ヘレン・マクロイの『月明かりの男』を読む。1940年に発表された著者の第二長編にしてベイジル・ウィリング博士シリーズの第二作である。
まずはストーリー。長男の進学の相談でヨークヴィル大学へやってきた次長警視正のフォイル。彼はそこで“殺人計画”が記された紙片を拾ってしまい、そこへたまたま現れたコンラディ教授にも意見を求める。ところがコンラディは予想以上に深刻にそれを受け止め、自分が死ぬことがあったら決して自殺ではないからと告げてその場を去っていった。
その直後、学内でブリケット博士が実験に使っていた拳銃の紛失騒ぎが起こり、気になったフォイルはその夜、再び大学を訪れたが、案の定その不安が的中した……。

未訳作品の紹介が進むにつれ、サスペンスの名手からいつの間にか本格の名手に変貌したマクロイだが、本作もまたオーソドックスな本格探偵小説である。
まず大学という舞台がいかにもそれらしい。そこに堅物の学者だけでなく、マッドサイエンティストもどきや俗物、ワケありの亡命学者など、個性的なキャラクターを配し、彼らとウィリングのやりとりだけでもなかなか読ませる。
加えて著者お得意の心理分析や精神医学などもふんだんに盛り込んでいるが、 後期の作品ほどひねった扱いではなく、嘘発見器だとか心理テストで捜査にあたるなど、そのストレートな使い方も楽しい。また、そんなテストの結果から推理するだけでなく、テストを拒否する者たちの心理を読んでいくところなど、十重二十重に仕掛けてくれるところも心憎い。
もうひとつ本作の特徴として目立つのは、やはり1940年という時代すなわち戦争の影響である。ストーリー上でも需要な要素として機能しているのだが、ことさら反戦などと騒ぎ立てるのではなく、ごく普通に物語の背景として用いているとところが恐れ入る。
カーの作品などもそうだが、こういう当時の英米作家の感覚やお国事情にはいつも考えさせられる。この彼我の差はなんなんだ。
ということで、驚くような大トリックなどはないけれども、マクロイの特徴でもある心理分析や精神医学がふんだんに盛り込まれ、実に楽しい一作である。これらの特徴はデビュー長編『死の舞踏』でもすでに顕著だが、二作目にして一気に上手くなっている印象である。