大下宇陀児の短篇「亡命客事件」を読む。湘南探偵倶楽部さんの一冊。
小さな温泉町で春から夏にかけて湯治をしていた“私”は、支那から亡命していた洪さんと知り合いになるが、あるとき列車で出かけたまま行方不明となる。
その後、渓谷から首のない死体が発見された、所持品から洪さんだと推測された。実は洪さんは支那の反対派から賞金をかけられており、刺客がその証拠に首を持っていったものと思われた。
しかし、友人の弁護士・俵には、違う見方があった。洪さんの所持金を狙った犯人が、支那からの刺客の仕業に見せかけて洪さんを殺害したのではないかというのだ。やがて洪さんと“私”の泊まっていた温泉宿の主人が容疑者として逮捕されるが……。

これは面白かった。ガチガチの本格、しかもいわゆる“首のない死体”ものである。今のミステリファンには“首のない死体”ものというだけで、犯行の構図は読めてしまうだろうが、当時としては十分だろう。
ふたを開ければ真相自体はシンプルなのだが、構成が上手く、重要な情報をタイミングよく提示することで、その度に事件の様相を変えてみせる。次々と局面が変わる、といえば大袈裟だが、とにかく読者をまったく飽きさせない工夫がいい。
探偵役・俵の苦悩や、語り手の“私”の後悔といった味付けもうるさくならない程度に加え、ストーリーにも膨らみも持たせているし、オチもきれいだ。
唯一、温泉宿の主人の容疑をどうやって晴らしたかについては詳しい説明がなく、そこだけが残念。その部分さえきれいに決めていれば十分傑作といえただろう。とはいえトータルではアンソロジーなどに採られてもよいレベルで、これはおすすめ。