集ではそういう別バージョンも収められているので、興味ある方はそちらもどうぞ。

 ともあれ乱歩は長編が苦手だったというのはよく言われることだが、それもまた乱歩の味だと考えれば、本作はやはり乱歩ファン必読の一冊と言えるのではないか。いや、必読である。


パーシヴァル・ワイルド『ミステリ・ウィークエンド』(原書房)

 パーシヴァル・ワイルドの『ミステリ・ウィークエンド』を読む。本業は劇作家ながら余技のミステリでも『検死審問ーインクエストー』や『検死審問ふたたび』など、専業作家顔負けの傑作を残したワイルド。本作は彼の処女長編ミステリである。

 舞台はアメリカ・コネティカット州の片田舎にあるホテル。若きオーナーのジェドは地元の資産家シモンズからホテルを買い取り、スキーやスケートなどをウリにしてようやく経営を軌道に乗せてきた。最新の目玉は「ミステリ・ウィークエンド」と名付けた冬の観光ツアーで、これがまた大当たり。
 ところがそのホテルで死体が発見される。ジェド、シモンズ、そして宿泊客の医者ハウ先生らが対処を練っているところへ闖入してきたのが自称作家のドウティ氏。シモンズに事件の手記を書くよう依頼したことを皮切りに、何かと不審な言動が目立つドウティ氏に周囲は怪しむが……。

 ミステリ・ウィークエンド

 実に巧い。本作には一応、密室ネタとかもあるのだけれど、いや、そういうトリックみたいなものはあまり重要ではなくて、きちんとしたプロットがあり、それをどういうアングルで見せるかということが大きなポイントである。著者はそれを主要人物の手記という形で料理し、語り手が変わるたびに事件の構図が変わるという趣向で見せてくれる。
 それだけでもミステリとしては面白いのだが、何より感心するのは、数々の伏線やギミックが一見とんでもないものばかりで、それがラストできっちりと回収されるところだろう。しかもユーモアとしてもがっつり機能しており、こういうところが劇作家らしいというか、上手いところなのである。
 むしろこの手の作品は現代にこそ書かれるべきだと思うのだが、なんと1938年の作品というところが恐れ入る。読んでいてもまったく古さを感じさせず、これは訳者の頑張りもあるのだろう。

 なお、本書にはボーナストラックとして、「自由へ至る道」、「証人」、「P・モーランの観察術」の三短編も収録されており、こちらもそれぞれ悪くない出来。予想以上に満足できる一冊で、クラシックファン必読といってもいいのではないか。


城昌幸『ハダカ島探検 城昌幸少年少女作品集』(盛林堂ミステリアス文庫)

 城昌幸の『ハダカ島探検 城昌幸少年少女作品集』を読む。今年の五月頃に盛林堂ミステリアス文庫の一冊として刊行されたもので、今回は単行本未収録のジュニア向け小説を集めたものということで、相変わらずマニアックな編集ぶりである。
 そもそも城昌幸の著作についてはあまり全貌がよくわかっていないらしいのだが、とりわけ「若さま侍」シリーズとジュニア向け小説は厄介らしく、今回もありがたく関係者の努力の賜物を楽しませていただく。

 ハダカ島探検

「推理小説 絵の国めぐり」
「連載冒険読物 怪岩窟」
「ハダカ島探険」
「推理小説 雪の上の箱」
「黒ダイヤの行方」
「軽快小説 マドロスパイプ」
「ユーモア小説 洋傘」
「少女怪談 不思議な呼声」

 収録作は以上。「推理小説 絵の国めぐり」「連載冒険読物 怪岩窟」「ハダカ島探険」の三編は連載もので、比較的長めの作品。次号へ持たせるための風呂敷の広げかたが大きく、トリックよりはストーリーやキャラクター重視ということがよくわかる。

 まず「推理小説 絵の国めぐり」だが、絵の中の世界に吸い込まれた兄妹が、ファルツという山の巨人となぞなぞで対決し、村を救うという一席。推理小説と銘打たれているが、どう読んでも冒険ファンタジーである。設定上は悪魔の一種で恐怖の対象となるファルツだが、その描かれ方はいたってユーモラスなのが城昌幸らしい。

 海岸の洞窟を舞台に繰り広げる冒険物が 「連載冒険読物 怪岩窟」。派手ながらやや単調なストーリー、ラストの決着のつけ方が正直、あまりよろしい出来ではなく、本書のなかでは落ちるほうだろう。

 表題作の「ハダカ島探険」はジュニア小説の佳作といってよいだろう。「連載冒険読物 怪岩窟」に見られるような弱さがなく、コンパクトながらメリハリの効いたストーリー展開が見事。主人公と悪党たち以外に、謎の少女や謎の囚われ人などがいることで、物語にも膨らみを与えている。暗号といったサイドの謎も悪くない。
 ただ、解説にもあったが、ひとつだけ決定的な忘れ物があるのがご愛嬌か。

 「推理小説 雪の上の箱」以下の作品は短いものばかりで、これらはストーリーというよりワンアイディアを活かしたものが多い。
 ネタそのものはもちろん期待するほうが無茶だが、読者の子供たちをしっかりと驚かせるというポイントがぶれていないところはさすが。なかでも「推理小説 雪の上の箱」、「黒ダイヤの行方」、「軽快小説 マドロスパイプ」などはそういうセンスに満ちていて楽しい。

ジェイムズ・リー・バーク『太陽に向かえ』(論創海外ミステリ)

 ジェイムズ・リー・バークの『太陽に向かえ』を読む。著者は1990年代に角川文庫で精力的に紹介されていたアメリカのハードボイルド作家。当時は管理人もはまった口で、ちょっと懐かしい名前である。
 代表作は元警官のデイヴ・ロビショーを主人公にしたシリーズ。もともと純文学畑の人だったので、その風味がハードボイルドに転向したあとも色濃く残っているのが特徴だろう。当時は評価も高く、最近のマイクル・コナリーぐらいの評判はとっていたように記憶する。実際、2009年にはアメリカ探偵作家クラブから巨匠賞も授与されているほどだ。

 ただ我が国では売れ行きがそこまで芳しくなかったのか、邦訳は2002年頃を最後に途絶えていたのだが、なんと十二年振りに翻訳されたのが、この『太陽に向かえ』である。
 しかも驚いたことに、論創海外ミステリとしての刊行である。論創海外ミステリといえば基本は版権料のかからないクラシック中心の叢書。したがって現代の作家は滅多なことではラインナップに並ばないのだが、これはいったい何があったのだろう? 関係者からの強力なプッシュ、それとも新たな需要を見るためのテストだったのか。
 詳しいことはわからないが、まあ個人的には歓迎である。『ネオン・レイン』や『天国の囚人』などはどれも楽しめたし、その著者が書いた初期のノンシリーズということであれば、これは何とも興味深い一冊といえるだろう。

 まずはストーリー。
 舞台は1960代初めのケンタッキー東部。炭鉱だけがすべてのその一帯では、誰もが夢も希望も失い、終わりのない閉塞感に包まれていた。危険と隣り合わせの過酷な仕事、その日の食事にも事欠くほどの貧困、資本家と組合の激しい対立……。
 そんな町で十六歳の少年ペリーは、母と事故で働けなくなった父、病気の兄弟を支えるため、職業学校に入学する。あまりに真っ直ぐな性格ゆえ、行く先々でトラブルメイカーとなるペリー。だが、厳しい生活から彼もひとつひとつ学んでゆき、その甲斐あって事態は少しずつ好転するかに思われた。
 だがあるとき、彼のもとへ故郷から父の危篤の知らせが飛び込んでくる……。

 太陽に向かえ

 何より当時のアメリカの炭鉱町の描写が強烈。
 町全体が炭鉱なしでは成り立たず、そこに資本家が圧倒的なアドヴァンテージをもつ構図が成立する。搾取される労働者は貧困にあえぎ、資本家に抵抗するも理屈では勝てず、残された手段は暴力のみという世界。陳腐な表現だが、この町そのものが主人公といってもいいだろう。

 この暴力に充ちみちた世界で、著者は一人の少年の成長する様を描く。 
 根は家族思いで正義感もあるのだが、一本気な性格が災いし、何かとトラブルに巻きこまれていく少年ペリー。このあたりはのちのデイヴ・ロビショーとも共通するところで、決して感情移入しやすいタイプではないのだが、そんな彼が少しずつ物事の道理を身につけていくあたりは素直に感動でき、胸に迫るものがある。
 少年の成長を描くといえば、普通は教養小説とか青春小説っぽくなるが、本作のテイストは犯罪小説やハードボイルドのそれである。ただし、それはあくまで雰囲気の話であって、テーマやストーリーはむしろ普通小説に近い。その妙が本作を際立たせている印象だ。

 決してハッピーな物語ではないし、消化不良なところもちらほらあるのだが、かすかな希望を感じさせるラストシーンは美しく、全体的には満足の一冊。久々にジェイムズ・リー・バークの魅力を味わうことができた。


多岐川恭『おやじに捧げる葬送曲』(講談社ノベルス)

 多岐川恭読破計画一歩前進。本日は『おやじに捧げる葬送曲』。
 ここ最近読んでいたものは初期の作品ばかりだったが、本作はほぼ時代物を中心に書いていた後期の作品である。

 こんな話。
 とある探偵社で働く「おれ」は、重病で入院している「おやじさん」を見舞いに、度々病院を訪れていた。「おやじさん」の病状は深刻で、手足を動かすことははおろか満足に話すこともできず、医師からも余名を宣告されている状態だった。
 そんな「おやじさん」の唯一の楽しみが、「おれ」から話を聞くことだ。娘の道子のことはもちろんだが、元刑事ということもあってか、気になるのはむしろ「おれ」が巻き込まれている宝石商殺害事件のようだ。
 「おやじさん」は静かに話を聞きながら、ときおり手や目を使って意思疎通を図り、いつしか事件の真相に迫っていった……。

 おやじに捧げる葬送曲

 うわあ、すごいわ、これ。評判どおりの傑作。
 ベッド・ディテクティヴ、いわゆる安楽椅子探偵ものなのだが、それはこの作品のほんのいち要素に過ぎない。
 全編「おれ」の一人語りという叙述形式、綿密なプロットと結末の意外性、そしてお得意の叙情性豊かなドラマ、さらにはそれらを支える確かな描写力とテクニックがある。どれが欠けてもここまで満足できる作品にはならなかったはずで、実に見事としかいいようがない。

 本書のポイントをさらに詳しく見ていくと、まずは探偵役の特異な設定である。探偵訳の「おやじさん」は寝たきり老人で、文字どおりのベッド・ディテクティヴ。
 ディーヴァーのリンカーン・ライムを彷彿とさせるが、あちらは口もきけるし、コンピュータも駆使したりと、意外に多彩な活動が可能である。だがこちらは死期が迫る重病人。最初のうちこそ指ぐらいは動かしているが、やがてそれすら不自由になり、終盤はほぼ目だけで会話するようになる。

 では「おやじさん」はどうやって事件を解決するのか。
 それを補うのがワトソン役とでもいうべき「おれ」の存在である。話すこともままならない「おやじさん」に「おれ」が事件を語ってきかせ、ときおり「おやじさん」の反応をうかがいながら話を進めることで物語は流れていく。「おやじさん」の反応は少ないけれど、頭の中は冴えわたっており、要所で「おれ」にカギとなる合図を与えてくれるのだ。

 そしてここで重要なのが、この物語がすべて「おれ」の一人称、いや、それどころか「おれ」のセリフだけで成り立っているところである。
 普通の一人称の小説と違い、すべてが実際に「おれ」が口にした言葉だけで成り立っているのがミソ。これは相手が「おやじさん」以外の場合でも同様というから徹底している。
 完全に話し言葉なので逆に読みにくい部分があったり、他愛ない部分もなきにしもあらずだが、セリフの中に事件のすべてが詰まっており、かつミステリとしての要件をできるだけフェアに満たしつつ、これを終始貫徹させるところは正に職人技といえるだろう。
 事件については、軸となる過去の因縁が少々作りすぎの嫌いはあるのだけれど、それもこれも集約させて、実はまったく無駄のない仕上がりにしているのも素晴らしい。このあたりはプロットやストーリー作りの巧さが光るところだ。

 ミステリ的な技巧だけではない。相変わらず人間描写が確かで、ドラマとしての質も高い。
 とりわけ注目したいのはやはり「おやじさん」のキャラクター造形。ほぼ動きのない「おやじさん」というキャラクターだが、「おれ」とのやりとりのなかで、だんだんそのイメージを浮かび上がらせていく技術はさすがの一言。
 また、徐々に衰弱していく「おやじさん」に対し、 「おれ」が想像力を働かせて何とか意思疎通を図ろうとするところは切ない場面なのにどこかユーモラスでもあり、この絶妙なブレンド感がたまらない。
 そしてラストは、例によって喪失感と希望が入り交じった味わい深いもので、これだけ技巧に走ったミステリなのに、最上の余韻も堪能できる。こんなミステリはそうそうお目にかかれないだろう。
 最後にもう一度書いておこう。これは傑作。

 ところで本作はここまで素晴らしい出来でありながら、いまひとつベスト本などで取り上げられることが少なのではないかと読後に気になり、当時の「週刊文春ミステリーベスト10」で何位にランクインしたか調べてみた。
 その結果はなんとベストテン圏外。
本書の奥付には1984年11月発行とあるので、該当するのは1985年度版だと思うのだが、念のため1984年版を見てもやはり題名はなし。ううむ、当時の投票した方々はいったい何を読んでいたのか。まあ、文春ベスト10の対象期間が確か11月〜10月のはずなので、どうしても11月や12月に刊行された作品ほど印象が薄くなってしまうのは致し方ないのだが、それにしても……。
 ちなみに1985年の「週刊文春ミステリーベスト10」はご覧のとおり。

1位:東野圭吾『放課後』
2位:石井竜生・井原まなみ『見返り美人を消せ』
2位:森雅裕『モーツァルトは子守唄を歌わない』
4位:島田荘司『北の夕鶴2/3の殺人』
5位:土井行夫『名なし鳥飛んだ』
6位:岡嶋二人『チョコレートゲーム』
7位:船戸与一『神話の果て』
7位:志水辰夫『背いて故郷』
9位:森詠『雨はいつまで降り続く』
10位:島田荘司『夏、19歳の肖像』

 こんな作品がなぜランクイン?というようなものも混じっていたり、逆にあの『北の夕鶴〜』が4位に甘んじていたり、当時の文春のベスト10はやはりちぐはぐな印象は否めない。というか単に話題作や有名作家の人気投票みたいになっている。この面子なら『おやじに捧げる葬送曲』は1位でもおかしくないと思うのだがなぁ(異論は認めます)。

 なお、管理人の所持しているのは講談社ノベルス版だが、創元推理文庫の多岐川恭選集『氷柱』でも読むことが可能である。まあ、どちらも版元品切れではあるが、ネット古書店なら比較的安価で入手できるので、興味ある方はぜひどうぞ。


ミルワード・ケネディ『霧に包まれた骸』(論創海外ミステリ)

 読んでも読んでも積ん読が減らない論創海外ミステリを本日も読了。ものはミルワード・ケネディの『霧に包まれた骸』。

 著者のミルワード・ケネディはイギリスの本格黄金時代の作家。著作がそこそこある割に、我が国では紹介もほとんどされず、長らく幻の作家の一人であったが、国書刊行会の「世界探偵小説全集」の一冊として刊行された『救いの死』、新樹社から出た『スリープ村の殺人者』で多少はその存在が知られるようになった。
 とはいえ、その二冊が大評判になるとか、ましてやブレイクするようなこともなく、正味は相変わらず忘れられた作家扱いである。
 ただ、オーソドックスな『スリープ村の殺人者』はともかくとして、『救いの死』はバークリーを彷彿とさせるようなひねくれた作品で、探偵という存在そのものに着目して掘り下げたという点で、なかなか面白かった記憶がある。読後感がかなり微妙なので好き嫌いが分かれたのだろうが、もっと注目されてもよい作品だったのに残念なことだ。

 さて、そんなミルワード・ケネディの久々の邦訳が『霧に包まれた骸』である。
 深夜のロンドン。深い霧のなかを歩いていたメリマン氏がうっかり躓いたのは、パジャマ姿の死体だった。被害者の身元はすぐに割れ、ブラジルから帰国したばかりで、トレーラーハウス暮らしのヘンリー・ディル氏であることが判明。遺留品や目撃情報も集まり、捜査は順調に進むと思われたが……。

 霧に包まれた骸

 全体的な作りとしては、オーソドックスな英国調本格探偵小説である。コーンフォード警部を中心とした地道な捜査によって物語は進み、新たな証拠、新たな関係者が現れ、そこからさらに推理が発展するといった按配で、ストーリーはいたって地味。トリックには多少面白いところはあるものの、それで作品を引っ張るほどの力はない。

 ただし、それだけでは済まされない変な魅力があるのも確か。
 説明が難しいが、しいていえば微妙なオフビート感といったところか。事件が進むにつれて手がかりや証拠が次々にあらわれ、その度に推理がひっくり返ってゆく。地道な捜査ながらも真相には着実に近づいていくというのが普通のミステリだろうが、本作のコーンフォード警部などはけっこう無理矢理な仮説を立てては捨て立てては捨てといった具合なので、正に一歩進んで二歩下がる展開。容疑者や事件の構図が変わるぐらいは当たり前で、被害者も二転三転、挙げ句は探偵役まで霧に包まれる始末だ。
 この脳内ドタバタとでもいうべき、くどいぐらいの試行錯誤が本作のミソといえばミソなのである。 
 さらには味つけとして英国ミステリによく見られる緩いユーモアが加味され、これが試行錯誤する様子と相まって独特の雰囲気を作っている。本作の魅力はそこに尽きる。
 本書の解説では粗も指摘されているが、それを差っ引いても個人的にはまずまず楽しめる一作であった。


« »

10 2016
SUN MON TUE WED THU FRI SAT
- - - - - - 1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30 31 - - - - -
プロフィール

sugata

Author:sugata
ミステリならなんでも好物。特に翻訳ミステリと国内外問わずクラシック全般。
四半世紀勤めていた書籍・WEB等の制作会社を辞め、2021年よりフリーランスの編集者&ライターとしてぼちぼち活動中。

ツリーカテゴリー