ピーター・スワンソンの『ケイトが恐れるすべて』を読む。
前作の
『そしてミランダを殺す』は構成に趣向を凝らしたサスペンス作品。『カササギ殺人事件』の陰にやや隠れた感はあったものの、実は『ミステリマガジン』の「ミステリが読みたい!」、『週刊文春』の「ミステリベスト10」、そして『このミステリがすごい!』の各ランキングですべて二位を獲得するという快挙を達成した。
さて、続く本作はどうか。

こんな話。ロンドンに住むケイトは遠くボストンで暮らす又従兄コービンと、半年の間、住居を交換してみないかと提案され、それを受けることにする。ところが早々に隣室で女性の死体が発見され、やがてコービンと女性が恋人同士だったことが明らかになる。容疑はコービンにかかるが……。
とまあ、ストーリーだけを書くと、ごくごく普通のサスペンスに思えるのだが、実は骨格だけ取り出してみると、本当に普通のサスペンス小説である(笑)。基本プロット自体はけっこうオーソドックスで、それを面白く見せているのが、著者の語りのテクニックだろう。
まずは章ごとに視点を変えることで読者の目を眩ませる。本作ではケイトの視点で物語が始まるが、続いて同じマンションに住むアランという人物に変わり、さらにはコービンへと移行する。しかも、ただ、視点を変えるのではなく、各人物にはそれぞれやばい過去があるという設定。
各人の秘密が小出しにされ、これがどういうふうに絡んでいくのか、それとも新手の叙述トリックなのか、サスペンスと同時に読者の興味も高めてゆくという寸法だ。
上手いことは上手いし、それなりに面白い。ただ、『そしてミランダを殺す』は構成だけでなくプロットも捻っていたからよかったけれど、本作の場合はその点でかなり劣る。正直、視点を変えず、ごく普通にストーリーを進めてしまうと、それほど盛り上がらないのではないか。
『そしてミランダを殺す』、そして『ケイトが恐れるすべて』と、語りの部分ばかりに注力している作品が続いているが、著者はもっとミステリとして本質的なところをめざしたほうがよいのではないか。