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 ヘレン・マクロイの『ささやく真実』を読む。まずはストーリーから。

 誰もが認める美女ながら、悪趣味ないたずらで騒動ばかり起こしているクローディア。そんな彼女が知人の科学者から盗み出したのが、新発明の自白剤。彼女は自宅のパーティーでカクテルにこれを混ぜ、皆にふるまおうというのだ。
 そしてパーティー本番。クローディアの企みは見事に成、宴は暴露大会と化すが、その報いか、彼女は何者かに殺害される。その直後に現場を訪れた精神科医ウィリング博士は、犯人が物音に気づいて逃走したことから推理を展開させてゆく……。

 ささやく真実

 精神科医ベイジル・ウィリング博士のシリーズ第三作目ということで、比較的初期の作品。まだこの頃は後期のようなトリッキーさも感じられず、どちらかというとオーソドックスな本格ミステリの雰囲気である。
 そのなかにあって自白剤によって秘密を暴露するという設定だけは少々突飛なのだが、これもぎりぎり許せる範囲か。全体的にはおとなしめのストーリーながら、自白剤によって巻き起こるドタバタや人間模様が物語の芯になっており、それがいい味付けとなっている。
 また、謎解きについては“音”の扱いがなかなか巧い。こういうネタだけで二転三転させ、しかもストーリーを引っ張ってくれるのはやはり実力者の証。決してマクロイのなかでは上位にくる作品というわけではないが、フーダニットとしては十分に楽しめる作品といえるだろう。

 とりあえず本作も満足。マクロイはまだまだ未訳が残っているが、このぐらいのペースでよいのでぼちぼち紹介が進んでいくと嬉しいねぇ。


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 ピエール・ルメートルの『天国でまた会おう』下巻読了。
 第一次大戦で顔に大怪我を負ったエドゥアールと、そのエドゥアールに命を救われたアルベールは共同生活を送るが、エドゥアールは薬に溺れ、アルベールは生活費と薬代を稼ぐために疲弊していた。しかし、あるときエドゥアールは戦死者を悼む記念碑を利用した途方もない詐欺計画を思いつく。
 一方、二人の元上官ブラデルはエドゥアールの姉と結婚し、彼もまた戦死者を利用した埋葬事業に乗り出していたが……。

 天国でまた会おう(下)

 戦争に翻弄された男たちやその家族の姿を描くことで、人間の素晴らしさ、そして同時に愚かさを描く雄大なドラマである。
物語の背景が第一次世界大戦におけるフランスということもあり、やや日本人には馴染みの薄いところもあるが、ほどよく流れのなかで説明されているので、理解に困ることはないだろう。

 それにしてもルメートルは達者な作家である。本作にしても重いテーマではあるのだが、語り口は比較的軽く、しかも軽いイコールわかりやすさというのではなく、カミーユ・ヴェルーベン警部シリーズでも感じられた、シニカルな笑いやアイロニーや見え隠れする。
 だから軽いとはいいながら、ストーリーの表面だけを追うのは実にもったいない話で、登場人物たちが何をどのように感じているのか、じっくりと噛み締めながら読むのがおすすめ。そもそも戦争に対する思い、家族に対する思い、そんな感情は一言で説明できるものではなく、ルメートルは繰り返し繰り返し登場人物たちを通してそれらの感情を積み重ねてゆく。そこを味わいたい。

 気になる点もないではない。これは作者があえてやっているのかどうかは不明なのだが、キャラクターの造形が少々デフォルメしすぎではないかということ。 たとえばブラデルなどはちょっと敵役としては深みが足りない感じである。
 全体ではぎりぎりのところで抑えてはいる感じだが、それでも少々わざとらしい言動が目につく。これをやりすぎてしまうと、結局はステレオタイプな登場人物ばかりになり、それこそ軽いだけの物語になってしまう。
 これはカミーユ・シリーズでも感じたことだが、あちらはシリーズものの面白さとしてまだ効果的にも思えたのだが、ううむ、やはりこちらではやりすぎかな。

 まあ、その点を除けばルメートルの味わいや良さは堪能できるし、おおむね満足。でも、やはり次はミステリを読みたいかな。


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 ピエール・ルメートルの『天国でまた会おう』をとりあえず上巻まで読む。カミーユ・ヴェルーベン警部三部作ですっかり日本での人気も定着した感のあるルメートルだが、本作は2013年に発表したノンシリーズ作品である。

 天国でまた会おう(上)

 第一次世界大戦も終わりが近づいてきた1918年11月。西部戦線においてフランス軍の青年アルベールは、上官ブラデルの悪事に気づいたことで、戦場で生き埋めにされてしまう。そのとき彼を助けたのが同じ部隊に所属する青年エドゥアールだった。しかし、その直後、二人を爆発が襲い、エドゥアールは顔に大怪我を負ってしまう。
 やがて終戦。しかし顔の傷が原因なのか、エドゥアールはなぜか家族のもとには帰らず、それどころか家族とのつながりを絶ちたいと願う。命の恩があるアルベールはやむを得ず書類を偽造し、エドゥアールを戦死したことにさせ、二人で共同生活を始めるのだが……。

 非ミステリであることは知っていたが、これはいってみれば大河ドラマの趣か。戦争によって人生を変えられた男たちのドラマである。
 上記のアルベールとエドゥアールがとりあえずの主人公だが、これにおそらく上官ブラデルも加えてよいだろう。真面目だが優柔不断で気弱なアルベール。実は資産家の息子で画家としての才能もあり、反骨精神もあるエドゥアール。目的のためなら手段を選ばない典型的な悪玉のブラデル、この三者三様の生き方が、大戦後の混沌としたパリを舞台に交錯する。
 今のところはこれまで読んできた著者のどの作品とも雰囲気は違うけれど、重い物語のなかに独特のアイロニーやペーソスが見え隠れするのはルメートルらしいといえばらしい。このあと物語がどう転んでいくのか、ルメートルのお手並み拝見といったところだろう。
 詳しくは下巻読了時に。


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 ミステリ珍本全集の掉尾を飾る鷲尾三郎『屍の記録』を読む。
 クラシックミステリの復刻がもはやブームの枠を超え、マニア相手の定番ビジネスとして定着した感もある昨今――いやな書き方だな(笑)――この十何年ほどで相当にレアな作家や作品が紹介されてきたのだが、それでもなかなかお鉢が回ってこない作家もいるわけで、さしずめ鷲尾三郎などはその筆頭格であろう。
 考えると不思議な話である。鷲尾三郎は作品数もそれなりにあるし、これまでのラインナップをみると論創ミステリ叢書でまとめられても全然おかしくないレベル。しかも、相変わらず古書価も相当なもので、人気も決して低くはないはずなのに。ううむ。

 まあ、それはともかくとして、そんな渇きを癒してくれる嬉しい一冊が本書『屍の記録』である。

 屍の記録

PART 1 『屍の記録』
「屍の記録」
「雪崩」

PART 2 『呪縛の沼』
「呪縛の沼」

PART 3 『単行本未収録短編集』
「生きている人形」
「魚臭」
「死の影」

 収録作は以上六作。全三部構成となっており、PART 1では春陽堂書店版『屍の記録』に収録された長編「屍の記録」と中編「雪崩」を丸ごと収録、PART 2は長編「呪縛の沼」、PART 3ではこれまで単行本未収録だった短編三作を加えた豪華版である。

 まずは表題作の「屍の記録」だが、本作は講談社が公募した〈書下ろし長編探偵小説全集〉最終巻の座を、鮎川哲也の『黒いトランク』と争った作品で、著者の長編ではかなり知られているほうだろう。
 代々の当主が謎の失踪を遂げる京都伏見の老舗造り酒屋。その若き当主がまたも消息を絶つ。当主の弟、本間新也の友人で探偵小説家の牟礼順吉は新也に請われて当地を訪れるが、本間家には失踪をめぐる狐の呪いの伝説があった……。
 複雑でどろどろの人間関係や狐の呪い、代々の当主消失の謎など、横溝正史ばりの盛り込み具合で、その世界観が抜群によろしい。一応は探偵役兼主人公をこなす牟礼順吉が、傍観者としてでなく、自身も事件の渦中に巻き込まれ、挙句にロマンスにまで発展する展開も楽しく、本格でこのリーダビリティはなかなかのものだろう。
 ここで終わればどんな傑作かと思うのだが、本格探偵小説としては肝心の部分が全然うまくいっていないのがご愛嬌(苦笑)。全体に粗いというか説明不足。何よりメイントリックがひどい。噂には聞いていたが、ああ、こういうレベルだったのかと(笑)。
 ということで間違っても傑作にはほど遠いのだが、この圧倒的な長所と短所のバランスの悪さが変な魅力となって、実に忘れられない作品となった。 まさにミステリ珍本全集にふさわしい一作といえるだろう。

 中編の 「雪崩」は、叔母の財産を狙う若いカップルが、殺人計画を企てる話。
 著者曰く「ハードボイルドの技法を用いた倒叙探偵小説」といいことだが、ううむ、基本的には文体のせいもあって全然ハードボイルドには思えなかったし、あえて倒叙というほどの仕掛けもない。
 むしろ、その辺にいる普通の若者がいかにして転落していくのかを描いた日本風ノワールあるいはクライムノベルとして読むべき作品で、主人公カップルの倫理観が徐々に壊れ、それに比例して犯行も少しずつエスカレートしてゆく展開が不気味。これをハードボイルドと言われると困るが、作品自体の質はなかなか悪くない。

  「呪縛の沼」も「屍の記録」同様、京都を舞台にした本格探偵小説である。
 三木氏のもとに届いた手紙。そこには京都・源泥池での事件を予兆する謎のメッセージが記されていた。知人の紹介を頼りに京都へ向かった三木氏は、目的の地に高名な医学者早川博士の結核療養所があることを知るが、時すでに遅く、早川博士は殺害されてしまっていた……。
 「屍の記録」と共通しているのは京都という舞台だけではない。長所や短所もまた、ほぼ同じような印象である。
 結核療養所という閉ざされた空間で渦巻くさまざまな人間関係。その療養所をとりまく源泥池という存在がいっそう雰囲気を盛り上げる。ストーリー展開も悪くなく、とりわけ終盤に発生するある事件は壮絶。本格でここまでの描写はあまり記憶がないほどだ。
 ただ、いかんせん短所も「屍の記録」同様で、本格としてはいまひとつ。終盤の謎解きもかなりダレ気味で余韻のかけらもないのが残念だ。

 「生きている人形」、「魚臭」、「死の影」の三短編は意外なことに幻想小説の類である。
 小品ゆえアイディア自体はそれほど期待するほどのものではないが、 「生きている人形」は叙情性にあふれ、絵画的な美しさを感じられて楽しめた。
 「魚臭」、「死の影」はテーマ自体はよくあるものだけれど、それよりも会話文の軽さがいただけない。もっとしっとりと、それこそ「生きている人形」のように書くだけでずいぶん良くなると思うのだが、なぜああもチープにまとめてしまうのか不思議である。

 というわけで、そろそろまとめ。
 珍しい作品だからというだけでなく、鷲尾三郎の作風の幅広さを理解するのにもよい一冊である。本格、クライムノベル、幻想小説の読み比べとまではいかないが、それぞれの持ち味はよく出ているし、以前に河出文庫で刊行された『鷲尾三郎名作選 文殊の罠』を合わせて読めば、本格を中心としたところはだいたい掴めそうな感じである。あとはアクション小説の類が残るが、こちらはそれこそ論創ミステリ叢書でまとめてもらいたいところだが、ううむ、やはり難しいかな。


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 明智小五郎の登場する作品を年代順に並べた「明智小五郎事件簿」もこれでようやく七冊目。すでに巷では十巻が出ており、読書ペースがじわじわ刊行ペースに離されつつある今日この頃である。

 とりあえずストーリー。
 塩原温泉のとある旅館の一室で、二人の男が対峙していた。一人は三谷という美青年、もう一人は中年の画家、岡田。二人の前にはそれぞれ水の入ったグラスが置かれ、どちらか一方には致死量の毒薬が仕込まれていた。これは美貌の未亡人・倭文子(しずこ)をめぐる、命をかけた男の対決だったのだ。
 やがて思わぬ形で決着がつき、生き残った男には倭文子との幸せな日々が待っているはずだった。しかし、その対決の直後から、倭文子の周囲では不気味な"吸血鬼"が出没し、奇怪な事件が続出する……。

 明智小五郎事件簿VII

 過去に二、三度は読んだことがあるので、場面によっては鮮明に覚えていたが、全体のストーリーはけっこう忘却の彼方で意外に新鮮に読めた。まあ、最後に読んだのはン十年前だし(苦笑)。
 で、今回あらためて読むと、いやはや、こんなに荒っぽい物語でしたか。荒っぽいというのは内容の破天荒さ、小説の作りとしての荒っぽさ、両方の意味においてだが、まあ完成度は決して高くはないけれども、乱歩のサービス精神が炸裂しまくった超B級の傑作といっても過言ではない。
 乱歩の通俗スリラー系の代表作というと、どうしても『魔術師』『黒蜥蜴』『人間豹』あたりが思い浮かぶのだが、ううむ意外に『吸血鬼』も捨てがたい。

 推したくなる理由はいくつかあるのだが、やはり見せ場の多さであろう。1929年、報知新聞に連載された作品だから、読者を引っ張るために毎回の見せ場が必要になるのは理解できるとしても、乱歩はやはり同時代のその他の作家に比べると格段に上手い。
 冒頭の毒薬対決はもちろん、テレビの天知茂版明智でおなじみの氷柱の美女だとか、生きながらの火葬シーン(ここでの母子のやりとりがまた切ない)、グロい吸血鬼=唇のない男"の登場、ボートチェイスに変装トリックなど、まあ、ようもこれだけ詰め込みましたなという感じ。

 そして、それらのスリルとサスペンスを彩るエログロ要素も満載。同時期に連載していた『黄金仮面』では掲載誌の性格を考慮して自粛せざるをえなかったものの、こちらではしっかり解禁。特にヒロイン倭文子については、バツイチ子供ありという設定もあってか、乱歩も遠慮なく妖艶さを盛っている感じである。
 ちなみにこの倭文子、淑女でもなく、かといって悪女でもなくという、なかなか微妙な設定なのだが、実はこの性格付けがあるから、事件の真相やラストがより効いてくる。このあたり乱歩の巧いところである。

 三つ目は『魔術師』で登場した後の明智夫人となる文代、そして本作が初登場となる小林少年の活躍だろう。陰惨な物語のなかで、この二人の活躍が一服の清涼剤の役割を果たす。まあ、そもそも清涼剤が必要なのかという問題はあるにせよ(苦笑)、その瞬間だけ、明るいスリラー調に転じるイメージがあって面白い。
 小林少年はまだキャラクターが固まっておらず、後の正義感の強い立派な少年というイメージではなく、まだやんちゃな雰囲気も漂わせていて楽しいところだ。

 というわけで、実は決してこんなに褒めるほどの作品ではないのだが、かなり過去のイメージを覆されたこともあって、今回、5割増しぐらいで推してしまった感じがなきにしもあらず(笑)。あしからず。


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 アカデミー賞の六部門を制覇した話題のミュージカル映画『ラ・ラ・ランド』を視聴。監督はデミアン・チャゼル、主演はライアン・ゴズリングとエマ・ストーン。

 なお、先に書いておきますが、当ブログで取りあげているからには何らかのミステリ要素があるのではと思った方、すいません。まったくそんな要素はございません。単に話題になっているから観てきただけですので念のため。

 さて、まずはストーリー。
 舞台はロサンゼルス。ハリウッドのカフェで働くミア(エマ・ストーン)は、いくつものオーディションにチャレンジしている女優の卵。演技の勉強はもちろん、同じ立場の友人たちと情報交換しながら人脈も広げようと頑張っているが、一向にうだつの上がらない毎日だった。
 一方、セブは、ジャズの老舗バーで働くピアニスト。しかしながらジャズでは儲からない店がジャズを捨てつつある現状を嘆き、いつかは自分の店をもちたいと考えていた。
 そんなある日のこと。ミアはたまたま耳にしたピアノの音色に惹かれ、とあるバーに入っていく。演奏していたのはもちろんセブ。ところが直後にセブと店のオーナーが口論となり、その場でセブはクビ。セブは声をかけようとしたミアも無視して店を後にする。
 そして数ヶ月。あるパーティーに参加したミアは、そこで余興の演奏をしていたセブと再会する……。

 なるほど。普段はあまりミュージカル映画を観るほうではないけれど、決して嫌いなわけではない。むしろ本作も十分楽しむことはできたのだが、まあ世間で騒がれるほどの映画とまでは思わなかった。

 理由はいくつかある。。
 まず、セリフのように歌う場面が多く、華やかな感じが少なく思えたことがひとつ。大人数で謳うシーンもあまり多くはなかったかも。
 こういうのを狙ったのかもしれないが、ストレートに夢の世界〈ラ・ラ・ランド〉に運んでくれる成分が少ないというか、そういう意味での物足りなさは感じてしまった。

 二つ目としては、登場人物の性格付けやストーリーがいまひとつ緩いのではないかということ。例えば、セブは古き良きジャズを復興させたいのか、あるいは単に自分好みのバーを作りたいのか、その辺が曖昧。
 だから、ミアがセブの若者ウケしそうな現代的ジャズバンド活動を批判するシーンでも、単に店の資金を稼ぐのが目的なら、ミアはあそこまで怒る必要はまったくない。逆にジャズ復興がセブの夢なら、日和ったセブに対するミアの批判はごもっとも。でもセブの夢が物語のなかではっきり示されていないので、結局このエピソードが観る側にピシッと伝わってこないのである。

 ミアにしても演技が本当にいまいちだからオーディションに受からないのか、あるいは人脈がないと採用されない悪しき慣習の被害者なのか、釈然としない。ミアが一発逆転を図る一人芝居でも、そもそも無名の女優の卵がやっても客が入るわけもないし、一人芝居をやる意味がまったくない。それでも大御所の関係者が来るという理屈や説明でもあればまだしも、それもないしなぁ。
 普通に考えれば、才能はあるのに認められるきっかけや人脈がない、というストーリーだとは思うけれど、その説明が圧倒的に弱いから、ところどころで?となるのである。
 まあミュージカル映画にストーリーまで求めるなという声もあるだろうが、サクセスストーリーたる本作では、肝中の肝の部分であるから、これらはきちんと描いてほしかったところだ。

 とまあ、ひっかかる点はいろいろあるのだが、いいところもある。
 まずはオープニングを飾る高速道路でのダンスシーン。長回しを多用したカメラワークは他の場面でも見られたが、ここはカメラが縦横無尽に駆け回っている感じで、とにかく気持ちよい。
 上で大人数で歌い踊るシーンが少ないと書いたが、ここが最初にして最高の見せ場かも。

 メリハリの効いた色使い=映像もなかなか鮮やかでよい。これも序盤になるが、ミアと仲間たちとドレスで着飾って出かけるところとか非常に映像映えするシーンである。けっこう原色を使っているのも、昔の映画へのオマージュだという。
 新しいけどクラシックな感じというのは本作全編にわたって感じられるところだが、もちろん作り手が強く意識していたということでもあるだろう。

 そしてラスト十分間も見逃せないところだ。ここはネタバレになるので詳しくは書かないが、ここがあるとないとでは、本作の感想もまったく違っていたかも知れない。それぐらい驚きの十分間である。

 というわけで本作は最初と最後の十分間が必見。いろいろケチもつけたが、考えるとこのふたつを観ただけで元はとれたような気がするな、うん。


テーマ:洋画 - ジャンル:映画


 E・D・ビガーズの『黒い駱駝』を読む。ホノルル警察の中国人警部チャーリー・チャンを探偵役とするシリーズからの一作である。
 チャーリー・チャン・シリーズは全六作あるのだが、ひと頃は創元推理文庫の『チャーリー・チャンの追跡』、『チャーリー・チャンの活躍』ぐらいしか読めなかったように記憶している(その創元版すら読めない時期もけっこうあったようだが)。ところが今では論創海外ミステリで本作のほか『鍵のない家』、『チャーリー・チャン最後の事件』も刊行されて、ずいぶん状況が変わってきたのは慶賀の至り。
 管理人もこれまでは創元の二冊しか読んだことがなく、それもン十年前のことなので、実に久々のビガーズである。

 まずはストーリー。
 長い航海を終え、ようやくハワイに到着した客船オセアニック号。その乗客のなかにはホノルルで映画のロケを予定している俳優や撮影隊の一行の姿があった。
 ただ、主演女優シェラー・フェインの身辺だけは少々慌ただしいことになっていた。同乗していた富豪の鉱山王ジェインズからプロポーズを受けていたのである。
 しかし、同じくフェインと同行していた占い師ターネヴェロの進言により、フェインはプロポーズを断ってしまう。そしてその理由の裏には、三年前、ハリウッドで起こった未解決殺人事件が関係していたのだ……。

 黒い駱駝

 帯に書かれた横溝正史絶賛したという惹句が目を引くが、まあ話半分に聞いていても、これはなかなか悪くない。
 本作が発表されたのは1929年。ヴァン・ダインがアメリカでミステリの大きなムーヴメントを巻き起こした頃と重なるわけだが、タイプこそヴァン・ダインとは異なるけれども、こちらもまた当時を代表する本格ミステリのひとつといってよいだろう。むしろ安定感ではヴァン・ダインより上ではないか。

 正直なところ本格ミステリとしてそれほど尖った作品ではない。チャーリー・チャンの推理も格別、鮮やかというわけではなく、どちらかというと事件の方で勝手に転がっていく感じで、そこが本格としての弱さをも感じてしまう部分だ。
 ただ、数々のギミックや胡散くさい容疑者を散りばめているから、真相を突き止めてゆくカタルシスは決して低くない。
 特に本作での肝となる、ハリウッドで起こった過去の事件の真相、また、怪しさ満点の占い師の正体、この二つの謎が今回の事件とも相まって、ストーリーを引っ張る力は十分。こういうところは金田一ものを連想させるところでもあり、横溝正史が絶賛した理由にもなっているのではないかと思う次第である。


テーマ:推理小説・ミステリー - ジャンル:本・雑誌


 先日、少しTwitterでもつぶやいたが、映画『アサシン クリード』の先行上映会にいく機会があったので参加してきた。開催したのは映画の原作となるゲーム「アサシン クリード」シリーズを開発しているユービーアイソフト。

 普段あまりゲームに縁がない方は知らないだろうが、実はこの原作のゲームがなかなか良シリーズなのである。
 主人公は中世ヨーロッパに暗躍したアサシン(暗殺者)の子孫という設定。そして主人公はアニムスと呼ばれる遺伝子記憶を追体験する装置により、過去の世界でアサシンの活動を体験していく。
 つまりゲームプレイは、この過去の時代でのさまざまな暗殺ミッションがメインとなる。あるときは屋根を駆け回り、あるときは壁をつたい登り、またあるときは高所からのダイビング。しかし、ここぞというときには人混みや風景に紛れ、アサシンブレードを利用してターゲットを瞬殺する。まさにアサシン。
 このパルクール的なアクションと人目を忍ぶステルス性アクション、二つの要素を併せ持つのが、シリーズ最大の魅力であり、特色なのだ。


 そんなシリーズの実写映画化ということで、最初はやや不安な部分もあった。
 なんせゲームの実写映画化といえば、だいたいは悲惨な結果になることが多いのが定説。「バイハザード」シリーズや「トゥームレイダー」シリーズ」は比較的いい方だと思うが、基本、原作との関係性がかなり希薄になってしまうものが多く、そういうのは原作のネームバリューだけを必要としているのであって、原作へのリスペクトなどが感じられないのはやはり観ていて不快である。
 さあ、その点、本作はどうだろう、というのがやはり大きな見どころ。
 監督はジャスティン・カーゼル、主役はX-メンシリーズのマグニートー役でおなじみマイケル・ファスベンダーという布陣だ。

 人間の自由意志をコントロールするという秘密が込められた”エデンの果実”。それを手に入れるため、中世ヨーロッパでは二つの組織の間で、長年にわたって争いが繰り広げられてきた。
 組織の一方は、”エデンの果実”によって人類全体をコントロールしようとするテンプル騎士団。もう一方は、人間の自由意志を重んじ、あくまで”エデンの果実”を封印しておこうとするアサシン教団である。
 ときは2016年。アブスターゴ財団のリッキン博士は、死刑囚カラム・リンチを獲得し、自らが開発した遺伝子記憶の追体験装置「アニムス」にカラムを接続させる。
 カラムこそマスターアサシンとして暗躍したアギラールの子孫であり、アギラールは歴史上”エデンの果実”に最も近づいた男ともいわれ、アブスターゴ財団は彼に記憶を追体験させることで、”エデンの果実”の在処を知ろうと企んでいた。アブスターゴ財団こそテンプル騎士団が設立した多国籍複合組織であり、”エデンの果実”による人類支配をいまなお企てていたのである……。

 なるほど。ドラマの部分はあくまで現代で進め、アクションシーンはほぼ中世で展開し、役目を切り分けているというのは、原作のゲームシステムをうまく反映させている。
 それほど複雑なものではないとはいえ、二つの時代の因果関係をちゃんと一本のストーリーに集約させているのもお見事。このあたり、やりすぎてグダグダになる作品も多いので。

 ストーリがそこそこしっかりしてくれれば、あとは本作最大のウリ、アクションシーンがどれだけ堪能できるかというところである。その点、パルクールを彷彿とさせるアクションは素晴らしい。
 パルクールとは障害物を越えながら目的地に効率的に移動することを目的としたスポーツ。壁や障害物、屋根をとにかく躊躇せず超えてゆく。立ち止まって越え方を考えたりしないところが素晴らしく、それだけに危険だが魅力もあるわけで、中世スペインの街なみで繰り広げられるアクションはまさに目を奪われんばかり。
 惜しいのはステルス系アクションについてはほとんど見せ場がないところ。まあ、あるにはあるのだが見せ方が弱くて、これは日本の必殺仕事人シリーズをぜひ参考にしてほしいぐらいである(笑)。ま、これは次作の課題といえるだろう。
  ともあれトータルでは予想以上の良作であった。ゲームの映画化ベストテンなどがあれば、まずトップグループ入りは間違いなかろう。

 ちなみにラストは続編のやる気満々な感じであったが、本作で現代におけるテンプル騎士団とアサシン教団の対立構造が明確になってしまったので、今後のストーリーはちと気になるところである。




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