Posted in 05 2021
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井上章一『京都ぎらい』(朝日新書)
久々にミステリとは関係ないところから一冊。ものは井上章一の『京都ぎらい』。
もう六年も前のベストセラー本なので今さらという一冊だが、気になっていた本ではあるので遅ればせながら手に取ってみた。

本書は生まれも育ちも京都出身の著者が、テレビやガイドブックではなかなか表に出てこない、京都の“いけず”な部分を、著者の思い入れたっぷりにぶっちゃけた一冊である。
お坊さんから舞妓さん、京都と江戸幕府との関係にいたるまで、後半は幅広く展開して、むしろそちらの方が面白いくらいなのだが、ここはやはり第一章の「洛外を生きる」を見どころとしてあげておこう。
そもそも「洛外」とは何か。京都市民ならもちろんご存知だろうが、ざっくりいうと京都市の中心地、すなわち上京区・中京区・下京区の三区を「洛中」と呼び、それ以外を「洛外」と呼ぶのである。
京都の人はよそ者に冷たいとよくいうが、実は京都府内、京都市内にもそういう格差があり、そのヒエラルキーの頂点に立つのが「洛中」である。もちろん全国どこの地方でも似たようなことはあるだろう。ただ、それはどちらが発展しているか、人口が多いかといった子供っぽい自慢のレベルではなかろうか。その点、京都の場合は筋金入りで中華思想や選民思想に近い。歪んだ郷土愛というべきか、京都市民は周囲の市を見下し、洛中人は洛外を見下し、密かに(ときにはあからさまに)蔑んだり憐れんだりする。それが京都のかかえる闇であり、嫌なところだと著者は語る。
著者は京都市の嵯峨の出身である。他県民から見れば嵯峨も京都を代表する名勝であるが、洛中人にいわせれば、肥を汲みにやってくる田舎者が住む場所ということになる。著者は実際にそれに近いことを有名な某学者に言われたという。そして、そんな体験の積み重ねによって、自分までが他の市を見下すよう刷り込まれてしまったとも。
本書には外からではなかなかわからない、そんな京都の闇の部分がいくつも紹介されている。ユーモラスな語り口だから、京都を知らない人は話を盛っていると思うかもしれない。Amazonなどのレビューを読むと、「自分は洛外だがそんな経験はしたことがない」、「洛中人だがそんなひどいことは思ったこともない」などという否定的意見も書かれている。
だが、管理人も学生時代を京都で過ごし、京都人と結婚したこともあって肌感として理解できるのだが、これは嘘でも何でもない。
もちろん洛中の人全員がそういう人間であるはずもないし、ブラックからホワイトまで感覚に差が出るのも当然。また、ちょっと嫌な言い方になるが、洛中に住んでいても、経済状況や仕事等でもかなり差は出るはずだ。とはいえ、京都の人なら多かれ少なかれ持っている素地ではないだろうか。
如何せん、こういう統計はないし、あるのは状況証拠ばかり。地元の方にしてみれば面白くないのもわかるけれど、これもまた京都の顔の一つなのである。
ただ、そういう「京都ぎらい」を踏まえ、もう少し突っ込んだ分析なり提言があればよかったのだが、残念ながら本書にはそれがない。せめてなぜ京都でそういう“洛中”思想が蔓延ってしまったのか、それについての考察はもっとほしかった。
管理人としては、やはり「洛中」の成り立ちが大きく影響しているように思う。
その昔、平安京は大きく市街を東西二つに分けて、中国にならい右京側(西側)を長安城、左京側(東側)を洛陽城と呼んだ。街の中心はもともと右京側と左京側の境目、朱雀大路(現在の千本通)であったが、右京側の長安城エリアは地盤などの問題で開発が遅れ、次第に中心地は東へ移行していく。
そして最終的には左京側の洛陽城エリアが京都の中心地となり、この「洛陽城」の「洛」が“みやこ”を指すようになった。それがイコール洛中(ざくっというと今の上京区、中京区、下京区)なのである。
ただ商業的に賑やかな街というだけではない。当然ながらその中心には天皇がいるのである。守りを固めることはいつの世でも最重要課題であり、外敵や疫病といった物理的なものから思想・宗教に至るまで、さまざまな意味で洛中を洛外と隔ててきた(この辺の話も面白いノンフィクションがいろいろあるのだが、それはまた別の機会に)。秀吉の時代には、洛中と洛外を土塁と堀でリアルに仕切ったこともあるほどだが、仕切られた洛外の人間にしてみれば、こんなに腹の立つことはないだろう。
京の中心の中心に暮らす人にとって、外は敵や病が蔓延する忌み嫌うべきところなのである。そんな感情が育まれると同時に、洛中に住むことを許されない人間も出てくる。職業や身分による差別である。江戸時代にはピークを迎え、明治には表向きは廃止されたものの、それが問題を逆に潜伏させていく。
そんな歴史があって、京都には自然と選民思想が根付き、いまの京都の状況を生んだのではないか。
これらは本書ではほとんど触れられていない部分だが、著者の経歴を考えれば、これぐらいは百も承知のはず。それをあえて外したのは、あまりに問題が重すぎるからだろう。しかし、こんな本を書くからには、著者にはもう少し覚悟を決めて掘り下げてもらいたかったものだ。
もう六年も前のベストセラー本なので今さらという一冊だが、気になっていた本ではあるので遅ればせながら手に取ってみた。

本書は生まれも育ちも京都出身の著者が、テレビやガイドブックではなかなか表に出てこない、京都の“いけず”な部分を、著者の思い入れたっぷりにぶっちゃけた一冊である。
お坊さんから舞妓さん、京都と江戸幕府との関係にいたるまで、後半は幅広く展開して、むしろそちらの方が面白いくらいなのだが、ここはやはり第一章の「洛外を生きる」を見どころとしてあげておこう。
そもそも「洛外」とは何か。京都市民ならもちろんご存知だろうが、ざっくりいうと京都市の中心地、すなわち上京区・中京区・下京区の三区を「洛中」と呼び、それ以外を「洛外」と呼ぶのである。
京都の人はよそ者に冷たいとよくいうが、実は京都府内、京都市内にもそういう格差があり、そのヒエラルキーの頂点に立つのが「洛中」である。もちろん全国どこの地方でも似たようなことはあるだろう。ただ、それはどちらが発展しているか、人口が多いかといった子供っぽい自慢のレベルではなかろうか。その点、京都の場合は筋金入りで中華思想や選民思想に近い。歪んだ郷土愛というべきか、京都市民は周囲の市を見下し、洛中人は洛外を見下し、密かに(ときにはあからさまに)蔑んだり憐れんだりする。それが京都のかかえる闇であり、嫌なところだと著者は語る。
著者は京都市の嵯峨の出身である。他県民から見れば嵯峨も京都を代表する名勝であるが、洛中人にいわせれば、肥を汲みにやってくる田舎者が住む場所ということになる。著者は実際にそれに近いことを有名な某学者に言われたという。そして、そんな体験の積み重ねによって、自分までが他の市を見下すよう刷り込まれてしまったとも。
本書には外からではなかなかわからない、そんな京都の闇の部分がいくつも紹介されている。ユーモラスな語り口だから、京都を知らない人は話を盛っていると思うかもしれない。Amazonなどのレビューを読むと、「自分は洛外だがそんな経験はしたことがない」、「洛中人だがそんなひどいことは思ったこともない」などという否定的意見も書かれている。
だが、管理人も学生時代を京都で過ごし、京都人と結婚したこともあって肌感として理解できるのだが、これは嘘でも何でもない。
もちろん洛中の人全員がそういう人間であるはずもないし、ブラックからホワイトまで感覚に差が出るのも当然。また、ちょっと嫌な言い方になるが、洛中に住んでいても、経済状況や仕事等でもかなり差は出るはずだ。とはいえ、京都の人なら多かれ少なかれ持っている素地ではないだろうか。
如何せん、こういう統計はないし、あるのは状況証拠ばかり。地元の方にしてみれば面白くないのもわかるけれど、これもまた京都の顔の一つなのである。
ただ、そういう「京都ぎらい」を踏まえ、もう少し突っ込んだ分析なり提言があればよかったのだが、残念ながら本書にはそれがない。せめてなぜ京都でそういう“洛中”思想が蔓延ってしまったのか、それについての考察はもっとほしかった。
管理人としては、やはり「洛中」の成り立ちが大きく影響しているように思う。
その昔、平安京は大きく市街を東西二つに分けて、中国にならい右京側(西側)を長安城、左京側(東側)を洛陽城と呼んだ。街の中心はもともと右京側と左京側の境目、朱雀大路(現在の千本通)であったが、右京側の長安城エリアは地盤などの問題で開発が遅れ、次第に中心地は東へ移行していく。
そして最終的には左京側の洛陽城エリアが京都の中心地となり、この「洛陽城」の「洛」が“みやこ”を指すようになった。それがイコール洛中(ざくっというと今の上京区、中京区、下京区)なのである。
ただ商業的に賑やかな街というだけではない。当然ながらその中心には天皇がいるのである。守りを固めることはいつの世でも最重要課題であり、外敵や疫病といった物理的なものから思想・宗教に至るまで、さまざまな意味で洛中を洛外と隔ててきた(この辺の話も面白いノンフィクションがいろいろあるのだが、それはまた別の機会に)。秀吉の時代には、洛中と洛外を土塁と堀でリアルに仕切ったこともあるほどだが、仕切られた洛外の人間にしてみれば、こんなに腹の立つことはないだろう。
京の中心の中心に暮らす人にとって、外は敵や病が蔓延する忌み嫌うべきところなのである。そんな感情が育まれると同時に、洛中に住むことを許されない人間も出てくる。職業や身分による差別である。江戸時代にはピークを迎え、明治には表向きは廃止されたものの、それが問題を逆に潜伏させていく。
そんな歴史があって、京都には自然と選民思想が根付き、いまの京都の状況を生んだのではないか。
これらは本書ではほとんど触れられていない部分だが、著者の経歴を考えれば、これぐらいは百も承知のはず。それをあえて外したのは、あまりに問題が重すぎるからだろう。しかし、こんな本を書くからには、著者にはもう少し覚悟を決めて掘り下げてもらいたかったものだ。