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探偵小説三昧

日々,探偵小説を読みまくり、その感想を書き散らかすブログ


Posted in 07 2022

葉山嘉樹『葉山嘉樹短篇集』(岩波文庫)

 純文学の作家でも探偵小説や怪奇小説を書いた人は多いが、それには大きく二種類ある。著者が意識して探偵小説や怪奇小説を書いている場合と、本人はまったく意識していなかったのに、結果的に書いたものがそうなっていたという場合である。
 大正・昭和のプロレタリア文学を代表する作家、葉山嘉樹も後者の一人だろう。教科書にも採用されたことがある「セメント樽の中の手紙」などは優れたプロレタリア文学でありながら、同時に変格探偵小説や怪奇小説としても読めるという一作だ。
 本日の読了本は、その「セメント樽の中の手紙」を含む、葉山嘉樹の代表的短篇を発表順に並べた『葉山嘉樹短篇集』。まずは収録作。

「セメント樽の中の手紙」
「淫売婦」
「労働者の居ない船」
「天の怒声」
「電燈の油」
「人間肥料」
「暗い出生」
「猫の踊り」
「人間の値段」
「窮鼠」
「裸の命」
「安ホテルの一日」

 葉山嘉樹短篇集

 プロレタリア文学といえば、労働者が直面する過酷な現実を描いた小説といえば概ね間違いないだろう。たとえば労働者階級の虐げられた暮らしぶりだったり、資本家と労働者の対立や階級闘争といったイメージだ。
 葉山嘉樹もまた社会的弱者、庶民、労働者を丹念に描き続けた作家だが、注目すべきは初期の作品群である。というのもテーマは終生一貫しているものの、初期の作品については、その描写や表現方法がかなりアナーキーらしく、そこに注目して今回読んでみた次第である。

 で、実際のところだが、これは確かに凄まじい。
 労働者階級の悲惨な状況を伝えたいがため、という面はあるのだろうが、それにしてもここまでやるのかといった感じである。同ジャンルで有名な小林多喜二の『蟹工船』もそれはそれでシンドイものがあるが、葉山嘉樹の場合、ちょっと意味合いが異なるというか、生理的なストレスを与えてくるのがきつい。これはまさしく変格や怪奇小説の世界なのである。

 もちろん全部が全部ではなく、先ほども書いたように初期作品にその傾向が強い。
 まずはなんといっても「セメント樽の中の手紙」。セメント工場で働く男が、セメント袋に入っていた手紙を見つけ……という一席。ごく短い作品ながら、工員の奇妙で悲惨な死に方、その恋人が綴る(狂っているとしか思えない)心情など、乱歩の猟奇作系品を彷彿とさせる。妖しい美しさすら漂わせる作品だが、最後の最後で手紙の読み手が発する「何もかも打ち壊してみてえなあ」というセリフ、そしてラストの一行によって、本作が紛れもなくプロレタリア文学であることを思い出させてくれる。

 「淫売婦」も強烈。主人公はあるとき数人の男たちに囚われ、無理やり娼婦を買わされる羽目になる。しかし連れていかれた先は、臭った畳の上で、汚物に塗れ、一目で病気持ちであることがわかる娼婦がいる、なんとも悍ましい状況だった。主人公は義憤に駆られ、娼婦を逃がそうとするが、彼女に拒否されてしまう……。
 過酷な状況に縛られて逃げることすらできないのは、娼婦だけでなく弱者全般の比喩でもあるのだろうが、それにしてもここまでグロに走る必要があったのか。葉山のセンスにビビる。

 以上の二作に比べると、ほかはまあまあまともだが、それでもコレラが蔓延した船の様子を描く「労働者の居ない船」、毒ガス工場の影響で奇形になった人間ばかりが集う組合の話「人間肥料」はなかなか毒が強い。
 また、大家と借家人の値下げ交渉を描いた「窮鼠」は、物語の舞台となる鮑のような形をした巨大バラックでの貧しい人々の生活に引き込まれる。

 プロレタリア文学は労働者階級に寄り添うものではあるが、ぶっちゃけ観念的だったり思想的だったりするものが多く、肝心の読者に伝わりにくいところがあった。それこそ現実とリンクしないところが欠点だったように思う。そういった弱点を補うためにハードルをできるだけ下げ、インパクトを重視し、まず読者にメッセージを伝えることを重視した結果がこれらの作品なのかもしれない。少なくとも「セメント樽の中の手紙」だけで終わりにしていい作家ではないことは確かだろう。


笹沢左保『他殺岬』(光文社文庫)

 笹沢左保の他殺岬』を読む。管理人の手持ちは古本で買った光文社文庫版だが、少し前に「トクマの特選!」でも新装版が発売されたばかり。誘拐ものの代表作として知られる一作である。

 美容業界の大物・環千之介が自殺した。さらにその後を追うようにして、後継と目されている娘の環ユキヨも足摺岬から身を投げる。
 きっかけは女性週刊誌のスクープ記事だ。彼らの詐欺的な美容商品がすっぱ抜かれ、そこから過去の不祥事も明るみに出てしまったのだ。たちまち事業は停止に追い込まれ、千之介の逮捕も時間の問題だった。
 そんなとき、記事を書いたルポライター・天知昌二郎のもとに、ユキヨの夫・環日出夫から電話が入る。ユキヨの死の責任は天知にあり、その復讐として天知の幼い息子を誘拐し、五日後に殺害するというのだ。
 天知はユキヨの死が自殺ではなく、他殺の可能性があると考え、それを証明することで日出夫を説得しようとするが……。

 他殺岬

 著者の誘拐ものといえば『真夜中の詩人』が面白い趣向の作品だったが、本作も悪くない。
 主人公がある仮説の元にユキヨの自殺事件を再調査するというのが大きなストーリー。五日間というタイムリミットを設けてサスペンスを高めてはいるが、全体的には足で稼ぐ調査が中心で、どちらかといえば地味な展開だろう。だが、そのバックヤードに構築されたプロット・構図が恐ろしいほどに緻密で、終盤でようやく著者の狙いに下を巻くという寸法である。登場人物はごく少数に限られているし、なんとなく犯人も動機も想像はつきやすいのだが、最後に読者の予想をサクッと外しにかかるのは、さすが笹沢左保といったところ。

 要はお話作りが巧いのだろう。笹沢作品は純粋なミステリとしての面白さと、人間ドラマとしての面白さをバランスよくブレンドしている印象で、本作もその例に漏れず。
 特にラストで示される二つの展開は非常に効果的だ。主人公の胸だけでなく、読者の胸にも割り切れないモヤモヤを残してくれる。この負の余韻ともいうべきところが本作の魅力といっても過言ではない。

 ただ、ここまで誉めておいてなんだが気になる部分もちらほら。一番気になるのは、複雑になったプロットを成立させるため、どうしても登場人物の行動に無理が出てしまうところ。たとえば犯人の気持ちはわからないではないが、そこまでやりますか、ということだ。
 また、主人公のユキヨの事件を解決することで犯人を説得するという部分も相当に無理があるし、警察と重要な情報を共有しないのも不思議。まあ、そこは単に省いているだけかもしれないが、警察が捜査すればよりスムーズに進んだ部分もあるだけに、少々乱暴な印象は拭えない。

 ということで少しケチも付けたものの、誘拐もののバリエーションとして十分に楽しめる一作で、読んでおいて損はない。
 ちなみに天知昌二郎は本作のほか『求婚の密室』、『地下水脈』にも登場するが、後者は未読なので、ぜひそのうちに。


ジョルジュ・シムノン『メグレと死体刑事』(読売新聞社)

 ジョルジュ・シムノンの『メグレと死体刑事』を読む。なにやら奇妙なタイトルだが、死体刑事とは、メグレの元同僚だった刑事のあだ名である。カーヴルという名前と「死体」を意味するカダーヴルの語呂合わせに加え、性格が陰気なことから名付けられたものらしい。

 こんな話。メグレは知り合いの予審判事に呼び出され、田舎町で起こった事件の調査を個人的に依頼される。鉄道事故で死んだ被害者が実は殺害されており、その犯人が判事の義弟だと噂されているのだという。メグレは単身、現地へ出向いたが、田舎町ではメグレの神通力も知名度もなかなか通じず、いまひとつ捜査は進まない。おまけにメグレの元同僚だった「死体刑事」がなぜか街を彷徨き、メグレの捜査を妨害しているようにも見えた……。

 メグレと死体刑事

 表面にはなかなか現れないが、田舎町ならではの対立、不正、自堕落な生活、無気力などが蔓延り、それがあまりに自然なため、メグレも知らず知らずその中に取り込まれそうになる。その度に内心で恥ずかしい思いをしたり、イライラを爆発させそうになるメグレだが、そんな雰囲気に飲み込まれているメグレの心情が本作の読みどころと言えるだろう。
 この村におけるメグレの存在は異質であり、異邦人的なのだが、メグレもまた村人に対し、ある種の評価を下しているのがミソ。長篇としては短い作品ながら、主要人物はもちろん脇役ですらどこか癖のある人物ばかり。よくもこれだけ書き分けられるものだと感心するしかない。

 事件そのものはシンプルである。シンプルすぎてもう一捻りあるかと思うほどだが、メグレものではこんなものだろう。ただ、真相はこれでも良いのだが、メグレの捜査を妨害していると思われる「死体刑事」の扱いはやや物足りない。若い頃はメグレのライバル的存在であり、本作でも大きなアクセントになっているはずなのに、思ったほどの活躍(?)は見られない。死体刑事の行動やメグレとの対決をもっと掘り下げれば、本作はさらに面白くなっていただろう。そこは素直に残念なところだ。

 とはいえ全体でみれば相変わらず味のあるメグレものの一冊。解説ではメグレもののベスト5という評価だが、さすがにそこまではいかないにせよ、これは悪くない。
 なお、ラストでサラッと描かれる後日談はけっこうインパクトがある。後味は悪いけれど(苦笑)、こういう皮肉な一文を入れ込むのはさすがシムノンである。


S・A・コスビー『黒き荒野の果て』(ハーパーBOOKS)

 S・A・コスビーの『黒き荒野の果て』を読む。しばらく前にネット上で評判になっていたため、気になっていた作品である。

 こんな話。裏社会で凄腕のドライバーとして知られていたが、今は足を洗って自動車整備会社を経営するボーレガード。だが会社の経営が徐々に苦しくなり、金策に走るボーレガードの前に昔の仕事仲間ロニ-が現れる。
 ロニーの持ち帰かける宝石店襲撃計画に、家族の平和を考えて一度は断ったボーレガード。しかし、不運が重なり、窮地に追い込まれたボーレガードは一度だけならと計画に参加する。だが、襲ったダイアモンドがギャングが隠し資産だったことで、ボーレガードと家族の身に危険が迫る……。

 黒き荒野の果て

 かつての犯罪者が悔い改めて堅気になったものの、思うようにはいかず再び悪の道に入るストーリー。そんなの今まで何度も読んできた気がするし、しかも家族まで危険な目に遭わせるのが個人的には好きではないので、最初はどうかなと思っていたが、この新人作家さんは途轍もない筆力で、そんな杞憂を一気に吹き飛ばしてくれる。まさに絶品のクライムノベル。

 何といっても主人公ボーレガードのキャラクターが良い。
 安寧を求め、家族を第一に想ってはいるが、だからこそ犯罪に手を染めてしまう矛盾。妻に責められて葛藤はするが、いざその場に身を置くと、ある種の達成感や高揚感に満たされるのも事実。錦の御旗を掲げつつ、一線を越えると敵の命を奪うことに躊躇はない。
 反社会的な生き方でないと現状を打破できない、こうした葛藤や矛盾に包まれるボーレガードだからこそ、その生き様が胸を打つのだ。

 そうした人物描写に加え、アクションシーンも凄い。特に車やカーチェイスの描写は実にリアルで迫力満点。導入の公道レースから引き込まれるし、宝石店襲撃やクライマックスのシーンなど、カーチェイスのファンには悶絶ものだろう。
 決して短い話ではないが、それらのアクションシーンが随所に盛り込まれることで、まったく退屈することがない。宝石店襲撃からギャングが乗り出してくる中盤以降は一気読み、まさにアクセル全開の一冊である。


マックス・アフォード『闇と静謐』(論創海外ミステリ)

 マックス・アフォードの『闇と静謐』を読む。『魔法人形』『百年祭の殺人』に続き、我が国では三作目の紹介となる。まずはストーリーから。

 BBCのラジオでミステリドラマの特番が収録されることになり、その見学に招待されたスコットランドヤードのリード警部と、友人の数学者にして素人探偵のジェフリー・ブラックバーン。新施設のお披露目もあって大混雑の局内だったが、追い討ちをかけるように機材の不具合や俳優のいざこざも勃発。ようやくドラマがスタートしたものの、収録中のスタジオが闇に覆われ、そこで無名の女優が死亡するという事件が起こる。医師は心臓麻痺という診断を下したが、ジェフリーは殺人だと主張する……。

 闇と静謐

 マックス・アフォードの作風については、これまでオーストラリアのディクスン・カーだとか、むしろクイーンのテイストに近いんではないかとかいろいろ語られているが、本作を読んで、あまりそういうところに拘る必要はないのかなという気がしてきた。
 アフォードにはアフォードの作風があって、やはりカーやクイーンとは別物なのである。ちょっと意地悪な言い方をすると、彼らのような大物ほど作風が確立していない(苦笑)。まあ、それは言い過ぎにしても、いまひとつ著者のこだわっている部分、読者がちょっとイラッとするぐらいのアクが感じられないのである。

 ただ、内容自体は決して悪くない。ラジオドラマ放送中の密室事件という導入は魅力的だし、フーダニットに焦点を当て、多重解決的な展開で事件の可能性を見せてくれるところなど、なかなか凝った趣向で面白い。ミステリマニアならずとも惹かれるネタをいくつも仕込んでおり、どこまで風呂敷を広げてくれるのかというドキドキがある。
 それだけに殺人方法や密室、その他諸々のミステリ的ギミックを淡白に流してしまうのがもったいない。せめてどれか一点でも尖らせれてくれればよかったが、著者のウリにしたい部分、こだわっている部分が見えてこない。強いていえば多重解決になるのだろうが、ここまでネタを仕込んでいるからには、そこではないんだよなぁ。
 原書では『百年祭の殺人』、『魔法人形』、『闇と静謐』の順で書かれているのだが、そういう部分はむしろ段々と迷走している感じも受ける。

 ということで個人的にはもう一つ乗り切れなかったものの、アフォードの力量が高いことは実感できるし、まずまず面白くは読めた。確か今年はもう一作、論創海外ミステリからアフォードの邦訳が出るはずなので、そちらに期待したい。


増本河南『冒険怪話 空中旅行』(盛林堂ミステリアス文庫)

 増本河南の『冒険怪話 空中旅行』を読む。まったく知らなかった作家だが、解説によると明治時代の作家であり、横田順彌が『日本SFこてん古典』で紹介したことから、その名が知られるようになったらしい。ううむ、それなら一度は名前を目にしているはずなのだが、ミステリ系ではないので全然覚えてなかったみたい。
 ただ、著者については、今でもその当時以上に詳しいことはわかっていないようだ。わずかに判明しているのは、新聞記者やアメリカ駐在の経験があること、帰国後は冒険小説やSF小説などを発表していること、押川春浪とも親交があって共著もあること、ぐらいらしい。

 冒険怪話 空中旅行

 まずはストーリー。今の静岡県静岡市にあたる興津に、夏休みで学生の朝日輝夫くんが帰省した。彼は海岸で謎の男と知り合いになるが、実は男は火星人で、電力空中船による火星旅行へ招待される。月へ寄り道した際には大変な冒険に巻き込まれたりするが、ようやく火星へ到着。熱烈な歓迎を受ける輝夫くんだったが、火星には恐ろしい危機が迫っていた……。

 明治時代のSF小説ということだが、それなりに面白く読めることに驚いた。歴史的な価値しかないと思っていたのだが、どうしてどうして。適当に面白おかしくするのでなく、科学的な資料を盛り込むことで、荒唐無稽なストーリーにできるだけ説得力を持たせようとしているのがいい。
 また、この手の小説であまり気にされない部分もちゃんとフォローしている。たとえば惑星間移動もチャチャっと瞬間移動で簡単に済ませるのではなく、1年という妙にリアルな時間に設定している。そのために家族への連絡をさせるとか、この期間で火星の言葉を学んだりとか、食糧の問題をどうするとか、読者のツッコミを先回りして解決していくようなところも上手いなぁと思わせる。

 その一方で、ベースとなる動力が電気というのはやはり時代を感じさせる。料理や機械までさまざまなものが電気で動いたり生み出されていたりする。それは別によいのだが、その電気をそもそもどうやって発生しているのか一切不明なのはご愛嬌だ(こちらが読み落とした可能性もあるけれど)。これが昭和も戦後のSF小説あたりになると専ら原子力が多くなるから、やはりSFであっても(SFだからこそ、か)ある程度は時代を反映するものなのだろう。

 ストーリーも健闘している。原住民に襲われたりするなんてのは想定範囲内だが、火星についてからの展開がなかなか予想外で、「妖怪星探検」の章などはあまりのテイストの急変に呆気に取られるしかない。まあ実はそこが一番面白かったりするのだが(笑)。
 とにかく明治時代のSF小説がこれだけやってくれれば十分だろう。と思っていたら、これには裏があって、横田氏の説では、当時の海外SFのいいとこ取りをしたのだろうというもの。まあ、その可能性は高いだろうが、そうであったとしてもこの作品の評価をそこまで落とすものではないだろう。とりあえずご馳走様でした。

水谷準『薔薇仮面』(皆進社)

 皆進社が立ち上げた《仮面・男爵・博士》叢書が近々、第二巻を刊行するというので、慌てて積んでおいた第一巻、水谷準の『薔薇仮面』を読む。
 タイトルもそうだが叢書名がこれまた強烈で、これは簡単にいうと《仮面・男爵・博士》といったギミックに代表されるような通俗探偵小説群のことを指す。
 ザクッとしたことは本書の序文に書かれている。探偵小説が探偵小説と呼ばれた時代、本格でもなく変格でもなく、あくまで大衆に探偵小説の面白さを広めようと乱歩が書いた『蜘蛛男』が通俗探偵小説ブームのきっかけだ。乱歩の目論見どおり『蜘蛛男』以降に探偵小説は広く読者を獲得していくのだが、その中心は乱歩の作品を模倣した通俗探偵小説であり、探偵小説のセンセーショナルな部分だけが強調された低俗な作品と見做された。やがて松本清張や仁木悦子らの登場で、「探偵小説」は「推理小説」へと移行していくが、「通俗探偵小説」はそんな探偵小説末期に咲いた徒花といってもよいのだろう。
 基本的には消費されるだけの読み物であり、今では忘れられた作品ばかりである。重要な作品が残っているとも思えないが、そこには「ミステリ」や「推理小説」からは感じられない妖しいロマンがあることも事実。そういった作品から特に注目すべきものをピックアップしたのが、この《仮面・男爵・博士》叢書なのである。
 素晴らしいではないですか。個人的にはその方向性は絶対的に支持するところなので、版元関係各位にはどうぞ無理をなさらず、長く続けてほしいものである。

 さて、前置きが長くなったが、水谷準の『薔薇仮面』である。まずは収録作。

「三つ姓名(なまえ)の女」
「さそり座事件」
「墓場からの死者」
「赤と黒の狂想曲」
「薔薇仮面」

 薔薇仮面

 水谷準といえば怪奇幻想小説の印象が強いけれど、実はユーモア探偵小説や通俗スリラーなどけっこう幅広い作品を残している。入手しやすいところでは論創ミステリ叢書の『水谷準探偵小説選』や春陽文庫の『殺人狂想曲』などがあるが、作品の内容などを鑑みるとベタな通俗探偵小説とはちょっと異なる。その点、本書に収められた作品は徹底して娯楽のみを追求し、いい意味で大衆に媚びている(褒めてます)。まさに通俗探偵小説のお手本のような一冊なのである。
 最初の四作が短篇で、「薔薇仮面」のみ長篇といった構成。このジャンルにありがちなエログロ要素が少なく、全般的に都会的でスマートな作品が多いのが特徴だろう。当時のモダンな都会の風俗が描写されているのも売りの一つだったのではないか。
 すべての作品に新聞記者の相沢陽吉が登場するが、彼にしても健全なもので、新聞記者にありがちなガツガツしたところは極めて少ない。これは単なる想像だが、編集長も務めた人だけに、通俗ものとはいえ、いや通俗ものだからこそ、誰でもが手に取れるような内容を意識していたのかもしれない。

 なお、探偵小節としての過剰な期待は禁物である(笑)。
 さすがに水谷準だけあり、探偵小説としての骨格はひと通り備えているし、序盤のツカミは秀逸なものが多い。どれもそれなりに楽しくは読めるのだが、決してそれ以上のものではないのが通俗探偵小説の通俗探偵小説たる所以である。
 ただ、表題作の長篇「薔薇仮面」だけはラストで驚愕のトリック(笑)を用意していて、こういうのがあるから通俗探偵小説は止められないのだ。

 最後に一つだけ不満を書いておくと、本作にはなんと「薔薇仮面」が一切登場しない。赤いマフラーで顔を隠す人物がおり、それを指して「薔薇仮面」と称したのだろうが、「薔薇」という例えすら作中にはないのである。まあ、こういうアバウトさも込みで通俗探偵小説の魅力なのだけれど。

※興味がある方はこちらでどうぞ

藤雪夫『藤雪夫探偵小説選 I』(論創ミステリ叢書)

 『藤雪夫探偵小説選 I』を読む。藤桂子との親娘コンビによる『獅子座』『黒水仙』で知られる著者だが、これは単独で書いた作品をまとめたもの。
 そもそも藤雪夫は1950年代に活躍した作家だ。1950年に雑誌『宝石』のコンクールで二等に入った「渦潮」でデビューする。本格を志向していたこともあり、鮎川哲也らと鎬を削ったようだが、コンテストでトップを取れなかったり版元と揉めたりなどもあってか、当時はなかなか単行本デビューが叶わなかった。そうこうしているうちに1959年には電気技師として就職。その後はそちらが多忙を極め、およそ二十五年近く創作から離れていた。ようやく現役を退いて創作を再開し、1984年に親娘コンビによる『獅子座』を発表したものの、次作『黒水仙』の執筆途中で逝去。その後、2015年になって、ついに論創ミステリ叢書から全二巻の単独著書がまとめられた。

 藤雪夫探偵小説選I

「渦潮」
「指紋」
「辰砂」
「黒水仙」
「夕焼けと白いカクテル」
「アリバイ」

 収録作は以上。
 注目すべきはやはり著者のデビュー作であり、長篇『黒水仙』の原型となった作品「渦潮」だろう。もちろん設定やストーリーなど共通する部分は多く、銀行強盗殺人という発端も同様。ただし長篇『黒水仙』では後半にまったく新しい展開が発生して、むしろそちらに比重が置かれている。
 そもそも長さが違うので、要素自体が増えるのは当たり前なんだけれど、実はテイストもけっこう異なるのが面白い。「渦潮」は徹底した本格志向でアリバイトリックがメインの作品。対して長篇『黒水仙』では、プラスされた後半の真相に異常心理といった要素が加えられ、このインパクトがとにかく強かった。
 個人的には長篇に軍配を上げたいのだが、これは決して好みの問題というだけではない。というのも「渦潮」はやはりデビュー作ということもあって、とにかく余裕がないのである。改行もなく情報を詰め込んでいくし、描写も思った以上に濃い目。ラストの一章などは著者としては気合十分なのだが、当時もいろいろ批評されたようで、とにかく構成も文章もキツキツ&やりすぎの感じは否めない。
 とはいえ、この応募作こそが藤雪夫が最初に求めていた方向性であることは確かだし、トリックも含めて決してつまらない作品ではない。

 ややこしいので、もう一つの中篇「黒水仙」を次に紹介しよう。これは「渦潮」を原型とする長篇『黒水仙』とはまったくの別物。中篇「黒水仙」と共通するイメージが長篇『黒水仙』にあったのかもしれないが、さすがにこれは混乱するだけなので、長篇を同じ題にするのはやめてほしかったところだ
 それはともかくとして、内容的には藤雪夫版『幻の女』というイメージで興味深い。ただ構成や発端が酷似しているため、発表当時はいろいろ酷評されたらしい。しかしながら犯人の設定は異なるし、本家を凌ぐような面白さもあり、個人的には決して嫌いではない。ただ、かなり粗が多いことも事実で、きちんと欠点を潰していけば、かなり面白い作品になったのではないか。「渦潮」もそうだが基本的に詰め込みすぎるクセがあり、そのくせチェックが甘いんだよなぁ。何とももったいない一作。

 その他の短篇はやや低調。「指紋」、「辰砂」、「夕焼けと白いカクテル」の三短篇はそれぞれキモになるトリックや仕掛けが弱く、肝心なところで粗さが目立つ。完成度に関する線引きがやや甘い、そんな印象を受けてしまった。窯焼きなどの題材は面白いし、雰囲気は悪くないのだけれど。
 そんな中で「アリバイ」は(これもツッコミどころはあるけれど)ラストの見せ場も面白いし、なかなかの力作。

 ということで長所短所取り混ぜて、いろいろと楽しめる一冊だった。
 1950年後半には清張や仁木悦子、鮎川哲也、土屋隆夫といった面々が独自の世界を広げていった時期でもあり、著者が就職せずにミステリを描き続けていたら果たしてどのように成長し、どんな作品を残していったのか、少々気になるところではある。
 さて、なるべくなら間をおかず、『藤雪夫探偵小説選 II』にかかりたいものだ。


アントニー・マン『フランクを始末するには』(創元推理文庫)

 アントニー・マンの『フランクを始末するには』を読む。十年ほど前に刊行されたものだが、昨年も復刊されて少し話題になった一冊。「奇妙な味」に分類される短篇集である。
 まずは収録作。

Milo and I「マイロとおれ」
Green「緑」
The Oedipus Variation「エディプス・コンプレックスの変種」
Pigs「豚」
Shopping「買いもの」
Esther Gordon Framlingham「エスター・ゴードン・フラムリンガム」
Things Are All Right, Now「万事順調(いまのところは)」
Taking Care of Frank「フランクを始末するには」
The Deal「契約」
Billy, Cutter and the Cadillac「ビリーとカッターとキャデラック」
Preston’s Move「プレストンの戦法」
Gunned Down「凶弾に倒れて」

 フランクを始末するには

 「奇妙な味」と書いたけれども、実はそのテイストは作品ごとにけっこう異なる。シュールな作品もあれば実験小説的なもの、ブラックユーモアなどさまざまだ。展開自体はヘンテコだが、終わってみれば意外に訓話的な印象のものもあったり、その逆に暗いエンディングを迎えるものもあったりと、なんとも掴みどころがない。
 語り口もクセが強い。あえてユーモラスにしたり、深刻にしたり、そういう先入観を植え付けるような雰囲気は作らず、むしろ極力テイストを排したような淡々とした描写である。それがストーリーの奇妙さを鮮明にし、その結果として読者に先を読ませず、絶妙な不安感を抱かせてくれるのだ。
 以下、作品ごとに簡単に感想を。

 「マイロとおれ」は赤ん坊と組んで捜査を行う刑事の話で、その突拍子もない設定にはなんの説明もなく、ただただ二人の活躍を描く。警察小説とりわけバディモノのパロディにも思えるが、単なるパロディとは異なる不条理さが感じられて面白い。
 「緑」は管理社会を描くディストピア的な作品だが、そのスケール感をご近所さまに限定することで、独特な味わいを持たせている。
 「エディプス・コンプレックスの変種」はチェスを題材にした作品で、父親を虐待することでチェスがメキメキ上達するという、これまたいっさい説明のない謎設定の作品。カタストロフィが待っていると思わせつつ……という捻りが絶妙。
 「豚」は、豚をペットにする大金持ち夫婦とその友人夫婦の物語。比較的わかりやすいブラックユーモアだが、これも登場人物たちのやりとりを若干不安定にすることで、似たような作品とは一線を画している感じだ。オチは予想できるが、そこに至るまでの夫婦たちの会話に味がある。
 「買いもの」は買い物リストだけで構成された実験的小説。確かに面白い試みだが、筒井康隆あたりを多く読んでいる人ならそこまでの衝撃はない。高校生などの学習テキストに良いかも。
 「エスター・ゴードン・フラムリンガム」は出版ビジネスの暗黒面を茶化した作品で、捻りは弱いが普通に面白い。
 「万事順調(いまのところは)」は純文学の味。主人公の行動や心理を考えながら読むのがおすすめ。
 表題作の「フランクを始末するには」は正統派の奇妙な味。文句なしの名優フランクを始末するよう依頼された殺し屋だが……。スラップスティックの味わいもあり、わかりやすい毒性なので広くおすすめできる。
 「契約」も面白い。最初はなんのことやらわからないが、どうやら子供を殺害され、マスコミに取材を依頼されている男の話だとわかってくる。頑としてインタビューなど受け付けようとしない男に対し、友人らが説得にあたる様を描く。主人公と友人たちの心理のずれが読みどころ。
 「ビリーとカッターとキャデラック」も正統派の奇妙な味(だから正統派ってなんだよ)。スタンリー・エリンとかロアルド・ダールが書いていそうで、後味の悪さがお見事。
 「プレストンの戦法」はチェスの絶対的攻略法を生み出した男の話。これ、短編でもいいのだけれど、長篇にしても相当面白くなったのではないか。
 「凶弾に倒れて」は、父を殺した男に復讐する少年の話。男は三年で出所し、マスコミの寵児となるが……。ラストがこの作家ならではという感じもするが、ラストまでの流れがそれを効果的にしている。

 まとめ。強力なオチで読ませる作品は少ないものの、常識の裏をいくようなストーリー全体の捻りと独特の語り口で読ませる作品集である。これはおすすめ。


マイクル・コナリー『警告(下)』(講談社文庫)

 マイクル・コナリーの『警告』下巻を読了。

 今は消費者問題を中心に扱うニュースサイトで働くジャック・マカヴォイ。過去に関係を持った女性がデジタルストーカーの犠牲者となり、自らも容疑者となったことから調査を開始。するとDNAビジネスのセキュリティ問題が発掘、そればかりかデータを悪用した連続殺人犯の存在が浮かび上がる。マカヴォイは会社の仲間や元FBI捜査官だったレイチェル・ウォリングと共に調査を続けるが……。

 警告(下)

 DNAビジネスといった最新の題材に、デジタル・ストーキングや情報漏洩といった現代ならではの社会問題を絡めるなど、まずは目のつけどころがよい。しかし社会問題を全面的に押し出すのではなく、最終的な問題は結局、人の闇にあるという展開に持っていくのが、いかにもコナリーらしいところだ。
 好き嫌いもあるだろうが、コナリーの小説はやはりギリギリ個の犯罪の範囲でとどめてくれた方がよい。全体を覆う程よい緊張感もそのおかげだろう。

 愛情や友情、利益と使命感の狭間で揺れ動く登場人物たちのドラマも悪くない。なんだかんだでエゴが強く、それでいてセンチメンタルなマカヴォイが最も人間的な弱さを感じるのだけれど、まあ、そういう主人公だからこそストーリーが転がる面はあるので、これもコナリーのテクニックであろう。
 だが、ボッシュのような突き抜けたところに欠けるため、いまひとつ感情移入しにくいのが惜しい。こちらも好みにはなるが、正直、本作ではレイチェルやエミリー、マイロンといった協力者の方がよほど共感できるキャラクターである。
 人物で言えば、犯人についても動機の部分などもう少し掘り下げてほしかったところだ。

 ということで全体としては面白く読めたが、さっぱりしていてちょっと食い足りないのも確か。
 コナリーの作品でなければ十分合格点だとは思うが、どうしてもハードルを上げてしまうよなぁ。


マイクル・コナリー『警告(上)』(講談社文庫)

 マイクル・コナリーの『警告』をとりあえず上巻まで。ボッシュやハラーものではなく、お久しぶりのジャック・マカヴォイを主人公にした作品である。

 警告(上)

 『ポエット』や『スケアクロウ』では若々しかったマカヴォイも本作では五十代。小さなネットニュース会社で記者を務めてはいるが、人間的にはさほど成長も見られず、決して順風満帆というわけではない。
 そんな彼が一夜を共にした行きずりの相手が殺害され、マカヴォイは容疑をかけられる。容疑を晴らすべく調査に乗り出したマカヴォイは、被害者がデジタル・ストーキングされていたことを突き止めるが……。

 上巻では被害者の身元調査からスタートし、そこから派生する手がかりをもとに連続殺人の可能性、そして思いがけない被害者の共通点などが徐々に明らかになってくる。新米だが腕の立つ女性記者や、元恋人であり、元FBI捜査官だったレイチェル・ウォリングも登場し、ドラマが膨らみを見せたところで下巻に続く、という感じである。
 まだ激しい動きがないので何とも言えないが、マカヴォイの弱さが気になりつつも展開自体は悪くない。下巻に期待。


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プロフィール

sugata

Author:sugata
ミステリならなんでも好物。特に翻訳ミステリと国内外問わずクラシック全般。
四半世紀勤めていた書籍・WEB等の制作会社を辞め、2021年よりフリーランスの編集者&ライターとしてぼちぼち活動中。

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