キリル・ボンフィリオリの『チャーリー・モルデカイ1 英国紳士の名画大作戦』を読む。
本書は英国貴族にして画商でもあるチャーリー・モルデカイを主人公にしたシリーズの一作。日本ではジョニー・デップ主演の映画化にあわせ、2014〜15年にかけてシリーズ全四作が立て続けに邦訳された。
ただし原作はそれほど最近のものではなくて、本書は1972年の作。英国推理作家協会のジョン・クリーシー賞を獲得しているので(なんと第1回!)、それなりに期待して読み始める。
物語はマドリードで盗まれたゴヤの名画の手がかりを探るべく、マートランド警視がチャーリー・モルデカイを訪ねるところから膜を開ける。やがてターナー作品の裏に隠された一枚の写真をきっかけにストーリーは転がり、チャーリーは石油王クランプフのヴィンテージカーをアメリカに運ぶことに……。

まあ、何と言っていいのやら(苦笑)。
主人公チャーリーは英国貴族にして画商という設定だが、実はチャーリー、もちろん芸術を愛してはいるが、同時に金も女も酒も好きという男で、金のためには裏稼業にも手を出すというインチキ画商である。
だから当然警察にも目をつけられ、学友にして警視のマートランドからはしょっちゅういびられ、その筋の方とのトラブルもしょっちゅう。そんなチャーリーを守るのが、下品ながらも純朴、しかも筋肉隆々のスーパー執事兼用心棒のジョックという構図。こういったクセのあるキャラクターが繰り出すドタバタやかけあい、ブラックジョークが最大の見ものであり、ミステリとしての面白みは薄い。
本書の解説にもあるのだが、確かにこれはモンティ・パイソンを彷彿とさせる。確かな知性と教養に裏打ちされたブラックな笑い。紳士淑女がいたって真面目な顔をして徹底的にバカをやるというパターンである。
また、主人と執事(用心棒)の二人による絶妙なかけあいの図式はP・G・ウッドハウスのジーヴズ・シリーズを連想させるし(ただし、味付けは強力な暴力と下ネタである)、 これはこれで英国風ユーモアのひとつのスタイルであることを実感させる。
ただ、とにかくその度合いが極端で、やり過ぎ感は半端ない。下ネタ、暴力、蘊蓄などがごちゃまぜになって、しかもその成分一つひとつが過激にして過剰。
なんせメインストーリーがなかなか進展しないぐらい、文中にふんだんにネタが盛り込まれる。ひとつひとつの笑いは決してつまらないわけではないのだが、文章でこれらを読まされるのは、かなり読者も積極的に読み解くことを迫られるわけで、 いかんせん思っていたほど笑う余裕が生まれない。
ジョニー・デップで映画化ということだが、うむ、これは映像の方がよいのかもしれない。モンティ・パイソンもそうだが、こういうのはキャストの表情や動きも込みで見るから笑いに昇華できるのであり、文章だけで100パーセント愉しむのはなかなかハードルが高い。
ラストがちょっとコンティニュー的なのでもう一作は読んでみようとは思うが、ううむ、シリーズ全作はちょっと辛いかな(苦笑)。