アーナルデュル・インドリダソンの『湖の男』を読む。今では北欧ミステリを代表する作家の一人といってよい、アイスランド出身作家の邦訳最新刊(といっても、既に発売から九ヶ月ほど経っているけれど)。
ちょうどいま開催中のワールドカップでもアイスランドの健闘が見られたばかりだが、インドリダソンも然り。人口僅か三十万人あまりの小さな国から、このような世界的活躍ができるチームや作家が出ることにいつも驚かされる。
まあ、それはともかく、まずはストーリー。
干上がった湖の底から人骨が発見されるという事件が起こった。頭蓋骨には殴打されたと思しき穴が空き、そして奇妙なことに旧ソ連製の盗聴器が体に結びつけられていた。捜査に駆り出されたエーレンデュル捜査官は、地道な調査の末に、ある失踪事件に行き当たる。
時とところは変わって1950代の東ドイツ。ライプツィヒの大学へ留学したアイスランドの大学生トーマスは、社会主義に傾倒し、ヨーロッパ中から集まる若者たちと勉学に勤しんでいた。しかし、ハンガリー人の女性と親しくなったことで、恐ろしい真実に直面することになる……。

納得の一冊。
毎回、アイスランドの現代史の闇を掘り起こしているインドリダソンだが、本作もその例に漏れず。今回は冷戦時代の社会主義・共産主義の脅威が、アイスランドに与えた影響、そしてそれによって引き起こされた悲劇を綴っている。
社会主義を信奉する学生トーマスは理想世界の実現という心地よい響きに酔い、社会主義国の東ドイツに留学する。だがその思想を支える組織や政府は、妥協や反対を許さない全体主義国家でもある。トーマスはハンガリー出身の女子学生と出会い、徐々にその体制に疑問を抱いてゆくが、それでも悪いのは体制であり、あくまで思想は間違っていないと信じる。しかし、その純粋さが判断を誤らせ、彼は大切なものを失ってしまう。
本作では、このトーマスを中心にした過去のパートと、現代を舞台にしたエーレンデュルの捜査のパートが交互に描かれる。ほぼパターン化されつつある手法だが、過去と現代のパートが相乗効果をあげて、やはり読みごたえは十分。 正直、この過去のパートだけでも十分素晴らしいのだが、そのままではやはり少々面白みに欠けるのである。
いってみればノンフィクション的な過去パートのガツンとくる手応え、現代パートの被害者捜し&犯人捜しというミステリ的興味による切れ味、そして現代パートに登場する人々のドラマが最終的な隠し味となり、すべてが渾然一体となるからグッとくるわけだ。例によって決してスカッとした終わり方ではないのだけれど、この余韻もまた堪らない。
なお、少し気になるのは、作品が進むにつれてミステリとしての興味がだんだん薄めになってきていることか。個人的にはあくまでミステリの範疇で楽しませてもらいたいのだが、はてさて著者の志向は今後どちらに転ぶのだろう。