Posted in 07 2017
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梶龍雄『リア王密室に死す』(講談社ノベルス)
梶龍雄の『リア王密室に死す』を読む。こんな話。
舞台は戦後間もない京都。個性豊かな旧制三高の面々は、勉学に遊びにと、それぞれのエネルギーを注いでいた。そんなある日のこと、リア王という綽名での三高生・伊場が、密室状態となった下宿先で死体となって発見される。
容疑は部屋の鍵を持っており、アリバイがはっきりとしない同居者のボン・木津武志に向けられたが、三高の仲間たちは武志の無実を信じ、推理を巡らせる。

著者には 『透明な季節』『海を見ないで陸を見よう』『ぼくの好色天使たち』という戦争直後を舞台にした青春ミステリの三部作があるけれども、本作も基本的にはその系譜につながる作品である。
したがって味わいもそれらの作品とかなり近いものがあり、戦後の風俗描写、そして主人公(木津武志)をはじめとする当時の若者の気質が鮮やかに描かれているのがいい。
とりわけ旧制高校の学生という当時のエリート候補たちが、将来や友情、恋愛、時代の流れに翻弄されつつも自分を見つけていく姿は、当時ならではの純粋さであり、羨ましくもある。
ちなみに旧制高校は高校とはいっても現代の高校とはまったく意味が異なる。
というのも、旧制高校はいまでいう大学の教養課程にあたり、六年間の小学校、五年間の旧制中学(ここが現代の中学・高校にあたる)を経て、受験によって入学する。
旧制高校では文系理系を問わず、古文から外国語、哲学、文学、歴史、数学、物理など幅広い“教養”を三年間みっちりたたきこまれる。特に外国語はかなりの比重をとっていたようで、ドイツの哲学書や文学などを原書で読むのが当たり前だったらしい。まさに同世代の1パーセントぐらいしかいないエリート集団であり、彼らは卒業と同時に全国の旧帝大へ無試験で入学することができ、そのときに学部もある程度自由に選べたらしい。
そのため旧制高校に入ったあとも勉強は一応大変だが、大学入試の苦労がない彼らにとって、この三年間はまさに青春を謳歌できる期間、自分の将来を考える期間、良い意味でのモラトリアム期間となったのである。
ちょっと話がそれたが、つまりは旧制高校という制度、そしてその制度の中で生きる学生たちには、独特の時間が流れていたわけである。梶龍雄が巧いのは、そういう独特の世界を描いて、単純に物語の雰囲気を際立たせるだけではなく、その描写のなかに事件の動機や伏線を巧みに溶け込ませたことにある。
『海を見ないで陸を見よう』などでもその成果は素晴らしいものだったが、本作でもそれにひけをとらず、関係者の行動にどこか腑に落ちないところもあるのだが、それがなかなか見切れない。ラストの種明かしでようやくそういうことだったかと納得し、同時に事件関係者それぞれの心情がしみじみと伝わってくるのである。
ミステリとしての驚きも十分満足いくものだろう。タイトルの密室については物理的なものだし、まあこんなものかという気はするけれど、それでもやはり世界観にマッチしていて悪くはない。
そもそも本作については、密室はメインのトリックというわけではなく、実はよりインパクトのあるトリックが待ちかまえている。ロジックで解き明かせるかとなるとちょっと厳しい気もするが、伏線はもうふんだんに張られているので、我ながらこれに気づかないかなと呆れるほどである。
なお、本作は実は二部構成。時を隔てて真相が解き明かされるという二重構造である。それほどボリュームもないせいかスムーズに解決まで進みすぎて、ちょっと構成的にバランスの悪さを感じてしまった。
完全に誰かの回想とかにして収めるか、あるいはもっとボリュームを増やして調査の試行錯誤を含めた展開にしたほうがよかったのではないだろうか。
そういうわけで少し不満もないわけではないが、本作はこれまで読んだ梶龍雄作品でも十分上位にくる出来だろう。といっても、まだ十作ぐらいしか読んでないけれど 。
旧制高校を舞台にした作品は他にもまだ三作あって、本作に比べるとやや出来は落ちるらしいのだが、それでも読むのが楽しみである。
舞台は戦後間もない京都。個性豊かな旧制三高の面々は、勉学に遊びにと、それぞれのエネルギーを注いでいた。そんなある日のこと、リア王という綽名での三高生・伊場が、密室状態となった下宿先で死体となって発見される。
容疑は部屋の鍵を持っており、アリバイがはっきりとしない同居者のボン・木津武志に向けられたが、三高の仲間たちは武志の無実を信じ、推理を巡らせる。

著者には 『透明な季節』『海を見ないで陸を見よう』『ぼくの好色天使たち』という戦争直後を舞台にした青春ミステリの三部作があるけれども、本作も基本的にはその系譜につながる作品である。
したがって味わいもそれらの作品とかなり近いものがあり、戦後の風俗描写、そして主人公(木津武志)をはじめとする当時の若者の気質が鮮やかに描かれているのがいい。
とりわけ旧制高校の学生という当時のエリート候補たちが、将来や友情、恋愛、時代の流れに翻弄されつつも自分を見つけていく姿は、当時ならではの純粋さであり、羨ましくもある。
ちなみに旧制高校は高校とはいっても現代の高校とはまったく意味が異なる。
というのも、旧制高校はいまでいう大学の教養課程にあたり、六年間の小学校、五年間の旧制中学(ここが現代の中学・高校にあたる)を経て、受験によって入学する。
旧制高校では文系理系を問わず、古文から外国語、哲学、文学、歴史、数学、物理など幅広い“教養”を三年間みっちりたたきこまれる。特に外国語はかなりの比重をとっていたようで、ドイツの哲学書や文学などを原書で読むのが当たり前だったらしい。まさに同世代の1パーセントぐらいしかいないエリート集団であり、彼らは卒業と同時に全国の旧帝大へ無試験で入学することができ、そのときに学部もある程度自由に選べたらしい。
そのため旧制高校に入ったあとも勉強は一応大変だが、大学入試の苦労がない彼らにとって、この三年間はまさに青春を謳歌できる期間、自分の将来を考える期間、良い意味でのモラトリアム期間となったのである。
ちょっと話がそれたが、つまりは旧制高校という制度、そしてその制度の中で生きる学生たちには、独特の時間が流れていたわけである。梶龍雄が巧いのは、そういう独特の世界を描いて、単純に物語の雰囲気を際立たせるだけではなく、その描写のなかに事件の動機や伏線を巧みに溶け込ませたことにある。
『海を見ないで陸を見よう』などでもその成果は素晴らしいものだったが、本作でもそれにひけをとらず、関係者の行動にどこか腑に落ちないところもあるのだが、それがなかなか見切れない。ラストの種明かしでようやくそういうことだったかと納得し、同時に事件関係者それぞれの心情がしみじみと伝わってくるのである。
ミステリとしての驚きも十分満足いくものだろう。タイトルの密室については物理的なものだし、まあこんなものかという気はするけれど、それでもやはり世界観にマッチしていて悪くはない。
そもそも本作については、密室はメインのトリックというわけではなく、実はよりインパクトのあるトリックが待ちかまえている。ロジックで解き明かせるかとなるとちょっと厳しい気もするが、伏線はもうふんだんに張られているので、我ながらこれに気づかないかなと呆れるほどである。
なお、本作は実は二部構成。時を隔てて真相が解き明かされるという二重構造である。それほどボリュームもないせいかスムーズに解決まで進みすぎて、ちょっと構成的にバランスの悪さを感じてしまった。
完全に誰かの回想とかにして収めるか、あるいはもっとボリュームを増やして調査の試行錯誤を含めた展開にしたほうがよかったのではないだろうか。
そういうわけで少し不満もないわけではないが、本作はこれまで読んだ梶龍雄作品でも十分上位にくる出来だろう。といっても、まだ十作ぐらいしか読んでないけれど 。
旧制高校を舞台にした作品は他にもまだ三作あって、本作に比べるとやや出来は落ちるらしいのだが、それでも読むのが楽しみである。