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 梶龍雄の『リア王密室に死す』を読む。こんな話。

 舞台は戦後間もない京都。個性豊かな旧制三高の面々は、勉学に遊びにと、それぞれのエネルギーを注いでいた。そんなある日のこと、リア王という綽名での三高生・伊場が、密室状態となった下宿先で死体となって発見される。
 容疑は部屋の鍵を持っており、アリバイがはっきりとしない同居者のボン・木津武志に向けられたが、三高の仲間たちは武志の無実を信じ、推理を巡らせる。

 リア王密室に死す

 著者には 『透明な季節』『海を見ないで陸を見よう』『ぼくの好色天使たち』という戦争直後を舞台にした青春ミステリの三部作があるけれども、本作も基本的にはその系譜につながる作品である。
 したがって味わいもそれらの作品とかなり近いものがあり、戦後の風俗描写、そして主人公(木津武志)をはじめとする当時の若者の気質が鮮やかに描かれているのがいい。
 とりわけ旧制高校の学生という当時のエリート候補たちが、将来や友情、恋愛、時代の流れに翻弄されつつも自分を見つけていく姿は、当時ならではの純粋さであり、羨ましくもある。

 ちなみに旧制高校は高校とはいっても現代の高校とはまったく意味が異なる。
 というのも、旧制高校はいまでいう大学の教養課程にあたり、六年間の小学校、五年間の旧制中学(ここが現代の中学・高校にあたる)を経て、受験によって入学する。
 旧制高校では文系理系を問わず、古文から外国語、哲学、文学、歴史、数学、物理など幅広い“教養”を三年間みっちりたたきこまれる。特に外国語はかなりの比重をとっていたようで、ドイツの哲学書や文学などを原書で読むのが当たり前だったらしい。まさに同世代の1パーセントぐらいしかいないエリート集団であり、彼らは卒業と同時に全国の旧帝大へ無試験で入学することができ、そのときに学部もある程度自由に選べたらしい。
 そのため旧制高校に入ったあとも勉強は一応大変だが、大学入試の苦労がない彼らにとって、この三年間はまさに青春を謳歌できる期間、自分の将来を考える期間、良い意味でのモラトリアム期間となったのである。

 ちょっと話がそれたが、つまりは旧制高校という制度、そしてその制度の中で生きる学生たちには、独特の時間が流れていたわけである。梶龍雄が巧いのは、そういう独特の世界を描いて、単純に物語の雰囲気を際立たせるだけではなく、その描写のなかに事件の動機や伏線を巧みに溶け込ませたことにある。
 『海を見ないで陸を見よう』などでもその成果は素晴らしいものだったが、本作でもそれにひけをとらず、関係者の行動にどこか腑に落ちないところもあるのだが、それがなかなか見切れない。ラストの種明かしでようやくそういうことだったかと納得し、同時に事件関係者それぞれの心情がしみじみと伝わってくるのである。

 ミステリとしての驚きも十分満足いくものだろう。タイトルの密室については物理的なものだし、まあこんなものかという気はするけれど、それでもやはり世界観にマッチしていて悪くはない。
 そもそも本作については、密室はメインのトリックというわけではなく、実はよりインパクトのあるトリックが待ちかまえている。ロジックで解き明かせるかとなるとちょっと厳しい気もするが、伏線はもうふんだんに張られているので、我ながらこれに気づかないかなと呆れるほどである。

 なお、本作は実は二部構成。時を隔てて真相が解き明かされるという二重構造である。それほどボリュームもないせいかスムーズに解決まで進みすぎて、ちょっと構成的にバランスの悪さを感じてしまった。
 完全に誰かの回想とかにして収めるか、あるいはもっとボリュームを増やして調査の試行錯誤を含めた展開にしたほうがよかったのではないだろうか。

  そういうわけで少し不満もないわけではないが、本作はこれまで読んだ梶龍雄作品でも十分上位にくる出来だろう。といっても、まだ十作ぐらいしか読んでないけれど 。
 旧制高校を舞台にした作品は他にもまだ三作あって、本作に比べるとやや出来は落ちるらしいのだが、それでも読むのが楽しみである。


テーマ:推理小説・ミステリー - ジャンル:本・雑誌


 原口隆行の『鉄道ミステリーの系譜』を読む。「2017年度第17回本格ミステリ大賞」の評論・研究部門にもノミネートされた、鉄道ミステリーに焦点を合わせた評論・エッセイ集である。

 鉄道ミステリーの系譜

 鉄道ミステリー縛りという内容がやはり新鮮で、これまでありそうでなかったジャンル研究本である。著者はベテランの鉄道ジャーナリスト、版元も鉄道・交通系の専門出版社・新聞社ということで、ミステリにどこまで寄せた内容なのか気になるところだったが、これが予想以上にミステリ寄りで驚いてしまった。まあ、確かにそうでなければ本格ミステリ大賞にノミネートされることもないだろうから、当然といえば当然か。

 だが、十分にミステリ寄りではあるのだけれど、「交通新聞社新書」という新書で出たことからもわかるように、内容はそれほど濃いものではない。その中身は、古今東西の鉄道ミステリのあらすじ紹介でほぼ占められており、ミステリ者からするとそれなりに便利は便利なんだけれど、特別驚くほどの話はない。
 著者と版元が見据えているのはやはり鉄道・交通ファンであり、その人たちに新たな鉄道の楽しみ方を提案しているというのが、本書の本質だろう。鉄道には撮り鉄とか乗り鉄とか、マニアにもいろいろなスタイルがあることは知られているけれど、さしずめ本書は“鉄道ミステリによる読み鉄のススメ”といったところだろう。

 だから、本書についてはあまりミステリ側からどうこう言う本でもないと思うのだが、個人的に惜しいなと思う点をふたつほど挙げておこう。
 まずは紹介する作品が古今東西とは書いたが、やや時代的に狭いところ。海外ものは黄金期、日本ものは西村京太郎どまりなので最近のものはほぼ扱っていない。そのかわり日本ものなどはけっこうマニアックなものもあって(先日読んだばかりの丘美丈二郎とか)、このバランスが不思議である。著者の好みかな?
 もうひとつの注文は、鉄道がミステリのなかでどういうふうに活かされているのか、その分類ぐらいはほしかったところ。
 単に雰囲気を盛り上げるギミックなのか、それともアリバイなどのトリックに用いられているのか、鉄道ミステリといっても作品によってその扱いはさまざま。そこで読者の興味も大きく分かれるところなので、そういう解説はガイドブックの類であったとしても必要だったのではないだろうか。

 まあ、そんな感じで注文はあるけれども、こういう本が出ること自体は好ましいので、次はぜひミステリ側からも企画されることを期待したい。


テーマ:評論集 - ジャンル:本・雑誌


 クリストファー・ブッシュの『中国銅鑼の謎』を読む。
 論創海外ミステリはレアなクラシック作家を紹介してくれる実にありがたい叢書なのだが、今回のブッシュのように、そこそこ知られているのにまったく紹介が進んでいない作家をあらためて掘り返してくれるのも非常にありがたい。
 ブッシュの作品では、すでに『失われた時間』が論創海外ミステリから発売されており、これが悪くない作品だったので、この『中国銅鑼の謎』もけっこう期待して読み始めた。

 まずはストーリー。
 ビクトリア朝の屋敷をかまえ、年に一度は甥たちを招待する金持ちの老人ヒューバート・グリーヴ。しかし、赤貧に喘ぐ四人の甥たちにはまったく援助の手を差し伸べないため、その遺産だけをあてにする甥たちは、毎年しぶしぶそのパーティーに顔を出していた。
 だが、今年は少々、事情が違っていた。これまで絶縁していた妹エセルに遺産を譲るため、ヒューバートは遺言を書き直したいというのだ。
 そんななか屋敷に集まる関係者。そして食事を知らせる銅鑼がなったとき悲劇が起こる。ヒューバートは衆人環視の中、何者かによって射殺されたのだ……。

 中国銅鑼の謎

 おお、これも悪くないではないか。
 本作は1935年、ミステリ黄金期に書かれた本格探偵小説だが、当時の探偵小説の雰囲気や魅力をあますことなく味わえる。
 例えば、強欲で死んでも誰も悲しまない被害者がいて、かつ容疑者はみな善人っぽいという設定はけっこう重要なポイントだ。
 読者は被害者にまったく遠慮する必要がなく、安心してストーリーを楽しめ、だからこそより純粋に探偵小説のゲーム性を楽しむことができるのである。現代の小説にはあまりこういうことは思わないのだが、クラシックはやはりここが大事である。

 導入が巧い。プロローグ的に関係者の一部を倒叙的に登場させ、その後、屋敷に関係者が集まってくるという展開。期待をあおりつつ、伏線を張りまくる心憎い演出である。
 衆人環視のなかで行われる不可能犯罪もなかなかで、銅鑼で銃声をごまかすという犯行手段ながら、実はそれだけではすまさない仕掛けもあり、これが小粒ながらいろいろあって楽しめる。しかもメイントリックはかなり独創的だ(バカミスと紙一重ではあるが)。

 事件発生後も、探偵役ルドウィック・トラヴァースによる手書きの現場の見取り図が差し込まれたり、関係者全員が怪しいという状況でまったり聞き取り捜査が進められる。
 つまりはこういった、いかにもなストーリー展開や構図、雰囲気作りが本書には詰まっており、それはある意味、作り物感も強いのだが、それを含めて楽しめる一作なのである。
 これぞクラシック、これぞ探偵小説。衝撃度は低いが、『失われた時間』も良かったし、このレベルであればどんどん紹介を進めてもらいたいものだ。


テーマ:推理小説・ミステリー - ジャンル:本・雑誌


 『丘美丈二郎探偵小説選II』を読了。まずは収録作。

「恐怖の石塊」
「パチンコと沈丁花」
「汽車を招く少女」
「空間の断口」
「耳飾りの女」
「空坊主事件」
「竜神吼えの怪」
「ワルドシュタインの呪」
「種馬という男」
「トッカピー」
「波」
「電波公聴器」
「宇宙の警鐘」
「怪物「ユー・エム」」
「ミステリアンまた来襲す!!」
「科学党」
「幽霊」
「ポシブル・ケース」
「空とぶローラー」

 丘美丈二郎探偵小説選II

 ザクッとしたところは先日の『丘美丈二郎探偵小説選I』の感想でも書いたとおり。SFや怪奇をベースにしつつ、その真相を徹底して合理的・科学的に解明するというスタイルは、本書を読んだ後でもそれほど印象は変わらない。
 ちょっと興味深いのは、本書の解説で紹介している、かつて栗本薫が発表した丘美丈二郎論。そこでは丘美丈二郎が明確な目的、すなわち科学精神の啓蒙のみを目的として小説を書いたとしており、そのため彼の作品は、ミステリ系よりもSF系にこそ、より面白さが発揮されている述べている。
 ところが管理人としては、実はまったく逆の感想をもってしまった。
 丘美の目的はともかくとして、その作品はSF系よりミステリ系のほうが断然楽しめたのである。SFのほうはそれこそ作者のメッセージ性や科学的説明が前面に出すぎてしまい、なんだか論文でも読んでいるような味気なさが先に立つ。
 その点、ミステリ系の作品では、不可思議な現象を合理的に解明するという、絵に描いたような本格ミステリのスタイルを体現している。鮮やかに決まった場合、という条件付きではあるけれど、丘美の良さはむしろこちらのほうにこそ発揮されているように思う。その代表作が『〜I』に収録されていた「佐門谷」といえる。

 本書で印象に残ったものをいくつか挙げておこう。当然ながら、怪奇を前面に出しつつラストでその不思議を解き明かすミステリ系が多くなった。
 まずは「恐怖の石塊」。メインのネタがもう普通に数学で、これをSFミステリ的としてまとめる無茶に逆に感心してしまった(苦笑)。
 「汽車を招く少女」は「佐門谷」と味わいを同じくする怪談風の物語。真相も意外でほろ苦く、こういうタイプの作品をもっと書いてくれればよかったのだが、これが残念ながら少ないんだよね。
 「空坊主事件」と「種馬という男」は、著者のパイロット経験が生きている作品で、どちらも若干、納得しかねるトリックではあるのだが、こういうタイプも著者ならではの味があって楽しく読めた。


テーマ:推理小説・ミステリー - ジャンル:本・雑誌


 昨年末にNHK-BSで放映されたBBC製作の『そして誰もいなくなった』をようやく視聴する。放映後に発売されたDVD版である。

 さすがにもうあらすじ紹介はいいかなとも思うのだが、念のためザクッと書いておくと、アガサ・クリスティ原作のミステリで、いわゆるクローズド・サークルものにして、見立て殺人もの、さらに詳しくいうとマザー・グースものの傑作。孤島に招待された見ず知らずの十人の男女が、童謡の歌詞のとおり一人づつ殺されていくという物語である。
 本格ではあるがサスペンスとしても非常に秀逸であり、今年、日本でも初めて仲間由紀恵らの出演でテレビドラマ化されたのは記憶に新しいところだ。

 なお、今回、ネタバレありでいきますので原作・映像ともに未読・未見の方はご注意を。

そして誰もいなくなった

 本作の特徴は、概ね原作どおり忠実に作っているけれども——時代をきちんと1939年に設定しているところなど——要のところでは、独自の解釈や演出を加えていることだろう。
 その最たるものは、登場人物が過去に犯したと思われる犯罪が、止むを得ない事情の結果によるものではなく、明らかなる殺意がそこにあったと解釈していることだ。
 とりわけ最後に残る家庭教師のクレイソーンはヒロイン的な存在のため、これまでの映像化作品ではほぼ彼女の事件は過失として描かれている。ところが本作では彼女に殺意があったことを明示しており、まさにこの一点があるだけで、本作は忘れられない作品となった。

 ややもするとサイコ的な犯人像、被害者は過去がどうあれやっぱり被害者として描かれることが多い本作において、彼らもまた犯人以上に実は許すことのできない存在であったというのは、正直、クリスティの原作以上にテーマを重くしており、個人的には非常に評価したい。

 ちなみにクレイソーンの最後で犯人がその姿を現し、真相を明らかにするという演出を加えているのも見逃せない。
 『そして誰もいなくなった』のエンディングは、原作の迷宮入りになるエピローグで締めるパターン、舞台化や映像化でよくあるハッピーエンドと、大きく二つのパターンがあるけれど、これに三つめのパターンを作り出したようにも思う(アレンジではあるけれど)。

 演出ではこのほか、登場人物たちの意識をホラータッチで見せるやり方は心憎い。少々やりすぎのところもあって、原作を知らないと本当にホラーかと勘違いする視聴者もいそうだが、狙いとしては悪くないだろう。
 考えると、この演出を今年のテレビ朝日版はかなり参考にしたのではないだろうか。
 各人の演技も素晴らしく、若干デフォルメ気味にしているところが、全体のサスペンスや恐怖を盛り上げている。

 惜しむらくは序盤に殺害される登場人物の過去が、よくわからないまま進行してしまうところか。まあ、これは本作に限らず、『そして誰もいなくなった』の映像化では必ず直面する課題なのだが。そもそも序盤で殺害される連中は、自分の過去と向き合う前に死んでしまうから掘り下げる暇もないわけで。

 ということで基本的には十分満足できるBBC版『そして誰もいなくなった』。おすすめです。


テーマ:サスペンス・ミステリー - ジャンル:映画


 1960年から80年にかけて活躍した本格ミステリの作家、などと書くとまるで『本格ミステリ・フラッシュバック』の話のようだが、ちょうどこの時期に本場イギリスで活躍した本格ミステリ作家といえば、迷わずあげたいのがD・M・ディヴァインである。
 ストーリーとしては地味なものがほとんどだけれど、発端での謎の提出、中盤での周到なまでに貼り尽くされた伏線、そしてラストでの意外な結末。何よりそれらを支える巧みな人物描写。これらが高い水準で満たされ、その読み応えは抜群。しかもアベレージが高い。個人的にもお気に入りの作家の一人である。
 本日はそんなディヴァインの『紙片は告発する』をご紹介。

 舞台はイギリスの地方都市キルクラノン。その町議会議員ジョージ・エルダーの娘で、庁舎でタイピストとして働くルーシーが何者かに殺害された。
 ルーシーは死の直前、職場で拾った紙片に「よこしまなこと」が書かれているので警察に通報すると吹聴しており、その口止めが殺害の動機ではないかと推測された。
 折しも町では開発計画の入札にまつわる不正疑惑が持ち上がっていたが、それ以外にも町政に関する対立、あるいは複雑な人間関係など、水面下でさまざまな思惑がひしめいていた……。

 紙片は告発する

 まあ、ストーリーは相変わらず地味(苦笑)。
 なんせベースが町の議会や町政だし、その関係者の抱える秘密が徐々に明らかになっていくというストーリーである。イギリスの地方の議会や町政の裏側も、汚職に不倫、セクハラ、パワハラとけっこうリアルに描かれ、これではまるで昭和の社会派ミステリではないか。

 普通ならこんな辛気臭い設定と展開に辟易とするところだろう。ところがディヴァインの手にかかると、意外やこれが面白い。
 町議会の裏側という情報的な部分もあるけれど、やはりものをいっているのは丁寧な人物描写だろう。議員をはじめとして庁舎で働くさまざまな職員たちをよく観察しているなぁというのが率直な感想。もちろん議員や職員の仕事ぶりだけではなく、各人が個人的に抱える葛藤や悩みも絡めて読者の前に提示してくれるからいいのだろう。そんな闇の部分が最終的に殺人事件へと至る、その過程の描き方も鮮やかで、 結局はそういうドラマ作りの巧さなのだ。
 基本的には登場人物のほとんどが普通の人々だから、キャラクターを立てる作業はなかなか難しいと思うし、そのため多少は誇張された登場人物もいないではないが、それでもここまで描写できるミステリ作家は少ない。

 ドラマ作りといえば、本作では珍しく恋愛要素もガッツリ目に入れて、ストーリーに膨らみを与えている。主人公格の副書記官ジェニファーの不倫というネタなのだが、キャリアウーマンが恋愛と出世の間で悩みつつ、最終的には自分の意思で前に進んでいく。
 この描写がまたなかなかどうして達者なもので、聡明で知的な人間であっても、その人間的な強さは決して比例するものではなく、むしろ曖昧だったり一致しないからこそ人間は愛すべき存在なのだというのが上手く描かれている。
 もちろん本格ミステリなのでそれがメインはないのだけれど、これらの要素がなければ決して本作は面白いものにならなかったはずだ。

 ということで、やはりディヴァインはいい。
 実は本格ミステリとしては小粒で、それなりに意外なラストが待っているのは評価できるけれど、そこまで論理のキレがある作品ではない。本格要素だけでいうと過去作品の中では低い方だろう。
 しかしディヴァインの作品は上でも書いたように、人物描写なども込みであることが重要。本作はそちらの実力がいかんなく発揮されており、十分楽しめる一作といえる。


テーマ:推理小説・ミステリー - ジャンル:本・雑誌


 ゴードン・マカルパインの『青鉛筆の女』を読む。久々にまったくの予備知識なし、店頭で帯のキャッチに惹かれて買い求めた本である。
 なんせ惹句が煽る煽る。下手にまとめるのもあれなので、ここはそのまま引用しておこう。

MWA候補の超絶技巧ミステリ
書籍・手紙・原稿で構成される、三重構造の驚異のミステリ!
2014年カルフォルニアで解体予定の家から発見された貴重品箱。その中には三つのものが入っていた。1945年に刊行されたパルプ・スリラー。編集者からの手紙。そして、軍支給の便箋に書かれた『改訂版』と題された原稿……。開戦で反日感情が高まるなか、作家デビューを望んだ日系青年と、編集者のあいだに何が起きたのか? 驚愕の結末が待ち受ける、凝りに凝った長編ミステリ!


 ここまで書かれたら、そりゃあ気にはなる。しょぼい叙述トリックで終わるような予感もしたが、著者は若い頃にゲームや映画のシナリオも書いていたようだから、メタフィクション的なものにはけっこう慣れている気もするし、ここはだまされたと思って読んでみた次第である。

 今回、ややネタバレとなるので未読の方はご注意ください。

 青鉛筆の女

 まあ、結果からいうと、確かに凝った構成ではあるけれど、そこまで衝撃的な作品ではなかった。メタフィクションそのものを目的とするのではなく、著者の確固としたメッセージがあって、それを効果的に伝える手段としてのメタ的要素である。
 では、そのメッセージとは何かという話だが、それは第二次世界大戦中のアメリカにおいて行われた人種差別。しかも対象は日系人。もちろん、それは日本軍の真珠湾攻撃に端を発したものであり、そのため当時の現地の日系人がどのような悲劇に見舞われたかというものである。

 上手いといえば上手い。
 そのメッセージを主張するために、著者はまず日系人タクミ・サトーという作家志望の青年が書いた『改訂版』というハードボイルド小説を披露する。これが便箋に書かれた未刊の原稿である。
 その作中の主人公、日系人のサム・スミダは大学の教員で、最近、妻を殺人事件で失ったばかりである。しかし、警察が真剣に捜査をしているように思えないスミダは、自ら調査に乗り出す。ところが彼が入った映画館で停電が起こり、再び明かりがついたときから、不可思議なことが起こる。彼がこれまで生きていた痕跡がすべて失われ、学校や自宅の知人もみな彼のことを覚えていないのだ。

 この発端だけでも引きこまれるが、著者はここで第二の矢を放つ。それが女性編集者(すなわち青鉛筆の女である)からタクミ・サトーにあてて書かれた手紙である。
 編集者は「時勢柄、日系人を主人公にしては誰も本を買わない。他の国の東洋系にして、日系スパイと対決させるような話にしよう」と持ちかけるのだ。その指摘はもっともなものであり、サトーのことも非常に親身になって考えてくれているようであった。

 そして三本目の矢。タクミ・サトーが編集者の意向にそって書き直したと思われる、1945年に発表されたスパイスリラー『オーキッドと秘密工作員』である。
 主人公は韓国系の刑事ジミー・パーク。彼は映画館で起こった殺人事件に遭遇し、その影で暗躍する日系女性を追いかけてゆく。
 魅力的なのは、この『オーキッドと秘密工作員』と『改訂版』がプロットを共通とした対の物語になっていることだ。すなわち『オーキッドと秘密工作員』では捜査する側、『改訂版』では容疑者側を主人公とし、物語を両面から描いているのである。『改訂版』・書簡・『オーキッドと秘密工作員』、それぞれのパートが一巡したところで、もう読み進めずにはいられない。このリーダビリティは確かにすごい。

 まず注目すべきは、やはり二つの物語の真相だろう。特に『改訂版』は主人公のことを誰も覚えていないという状況があり、まあ、似たようなミステリは他にもあるが本作の場合はそれが徹底しているので、その仕掛けはさすがに気になるところだ。
  ただ、ここでひとつ疑問がおこる。『改訂版』の第一章は編集者が眼を通してはいるものの、第二章以降は『オーキッドと秘密工作員』として書き直して進めているだけに、その後の原稿はどうやって書かれたのかということだ。
 そして、それこそが著者の企みのひとつになっている。

 もうひとつ注目したいのは、この二つの物語をはさむ編集者とタクミ・サトーの関係性。時局が悪化する中、二人の周囲も慌ただしくなり、サトーにいたっては日系人収容所に連行されてしまう。
 編集者もまた夫を戦争で失い、『オーキッドと秘密工作員』の執筆と修正を通し、二人の絆がますます強まるように思えていくのだが実は……。

 とまあ、匂わせるような書き方はしてみたが、本作のメッセージは先にも書いたように、戦時の日系人の運命である。それは『改訂版』と『オーキッドと秘密工作員』を通しても描かれるのだが、実は書かれなかった物語=編集者とタクミ・サトーの物語において、もっとも強いインパクトを残すのである。
 『改訂版』がどのように書かれたのか、その裏にはどういう理由があったのか、なぜ『改訂版』の主人公、サム・スミダの存在が世の中から消されてしまったのか、どんでん返しと共にすべてがラストで暗示される。このプロットの組み立ては素直にほめておきたい。

 ただ、こういうふうに書いていると実に面白そうに見えるのだけれど、最初に書いたように、正直そこまでの満足感はないし、衝撃も受けなかった。
 その理由を考えてみるに、ひとつはラストのわかりにくさか。明快な説明を避けているのはかまわないけれど、暗示としては地味すぎるというか。これではどんでん返しをどんでん返しと気づかない人もいそうである。本当は腰砕けの作品ではないのだが、きちんと読まないと腰砕けにみえてしまうという不幸。
 また、そういった凝りすぎた構成や技巧の結果、そちらにばかり意識が誘導され、逆にメッセージ性を弱めることにつながっている。訴えたいことは非常にシンプルなだけに、それが技巧とそぐわないというか。ラストのわかりにくさも問題だが、むしろこちらのほうが罪は重いかもしれない。
 なんとも惜しい一作である。


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 江戸川乱歩の『明智小五郎事件簿VIII 「人間豹」』を読む。おなじみ明智小五郎の登場作品を事件発生順に並べたシリーズだが、これでようやく八巻目。通俗長篇スリラーのタームに入ったせいか、毎月読んでいるとさすがにちょっと飽きてきてしまい、前巻の「吸血鬼」から三ヶ月ほど間をあけての再開である。

 裕福な家庭に生まれ育った神谷青年の最近のお目当ては、カフェの女給・弘子。今日もカフェに出向いてはアルコールと会話を愉しんでいたが、そこへ別のお客・恩田から弘子に指名が入る。いったんは拒否した神谷と弘子だったが、そのお客のただならぬ風貌——巨大な眼と長い舌——に気圧され、弘子は仕方なく相手を務めることにする。
 その日の帰り道。恩田を見かけた神谷は思わず後をつけるが、その途中で恩田が犬を惨殺するところを目の当たりにし、あまりのショックに神谷は体調を崩してしまう。
 ようやく復調し、久しぶりにカフェへ出向いた神谷。しかし、弘子は行方不明となっており、神谷は恩田が怪しいとにらみ、以前にあとをつけた恩田の家を訪問する。ところがそこで恩田の父親に監禁され、しかも弘子が恩田によって惨殺される現場を目撃する……。

 明智小五郎事件簿VIII

 プロローグ的な事件でも相当なものだが、本作はこのあとも恩田=人間豹の暴れっぷりがたっぷりと描かれ、加えて明智小五郎が登場する中盤以降では、明智の妻、文代をめぐって丁々発止の闘いが繰り広げられる。
 とにかく乱歩の通俗スリラーもくるところまできたという感じである。特に文代が恩田につかまってからの展開は本作のメインイベント。裸で熊の着ぐるみに入れられ、恩田に鞭で打たれたり、本物の虎に襲われたりと、エログロ趣味も濃厚。
 もちろんそんなお話しなのでミステリ的な興味は非常に薄く、アクションとスリラー、エログロの三本柱で読者をワクワクハラハラドキドキさせればそれでよいという、まさに娯楽小説のど真ん中のような作品といえる。

 管理人的にはこれまでの感想でも書いてきたように、この路線でも全然OKなのだが、ミステリ的な仕掛けが薄いこと、ストーリーが波瀾万丈に見えて実は繰り返しが多く単調だったり、そちらのほうが残念だった。
 子供向けを含め、これが三〜四回目ぐらいの読了になるのだが、子供の頃はそれなりにドキドキして読んだものの、いまは物足りなさが先に立つ。乱歩の通俗長篇スリラーでも落ちるほうだろう。


テーマ:推理小説・ミステリー - ジャンル:本・雑誌


 タイトルどおり日本のミステリの歴史をたどった一冊。2014年に出た本だが、こういうものが新書で出るということ自体なかなか珍しい。
 もともと岩波新書や中公新書といったノンフィクション系の新書の使命は、あくまで一般的な教養書である。そこにマニアぐらいしか興味のないようなミステリの歴史というテーマをもってきて、果たして需要があるのかどうか。出版不況のなか、国産ミステリは比較的健闘しているほうとはいえ、人ごとながら心配である(苦笑)。

 日本ミステリー小説史

 まあ、それはともかく。
 せっかく新書で出してくれたからには、ミステリをたまに読むという程度のファンやミステリ初心者が、こういう本でミステリをより深く好きになってくれればいいわけで、そういう意味では十分に意義あることだろう。
 もちろん新書なので、内容的にそれほど深いものを期待してはいけないのは当然。むしろ即席でミステリ通ぶれるような、そんな俯瞰的な紹介をしてほしいところである。

 ところがそんな観点で本書を読んだ場合、その期待は裏切られることになる。その理由は、日本ミステリ史を構成する史実のバランスの悪さに原因がある。
 具体的に目次を見ると……

序章 ミステリー小説の誕生
第1章 ミステリー到来前夜の日本
第2章 最初の翻訳ミステリー
第3章 邦人初の創作ミステリー
第4章 ピークを迎えた明治二十六年
第5章 雌伏の四半世紀―ミステリー不遇の時代
第6章 捲土重来―盛り返してきたミステリー
第7章 探偵小説から推理小説へ
第8章 現代への潮流

 という感じで、本文は約260ページほど。
 わが国でミステリがミステリとして認知され、広く親しまれるようになったきっかけはやはり雑誌「新青年」や乱歩の登場によるところが大きいと思うのだが、これらの頃が紹介されるのはなんと第6章、180ページ前後のことなのである。これはあまりに遅すぎる。
 したがって以降はかなりの駆け足。さすがに乱歩については多少ページを割いているもの、残りは横溝正史、松本清張、仁木悦子らの大物をさらっとまとめている程度に留まる。
 紙面に限りのある新書のこと、作家の紹介が少ないというつもりはないけれども、 そもそもミステリとしての流れや発展は「新青年」誕生からが肝だ。戦時の統制や影響、各ジャンルの栄枯盛衰、出版社の動向など、重要な事実は山ほどあるわけで、触れられていない重要な事実が多すぎるのは残念としかいいようがない。
 つまりは「日本ミステリー小説史」と謳っているにもかかわらず、扱っている時代とジャンルが狭すぎ、とても日本のミステリー小説史を俯瞰できるようなものではないということである。

 では、著者は「新青年」以前のページでいったい何を書いていたのかというと、それこそわが国でミステリがミステリとして認知される以前のミステリについてである。
 まずは聖書に始まり、ギリシア神話やシェークスピアなど、西洋におけるミステリ要素を含んだエピソードや作品の紹介。舞台を日本に移すと、今度は江戸後期の大岡政談、明治期の翻訳物、涙香の翻案もの、そしてそれらの動きが近代の文壇に与えた影響などなど。

 で、実は著者がもっとも書きたかったのが、最後の「ミステリが近代の文壇に与えた影響」ではないかと推測できる。本書の著者、堀啓子氏はそもそも明治文学、特に尾崎紅葉の研究をしている方で、その研究を通して紅葉が海外の小説から影響を受けていることを知り、そこから当時人気だった翻訳ミステリへと興味がつながっていったらしい。実際、この明治期の部分が本書中もっとも力の入っている部分でもある。
 ただ、それならそれで「日本ミステリー小説史」などと大上段に構えず、「ミステリーの夜明け前」とか「乱歩以前」とか、素直にそういう縛りやタイトルにすればよかっただろう。江戸から明治にかけての記述など、読み応えのある部分もあるだけに、中身と外側がまったく一致していないことが、とにかく本書の最大の不幸である。
 そういえば本書の帯には、「なぜ日本はミステリー大国になったのか」という惹句があるのだが、本文にその答えは明示されていない。まあ、これは著者より編集者の責だろうが、こういうのも読者には傍迷惑なだけであろう。

 ちなみにAmazonを見ると相当辛いレビューが多いけれども、作家の紹介の分量や言及される内容については少々こだわりすぎであり、さすがに新書にそこまで望むのは酷な気がする。まあ、間違いの類は確かに困るが。
 それよりも管理人的には、『日本ミステリー小説史』というタイトルに見合った、適切な内容と売り方をしてほしかったということに尽きる。せっかくミステリファンが注目するような内容なのだから。


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 R・D・ウィングフィールドの『冬のフロスト』下巻を読了。
 デントン市内で起きた数々の事件は未だほとんどが未解決。マレット署長からは経費の節約と逮捕率の向上を口やかましく言われ続けるなか、フロスト警部は部下モーガンの失敗をかばいつつ、なんとか捜査を進めている。
 そのなかで最後まで混迷を極めるのが、悪質さではピカイチの少女誘拐事件と売春婦殺害事件。ついには女性刑事を使った囮捜査を開始するが、そこでまたもやモーガンが痛恨のミスを犯し、デントン署はは最大のピンチにみまわれる……。

 冬のフロスト(下)

 まずは安定した出来映えで、十分にフロストワールドを楽しむことができた。
 パターン自体はいつものとおりで、ミステリとしての仕掛けは特別大きなものもないのだけれど、複数の事件を同時進行させて、その絡み具合やドタバタを楽しむというスタイル。相変わらずプロットをしっかり作り込み、ストーリーにきちんと落とし込んでいるのはさすがである。
 このあたりは初期の作品より後の作品ほどこなれている印象がある。

 そしてそれを彩るキャラクターの魅力的なことよ。マレット署長とフロストのやりとりはいつもどおり笑えるし、今回はフロストから「芋兄ちゃん」と呼ばれるフロスト以下のダメ刑事・モーガンが大活躍。
 とはいえ本作では正直、やりすぎの嫌いもないではなく、ここまでダメな刑事をかばうフロストの心情がもうひとつ伝わりにくいのが難点か。
 フロストシリーズの魅力として、普段は勘に頼った行き当たりばったりの捜査しかできない下品オヤジのフロストが、ここぞというところでは自分を押し通し、人間味を見せるところがある。やはり根本は人間賛歌なのである。そこが読者の共感を呼びにくいエピソードになってしまうと、素直に笑えなくなってしまう難しさ。
 本作ではモーガン痛恨のミスが、まさにその状況を生んでしまい、その部分では不満が残るところだ。
 もしかすると次作というか最終作『フロスト始末』でフォローや違った展開があるかもしれないので、そこは期待したいところである。

 ともあれそんな気になる点も含みつつ、全体では十分に合格点。さあ、次はいよいよ最終作『フロスト始末』か。


テーマ:推理小説・ミステリー - ジャンル:本・雑誌



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