キャサリン・クロウの『スーザン・ホープリー』を読む。ヴィクトリア朝時代の初期、1841年に刊行された小説で、表紙の惹句には〈「モルグ街の殺人」と同じ年に発表された世界初の女性アマチュア探偵小説〉とあり、この事実だけでも本書は読む価値がある。
版元のヒラヤマ探偵文庫は平山雄一氏が個人で翻訳から発行まで行っている同人誌だが、普段は「クイーンの定員」や「ホームズのライヴァル」といったテーマが中心。いわゆる海外のクラシックミステリが主戦場なのだが、本書はさらに時代を遡った作品で、探偵小説の源流的な一冊といってもよいだろう。個人的に最近そういった小説、
『ケイレブ・ウィリアムズ』とか
『悪の誘惑』あたりを消化していることもあり、本書もまた非常に興味深い一冊であった。

スーザン・ホープリーは田舎の貧しい家に生まれ、アンドリューという弟と両親の四人暮らし。父親は農場の小作人だが真面目な働き者で、妻もまたしっかり者だ。しかし、収入は少なく、子どもに大した教育を授けることはできなかったため、夫人は子供たちに聖書を使って読み書きを教え、さらに正直に生きることや隣人を愛することを教えた。
しかし、夫人が体調を崩したことでますます生活は苦しくなる。そこへ手を差し伸べたのが教会でスーザンとアンドリューの振る舞いを目にしていたリーソン夫妻だった。二人はそこまで裕福というわけではなかったが、スーザン姉弟に仕事を教え、やがて二人は従僕や召使いとして一人前となる。だがリーソン家にも不幸が訪れ……。
導入はこんな感じだが、あまりにボリュームがあり、かつゆったりした展開なので、これでもまだまだ本筋にすら入っていない。物語はこのあと、アンドリューが犯罪に巻き込まれたり、リーソン夫妻の息子ハリーが財産を奪われたり、ロンドンで新たな道を踏み出そうとしたスーザンがいきなり一文なしになったりと、主要キャラクターの数奇な運命が描かれる。
全体的なテイストは、解説でも引用されているサラ・パレツキーの言葉どおり、ディケンズやウィルキー・コリンズの作品により近い。個人的には朝の連ドラ、例えば「おしん」などと共通するところも強く感じており、そういう意味では、これぞ王道の大衆文学というイメージである。女性が主人公なので最初はゴシック小説っぽいテイストかとも思ったが、そこはまったく予想外だった。
物語は最終的にスーザンが数々の困難や謎を乗り越えてジ・エンドとなるが、読者はそんなストーリーに翻弄され、スーザンたちの身になって一喜一憂するという按配だ。この物語の転がし方が執拗で(笑)、本作を読んでもっとも感心した部分でもある。
ただ、ミステリ的な要素でいうと、まあ予想はしていたが、そこまでのものではなかった。
本作の主人公スーザンは一介の召使いにすぎないが、物事を観察するためには非常に適した立場でもある。スーザンは「おしん」でもあるが、同時に「家政婦は見た」の「石崎秋子」のようでもあり、身に降りかかった火の粉を払うため、そして仲間を救うため、真実を明らかにしようと尽力する。
と、お膳立ては整っているのだが、残念ながら勧善懲悪という構図や謎の解決という部分にミステリ的なアプローチが見られるものの、本質的な意味での探偵小説とは言い難い。それはやはり推理や論理的な解明という部分が希薄だからであり、ポーのように探偵小説の歴史の扉を開くところまではいっていない。
ということで、個人的にはミステリの萌芽を確認するための読書ではあったが、普通に読んでもヴィクトリア朝時代の労働者階級の若者たちの活躍を描く冒険譚としても楽しめる。少なくともこの時代の英国に興味がある向きであれば、決して読んで損はないだろう。
少々ボリュームがありすぎて、文字が小さかったり、版面がぎゅうぎゅう詰めなのは辛いが、商業出版ではないこともあるし、興味がある人は今のうちに入手しておく方がよろしいかと。
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こちらではまだ入手可能なようです。