マイクル・コナリーの『罪責の神々』を読む。

上巻ではハラーたちのチームの調査活動でストーリーを引っ張っていったが、下巻ではいよいよ法廷シーンをメインとして展開する。これが予想どおり面白い。ボッシュものとハラーものは陰と陽の関係と前回書いたが、より具体的で大きな違いがこの法廷シーンの部分であり、これがなくてはわざわざミッキー・ハラー・シリーズを読む意味はない。
本作には『罪責の神々』というタイトルがついているけれども、これもズバリ陪審員や陪審制度のことを指す。被告の有罪無罪を決定する陪審を神々に喩えているわけだ。
また、“罪責”を問われているのは単純に被告だけではなく、怪しげな被告を無罪に持ち込むハラー自身の行動や倫理観に対してもかかっている。本作においてはそういうハラーの職業的葛藤、さらにはそこから派生する家族の問題が掘り下げられ、“罪責の神々”というのはむしろハラー自身の内面について顕した語といえるだろう。
それでもボッシュものよりはだいぶライトなシリーズだけれども、かといってすべてが口当たりのいいお話でもない。エンターテイメントとしては非常にいいバランスを保っているといえる。
蛇足ながらちょっと気になっていることをひとつ。
講談社文庫から出ているマイクル・コナリーの作品はだいたい上下巻構成なのだけれど、これは一巻本にできないものだろうか。確かに今のまま一冊にするとちょっと厚いかなという感じだけれど、講談社文庫は文字組が緩いので、このあたりも同時に見直せば普通に一巻本にできるはずだ。
ただ、厚い本にすると売上に影響するとか、営業上の理由が大きいとは思うので、一概には言えないのだけれど。