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 『金来成探偵小説選』を読む。論創ミステリ叢書の中でもかなり異色の部類に入るのだろうか。金来成(キム・ネソン)は名前からもわかるように韓国人作家であり、韓国ミステリの父祖とも言われる作家だ。
 その作品集が論創海外ミステリではなく、論創ミステリ叢書から出た理由は、本書の解説に詳しい。まあ早い話が、金来成は日本での留学経験があり、その期間中に日本語で探偵小説を書いたというのが大元である。日本留学は五年に及び、その間に三作の日本語による短編を残している。

 金来成探偵小説選

「楕円形の鏡」※
「探偵小説家の殺人」※
「思想の薔薇」
「奇譚・恋文往来」※
「恋文奇譚」

 収録作は以上。※のついているのが日本語で書かれ、日本で発表されたすべての短編である。
 注目作品は「思想の薔薇」で、これは金来成が韓国に帰ってから、日本語で書いた長編。だが、本作については発表するあてがなかったようで、結局、韓国語で書き直した後、韓国の雑誌に発表されている。本書に収録されているのは、この韓国語版を翻訳したものである。
 「恋文奇譚」は「奇譚・恋文往来」をベースに韓国語で書き直した作品。ほぼ同一の内容なので、参考として収録したということだ。
 ということで、本書の意味合いとしては、金来成が日本語で書いた作品をすべて網羅した初期作品集ということになるのだろう。

 肝心の中身だが、長編「思想の薔薇」の序文にあるように、金来成自身は探偵小説と純文学の融合を目指していたようだ。どちらが主でもなく、探偵小説のスリルや興味を損ねることなく、人間についても考えさせるもの、そのようなところである。
 長編「思想の薔薇」はまさにそれに挑戦した作品。
 主人公は先代からの宿命や幼少からのトラウマに苦しみながら、売れない作家として生きる白秀(ペクス)。彼が犯したかもしれない殺人事件を探る、気の弱い親友の司法官試補・劉準(ユジュン)の二人である。ある夜のこと、劉準は白秀に呼び出され、女優の秋薔薇(チュチャンミ)殺しを告白されるが、その真偽や意図ははぐらかされてしまい……という一席。
 金来成の意気は買いたいが、やはり探偵小説と文学の両立はなかなか難しい。本作でとにかく引っかかったのは白秀の言動である。シニカルな面と激情家の面を併せもつ(これがそもそも理解&納得しにくいところなのだが)白秀は、“信頼できない語り手”どころではない。彼の行動や記憶、思考などを含め、さまざまな事実関係が嘘かもしれないという前提で読み進めなければならず、本格探偵小説としては早い段階で破綻している。
 そういった混乱が人間を描くことに奉仕していればよいのだが、基本的には劉準含めて主人公たちの言動が誇張されすぎなのだろう。その大仰なセリフや行動からは、文学的な感動や面白みはあまり伝わってこないのが残念だ。

 二作の短編「楕円形の鏡」と「探偵小説家の殺人」は、どちらも演劇や映画という要素を重要なギミックとして取り込み、狙いは面白い。
 ただ「楕円形の鏡」は雑誌の誌面という構成をとったのがむしろ逆効果か。途中からは誌面という体裁もなし崩しになっており、この構成で得られるべきメリットがあまり感じられない。
 「探偵小説家の殺人」は「楕円形の鏡」を踏まえたような作品だが、これも凝りすぎて自滅の感は否めない。
ただ、全体的な熱気というか迫力は注目すべきところで、トータルでは本作中で一番気に入った作品。

 「奇譚・恋文往来」と「恋文奇譚」は同一のネタを使った元作品(日本語で書かれたもの)とアレンジ後の作品(韓国語からの翻訳)。他の収録作品とは異なり、コミカルな味わいが悪くない。ただ、ネタはちょっと無理矢理な感は強い。

 ということで金来成の作品を初めてまとめて読んだが、探偵小説を単なる謎解きに終わらせたくないという著者の熱意は実に強く感じられた。文学との融合であったり、特殊な構成をつくってみたり、この時代のチャレンジ精神はときとして変な方向に向かったりもするが、それがまた味になったりもする。
 本書の収録作も、残念ながらチャレンジがすべて成功しているとは言い難いが、金来成という作家を知る上ではこれもまたよしである。
 ちなみに論創海外ミステリでは本書刊行後に『魔人』や『白仮面』が出ており、これらは通俗作品のようなので、金来成のまた異なる面を楽しめそうだ。こちらの感想もいずれまた。


テーマ:推理小説・ミステリー - ジャンル:本・雑誌


 創元推理文庫の『世界推理短編傑作集2』を読む。江戸川乱歩の選んだベスト短編をもとに編まれた全五巻のアンソロジー、その新版の第2巻である。
 第1巻の感想でも書いたが、このシリーズは何度目かの再読だし、作品によっては他の本で読んでいることもあって、正直、新鮮味はほぼない。ただ、それはこっちがミステリをン十年読んできたおっさんだからであって、無論この本自体の責任ではない。むしろ非常に素晴らしいアンソロジーなので、ミステリを読み始めた若い人には、できれば早いうちに読んでもらいたいシリーズである。

 世界推理短編傑作集2

ロバート・バー 「放心家組合」
バルドゥイン・グロラー「奇妙な跡」
G・K・チェスタトン「奇妙な足音」
モーリス・ルブラン「赤い絹の肩かけ」
オースチン・フリーマン「オスカー・ブロズキー事件」
V・L・ホワイトチャーチ「ギルバート・マレル卿の絵」
アーネスト・ブラマ「ブルックベンド荘の悲劇」
M・D・ポースト「ズームドルフ事件」
F・W・クロフツ「急行列車内の謎」

 第2巻の収録作は以上。
 旧版からの変更点をあげておくと、旧版で第1巻だったロバート・バー「放心家組合」がこちらに入り、さらにチェスタトン「奇妙な足音」が新たに収録された。これは創元推理文庫の別本に収録されているため、旧版では見送られていたものだ。
 そのせいでページ数が増えたこと、また、作品の並びを発表順に統一したこともあって、旧版にあったコール夫妻『窓のふくろう』が新版の第3巻へ、E・C・ベントリー「好打」は第5巻へと移動となった。
 あとは翻訳関係が二点。ひとつはバルドゥイン・グロラー「奇妙な跡」がドイツ語からの新訳に変更。これは当然『探偵ダゴベルトの功績と冒険』を訳した垂野創一郎氏が担当。また、オースチン・フリーマン「オスカー・ブロズキー事件」は、創元推理文庫の『ソーンダイク博士の事件簿』に合わせ、大久保康雄訳のものが採られている。

 さて、第1巻ではポオに始まり、ミステリ黎明期の作品が収録されていたが、本書ではホームズのライバルたちが活躍する1910年前後の作品が中心である。ホームズの登場がきっかけで爆発的なミステリブームが起こったのを機に、さまざまな作家が参入し、いろいろな名探偵が生まれ、今でも受け継がれるようなベーシックなトリックやスタイルが考案された。
 管理人が子供の頃に読んだミステリガイドブックには、それこそ本シリーズに収録されている作品がトリックもろとも紹介されていることも多かったが、それぐらいメジャーな作品ばかり。ネットの意見を見ると機械的トリックが多いというネガティブな声もあるようだが、百年前にそれをやってのけている事実が重要で、何よりミステリの本質がこの時代で概ね確立されたように思う。

 以下、各作品のコメント。
 まずはロバート・バーの「放心家組合」。バーといえば、十年ほど前に本邦初の単行本となる『ウジェーヌ・ヴァルモンの勝利』が刊行されたのはまだ記憶に新しいところ。そのバーの代表作が「放心家組合」である。詐欺のテクニックの面白さだけでなく、皮肉なラストがまた秀逸。

 グロラーの「奇妙な跡」はオーストリアの名探偵ダゴベルトが登場する一篇。犯人像といい、犯行手段といい、極めて印象深く、まさに乱歩ならではのセレクト。
 こちらもローバト・バーと同じく、五年ほど前になってようやく『探偵ダゴベルトの功績と冒険』が本邦初紹介となり、その特異性が明らかになった。

 チェスタトンの「奇妙な足音」は言うまでもなくブラウン神父ものの代表作。トリックらしいトリックもないのだけれど、何気ない事象に気をとめて、そこからプラウン神父が辿っていく思考の道筋がキモ。フランボウの登場も楽しく、文句なしの一作。

 「赤い絹の肩かけ」はご存知怪盗リュパンもの。とにかくモーリス・ルブランのストーリー・テラーぶりが堪能できる。こういう鮮やかな構成を、すでにこの時期に成立させていた、その事実が素晴らしい。
 もちろんキャラクターの際立ち方も同時代にあっては群を抜いている。

 これまでの四作と打って変わって、オースチン・フリーマン「オスカー・ブロズキー事件」は地味ではあるが、推理小説の神髄を感じさせて素晴らしい。倒叙ミステリのハシリともいうべき一篇でもあるのだが、これはいわば裏から見た推理小説。すべてをばらしたうえで、なおかつ“推理する小説”を成立させ、しかもその過程が面白いという奇跡。

 ホワイトチャーチもバーやグロラー同様、つい数年前までこの「ギルバート・マレル卿の絵」一作しか読めなかった作家だが、これも論創社から『ソープ・ヘイズルの事件簿』が出て、ずいぶん喉の渇きが潤ったものである。
 機械的トリックにもいろいろあって、ここまで大がかりな形でやってくれると、それはそれで十分に楽しい。というか鉄道を使ったトリック(時刻表ではなく)はなぜか楽しいのだ。

 アーネスト・ブラマの「ブルックベンド荘の悲劇」も機械的トリックだが、きちんと手がかりを見せ、伏線を周到に貼っているところがよい。もちろん今読めば露骨なのだが、手口は十分に素人でも理解できる範囲で、なおかつ予想を越える結果。教科書のような作品である。
 もちろん盲人探偵マックス・カラドスという存在もインパクト十分。

 おそらくもっとも手垢がついているであろうトリックを使っているのがM・D・ポースト「ズームドルフ事件」。ただ、本作が今でも語り継がれるのは、そのトリックではなく、作品の舞台となる世界や宗教観とのブレンドにある。本作をトリックの点だけに注目して否定するのはあまりに無粋である。

 第2巻の掉尾を飾るのは大御所クロフツの「急行列車内の謎」。仕掛けはやや物足りないけれど。全体の雰囲気は悪くない。素朴な疑問だが、解決は後日談的にするよりも、リアルタイムで進めた方がサスペンスの面などでより面白くなった気がするのだが……。

 ということで第2巻もけっこうなお手前でした。
 しかし、管理人が本書を初めて読んだ当時は、気軽に読めるのはチェスタトン、ルブラン、クロフツぐらいだったはず。それが今では本書に収録している作家の訳書は最低でも一冊は出ているわけで、いや、なんとも良い時代になったものだ。


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 湘南探偵倶楽部さんが古い少年少女向け探偵小説を精力的に復刻してくれるので、こちらも引っ張られるように読んでしまう。本日の読了本は森下雨村の『チャリンコの冒険』。「少年クラブ」で昭和25年10月号、11月号に連載されたものである。

 こんな話。警視庁の丸山警部がふらりと日本橋へ出かけたときのこと。最近その姿を見せなかった腕利きのスリ・銀公を見かけ、現行犯で捕まえようと、その後を尾けることにした。ところが銀公は途中で金魚を買ったぐらいで、なかなか怪しいそぶりを見せない。
 そこへ新たな人物が現れた。そのすばしこさから仲間内ではリスの林ちゃんと呼ばれるチャリンコ(少年スリ)の山名林二だ。二年前に丸山警部の世話になった林ちゃんは、当時、十二歳にも満たないながら、義賊をめざすと発言して丸山警部を驚かせたものだった。その林ちゃんがなぜか銀公の後を尾け始める。いったい二人は何を企んでいるのか? 丸山警部もさらに二人の後を追うと……。

 チャリンコの冒険

 月刊誌で二回にわたって連載されたものだが、お話はほぼ独立しており、いわば連作短編二作分といったところである(本書では第一部、第二部という章立てをしているので、以後、この表記で)。
 第一部は上で書いたように、奇妙な追跡劇で幕を開けるのだが、物語はその後、宝石店での盗難事件へと発展する。ストーリーに意外性があって面白いし、盗難でのトリックもあるなど、子供向けとしてはかなりグレードが高い。
 何より主人公がまだ少年探偵ではなく、チャリンコ(少年スリ)として登場するのがよい。この作品で主人公は改悛し(というほどでもないが)、第二部では晴れて少年探偵として登場する。今読めばお約束という感じだが、当時の読者は喝采を送ったのだろうなぁと嬉しくなる展開である。
 第二部でも同じ宝石店での盗難事件だが、主人公が元スリということで、刺激的な殺人事件などを避け、盗みのテクニックで見せていこうという狙いも悪くない。

 ということで個人的にはけっこう楽しめたのだが、それだけにこの二回で連載が終わっているのが残念な限りである。
 雨村は戦時中に一線を退いて地元・土佐へ戻っている。戦後も執筆は行なっていたが、これはあくまで生活費稼ぎの意味合いが強かったらしいので、やはり書くことへの執着が薄れていたのか。それともこの前年に海野十三が亡くなったこともあり、もう自分たちの時代ではないという思いもあったのだろうか。
 作品の内容は清々しいが、書かれた時代や背景に思いを馳せると、いろいろ考えさせられる一冊でもあった。

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 アントニイ・バークリーが本名のA・B・コックス名義で書いた『プリーストリー氏の問題』を読む。
 バークリーの邦訳で唯一未読だった作品なのだが、別に大事にとっておいたわけではなく、積ん読山脈に紛れて行方不明だったものがようやく見つかって読んだ次第。奥付をみると2004年刊行なので、十五年も積んでいたことになる。我ながら呆れてしまったが、まあ、本読みにはよくあることか。

 こんな話。プリーストリー氏は三十六歳の独身男性。好人物でお金に恵まれ、身の回りの世話をしてくれる従僕もいて、快適な生活を満喫していた。しかし、最近婚約したばかりの友人ドイルは、そんなプリーストリーの隠居然とした覇気のない生活に異議を唱える。
「君はキャベツだ!蕪野郎だ!ペポカボチャだ!」
 そんなある日。ドイルは婚約者のドーラと共に、ドーラの友人・シンシアとその夫・ガイのホームパーティに招かれる。ドイルとガイは、犯罪心理の話で意気投合し、ある実験を企むことにする。
 一方のプリーストリー氏はドイルの言葉がついつい気になり、日常から少しだけはみ出そうと、街へ繰り出す。すると見知らぬ美女と出会ったことから、ある犯罪に巻き込まれてしまい、挙げ句には美女と手錠でつながれたまま逃げ回る羽目に……。

 プリーストリー氏の問題

 犯罪を扱ってはいるが、純粋なミステリではなく、クライム・コメディといったところ。
 主人公のプリーストリー氏は基本的には好ましい男性だが、冒険心に欠け、変化を好まない。そんな彼に刺激を与えてやろうと友人たちが悪だくみを企て、その結果、主人公がひとつの冒険を乗り越えて、人生の転機を迎える様子がユーモアたっぷりに描かれる。
 ブラックユーモアというほどではないが、上流階級に対する皮肉な見方が随所に感じられ、登場人物のやりとりも適度にふざけ、適度に洒落ていて好ましい。いかにもなラブロマンスもうまくブレンドされていて、しいていえば昔のハリウッド映画にあるような、小粋な雰囲気を堪能できる。
 本作は比較的初期の作品で、のちの作品ほど尖ったところはないけれど、全体として非常にバランスのよい、楽しい作品といえるだろう。

 また、純粋なミステリではないけれども、ドイルとガイが悪だくみを考えていくあたりはちょっと面白い。倒叙ミステリというのとは違うけれど、それらしい犯罪を組み上げていく過程は、もしかするとバークリー自身がこういう創作法をとっていたのかと想像することもできて興味深いところだ。

 ただ、先にも書いたように決してミステリといえる作品ではないので、他のバークリーのミステリを期待するとちょっとアテが外れるけれども、これはこれでありだし、ファンであればやはり読んでおきたい一作である。


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 ハーマン・ランドンの『灰色の魔法』を読む。ランドンのミステリは同じ「論創海外ミステリ」から先に『怪奇な屋敷』が出ているので、本当ならそちらから読みたかったのだが、積ん読山脈に埋もれてどこにあるかわからず、やむなく本作から手をつける。でも、調べると書かれたのは本書の方が先なので、まあいいか。

 こんな話。義賊「グレイ・ファントム」として世を騒がすアリソン・ウィンダム。しかし、嵐の夜道を運転中にハンドルが利かなくなる。あとの記憶はどこかから転落したらしいこと、そして車が炎上したことだった。
 アリソンが目覚めたのは、とある屋敷のベッドの中だった。そこへ現れたのはトビーと名乗る男。彼はアリソンに向かって、あなたは刑務所から脱走した囚人アラン・ホイトだと告げ、自分はアランの執事だという。また、屋敷はフライ島にある一軒家で、ここにいなければならないと告げる……。

 灰色の魔法

 本作は1925年の作品。当時、義賊「グレイ・ファントム」シリーズは大変な評判を集めていたらしいが、当然ながらルパンやファントマ、ジゴマなどの先輩たちの人気にあやかって書かれたものだろう。日本でも戦前から既に紹介がなされ、乱歩も愛読していたという。
 ただ、いま読むとさすがに物足りない。もちろん時代のせいもあるけれど、当時の他の義賊ものに比べても、内容の浅さ、刺激の少なさといったところで部が悪い。全体に薄味というか、コクに欠けるのである。

 ほぼ先入観なく読み始めたので、序盤はそれなりに引き込まれた。そもそもアリソン・ウィンダムが「グレイ・ファントム」ということも知らずに読んだので、一種の記憶喪失ものだと思っていたのだ。しかも部隊は脱出不可能な孤島の一軒家。サスペンスものとしてはなかなか悪くない設定である。
 ところが、アリソンはすぐにそういった仕掛けをクリアしてしまい、あとはヒロインを従え、ライバルたる悪党の犯罪を阻止するという展開。ミステリではあるが活劇中心であり、謎解き要素は薄い。実は不可能犯罪っぽい要素はあるのだが、オリジナルの毒薬や装置を使ったトリックなので、ミステリ上のルール違反というより、これはもう謎解きへの興味が著者にほとんどないのだろう。
 よく考えると、序盤でアリソンが記憶喪失もどきになる展開も、当時のシリーズ読者であれば謎でもなんでもないわけで。ううむ、少し面白そうと思った自分が恥ずかしい。

 結局、あまり固く考える必要はなくて、主人公とヒロインのハラハラドキドキ、勧善懲悪、ああ楽しかった。これでいいのだ。まだ娯楽の少なかった時代にあって、庶民に安価な娯楽を提供する。そういう本であり、そういうシリーズなのだ。
 まあ、一冊で断言するのはよくないので、とりあえずもう一作出ている『怪奇な屋敷』もそのうちに。こちらは“本格密室”という触れ込みだが、まあ、期待せずに読んでみたい(笑)。


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 エドワード・D・ホックの『コンピューター404の殺人』を読む。著者の数少ない長編のひとつで、SFミステリ「コンピューター検察局」シリーズの第二作目。主人公はシリーズ一作目『コンピューター検察局』と同様、局長カール・クレイダーと副局長アール・ジャジーンのコンビが務め、また、前作で活躍した過激派グループ〈HAND〉のユーラーが、本作でも再び主役級の活躍を見せる。

 まずはストーリー。アメリカ・カナダ合衆国の大統領選挙を間近に控え、選挙用コンピューター404を点検していた技師ロジャーズは異常を発見し、コンピューター検察局に連絡した。さっそく確認に向かった副局長のジャジャーンは、インプットしたはずのない選挙結果をデータから発見する。
 誰が何の目的で行ったのか。また、そこに記された二人の立候補者、ブラントとアンブローズとは何物なのか。またもや過激派グループ〈HAND〉が関わっているのか。疑問は尽きず、さっそく捜査を開始するコンピューター検察局。
 二人の立候補者のうち、ブラントの線をクレイダーが追い、一方のジャジャーンはアンブローズが追うが、ほどなくして技師が殺害され、ジャジャーンもまた何物かの罠に落ちる……。

 コンピュータ404の殺人

 最初に書いておくと、邦題の『コンピューター404の殺人』は誤解を招いてよろしくない。これだとコンピューターが自らの意志で殺人を犯すような内容に思えてしまうが、まったくそんなネタではないので念のため。

 さて、肝心の出来栄えだが、これはシリーズ一作目『コンピューター検察局』よりもだいぶ落ちるといわざるを得ない。
 SFとしてはお粗末だが、ミステリとしてはそれほど捨てたものではないというのがシリーズ第一作の印象だった。それはSFというジャンルへの先入観をうまく利用したところがミソだった。言わば「メタSFミステリ」的趣向だったのである(ちょっと大げさ)。
 しかしながら本作は、ミステリとしても特筆すべきところはなく、単に活劇メインのB級SFに留まっている。

 詳しくは書かないけれど、まず冒頭のコンピューター404に絡む謎に説得力がない。というかSFとしてどうなんだろうというレベルである。政府の投票用コンピューターを何物かがハッキングするのはいいとしても、終盤で明かされる理由が貧乏くさいというか。政府のセキュリティ万全のはずのコンピューターをハッキングする技術があるなら、こういう目的で使うのはいまひとつ納得がいかない。
 おまけにメイントリックも今さら感が強い。検察局の捜査員たちも緊張感が薄く、毎回ほぼ自分のミスでピンチに陥っている。
 何というか、やっていることが全般的に古くさいのである。さまざまな物事が科学化、合理化されている未来世界にあって、人間の言動だけはまったく本作が書かれた当時のままという印象。そこが本作の大きな欠点だ。前作にも同様の欠点はあったが、メインのネタが面白かったので許せたのだが。

 なお、「コンピューター検察局」シリーズは三作出ているが、ラストの『The Frankenstein Factory』のみ未訳である。けっこう辛めに感想を書いておきながらも、どうせなら全部読みたいということもあるし、以前にある方から、本作がSF版『そして誰もいなくなった』的な話らしいということも教えていただいていたので、出来はともかくちょっと気になる本ではあるのだ。
 本来なら同じ版元のハヤカワ文庫にお願いしたいところではあるが、やはりこれは論創社さん案件なのだろうか(苦笑)。


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 ここのところ湘南探偵倶楽部さんが復刻した子供向けの探偵小説を集中的に消化しているが、本日もその中から橘外男の『獄門台の屋敷』を読む。集英社の「おもしろブック」という雑誌で1958年にわたって連載されたものだ。
 復刊にあたっては当時の雑誌をそのままスキャンして製本している。したがって当時の挿絵はもちろん、紙面の端々にある当時の広告やら漫画やらもそのまま見ることができ、そういうのを眺めているのも楽しい。
 ただ、レイアウトの際に版面を意識していなかったのか、本ののどに版面が食い込んでしまい、一部の文字がたいへん読みにくいのが残念。レイアウトは本来、製本された場合の状態を想定して制作するのだが、本書はあくまで同人誌なので、それに関する知識がなかったのだろう。次回からは注意してほしいところだ。

 さて、肝心の中身だが、こんな話。
 島根県の高座山に勝本家という名家があった。かつての栄光を示すかのような立派な屋敷ではあったが、何代か前の領主が領民を酷い目にあわせたため、その牢屋の跡から今でもすすり泣きが聞こえるとか、門の脇にあった罪人の首を切ってさらす獄門台には人魂が出るとか、不気味な噂が絶えないのであった。
 そんな屋敷にいまは信彦少年と若奥様が使用人らと暮らしていた。信彦少年は体が弱く、その日もかかりつけの医師が訪ねてきたが、いつもとなぜか様子が違い……。

 獄門台の屋敷

 一言でいうと、化け猫の怨讐譚。橘外男の化け猫ものといえば、ミステリ珍本全集にも収録された傑作『私は呪われている』を思い出すが、本作は児童書連載ゆえ多少はおとなしめではあるが、それでも相当な橘ワールドが炸裂していて面白い。
 勝本家の使用人が一人づつ殺されていくという前半は、怪談もしくはホラーの王道である。為す術もなく化け猫の恐怖に怯える一家の面々。警察らの介入もむなしく、ほとんどの人間が命を落とし、とうとう屋敷も焼失してしまう。子供向けとは思えないほど凄惨な展開で、いや、これは大人でも普通に引き込まれる。まさに橘外男の面目躍如といった感じである。
 問題は後半だ。さあ、少年は生き残ったものの、この化け猫はどうやって倒すのか。そんな展開を期待していると、これが本筋に関係ない先祖のバイオリンにまつわるエピソードの解明に費やされ、まるで別の物語になってしまう。多少、強引でもいいから、前半の化け猫騒動と後半のバイオリンのエピソードをなんとか関連づけてくれればよかったのだが、端からその気がまるでないというか、バランスはすこぶる悪い。
 化け猫はどうなったのだという疑問については一応答えを出しているけれど、これがまたけっこう肩すかしもので、終盤の喪失感はなかなかのものだ(苦笑)。

 これは単純に構成の失敗だとは思うのだが、そういえば以前に盛林堂ミステリアス文庫から出た、橘外男の子供向け探偵小説『死の谷を越えて—イキトスの怪塔—』を読んだときも、後半はグダグダだった記憶がある。著者は緻密なプロットなどはあまり意識せず、どうやら勢いとセンスだけで書いてしまうタイプのようだから、こういう例は他にも多いかもしれない。
 そういうわけで小説としての完成度は低いのだが、前半の化け猫パートの面白さは捨てがたく、橘外男のファンであれば読んでおいて損はない。
 ともあれ、こういった作品は同人の形でもないとそうそう簡単には読めないので、湘南探偵倶楽部さんにはぜひ今後も頑張ってほしいものである。

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 このブログを読んでくれている方なら、管理人が探偵小説と同じぐらい特撮映画、なかでもモンスターや怪獣が登場する映画に目がないことはご承知かと思う。
 で、もちろん先週の公開日翌日には観てきました『ゴジラ キング・オブ・モンスターズ』。ギャレス・エドワーズが監督したモンスターバース・シリーズの第一作『GODZILLA ゴジラ』の続編で、本作は新鋭マイケル・ドハティが監督を務める。
 本作の売りは何といっても、キングギドラやラドン、モスラといった東宝怪獣が一挙に登場することである。それはそれで実に楽しみだったのだが、強い懸念もあった。確かに一作目の『GODZILLA ゴジラ』はまずまず良かったけれども、この手のシリーズではより強い刺激を求めるための近道として、単純にモンスターの種類や数を増やすことに陥りがちである。深く進化するのではなく、表面的な派手さである。これはそれこそ、かつての東宝ゴジラが歩んだ道でもあるのだが、海外でもエイリアンやプレデターなどが同じ轍を踏んでしまっている。
 怪獣映画に別に深さは求めないけれど、あまりにスッカスカの内容は勘弁、と期待半分不安半分というところで観にいったわけである。

 こんな話。ゴジラがムートーを倒し、その姿を消してから五年。怪獣の調査を行う秘密機関モナークは、その後も極秘にゴジラの行方を追っていたが、いまや怪獣はゴジラやムートーだけではなく、他にも多くの怪獣が存在し、いわゆる冬眠状態にあることが判明していた。
 モナークはそんな怪獣の管理・研究を行なっていたが、そんな施設のひとつ、中国雲南省には、モスラの卵が管理されていた。やがて卵の孵化が始まり、モスラの幼虫が誕生する。モナークの科学者エマ・ラッセル博士と娘のマディソンらは、研究を進めていた怪獣との交信装置"オルカ"を使い、孵化したモスラの幼虫との交信を試みる。だがそのとき、環境テロリストたちが研究所を襲撃、エマ・ラッセル博士と娘は"オルカ"とともに連れ去られ、モスラも行方をくらませる。
 モナークの責任者でもある芹沢博士は、エマの夫であり、元モナークのアランに協力を依頼した。アランは"オルカ"の開発者でもあったのだ。
 オルカの信号をもとに芹沢たちが向かった先はモナークの南極基地だった。そこには"モンスターゼロ"と呼ばれる怪獣が眠っていた……。

 ゴジラ キング・オブ・モンスターズ

 結論からいうと、まあ、面白いは面白いけれど、こんなものかなという感じが大きい。えらく気の抜けた感想で申し訳ないが、決して怪獣映画ファンの期待を裏切るわけではない。全体的には昭和ゴジラの後期、つまり怪獣プロレスを最新の映像技術で再現したという印象である。迫力もあるし、ビジュアルもなかなかのセンスで、トータルでは十分合格点をあげられると思う。
 ただ、前作『GODZILLA ゴジラ』や日本の『シン・ゴジラ』を踏まえると、新たな驚きに欠けるというか。
 ハリウッドが本気でゴジラ愛をもって映画化するとどうなるかという『GODZILLA ゴジラ』、ゴジラの怖さを再確認させ、基本に立ち帰った『シン・ゴジラ』に比べると、とにかく驚きが少ない。すべてが予想の範囲内で、「やられた!」とは思えないのだ。

 本作は、怪獣が太古の時代から生息していたという同一の世界観で物語をつなぐモンスターバース・シリーズの第三作。だがこの三作目で、初めてゴジラやキングコングのいる世界をつなぐ解釈が披露された。
 その証としてのラドンやモスラ、キングギドラの登場であり、実はこの部分こそが最大のトピックだったのだ。そこをもっと掘り下げ、怪獣プロレス・プラスアルファの魅力で驚かせてほしかった。
 管理人的には怪獣プロレスも嫌いではないのだが、人間対怪獣という図式の方がより好みということもあり、その分さらに評価が辛くなってしまったところもあるかもしれない。

 とはいえ先にも書いたように、客観的には合格点はあげてよいと思うし、実際、世間の評判はまずまず良いようだ。やはりハリウッドのバリバリの特撮でみせる怪獣対決は爽快感抜群。キングギドラやモスラの登場シーンは単純にかっこいいし、とりわけラドンが市街地を飛んだときの衝撃波で街が壊れるシーン、戦闘機との空中戦はしびれるばかりである。
 一方、誰もがあげる欠点としては人間ドラマの酷さ。正直、主人公格のラッセル夫妻の言動に納得できる人は少ないだろう。製作陣の狙っているところは理解できるが、その表現があまりにチープで浅かった点は否めない。
 ただ、そういった欠点はあるにせよ、怪獣映画の根本的なところでは評価してよいのではないだろうか。

 最後に小ネタをいくつか紹介しておこう。あまり本筋に関係ないところだが、本作には東宝ゴジラへのオマージュというか、小ネタがふんだんに盛り込まれている。
 なお、以下のネタが公式に認められているかどうかは不明なので念のため。
 あと、ここから先はネタバレありなのでご注意を!
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・ラドンの登場シーン……本作では火山から登場するが、『空の大怪獣ラドン』では火山で最期を迎えた。フェニックス、復活という意味合いを持たせていると思われる。
・ゴジラのテーマ、モスラの歌……オリジナルのテーマ曲をアレンジした曲が挿入歌として使われている。ゴジラはまあ予想できるが、モスラをエンドロールでガッツリやってくれたのは嬉しい。それこそこれが最大の驚きであった。
・バーニングゴジラ……終盤で見られる核エネルギーで真っ赤になったゴジラは『ゴジラvsデストロイア』でおなじみの俗称バーニングゴジラである。
・芹沢猪四郎博士……渡辺謙演ずる博士の名前は、もちろん初代『ゴジラ』に登場する博士の苗字「芹沢」と、監督「本多猪四郎」の名前を組み合わせたもの。
・芹沢博士の最期……初代『ゴジラ』では芹沢博士がゴジラを倒すため、単身、潜水してゴジラに向かってゆくが、本作ではゴジラを救うために芹沢博士が命を投げ打つ。
・オキシジェン・デストロイア……初代『ゴジラ』を倒した最終化学兵器が本作でも登場。
・怪獣のコントロール……音楽にかぎらないが、電波などさまざまな媒体を使って怪獣を操るという設定は、『怪獣総進撃』など過去の東宝作品でも何度か用いられている。
・双子の女性博士……『モスラ』でおなじみのインファント島の双子の小美人。本作ではモスラの管理を担当する科学者が双子の女性である。
・キングギドラの登場シーン……キングギドラが『三大怪獣 地球最大の決戦』で初登場した時のシーンと同様、真正面からのアングル。
・成虫モスラの登場シーン……こちらも真正面からのアングルだが、平成ガメラのイリスの登場シーンと似ている。
・キングギドラの名称……映画の中では当初「モンスターゼロ」と呼ばれているが、これは『怪獣大戦争』で使われていた名称でもある。
・秘密機関モナークの基地番号……これは後から知ったのだが、基地番号がゴジラ関連の映画のナンバリングを振り分けているらしい。


 盛林堂ミステリアス文庫から刊行されている「大阪圭吉単行本未収録作品集」の二巻目『マレーの虎』を読む。まずは収録作。

「隆鼻術」
「事実小説 マレーの虎」
「明朗小説 青春停車場」
「北洋小説 アラスカ狐」
「夜明けの甲板」
「小説千字文 明るい街」

 マレーの虎

 ミステリ珍本全集から出ている『死の快走船』を読んだときの感想で、大阪圭吉の本質や探偵小説史における立ち位置などはもう一度整理してみてもよいのでは、なんてことを書いたのだが、こうして圭吉の知られざる作品が次々と紹介され、読んでいくと、その意はますます強くなる。
 本作でも本格こそないものの、明朗小説から防諜小説、コント、シリアスな秘境小説風のものなど、実にバラエティに富んでおり、圭吉の興味の広さや柔軟性がみてとれる。
 収録された作品の書かれた時代のせいで、どうしてもボリュームとしての物足りなさはあるのだけれど、それでも可能性を感じさせる作品は多く、つくづく長生きして制限のない環境で自由に書いてもらいたかったと思わずにはいられない。

 以下、簡単に各作品のコメント。
 「隆鼻術」は大げさにいうとユーモア倒叙ミステリ、しかも完全犯罪である(笑)。新婚ホヤホヤの丹下高子には、夫にも明かすことができない、ある秘密があった。それは結婚前に行った鼻を高くする整形手術である。ところがあるとき、片付けをしていた高子は転倒し、大事な鼻が折れ曲がってしまう……。ユーモアはともかく、これがどう倒叙の完全犯罪ものになるかというのがミソ。

 「マレーの虎」は「怪傑ハリマオ」の実録物。第二次世界大戦が始まった頃に発表されているが、内容的には戦意高揚ものであり、どういう経緯で圭吉がこれを書くに至ったかが気になるところだ。短いながらもそれなりにツボを押さえているのが見事。

 駅の売り娘を主人公にした明朗小説が「青春停車場」。圭吉のヒロインを見る目は暖かいけれど、まるで「おしん」や「どてらい男」(古いネタですまん)を見ているようで、ハッピーエンドというには爽快感がちと不足気味。

 「アラスカ狐」は千島の漁場で働いていた若者の数奇な運命を描く。ふとしたはずみで氷ごと海に流され、漂流船を見つけたはいいが仲間も死亡し、やっと辿り着いた地では米露の脅威にさらされるという悲惨さ。タイトルのアラスカ狐の使い方が絶妙で、意外に読み応えがあった。

 「夜明けの甲板」はタイの青年を主人公にした戦意高揚もの。特にエピソードらしいエピソードもなく、英米の卑怯さよりも、むしろ押し付けがましい日本軍のほうが逆にいらっとくる。これは生理的にちょっと受けつけなかった。

 「明るい街」は“小説千字文”という副題から想像できるようにショートショート。それほどの話でもオチでもないのだが(苦笑)、解説で芦辺拓氏が書いているように、今読むと戦時の情景を知るためのスケッチという感じで楽しめる。

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 湘南探偵倶楽部さんが復刻した『深夜の鐘』を読む。『都会の怪獣』と同じく楠田匡介の手による子供向け探偵小説。連載された媒体も『都会の怪獣』と同様で、小学館の学習月刊誌『小学六年生』 。昭和二十九年四月号~三十年三月号にかけてなので、ちょうど一年かけて連載されたことになる。

 こんな話。春休みを利用し、友人の林君とともに市川の別荘へ遊びにきていた少年探偵として知られる小松良夫少年。二人はあるとき近所にある名古伝屋敷の不思議な噂を耳にする。
 その家にかつて住んでいた名古屋博士が亡くなったとき、博士は自分の体がミイラになるよう、自分で発見した金属で作った棺に入れられたのだという。そして遺言によって、二十五年後に棺を開け、ミイラになっているかどうか確認してくれと書き残したのだ。その二十五年後がちょうど今年なのである。
 その遺言が現実のものとなったのか、二人の前にはミイラ男が出没し、怪奇な事件が起こってゆく……。

 深夜の鐘

 『都会の怪獣』の二年後に書かれた作品だが、そこまで上手くなったという感じはないかな(苦笑)。
 問題はやはりストーリーの荒さにあって、特に前半は何が起こっているのかさっぱりわからないまま次々と派手な事件が起こるので、余計に混乱しがちである。これも月刊誌連載ということで、興味を持続させるための方策だとは思うのだが、逆に月刊誌連載ゆえこれまでのストーリーをきちんと理解することが必要なわけで、子供たちには少々ハードルが高かったのではないだろうか。いや、それでも娯楽が少ない時代のこと、当時の子供たちは繰り返し前の号も読んでいた可能性もあるけれども。

 ただ、そういう欠点や、その他ツッコミどころも多々あるけれど、熱量は高いし、注目すべき点もある。
 たとえば本作最大のギミック、ミイラ男の存在だが、これが途中から二人になるアイデアは面白い。重要な登場人物の偽物が登場するなんてパターンは割とよくあるけれども、よりによって怪人の本物と偽物が出るというのはもしかすると初めて読んだかも。

 ちなみに本作の主人公・小松良夫少年だが、彼は『都会の怪獣』にも登場しており、いわばシリーズ作品のようだ。ほかにも小松良夫の登場する作品はあるのだろうか。

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 イーデン・フィルポッツの『極悪人の肖像』を読む。
 フィルポッツは普通小説も含め七十冊以上の作品を残した作家だが、ちょっと捻くれた見方をすると、それだけの著作があるからには人気はあったのだろうが、大量生産ゆえ中身はけっこうワンパターンなのではないかと邪推したくなる。
 ところが、これまで翻訳されてきたフィルポッツのミステリ作品を読んで感じるのは、量産が利く無難な作風ではなく、むしろアクの強い作品が多いということ。もちろんアクが強いからといって、それがすべていい方向に転がるわけでもないし、凡庸で面白くない作品に終わったものもある。
 だが「アク」となって感じられる部分は、作品におけるトゲ、気づきでもあり、それは同時に著者の試みや企てと見ることもできる。そういう意味でフィルポッツの作品は古臭いと感じることもあるけれど、決して見過ごせないのである。
 本日の読了本『極悪人の肖像』もまた、そうしたアクの強い作品であった。

 極悪人の肖像

 こんな話。ケンブリッジ大学で医学を修め、首席で卒業すると開業医をしながらリューマチの研究を続けるアーウィン・テンプル=フォーチュン。傍目には順風満帆な人生ながら、彼には秘めたる野望があった。
 アーウィンの出身は、イングランド南西部に位置するファイアブレイスを統治する準男爵のテンプル=フォーチュン家。彼はその莫大な資産を狙っていたが、すべてを継承するには長兄である現当主のハリー、その息子ルパート、次兄のニコルが邪魔な存在だった。しかもアーウィンにすればハリーもニコルもただの俗物で、その資産を活用する器量もない。次第にアーウィンは三人の殺害計画を練るようになり……。

 本作はアーウィンの一人称による回想の体をとる作品。もちろん上の粗筋のとおり、アーウィンは正義の側ではなく、犯罪を犯す側である。つまり本作は犯人を主役にした“倒叙もの”というわけだ。
 とはいえ、いわゆる“倒叙もの”を期待すると当てが外れるだろう。倒叙ものの魅力はいろいろあるが、大抵の場合は、完全犯罪と思われた完璧な計画がどこから崩れていくのかという、その着眼にある。
 しかし本作ではそういうトリッキーな仕掛けやゲーム性にほぼ見るべきところはない。ただ、それはイコール駄作ということではなく、実は本作の性質が“倒叙もの”ではなく、犯罪者の心理に主眼をおいた犯罪小説であるからだ。

 実際、アーウィンの一人称はかなり特殊で、犯行手段などについての言及よりも、自らの哲学や思想を語ることに忙しい。もちろん、フィルポッツの狙いはここにあるわけで、優生思想すら感じさせるアーウィンの言動はかなり鼻につくけれども、だからこそ読者にいろいろと考えさせる作品になっているわけだ。
 フィルポッツの作品はミステリという枠だけで考えるとどうしても評価が厳しくなってしまうが、本来ミステリ作家ではなかっただけに、別の観点で見ることは今後は必要なのかもしれない。

 なお、ひとつだけミステリ的に面白かったのは、この犯行がばれるとすればどういう場合かと、犯人自ら推理するところ。真の意味での探偵役が出てこない作品だけに、こういう処理も悪くないなと思った次第である。


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