ツイッターでも少しつぶやいたが、本日は八王子の古本まつりに出かける。なかなかの規模で昨年はそれなりに釣果もあったのだけれど、今年はもう悲しいくらい何もない。そもそもミステリ関係が少なすぎる。仕方ないので角川文庫の福本和也とか草野唯雄の未所持本をひろってお茶を濁し、パブ・シャーロックホームズでキルケニーを飲んで退散する。
本日の読了本はロスマク読破計画、いや厳密にはリュウ・アーチャーものの読破計画になるが、その四冊目『象牙色の嘲笑』である。まずはストーリーから。
男勝りの女性ユーナが今回の依頼人。彼女は自分の家で雇っていた黒人女性ルーシーを探してほしいという。彼女は辞めたときにユーナのアクセサリー類を盗んだのだが警察沙汰にはしたくないという。アーチャーは彼女のいうことがまったく信用できなかったが、渋々依頼を引き受けることにする。
ルーシーはあっけなく見つかり、アーチャーは彼女のいたホテルをユーナに連絡した。これで調査は終わるところだが、ルーシーのことが気になるアーチャーはユーナとルーシーの会話を盗み聞きし、二人の間に何やら深い問題があるらしいことを知る。そして間もなくルーシーが喉をかき切られた状態で発見され……。

おお、これはいいではないか。前作『人の死に行く道』も悪くなかったが、傑作というにはまだ難しいいところだった。しかし本作は前期の代表作と言い切ってしまってよいだろう。
相変わらずプロットは複雑で、依頼人からしてそうなのだが、ほとんどの登場人物が胡散臭い。ルーシーはなぜ殺されなければならなかったのか、いったい何が起こっているのか。それぞれがそれぞれの思惑で行動するなか、富豪の御曹司の失踪事件までが絡み、さらに混迷を極める。アーチャーはその薄皮を一枚ずつ剥ぐような感じで調査を続けていく。
事件のベースにはアメリカの社会問題がいくつも内包されているが、アーチャーの調査によって事件の真相だけではなく、そういう面も浮かび上がってくる展開が見事である。
また、本作はハードボイルドとして味わい深い作品だが、そもそもミステリとしても十分なインパクトをもっている。
ルーシー殺害や御曹司の失踪はどう絡んでいるのか、最後の最後で明かされる事実はちょっとこちらの想像を超えるもので、犯人はなんとか予想できても、真相を解き明かすのは難しいだろう。しかもこの真相が明らかになったとき、本作の深みというか重みがより感じられるはずである。
気になる点もないではない。一番気になったのは、導入では実に印象的だったルーシーだが、ストーリーが進むにつれ、その存在感を失っていくことだ。事件の中心から外れていくといってもよい。
この事件ではアーチャーは早々に依頼そのものは完了してしまうため、そこには事件を追う強い動機が必要である。そのひとつにルーシーの存在があるはずなのだが、そこが中途半端になった感があるのはいただけない。
だいたいがアーチャーは他の作家の私立探偵ほど自分語りをしないタイプである。しかし、真実や正義に対する欲求・執念は相当なもので、そのやり方はときに荒っぽいのだけれど、そこが読者の共感を呼ぶところでもある。その原動力になるルーシーの存在感は、やはりラストまで何らかの形で引っ張っていくべきだったろう。
もうひとつ気になったこと。これは原作の責任ではないのだが、アーチャーの一人称が「おれ」になっていること。解説では訳者自らが「おれ」を用いた理由を説明してくれているけれど、やはり人生の傍観者たるアーチャーには(初期は確かにバイオレンスも多いけれど)「わたし」が似合うと思う。
ただ、管理人の読んだのは高橋豊訳のもので、その後「わたし」を用いた小鷹信光訳による新訳版も出ているので、もし読まれる方は両方を比べてみるのがよろしいかと。