泡坂妻夫の『亜智一郎の恐慌』を読む。ご存知、亜愛一郎シリーズの番外編みたいなもので、愛一郎のご先祖である亜智一郎を主人公にした短編集だ。
といってもそれほど関連性があるわけではなく、時代やキャラクター設定、雰囲気に至るまでけっこうな違いがある。したがって亜愛一郎シリーズを期待しすぎると当てが外れる可能性がないこともないけれど、これはこれで面白い読み物だった。
収録作は以下のとおり。
「雲見番拝命」
「補陀落往生」※」目次では「補陀楽往生」となっているが、これは目次の方が間違いか。
「地震時計」
「女方の胸」
「ばら印籠」
「薩摩の尼僧」
「大奥の曝頭」

何より設定がいい。
時は黒船が来航し、日本が大きなうねりに晒されていこうとする嘉永の頃。
幕府の雲見番として、番頭の亜智一郎をはじめとする四人の男が任命される。雲見番とは日々、雲見櫓に登って雲を観察し、その様子から天変を予測して有事に備えるという職務。今でいう気象予報士といったところか。
しかし、なんせ毎日、空ばかり見上げている仕事。表向きには閑職と見られているが、その実態は、将軍直結の隠密として動く精鋭部隊なのである。
本当の職位を知られることは許されず、四人がそれぞれの特技を活かして密かに働くのが魅力で、いってみれば幕府版のスパイ小説。そりゃあつまらないわけがない。
推理要素は亜愛一郎シリーズに比べると薄味で、それが惜しいところではあるが、史実を生かした物語としての面白さやチームプレイの活劇的な面白さでは勝っており、こういうところもスパイ小説的だ。その意味では推理要素が強い作品はもちろんだが、史実にうまく絡めた作品が楽しく読めた。
極楽往生で評判の僧侶と藩の悪事を結びつける「補陀落往生」、地震を予測する〈地震時計〉と遊女の心中事件がつながる「地震時計」、将軍家定の世継ぎを探す「女方の胸」、幽霊騒ぎの謎を探るため女装して大奥へ潜入する「大奥の曝頭」あたりが個人的な好み。
ちなみに亜智一郎シリーズは本書が刊行された後も七作書かれており、これらは創元推理文庫の『泡坂妻夫引退公演』に収録されている。いつになるかわからないが、こちらも宿題である。