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 DVDで『イミテーション・ゲーム/エニグマと天才数学者の秘密』 を視聴。第二次世界大戦中にドイツ軍のエニグマ暗号の解読に取り組み、のちに同性間性行為の罪で罰せられ、最後は自害したイギリスの暗号解読者アラン・チューリング。その悲運の生涯を描いた歴史スリラーである。
 日本では2015年公開。監督はモルテン・ティルドゥム、主演は傲慢な天才役をやらせたらピカイチの(笑)ベネディクト・カンバーバッチ。

 ときは1939年。イギリスがドイツに宣戦布告した年のこと。数学者アラン・チューリングは政府暗号学校が置かれるブレッチリー・パークを訪れ、デニストン中佐の指揮の下、数名の仲間とチームを組み、ナチスの暗号機エニグマの解読に挑むことになる。
 朝から晩まで暗号の解読に励むメンバーたち。だがチューリングだけはひとり暗号解読装置の設計に没頭していたため、両者の間には溝が深まってゆく。だが後から加わったクラークがチューリングとメンバーの中をとりもつことで、チームは徐々に結束、ついに装置は完成した。
 だがドイツ軍は暗号のパターンを毎日変えるため、装置の処理が追いつかない。業を煮やしたデニストンは装置の破棄とチューリングの解雇を命じる。仲間の協力でこれを回避したチームだったが、問題はそれだけではなかった。両親から仕事を辞めろと迫られるクラーク、チームにかけられるスパイ容疑、そしてチューリング自身に隠された秘密などなど。
 そんななか、チューリングは通信を傍受する役目の女性職員の話から、ついに暗号解読のヒントを思いつく……。

 イミテーション・ゲーム

 ううむ、まずまず楽しめたけれど、チューリングの天才っぷりや暗号解読についての見せ場がそれほどではないのが残念。
 確かにチューリングという人物に注目した場合、数学者としての偉業もさることながら、その不遇な生涯に目を奪われる。自己中心的な性格や性的嗜好が災いしたことで、最終的には逮捕されて科学的去勢を施されてしまう。挙句に四十一歳という若さで自ら命を断つことになるわけで、どうしてもヒューマンドラマ寄りにしたい制作サイドの気持ちはわからないでもない。
 しかし、そのドラマもチューリングの天才的数学者としての部分があってこそ。だから、その天才っぷりや暗号解読の描写をがっつりと見せてくれないことには何とも物足りないのだ。

 ちなみにプロットとしてひとつ気になったのは、装置完成後にチューリングが下した決断である。
 エニグマを解読したことがドイツにばれてはその苦労が意味のないものになってしまう。よってエニグマから得る情報を取捨選択し、より重要な情報のみ対応していくべきだというのである。これは逆にいうと、戦略的に重要でない情報は、多少の犠牲が出るとわかっていても、あえて味方にも教えずにスルーするというのだ。
 これ、見る人の価値観でまったく意見が分かれる重要なところだし、暗号解読チームの中でも意見が対立する見せ場の一つのはずだが、意外にあっさり意見がまとまり、国も素直にそれに応じるのがやや違和感のあるところである。ドイツの作家シーラッハなどは、まさにこのテーマひとつで『テロ』を書いたほど重いテーマなのだが。

 ということでカンバーバッチの名演技は見る価値ありだが、ヒューマンドラマとしてはまずまずだろう。歴史スリラーや暗号興味で見る人はあまり期待せぬように。

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 しばらく間が空いてしまったけれど、久々に多岐川恭。ものは『お茶とプール』。傑作『異郷の帆』と同じ1961年に刊行され、創元推理文庫の多岐川恭選集にも収録されているので、これは期待するなという方が無理だろう。

 まずはストーリー。
 週刊レディ社に勤める輝岡協子は同僚でもある友人、星加卯女子の家を訪れていた。その日は卯女子の兄、要の誕生日で、家族と幾人かの友人でちょっとしたパーティーを催していたのである。
 そこに現れたのが、やはり週刊レディ社に勤める協子の兄・輝岡亨。亨は妹とアパートでの二人暮しだが、玄関の鍵を失くしたといって、協子の鍵を借りにきたのだ。
 卯女子から勧められるままパーティーに加わった亨だが、その場には何やら微妙な空気が漂っていた。客のなかに要の恋人・まゆり、そして要と結婚すると広言して憚らない永井百々子が同席していたからである。しかも百々子の父親は銀行の頭取であり、要の父が経営する会社に融資をしていたことから、要の両親はぜひとも要には百々子と結婚してほしかったのである。
 微妙な空気の原因はそれだけではない。実はその百々子の性格がよろしくなく、政略結婚の相手としては認めつつも、家族の誰もが内心では彼女を嫌っていたのだ。
 そんななか事件は起きた。プールで溺れかけた百々子が体を温めるために飲んだココアで毒殺されてしまったのだ……。

 お茶とプール

 いやあ、ほんっとに作品ごとに手を変え品を変え、いろいろとやってくれる作家である。しかもそのアベレージが高い。まあ、それはこちらが代表作から読んでいることもあるのだろうけど、これだけさまざまなテーマを扱いながら、そのどれもがオリジナリティに富んでいるというのはどういうことか。
 本作もこれまで読んだどの多岐川作品とも似ていない。一応はクラシックな本格ミステリ風なのだが、いざ読み終えてみると、決して単なる本格ミステリでないのは明らか。実は最初、この違和感の理由がピンとこなかったのだが、カバーの折り返しに記載された「著者のことば」を読んでストンと落ちた。著者曰く「小ぢんまりしたサロン小説」、「主人公はジュリアン・ソレルの亜流」とも。
 なるほど。つまり本格の衣を被ってはいるが、その内面は『赤と黒』の主人公を意識した犯罪小説に仕上がっているのだ。

 詳しくは書けないが本作のキモはまさにそこにある。犯人の意外性もあるが、そちらの驚きは正直さほどではない。興味深いのは本格から犯罪小説に変質してゆく、その妙にあるといってよい。構成によって物語の性質が変わっていくといえばルメートルのあの作品を連想させるが、こちらはそれほどはっきりした形をとっているわけではないけれども、ラストで得られる感慨は断じて本格ミステリのそれではない。
 前半は確かにクラシックな本格ミステリ風である。家族や友人が一堂に会し、それぞれの人間関係やエピソードが語られ、同時に何かが起こるのではという不吉な空気を漂わせる。そして予想どおり発生する殺人事件。とまあここまでは普通だが、ここからがこちらの予想を裏切っていく。
 主人公の輝岡亨は星加一家の事件に巻き込まれるが、単なる探偵役や狂言回しではない。星加一家や卯女子とのつきあい、会社の女社長との情事などを通し、徐々に妙な立場に立たされてゆく。殺人の謎も気にはなるが、この主人公のドラマが巧みで、そして気づいてみれば最後にそれらが渾然一体となって、優れた犯罪小説を読んだという気にさせるのである。

 多岐川恭ならではの着想、そして描写力あればこその一冊。トリックの弱さなどもあるから他のトップクラスの作品に比べるとさすがに分は悪いが、決して読んで損はない。

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 創元推理文庫の古いところで、ウィリアム・ハガードの『殺し屋テレマン』を読む。
 著者は1950年代後半にデビューした英国の作家。スパイスリラーで売り出し、チャールズ・ラッセル大佐・シリーズが人気となり、第二のイアン・フレミングとして注目された。
 「第二の○○」みたいな売り文句はだいたいアテにならないことが多いが、ウィリアム・ハガードは第二次世界大戦時には情報将校を務めており、その経験が生きたか、単なる二匹目のドジョウで消えることもなく、1990年あたりまでは安定して作品を発表していたようだ。
 本作はそんなハガードの初期のノンシリーズ作品である。

 まずはストーリー。
 英国の植民地として統治されるセント・クリー島。これまでは地図にも載っていないほどの小さな島ではあったが、一帯が油田地帯である可能性が発見され、がぜん注目が集まっていた。
 その利益をめぐって関係者が水面下で動くなか、英国にとって最大の脅威は、隣国の独裁者から派遣された破壊工作員テレマンの存在だった……。

 殺し屋テレマン

 なるほど。007シリーズのヒットに便乗したスパイスリラーという先入観で読み始めたが、まったくそんなことはなく、かといってもちろんル・カレのようなシリアスなスパイ小説というわけでもなく、これは完全に冒険小説といったほうがいいだろう。
 諜報戦や組織的な戦略、駆け引きみたいな要素はほとんどなく、むしろ男対男の真っ向勝負を描くところが本題で、かつ読みどころとなっている。

 主人公は油田を管理するユニバーサル社の現場監督、デイビッド・カー。パイオニア精神に溢れ、安定した生活を嫌うタイプである。だからといって破天荒とか粗野なわけではなく、礼節を重んじ、弱きを助ける男でもあり、地元民族にも尊敬され慕われている。まあ、絵に描いたような冒険小説の主人公だ(苦笑)。
 破壊工作員テレマンもそんなデイビッドの存在に気づき、彼の存在こそが目的達成のための障害と考え、まずはデイビッドを亡きものにしようとする。
 ところがテレマンもまたデイビッドと同じように仕事や生き方に関しては高いプライドをもっている。デイビッドの人柄を知るにつけ、彼に対しては卑怯な手を使わず、男同士の戦いをしたいと望むようになる。
 このあたりがスパイ小説というより冒険小説と呼びたくなる大きな要因なのだが、残念なのはここをあまりにやりすぎてしまったことだ。

 つまり、騎士道精神にのっとった戦いを前面に打ち出すあまり、随所に不自然で納得のいかない展開が見られるのである。
 例えば、テレマンがデイビッドに対して畏敬の念を抱くきっかけになったエピソードがひどい。なんとテレマンが地元民族に捕まって袋叩きにあい、それをデイビッドが助けるのである。
 いや、助けるのはいいとして、それにテレマンが恩義を感じるのもいいとしても、テレマンが地元民族にあっさりやられるというのはいかがなものか?(笑) この後も二人は度々出会い、その度にテレマンはデイビッドに対してその気持ちを表明していく。そんな暇があったらさっさと暗殺しろよという話なのだが、どうにもクライマックスまでの伏線がくどすぎる。

 テレマン絡みのエピソードだけでなく、本作は全般的にデイビッド万歳の描写が多く、これらもちょっと萎える要因である。まだデビュー二作目の作品ということで小説がそもそも巧くないこともあるのだろう。
 ただし終盤のアクションはそれなりに面白いだけに、よけいこれらの欠点がもったいなく感じてしまった。

 ハヤカワミステリではチャールズ・ラッセル大佐ものがけっこう翻訳されているのだけれど、ううむ、今後そちらを読むかどうかは微妙なところである。

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 先日読んだ『殺意という名の家畜』に続いて、もういっちょ河野典生。ただし今度はハードボイルドではなく、著者のもうひとつの顔、幻想小説の分野からセレクト。ものはコメントでよしだまさしさんからもオススメのあった短編集『街の博物誌』。
 収録作は以下のとおり。

「序曲 ある日、ぼくは聞いた」
「Part 1 メタセコイア」
「Part 2 ベゾアール・ゴート」
「Part 3 マッシュルーム」
「Part 4 直立原人」
「Part 5 ネオンムラサキ」
「間奏曲 プレリードッグ」
「Part 6 空についての七つの断章」
「Part 7 ザルツブルグの小枝」
「Part 8 ニッポンカサドリ」
「Part 9 トリケラトプス」
「Part 10 クリスタル・ルージュ」
「終曲 さあ、どこへ行こうか」

 街の博物誌

 本書に収められた各作品にはすべて動植物が登場し、それらに邂逅した街の人々の反応や暮らしを描く連作集となっている。
 動植物は一般的なものもあれば珍しいものもあるけれど、重要なのはそこではなく、それらが現れるシチュエーションである。決してそれらが出現するにふさわしい自然の中ではなく、街の中。それも仰々しい形ではなく、人々が生活する日常のなかでふと垣間見てしまった、そんな状況なのである。
 メタセコイアやネオンムラサキ、トリケラトプスといった動植物の数々。それは現実なのかあるいは異次元の世界なのか。そしてその在りえない現象に大騒ぎするのか、それとも日常のひとつとして受け止めてしまうのか。そういった人々の心の中も含め、著者は非常に叙情的にその顛末を見せてくれる。
 ストーリーらしいストーリーはほとんどなく、幻想的なイメージで読ませるといった方が適切だろう。ひとつひとつの作品はまるで詩のようでもあり、ゆったりと作品に心を委ねるようにして読むのが心地よい。

 それにしても河野典生といえば日本ハードボイルドの先駆者としてのイメージが個人的には強かったので、ずいぶんとかけ離れた作品集で最初はかなりとまどったのも事実。
 ただ、調べてみると、もともと河野典生は学生時代から詩や戯曲、幻想小説の方面で活動していたようで、むしろハードボイルドのほうが後なのである。ハードボイルドは劇団やテレビの脚本作りから派生してきた興味なのかもしれないが、まあ本書のような幻想小説を書くようになってからも、ハードボイルドも並行して書いていたというのはちょっと驚いてしまった。何か共通するところがあるのか、あるいは正反対な世界だから両立できたのか、この辺りも興味深いところである。

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 コリン・ワトスンの『浴室には誰もいない』を読む。一作目の『愚者たちの棺』が紹介されたとき、版元がディヴァインを引き合いに出して英国の本格派とやったもんだから、読み終えて何となく違和感を感じた読者も多かったのではなかろうか。
 かくいう管理人もスタイルとしてはむしろ本格よりは警察小説に近いかなとか、シリーズ全体の狙いだとかが気になって、内容は悪くなかったけれど、どこかしっくりこなかったことも事実。もちろんどんな作風・ジャンルであろうと面白ければそれでいいのだが、今回もバークリー激賞とか法月倫太曰く「ワトスンの魅力に開眼した」とか景気のよい推薦文が踊っているので、逆にちょっと不安(苦笑)。
 とりあえず本書ではとにかく著者の狙いというか作風というか、そのあたりをすっきりさせてもらいたいというのが裏テーマであった。

 こんな話。
 田舎町であっても人は素朴で善良とは限らない。港町フラックスボローに住む人々もまた都会人と何ら変わず、ひとクセもふたクセもある者ばかり。今日も今日とて警察に怪しい匿名の手紙が届き、パーブライト警部は捜査に向かう。
 そこは家主と下宿人のセールスマン、二人の男が住む一軒家。しかし、二人とも行方は知れず、あろうことか浴槽では人間が硫酸で溶かされた痕跡が発見される。どちらかがどちらかを殺害したのか、それとも二人とも事件に巻き込まれたのか。
 そこへ現れたのが、場違いな感じの情報部員二人組。彼らは警察に下宿人の素性を明かし、独自の調査にとりかかる。果たしてその結末は……?

 浴室には誰もいない

 ああ、なるほど。今度はこうきたか。
 バークリーが激賞する理由は何となくわかる気がする。バークリーの作風自体、オーソドックスな本格ミステリの体をとりながら、実はその裏で常に本格ミステリそのものの可能性を面白おかしく実験しているようなものが多いわけで、コリン・ワトスンもそれに通ずるところがあるのだ。
 本作で注目されるのは何といっても情報部員の存在だろう。シリーズ探偵であるパーブライト警部との捜査合戦というスタイルをとりながら、その実、そこに推理合戦の要素はほとんどない。それどころか情報部員たちはもっぱらスパイスリラーのパロディのような存在として描かれる。さらには被害者と思しき男の素性や行為が明らかになることで、ガッツリとダメを押す念の入れ具合。この意地悪さはバークリーとも共通する部分だ。
 また、単にスパイスリラーのパロディを味付けとするだけでなく、なおかつ本格ミステリを成立させる一要素として融合させるところが、本作の大きなポイントだろう。プロットやトリック、ロジックなど、本格ミステリを構成するのに必要な要素はいろいろあるが、思うにそういった通常の要素、枠組みといってもいいのだが、それをひとひねりしてトライアルするのがコリン・ワトスンの特徴なのかもしれない。
 まあ、完全に成功しているかと言われればちょっと無理やりなところもあるわけで、この辺が評価の分かれ目か。しいていえば本作では動機が肝になるわけだが、いやあ、よくやるわ、としか言いようがない。まあ、嫌いじゃないけれど(苦笑)。

 ただし。ただしである。『愚者たちの棺』と『浴室には誰もいない』をもってワトスンをこういうタイプというには、実はまだ早い気もしている。もしかしたら著者は毎回、方向性を変えているふしもあるわけで、これを確かめるには残りの作品も読むしかないのだろう。
 ということで、こうなったら創元推理文庫には今後も精力的に翻訳を進めてもらいたいものである。

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 ちょいと懐かしいところで河野典生の『殺意という名の家畜』を読む。
 著者は日本ハードボイルドの草創期に活躍した作家で、大藪春彦、高城高と並んで日本のハードボイルド三羽烏と称されることもある。
 ただし、いま現在の知名度においてはかなり開きが出てしまっているようだ。角川映画をきっかけに大ブレイクした大藪春彦、ここ十年ほどで再評価が進み、復刊や新作が相次いだ高城高と違い、ほぼ忘れられた作家になりつつある河野典生。数年前に亡くなったときが、最後のニュースとなったのではないだろうか。

 『殺意という名の家畜』は日本推理作家協会賞に輝いた作品で、著者の代表作のひとつといってよいだろう。
 こんな話。

 若くして犯罪小説家としてデビューした岡田晨一。そんな彼のもとへ、昔、一度だけ関係をもった星村美智から深夜に電話があった。今すぐに会ってほしいという彼女の頼みだったが、仕事の疲れから岡田は明日にしてくれとそれを断ってしまう。次の日の朝、彼女は郵便受けにはメモを一枚残し、そのまま失踪した。
 その翌日。星村美智の婚約者だというテレビ局のディレクター・永津が岡田のもとを訪ねてきた。事情を聞くうち、何とはなしに興味を持つ岡田。そして永津の頼みをきき、彼女の行方を捜し始めるのだが……。

 殺意という名の家畜

 おお、正統派ハードボイルドである。しかもなかなかのレベル。ハードボイルド三羽烏のうち河野典生だけが忘れられた存在になりつつあるが、その理由は作品のせいでは決してないだろう。

 失踪者の捜索。それも自分がかつて一度だけ関係をもった女性の捜索という導入が、まずそれっぽくていい感じだ。
 そもそも主人公には彼女を捜す義理や関係性はほとんどない。しかし、いくつかの断片的な記憶や事実が心に小骨となって引っかかり、それが主人公を突き動かしてゆく。
 実はこういうディテールがハードボイルドでは重要で、あからさまに主人公の心情を描くのではなく、そういう簡潔な描写の積み重ねによってイメージを読者に伝えるのが作者の腕の見せどころなのである。本作の場合、なぜ主人公が調査に乗り出すのか、その心情が静かに伝わってきて、そういう意味で河野典生はハードボイルドの本質をきちんと掴んでいる。
 ただ、基本的には巧い文章だとは思うのだが、ところどころ走りすぎというか、わかりにくい描写も見られるのがやや気にはなった。

 ストーリーはそれほど派手ではなく、事件のスケールもまずまずといったところなので、昨今の読者にはやや地味に思われるところはあるだろう。加えて、地道な調査によって少しずつヒロイン星村の素性が明らかになるところ、事件の背後にあるものが徐々に浮かび上がる構図も、非常にオーソドックスだ。
 しかしながら、この時代にあって、既にここまで完成されたハードボイルドをものにしていることが素晴らしいのであって、むしろこれは賞賛すべきだろう。
 一応はサプライズも用意されているし、トータルでは意外なほどそつのない作品に仕上がっている印象である。ハードボイルドファンなら一度は読んでおいて損はない。

 なお、著者はハードボイルドでスタートしたものの、実は途中でスランプに陥り、復帰以後はSFや幻想小説に手を染めるようになった。こちらのジャンルの代表作もそのうちに読んでみたい。

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 立川のシネマシティで映画『ドクター・ストレンジ』(監督:スコット・デリクソン)を鑑賞。ベネディクト・カンバーバッチが主演ということ、マーベルのアメコミが原作ということは知っていたが、そのほかの知識はまったくなく、決め手は単純にテレビの予告編のCMである。高層ビルや街がねじれる映像がけっこうなインパクトだったので、単純に興味を持ってしまった次第。

 こんな話である。
 スティーヴン・ストレンジは数々の脳外科手術を成功させてきた天才外科医。しかし、その能力の高さゆえ慢心し、傲慢な性格であった。
 ある日のこと、スティーヴンは車の運転中に大事故を起こし、両手に大きな障害を負ってしまう。様々な治療や手術を試すも機能は戻らず、それは外科医生命の終わりを意味していた。
 捨て鉢になるスティーヴンだが、あるときチベットにどんな傷も治せる師がいるという話を聞き、藁にもすがる思いでチベットのカマー・タージへと向かった……。

 ドクター・ストレンジ

 マーベル作品に詳しいわけではないので全然知らなかったが、中にはこういう東洋系、魔術師系のパワーをもったヒーローもいるのだね。
 ただ、キャラクターとしては異色で面白そうなのだが、こういう東洋系や魔術師系タイプをネタにした作品は、映画でも小説でもだいたいが観念的なストーリーや闘いになってしまって、ラストはぐだぐだということも多い。まるでドラッグ中毒者の幻覚でも見るような映像でごまかされるというか、いつのまにか主人公が覚醒していたり、敵を倒していたりというパターンね。
 本作もそういう意味ではほぼほぼ予想どおり。主人公が魔術を取得するあたりまでは悪くないが、後半は厳しい。まあ、いろいろな要素が理詰めで構築されるのではなく、そういうことになっているという前提だけで物語が進むから、やはりストーリーに対する期待感は見ていてもまったく湧き上がってこない。

 それを救っているのが、やはり映像だろう。もはや現代のCG技術で再現できない映像などないのだろうから、あとはセンスや着想の勝負。
 その点、本作は十分合格点である。高層ビルや町並みを捻ってみせたり、重力の向きが変わる中でのアクションはスピィーディで迫力あり。
 また、ラストの時間が巻き戻る中、つまりフィルムの逆回し状態だが、その時間が戻るなかで自分たちだけは順回しで戦っているというのは、ありそうでなかったパターン。別の次元とかではなく、同時に干渉しあっている状況がすごいのである。映像技術としてはそれほど難しくないのかもしれないが、これはアイディアの勝利だろう。

 ベネディクト・カンバーバッチは『SHERLOCK』以後、すっかり俺様キャラや天才役が嵌っているが、本作でもそれは健在。旬な役者さんをこういう映画に起用してしまうディズニーもすごいが、受けるカンバーバッチもえらいものだ。
 ほかのキャストで気になったのは、師匠のエンシェント・ワンを演じたティルダ・スィントンか。途中から脳内で三蔵法師に変換されて困ったが(苦笑)、あのクールでインテリジェンスな雰囲気はいいよなぁ。

 というわけで、いいところ悪いところいろいろと挙げてはみたが、トータルでは60点、まずまずというところか。ラストの決着も含めてもう少し爽快感はほしいかな。

 ちなみに続編を匂わすようなエピソードがエンドロール後にあるのは珍しくもないが、今回、ふたつもあったのには驚いた。ひとつはマイティ・ソ−・シリーズ、もうひとつは正当な続編っぽいが、ネットで調べるとアベンジャーズにもつながるようで、ううむ、まったく商魂たくましいですのぉ。さすがだわ。


 論叢海外ミステリからちょっと古めの一冊。エラリー・クイーンのパスティーシュやパロディ作品をまとめたアンソロジー『エラリー・クイーンの災難』を読む。編者はエラリー・クイーン研究家として知られ、エラリー・クイーンファンクラブ会長も務める飯城勇三氏。
 まずは収録作から。

【第一部 贋作篇】
F・M・ネヴィンズ・ジュニア「生存者への公開状」Open Letter to Survivors
エドワード・D・ホック「インクの輪」The Circle of Ink
エドワード・D・ホック「ライツヴィルのカーニバル」The Wrightsville Carnival
馬天「日本鎧の謎」日本木制鎧甲之謎
デイル・C・アンドリュース&カート・セルク「本の事件」The Book Case

【第二部 パロディ篇】
J・N・ウィリアムスン「十ヶ月間の不首尾」The Months' Blunder
アーサー・ポージス「イギリス寒村の謎」The English Village Mystery
リーイン・ラクーエ「ダイイング・メッセージ」Dying Message
ジョン・L・ブリーン「CIA:キューン捜査帖〈漂窃課〉 画期なき男」C. I. A.: CUNE'S INVESTIGATORY ARCHIVES PLAGARISM DEPARTMENT The Idea Man
デヴィッド・ピール「壁に書かれた目録」The Cataloging on the Wall
J・P・サタイヤ「フーダニット」WHODUNIT?

【第三部 オマージュ篇】
ベイナード・ケンドリック&クレイトン・ロースン「どもりの六分儀の事件」The Case of the Stuttering Sextant
ジェイムズ・ホールディングアフリカ川魚の謎」The African Fish Mystery
マージ・ジャクソン「拝啓、クイーン編集長さま」Dear Mr. Queen, Editor
ジョシュ・パークター「E・Q・グリフェン第二の事件」E. Q. Griffen's Second Case
スティーヴン・クイーン「ドルリー」DRURY

 エラリー・クイーンの災難

 世界初のクイーン・パスティーシュ集という触れ込みなので、それはいいのだけれど、いかんせんホームズのパスティーシュほど作品数が多くないせいか、粒揃いの作品集とはいかなかったようだ。正直、出来不出来の差はけっこうある。

 そんな中で健闘しているのが、第一部の贋作篇。真面目にクイーンの作風をなぞっており、どれも楽しめた。
 トップを飾るのはクイーンの伝記評論が翻訳刊行されたばかりのネヴィンズ・ジュニア による「生存者への公開状」。事件のメイントリックよりもネタの落としどころが面白い。
 クイーンの代作経験もあるホックは二作収録されているが、オススメは「インクの輪」。連続殺人の謎を追ういわゆるミッシング・リンクものだが、長篇にできるぐらいの魅力と謎をそなえた佳作。パスティーシュでここまでやるのは少々もったいない気もするが(苦笑)。
 珍しや中国からの作品は馬天「日本鎧の謎」。着想は悪くないのだが、ここまでいくと同人っぽいというか少々やりすぎで、個人的には入り込めない。
 「本の事件」もなかなかいい。老いたクイーンが、なんとジューナの子供たちが巻き込まれた事件の謎を解く。クイーン自身の著作をトリックにしていたり、パスティーシュゆえの魅力や仕掛けがふんだんに盛り込まれた佳作。ただ、ジューナ一族の扱いが酷くて、クイーンファンの一人としてはそこが不満。

 第一部に比べ、第二部のパロディ篇はそうとうきつい。単純にパロディやミステリとしてつまらないものが多く、ほとんどが言葉遊びに終始する作品ばかりである。海外作家のクイーンに対する印象が垣間見えて、そこだけは興味深い。
 ただし、J・P・サタイヤの「フーダニット」だけは例外。なんとスタートレックにクイーン父子が乗り込んで殺人事件を解決するというもので、その設定だけでも十分面白いのだが、冒頭からそれをさらに上回る仕掛けが施されていたことに唸らされた。
 とはいえ、これは逆にスタートレックファンが怒るんじゃないか(苦笑)。

 第三部のオマージュ篇も第二部と似たり寄ったり。しかし、こちらも最後に収録されているスティーヴン・クイーン「ドルリー」については別格でよくできている。
 本作は著者名やタイトル名からもわかるように、クイーンのオマージュであると同時にスティーブン・キング『ミザリー』のパロディにもなっている。しかも『ミザリー』の世界観に恐ろしいぐらい見事にクイーン自身やドルリー・レーンというキャラクターをはめこんでいる。
 そもそも元がホラーなのでミステリとしては大した作品ではないのだけれど、いやいや、パロディとしてはなかなかお見事である。
 ちなみに解説では、作者の正体についてはぐらかされているが、『ミザリー』以降の時代であれば作者不詳などということもないだろうから、これはおそらく日本人、それこそエラリー・クイーンファンクラブの誰かが書いたものではないかな。

 ということで、そこそこクイーンを読みこんでいないと楽しめない作品ばかり、おまけに収録作の出来の差も激しいけれど、クイーンのファンなら楽しめる一冊といってよいだろう。
 マイフェイヴァリットは「インクの輪」、「本の事件」、「フーダニット」、「ドルリー」といったところで。

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