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探偵小説三昧

日々,探偵小説を読みまくり、その感想を書き散らかすブログ


Posted in 10 2022

H・H・ホームズ『九人の偽聖者の密室』(国書刊行会)

 魅力的なクラシックミステリのレーベルが新たに登場した。山口雅也氏が監修する〈奇想天外の本棚〉である。以前に原書房から三冊出たところで頓挫したレーベルだが、版元を国書刊行会に変え、装いも新たにリスタートしたわけである。クラシックミステリとは書いたが、今回はミステリに限定はされておらず、より幅広く奇想天外な本を紹介していくらしい。Twitterでも山口氏が精力的に告知しており、今後のラインナップも発表しているが(まだ確定ではなくご本人の目標みたいな感じか)、これが凄まじい内容である。ぜひ今度は中断することなく、息長く続けてほしいものだ。

 ということで本日の読了本は、その〈奇想天外の本棚〉の第一回配本、H・H・ホームズの『九人の偽聖者の密室』。H・H・ホームズはもちろんアントニー・バウチャーの別名義。作家としてより編集者、批評家としての実績の方が知られているかもしれない。

 九人の偽聖者の密室

 まずはストーリー。職を失ったばかりの作家志望の青年マット・ダンカンは、古い友人のグレゴリーの婚約騒ぎに巻き込まれたことから、カルト宗教による詐欺を研究するウルフ・ハリガンと出会う。ウルフに気に入られたマットは、ウルフの助手になることを持ちかけられ、さっそく目下調査中の「光の寺院」の集会へ参加することになった。ところがウルフを仇敵とする教祖アハスヴェルは、「ナイン・タイムズ・ナインの呪い」により、ウルフが死ぬと予言したのであった。
 翌日、その予言が的中するかのようにウルフが殺害される事件が起こった。しかも、そのときマットは現場の窓でアハスヴェルらしき人物を目撃するが、駆けつけてそこにはウルフの死体しか見当たら図、現場は完全な密室状態であった……。

 〈奇想天外の本棚〉が単なる傑作選といった性格ではなく、噂には聞くが読んでいる人が少ない作品あるいは本邦未紹介作品を紹介するといったコンセプトであることが、山口雅也氏による本書のまえがきで記されている。本書は第一回目の配本として、その方向性を確認するための作品ともいえるだろう。
 まあ、そこまで大上段に振りかぶらなくとも、とりあえずはアントニー・バウチャーをセレクトした時点で、クラシックミステリのファンとしてはOKという感じではないだろうか。これまでも単発ではいくつか邦訳がされているバウチャーだが、本当にとびとびなのでとにかく力量が掴みにくい作家である。クラシックミステリ・ファンとしては、「作品数もそれほど多くはないし、とりあえず出来は気にしなくてよいから、まずは邦訳してよ」というのが率直なところではなかろうか(苦笑)。

 そういう喉の渇きを潤す意味でも満足なんだけれど、本作は中身も興味深い。最も着目したいのは、ジョン・ディクスン・カーを徹底的に意識した密室ミステリだということ。
 なんせ作中で、警警部補の妻が夫にカーの『三つの棺』を勧め、あろうことか警部補はマットと共に、『三つの棺』の作中にある「密室講義」に沿って密室の謎を推理していくのだ。カーに対するリスペクトが凄すぎるが、もちろんこのまま終わらせるのではなく、本作の密室はカーの「密室講義」に分類されないものというのが最大のウリになる。
 ただし、確かにカーの密室講義に含まれてはいないトリックではあるけれど、そこまで感心するようなネタではない。ネタに華がないというか、小粒感が強く、まあ、でもこれも含めて想像どおりといえば想像どおり。そんなすごいトリックが残っているはずがないではないか(苦笑)。それでも読まずにいられないのがファンの業というものだろう。

 まあトリックはこんなものだが、ストーリーはまずまず快調。カルト宗教のトラブルをベースにする導入、密室殺人と不可能犯罪で警察に挑戦的な発言を繰り返す教祖、そうかと思えば被害者家族も一枚岩ではなく遺産相続問題が勃発するなど、なかなか目先を絞らせないし、けっこう動きもあるし楽しめる。おまけにロマンスも盛り込むなど、密室だけでなく、いろいろな面でカーにチャレンジしているような作品だ。

 なお、邦訳でひとつもったいないなと思ったことがあって、それは探偵役を最初から明らかにしていること。これは知らないで読む方が絶対に面白いのだが、復刊ということもあってか、読者が探偵役を知っている前提であらすじ紹介が各所で書かれている。知っていても問題はないけれど、せっかく肝入りで出している本なのだから、もう少し気を配っても良かったのではないだろうか。


佐藤誠一郎『あなたの小説にはたくらみがない』(新潮新書)

 新潮新書でちょっと面白そうな一冊が出ていたので読んでみた。佐藤誠一郎の『あなたの小説にはたくらみがない』がそれで、ベテラン文芸編集者による小説指南書である。

 あなたの小説にはたくらみがない

 小説指南書といってもそこまで改まったものではなく、これまでの経験をもとに、小説家になりたいならこれぐらいは押さえておこうよ、ぐらいのカジュアルなアプローチである。ちょっと悪くいうと、山のように見てきた小説家志望に対する小言を飲み屋でグダグダこぼしている感じ(笑)。

 とはいえ、内容に関しては基本的に概ね同意できることばかりである。視点や起承転結、キャラクターの話など、どれも経験や実例を挙げて解説するので面白い。そこまで深い話ではないけれど、新書という性質を考慮すればこのぐらいがちょうどいい按配なのだろう。
 もちろん小説家志望者には有用なアドバイスだと思うのだけれど、ちょっとショックなのは、今どきの小説家志望者はこういうことも知らない人がいるのかということ。
 なんせ帯にある「主人公が無駄にモテる/意味なく「私」が語る/キャラばかりが立つ→佳作止まりです」というコピーにしても、小説家志望であればこれぐらいは常識ではないのかなと思うのだが、今はそうでもないのか。
 まあ、昔と違い、今はインターネットのおかげで誰でも作品を発表できる舞台があるし、間口が広くなったことで、まったく文章修行などしないで書いている人も多いのだろう。

 ただ概ね同意できる内容ではあるものの、気になるところもないではない——たとえば小説家による小説指南書はあてにならず、編集者が最適というところ。
 その根拠になるのは著者のジャンル性による守備範囲の狭さなのだが、これでいうと編集者もそこは似たようなものだ。こちらはジャンルもあるが所属する出版社・編集部の考え方に影響されることも多い。その点、さまざまな出版社・編集部と付き合いのある作家であれば、実に多様な指導を各編集者から受けることになるので、むしろ最強の小説指南書を書けるような気もする(笑)。
 また、SFやホラーで有名なディーン・クーンツの『ベストセラー小説の書き方』に触れ、ミステリの動機の構成要素について自著からアトランダムに挙げて見せただけと手厳しいが、その指摘はクーンツに対して気の毒だろう。それをいうなら本書も構成はもう少し系統立ててくれた方がグンとわかりやすくなるわけで、それをやらなかったのは新書という性質を踏まえた結果だろうし、クーンツの本もそれは似たようなものだろう。

 とまあ、いくつか気になるところもあれど、基本的には面白いしタメになる一冊である。どうせなら数多いる小説家志望者のために、著者はきちんとした形の小説指南書を書いてもよいのではないだろうか。もちろんそんな本を読んだからといって優れた小説が書けるとはかぎらないけれど、そういう芸術や職人のノウハウ(デビューすることや売れることも含め)を系統立てて可視化すること、アーカイブとして残すことはけっこう意義のあることだと思う。なんかマーケティングの本になりそうな気もするけれど(笑)。


ジャニス・ハレット『ポピーのためにできること』(集英社文庫)

 ジャニス・ハレットの『ポピーのためにできること』を読む。
 もういきなり結論から入るけれど、これは傑作である。あくまで現時点の話だが、今年、読んだ中では間違いなく一、二位を争う作品だろう。とにかく非常に凝った作品なのだが、そのうえ文章やらプロットやら完成度も高く、何よりむちゃくちゃ面白いのだ。ボリュームは文庫でたっぷり700ページ弱もあるが、まったく長さを感じさせない。
 
 こんな話。弁護士事務所の実務修習生フェミとシャーロットの二人は、ある事件に関するテキスト資料を読み込むよう、弁護士タナーから命じられる。それはメールやテキストメッセージをプリントアウトした分厚い束であった。
 それによると——イギリスの田舎町でゴルフ場を軽々し、その一方で劇団を主催する地元の名士マーティン・ヘイワード。そんな彼が劇団員に一斉送信したメールには、彼の孫娘ポピーが難病を患っており、その治療に莫大な費用が必要だという。人々は支援を約束し、さまざまなアイデアを出して募金活動を開始するのだが、それをきっかけにトラブルが発生し、ついには恐ろしい悲劇を招いてしまう……。

 ポピーのためにできること

 まず凄いのは、ほぼ全編がメールやテキストメッセージ、ニュースサイトの記事、事情聴取の記録などで構成されていること。地の文章は一切ない。
 まあ、地の文がない小説とか実はないわけではない。それどころか手紙だけで構成される小説など今どきど珍しくもないし、それがメールに置き換わったと思えば今さら驚くには当たらないのだが、すごいのは長編の本格ミステリとしてこれをやってのけたことだ。
 どういうことかというと、これは著者が読者に向けて書いたというのと同時に、作中の第三者(フェミとシャーロットの二人)が、この記録を読者とまったく同じ条件で読んでいるのである。本格におけるフェアプレイの極みとでも言えばいいのか。材料はそれこそすべて作中にあるわけだ。

 ただ、フェアプレイと言っても、元になる文章は個人が個人に宛てたメールがほとんど。そこにはフェアプレイという概念など何の関係もない。単なる用事の伝達や確認もあれば世間話もある。ごく内輪でしか話せないゴシップもある。ときには感情が爆発することもあるし、ときには感情を押し殺すこともあるわけで、言ってみれば全員が「信頼できない語り手」と言っても過言ではない。
 いかにメールに隠された意味を読み取るか、行間を読むのは当たり前で、それどころかメールとメールの間にあったリアルなやりとり、さらにはメールの真偽まで読むことが必要なわけで、本作はそういうことを前提としたフェアプレイなのである。プロットが固まっても、それをどのようにしてストーリーに落とし込むか、その苦労は並大抵ではないだろうし、著者の狙いは半端ではない。
 ちなみに、著者がメールという手法を使いながら、登場人物のキャラクターや文体にまったくブレのないことは驚異的である。短編ぐらいうならともかく700ページ越えの本でこれは凄い。たまに少しブレがあるなあなどと思っていると、これもしっかり理由あってのことだから驚かされる。著者はこれが小説デビュー作というものの、脚本が本業だから、むしろこういうスタイルの方が得意だったのかもしれない。

 ところどころでフェミとシャーロットによるチャットでの意見交換があったりするのも心憎い趣向である。もちろんボリュームのある作品なので度々、整理してくれているというのが第一の目的ではあるだろう。
 ただ、スレた読者ならこういうのはたいがいミスリードの一端ではないかと疑ってしまうところだが、本作ではまったくそんなことはなく、著者はむしろ読者に対して考え方を誘導してくれる感じすらある。たとえば読者が考えの及んでいなさそうなところに推理を提示する。これは「こういう見方もあるよ、見落としはありませんか」というメッセージに思えるし、ちょっと穿ちすぎではあるが、著者の自信の表れと取りたくなってくる。

 登場人物の設定も実に見事で、これも本作の大きな魅力である。
 イギリスの田舎町という設定は個人的に最近よく読んでいるけれど、本作での登場人物の描き方は頭ひとつ抜け出ているかもしれない。そのぐらいリアル。町の名士や取り巻き連中、批判的な少数派、中立派、それぞれのヒエラルキーや人間関係などがいかにもありそうなものばかり。とにかく人間のいい部分嫌な部分が(圧倒的に嫌なほうが多いけれど)、鮮やかすぎるほど鮮やかに描かれる。特にメール数ならトップ争い間違いなしの某彼女にはゾッとさせられるし、反対にメールが一切ない二人の女性は他人のメールでしか情報が得られないのに、実に存在感がある。著者の力量には恐れ入るばかりである。

 ということで最初にも書いたが、今年のベストを争うことは間違いないだろう。ページ数に怯むことなく、面白本好きな方はぜひご一読を。


マリー・ルイーゼ・カシュニッツ『その昔、N市では』(東京創元社)

 マリー・ルイーゼ・カシュニッツの『その昔、N市では』を読む。カシュニッツは戦後ドイツを代表する女流作家で、小説をはじめとして詩やエッセイ、ラジオドラマと幅広く活動した。特に短篇は百作近くを遺しており、その中から訳者の酒寄氏が厳選した十五作をまとめたのが本書である。

 その昔、N市では

Eisbären「白熊」
Jennifers Träuma「ジェニファーの夢」
Der Tunsch「精霊トゥンシュ」
Schiffsgeschichte「船の話」
Vogel Rock「ロック鳥」
Gespenster「幽霊」
Eines Mittage, Mitte Juni「六月半ばの真昼どき」
Lupinen「ルピナス」
Lange Schatten「長い影」
Ferngespräche「長距離電話」
So war das in N「その昔、N市では」
April「四月」
Das fremde Land「見知らぬ土地」
Ja, mein Engel「いいですよ、わたしの天使」
Rätsel Mensch「人間という謎」

 収録作は以上。幻想的なものから怪奇小説、さらには奇妙な味からミステリっぽいものまで、ひと言で言い表すのは難しいが、概ね共通するのは日常生活に忍び込んでくる「何か」である。それは突然のこともあるし、じわじわとにじり寄ってくる場合もある。とりわけ後者の場合は不気味である。そうした日常生活や人の心が壊れていく様を、さまざまな形で体験できる物語集といってもよい。
 どれも基本的には短いものばかりだが、その短さを感じさせない濃密な文章も素晴らしい。どこか淡々とした、ボソッとした言葉の繋がりが読み手の想像力を掻き立てる。自分が文章に取り込まれてしまうような語りの巧さ、魅力があるのだ。ただ、これは訳者の力も大きいことは間違いない。

 ちょっと面白かったのは、日本の怪談にあるような話がいくつか見受けられたこと。たとえば虫の知らせとか死者の最後の別れとか、あるいは黄泉の国からの誘いだとか。冒頭の「白熊」などを読むと、こういう話はやはり世界共通のものなのだと再認識できて興味深い。もちろんドイツならではの、そして作者ならではの味付けがされるので印象は日本のそれとはかなり違うのだけれど、ラストで「ああ、こういうお話だったか」と腑に落ちる楽しさもある。

 どれも味わい深い作品ばかりだが、強いて好みをあげるなら表題作の「その昔、N市では」と「船の話」。
 「その昔、N市では」は死者を“灰色の者たち”(人造人間やゴーレムの類か)として蘇らせ、単純労働に使役させるという話。当然ながら、このような非人道的な行為が待つのはカタストロフィでしかない。
 「船の話」は乗る船を間違えた中年女性からの手紙という構成。船の行方もわからず、船内の様子も徐々に荒涼としていくが、女性はそれをただ受け入れるしかない。船が向かっているのはおそらく死の国なのだろう。この手の幽霊船ストーリーはおそらく初めて読んだと思うが、この怖さはちょっと独特のものだ。

 ということで、これは予想以上に魅力的な一冊であった。過去にも何冊か邦訳があるらしいので、そちらも気になるところである。


フレデリック・ダール『夜のエレベーター』(扶桑社ミステリー)

 フレデリック・ダールの『夜のエレベーター』を読む。フランス・ミステリーを代表する作家だが、なぜか我が国では紹介の進まない作家である。クラシックミステリーの復刻ブームでも完全に蚊帳の外だったが、まあ、ダールに限らずフランス・ミステリ全体がそうなんだけど。
 ところで本書を買って、まず「アレ?」と思ったのが、訳者の長島良三という名前である。もちろんメグレなどの翻訳・研究などで有名な方ではあるが、もう随分前に亡くなったのではなかったか。すると解説に答が書いてあって、生前に発表媒体のあてもなく訳したものの結局は受け皿がなく、それが今になって見つかったものだという。
 ううむ、長島氏のレベルでもそういうことがあるのか。ただ、ダールを受け入れるニーズと土壌は、当時より今の方が多少マシだとは思うし、実際こうやって出版できたわけだから、ぜひ本書がそこそこ売れてもっと翻訳が進んでほしいものだ。

 それはともかく、こんな話。六年ぶりの我が家に帰ってきたアルベール。しかし、母親もとうに亡くなり、空っぽの部屋は孤独が増すばかりであった。しかしクリスマス・イヴぐらいはと思い、子供の頃に憧れた店で食事をしていると、かつての恋人に似た子連れの女性に出会う。ふらふらと後をつけ、彼女たちの入った映画館で隣り合わせになり、話しかけることもできたアルベール。そして彼女たち親子を自宅まで送り、酒までご馳走になってしまうのだが……。

 夜のエレベーター

 いかにもフランス・ミステリらしいウェットなサスペンスである。内省的で孤独な青年を主人公にし、その心情をこれでもかとばかりに描写する中、現れるのはいかにも曰くありげな女性だ。最初はヒロイン然とした彼女が実はとんでもない悪女だと徐々に明らかになっていくのもお約束。主人公が悪女に絡め取られる、その過程が読者をハラハラとさせるが、そのくせ決して同情できるようには書かないのがダールの巧いところである。

 かように心理サスペンスはフランス・ミステリのお家芸ではあるが、ミステリの仕掛けにおけるチャレンジも忘れてはいけないところだ。仕掛けといってもトリックとかに限らない。ミステリの型を破るというか、ルールに捉われないというか、そういう実験小説的な志向である。だから画期的な作品も生まれるが、同じくらい馬鹿げた作品も生まれるのだろう。
 実は本作でも有名なトリックが使われており(おそらくはパクリだと思うけれど)、これが本来はけっこう豪快なトリックなのだが、使われるシチュエーションのせいで、どうにもストーリーから浮いてしまう。そのため序盤から中盤にかけての雰囲気とこのトリックの存在感がケンカしているというか、もっというとオリジナル・トリックの価値を貶めそうなイメージすらある(苦笑)。
 一応ストーリーに溶け込ませようという努力は感じられるものの、この状況で使われるトリックではないよなあ。

 ただ、そういう勇み足な部分も含めて、個人的には嫌いな作品ではない。決して傑作ではないけれど、愛すべき作品だなという印象。長島氏が訳したのも案外そんなところが気に入ったからではなかったかと思う次第である。


エリー・グリフィス『窓辺の愛書家』(創元推理文庫)

 エリー・グリフィスの『窓辺の愛書家』を読む。昨年に読んだ『見知らぬ人』がさまざまな趣向を盛り込んだ、非常に楽しい一冊だったが、本作はそれ以上かもしれない。この二、三年の創元推理文庫はホロヴィッツとかホリー・ジャクソンとか英国のオーソドックスなミステリ作家で当たりが多いけれど、このエリー・グリフィスはそれらの作家に決して負けていない。
 残念ながら受賞は逃したが、本作は2021年度のCWAゴールド・ダガー(最優秀長編賞)をクリス・ウィタカーの『われら闇より天を見る』やS・A・コスビーの『黒き荒野の果て』などと争った作品でもある。

 こんな話。高齢者向け共同住宅で暮らす読書家のペギー・スミスが亡くなった。しかし、ペギーの担当介護士だったナタルカはその死に不審を抱き、警察に赴いて居合わせたハービンダー・カー刑事に相談する。さらにはペギーの友人だったエドウィン、ホームの前でカフェを営むベネディクトと共に自分たちでも調べてみようと決意するが、ペギーの部屋を捜索中、銃を持った何者かに襲撃される……。

 窓辺の愛書家

 ひと口にミステリと言ってもさまざまなジャンルや作風があるし、人によってそれらのの好みは違うだろうけれど、最も最大公約数的に楽しめるミステリってのは本書のようなミステリを言うんではないだろうか。ガチガチの本格とかハードボイルドというのではないが、多くの人を満足させるような面白いエッセンスをさまざまな方法で詰め込み、あらゆる部分まで丁寧に作り込まれた非常にバランスの良い上質でオーソドックスなミステリ。
 昨年に紹介された前作も作中作を扱うなど凝った趣向であり、十分に楽しめる作品だったが、意外にクセがなくてホロヴィッツやホリー・ジャクソンの個性に負けていた感じは多少あったのだが、今年翻訳された作品だけでみれば、両者を超えてきたのではないか。それぐらいよくできている作品である。

 前作『見知らぬ人』もそうだったが、とにかく語りたいポイントが非常に多い。
 まず驚かされたのが、前作の探偵役ハービンダー・カー刑事が本作にも再び登場してきたこと。そんなのよくあることじゃないか、と言う勿れ。前作は複数人の視点で語られる構成であったし、主人公と呼べる人物は別にいたのである。もちろんカー刑事も重要な存在ではあったが、一見ゴシックロマンの雰囲気も感じられるような作品だったので、あくまで主人公は事件の渦中にある女性であり、決して探偵役のカー刑事ではなかったのである。
 ところが本作はその構成を見事に踏襲してきた。なんと本作もまた複数人の視点で事件が語られる構成をとり、そこにカー刑事は探偵役として絡んでくるものの、主人公格のキャラクターはやはり別にいるのである。この構成は単発作品なら珍しくもなんともないが、シリーズ探偵がいる作品で用いるのはけっこうレアではないか。
 考えるとこれは非常にいいシステムで、シリーズ探偵を用いることはファンの固定化に有利ではあるが、同時にマンネリ化という弱みをもつ。その点、複数人による多視点の構成は事件や人間関係の描き方に奥行きが出るのと同時に、探偵役も一歩引いた形になるのでストーリーに変化もつけやすい。また、シリーズものだとどうしてもシリーズキャラへの比重が大きくなって、発表順に読んだ方がいいのかとか考えてしまうのだが、このシステムだと一見さんにも優しい感じなのがいい。

 次のポイントは、これまた前作『見知らぬ人』に続いてビブリオミステリに挑戦していることか。あちらは伝説的作家のある作品にスポットを当てた見立て殺人で、それを作中作として盛り込むなど、本好きには堪らない設定だった。そして本作では、被害者が大のミステリマニアであり、プロのミステリ作家へアドバイスする「殺人コンサルタント」を請け負う老婦人という設定。事件関係者は作家のみならず編集者や広報担当、フェス関係者までいるから、これも本好きのファンには堪らないお膳立てである。

 キャラクターも魅力的だ。だいたいカー刑事からしてインド系同性愛者という攻めたキャラクターである。ナタルカとその仲間たちもなかなか個性的で、ナタルカはウクライナ人の介護士という設定。給料はたかが知れているのに、なぜか金回りは悪くないというミステリアスな女性である。しかも作品が書かれた当時はロシアのウクライン侵攻前だが、クリミア侵攻はすでに行われており、彼女の身辺にもその影響が出ていて考えさせられる。
 そんな彼女に思いを寄せるのが元修道士で今はカフェのオーナー、ベネディクト。二人を見守るペギーの友人で、元BBC勤務の同性愛者エドウィン。さらにはペギーや作家、出版関係者たちが加わるが、著者はその一人ひとりにしっかりとしたキャラ付けをして、それが物語に厚みを持たせている。日本人の感覚からするとキャラクターが渋滞気味にも感じるが、実際のところ、キャラクターへの深掘りは思ったほどではないのがちょっと意外。二、三十年前なら同性愛だけでガッツリ一冊問題定義するところだろうが、つまりはこの状況が英国の日常になりつつあるということでもある。こういうところにも現代ミステリが大きく変化していることを感じてしまう。

 これだけのキャラクターがいればストーリーもつまらないわけがない。本作の主人公は探偵役ハーランダー・カーというよりも介護士ナタルカとその仲間たちである。もちろんカー刑事も十分に主役級の活躍はするのだが、ストーリーのエンジンとなるのはあくまで彼ら素人探偵だ。カー刑事が立場上絶対にできないこと、あるいはやらないことを、素人なりに挑むことでストーリーがどんどん転がってゆく。
 また、一つのエピソードについて、あるキャラクターの視点で描かれても、その後に他のキャラクターの視点でフォローして描かれる場合もあり、多視点がこういうところでも効果を発揮している。

 もちろんミステリとしても上々である。とりわけ感心するのはプロットで、解決してみればなかなか複雑な真相である。それを大きな混乱もなくストーリーに落とし込み、しかもストーリー自体はけっこうシンプルで読みやすくしてあるのだが、あちらこちらにそういう意味があったのかという伏線が目白押し。なんとなく想像できる真相もあるのだが、それが複雑な輪の一部でしかなかったことに驚かされる。
 ただ、ひとつ注文をつけたいのは、謎解きのカタルシスが薄いこと。これもまた前作で感じたことだが、サスペンス中心のラストを活かしたいのか、最終的な推理が弱めである。鮮やかな謎解きシーンを期待したいのもあるけれど、むしろ推理が適切なタイミングでなされておらず、事件の解説的になってしまうのである。「名探偵みなを集めてさてと言い」とまではいかないまでも、これは改善してほしいところだ。

 ということで最後の部分を除けば大満足。ケチも付けたが、トータルでの完成度と質を買って、今年の翻訳ミステリで個人的にはベスト5に入れてもいいと思う。
 ちなみに著者は本作以外にも二つほどのシリーズでこれまで三十作近くを書いている。初期作品だからそこまで期待はしていないのだが、どの程度のものか気にはなるので、できればそういう作品も一、二作翻訳されるといいのだがなあ。


エマ・ストーネクス『光を灯す男たち』(新潮社)

 引っ越し関係が山を越えて、その間停滞していた読書を取り戻そうと七月ぐらいからハイペースで読んでいるのだが、今度は感想を書くのが追いつかなくなってきた。なるべく印象の強いうち、リアルタイムで読後すぐに感想を書くようにはしているのだが、最近はもう全然ダメ。まあ、期間を少し開けることで、冷静に感想を書けるというメリットもあるのだが、それよりも内容を忘れるリスクの方が大きくて(笑)。

 そんなこんなで本日はエマ・ストーネクスの『光を灯す男たち』である。新潮クレスト・ブックスからの一冊で、まったく知らない作家であったが、三人の灯台守が忽然と姿を消すという実際に起きた事件をヒントに書かれたということで気になっていた作品。帯には「文芸ミステリー」という惹句もあるが、そもそも新潮クレスト・ブックスだから「ミステリー」という部分はあまり鵜呑みにせず、あくまで普通の小説として読み始めた。

 英国はコーンウォールの最西端、ランズエンド岬の沖合にメイデンロック灯台があった。海難事故の多いその荒れた海域を守る灯台には補給船も二週間に一度しかやってこず、世の中と隔絶された灯台である。そのメイデンロック灯台では三名の人間が常駐していた。難しい仕事ではなかったが、狭い灯台で長い期間を三名で過ごさなければならず、そのための適性は必要だったし、駐在員は定期的に交代が行われていた。
 そして1972年の冬、いつもと同じように交代の駐在員を乗せた船がメイデンロック灯台にやってきた。ところが灯台は中から施錠され、中に入ってみると、つい先ほどまで食事をしていたかのような状態のまま、三人の駐在員の姿だけが消えていた。
 それから二十年が過ぎたとき、冒険小説で知られるベストセラー作家が事件の謎を解こうと、残された家族にインタビューを開始したが……。

 光を灯す男たち

 忽然と人が消えたという事件ですぐに思い浮かぶのが、有名なメアリー・セレスト号事件。あちらは船の話なので、本作はその灯台版。当時いったい何が起こったのか、確かにこのテーマ自体はミステリにもなりうるし、幻想怪奇小説にもなりうる。
 しかし、新潮クレスト・ブックで出たことからもわかるように、本書のメインテーマは人間消失の謎ではなく、消失するに至った灯台守たちのドラマとその内面を描くことにあり、さらには残された妻三人の物語でもある。

 ストーリーは1972年の三人の灯台守たちのパート、その二十年後の妻たちのパートが並行して展開し、さらにはそれぞれのパートが三人の灯台守、三人の妻たちの視点によって交互に描かれる。章題で誰のパートかはわかるようになっているが、同じエピソードでも視点が変わることで意味合いも変わるし、ミステリではお馴染みの手法だ。とはいえ、こちらは叙述トリックのようなものではなく、あくまで物事の多面性を強調する効果を狙ってのことだろう。

 ただ、これだけなら凝った構成で終わるところだが、パートによっては回想であったり、インタビュー形式であったり、人称が変わったり、さらには幻想らしきシーンが入り混じるため、なかなか侮れない。平易な文章ではあるけれども、しっかり読み進めないと混乱は必至。
 ややもすると構成がまとまっていない印象も受けるが、実はこの混沌とした状況こそおそらく著者が意図するところなのだろう。灯台のある荒れた海の状況、登場人物の澱んだ人生ともリンクし、すべてが重く暗い雰囲気に包まれている。ベタではあるが実に効果的だ。
 そして何より効果的なのは、彼ら灯台守の仕事が光を灯すことなのに、自らの人生においては光を見つけられないでいることだ。物語の終盤ではそれぞれが答えを見出そうとしているようにも思われるが、結局、光を見失ってしまう。非常に切なく、読みごたえのある物語である。

 ちょっと意外だったのが、灯台守消失の謎について、きっちりとした答えを出していること。てっきりうやむやにするパターンだと思っていたので、こういうところは好感が持てる。
 その一方で、ある重要な登場人物についての記述が非常に曖昧にされており、実はこのキャラクターの意味合いだけが正直、咀嚼しきれていない。また、作家の存在についてもやや扱いが中途半端な感じだったのが惜しまれる。

 ということで引っかかる部分もいくつかあるのだけれど、個人的にはトータルでこの世界観にどっぷりと没入できて楽しめる一冊であった。諄いようだがミステリっぽい設定ではあるけれど、肝はあくまで別のところにあるので注意されたい。

 ちなみに本作のモデルになった事件も検索するといろいろ読むことができる。こちらの真相も諸説あるけれど、一番手のネタがけっこう本作に近いので、本作を読む予定の人は先にネタ元を読まないようご注意を。


アンソニー・ホロヴィッツ『殺しへのライン』(創元推理文庫)

 アンソニー・ホロヴィッツの『殺しへのライン』を読む。元刑事のダニエル・ホーソーンと著者の分身・投影的な存在でもある語り手アンソニー・ホロヴィッツのコンビによる活躍を描くシリーズもこれで三作めとなる。

 こんな話。ホーソーンの事件を小説化した『メインテーマは殺人』がいよいよ三ヶ月後に刊行されることになった。そのプロモーションとして文芸フェスに参加することになったホロヴィッツとホーソーンはチャンネル諸島のオルダニー島を訪れる。ところが島では電力線工事をめぐって賛成派と反対派が対立していたり、フェス出席者や関係者の間にも何やら軋轢がありそう。そしてフェスを後援する大富豪の死体が発見されて……。

 殺しへのライン

 シリーズも三作目ということで、ようやく落ち着いてきたというか、本格ミステリの中にメタな構造を持たせた第一作こそ衝撃ではあったが、それが慢性化することでオーソドックスな謎解きミステリとしての部分が目立つようになってきた。
 とりわけ巧いなと思うのは、伏線の貼り方、あるいは手がかりやミスディレクションの散らし方であろう。これまでの作品もそうだが、ストーリー展開に非常に自然に溶け込ませ、それぞれがストーリーの一部として機能しているという感じ。おまけに細かなサプライズまで散りばめ、一つ驚かせているうちに一つ仕込むという具合で、おそらくこれがストーリーを面白くし、リーダビリティを高めているのだろう。
 今回は前の二作に比べるとやや地味めな展開ではあるけれど、箱庭的な設定で余計な要素があまり入らなかったり、登場人物のやり取りに集中できたりと、リーダビリティにはより効果的だったように思われる。

 ただ、落ち着いたいいミステリを読ませてもらったという感じではあるのだが、大絶賛するほどではない。おそらく大絶賛している人はホーソーンとホロヴィッツの関係やホーソーンの過去など、シリーズキャラのドラマに興味がある人たちだろう。そういう意味では重要な登場人物も出てくるし、露骨な次作へのネタふりまであるので、キャラファンには堪らないところかもしれない。
 確かにキャラクターの魅力も重要な要素ではあるし、そこに異論はないのだが、事件の本筋に関係ないところでシリーズの興味を引っ張るのは一見さんお断りな感じで、個人的に好きではない。全部が全部ダメとは言わないが、シリーズであっても本作で発生する疑問はできるかぎり本作で片づけてほしいのだ。その点が本作への不満である。

 ということで、いつもよりは地味だがそれは決してマイナスではなく、むしろ安定したいいシリーズになってきた印象である。変にキャラクター小説に走らず、謎解き小説として進化していってほしいものだ。


アントン・チェーホフ『狩場の悲劇』(中公文庫)

 このところちょっと馴染みの薄いミステリを出してくれる中公文庫が、ついにチェーホフの『狩場の悲劇』を出してくれた。とはいえ、ミステリ的にはあくまで歴史的な意義ぐらいしかないと思っていたのだが、なかなかどうして、これがけっこうな掘り出し物であった。まあ、チェーホフをつかまえて掘り出し物でもないのだけれど(笑)。

 まずはストーリー。モスクワにある出版社の編集部にある男がやってきて、自分の書いた小説を読んでほしいという。その小説の主人公はある地方へ赴任した予審判事セリョージャ。地元の伯爵アレクセイらと交流したり、ある娘と婚約までするのだが、やがて殺人事件が起こり、自ら捜査することに……という内容であった。
 しかし、その小説を読んだ編集者は、肝心の謎がまだ決されていないことに気づき……。

 狩場の悲劇

 チェーホフとミステリの関連でもっとも有名なのは、やはり創元推理文庫の『界短編傑作集1』に収録された「安全マッチ」であろう。そしてもう一つの作品が、長らく東都書房の『世界推理小説体系』に収録され、絶版のままになっていた本作である。
 これがまあ歴史的価値ぐらいのものだと思っていたのだが、先にも書いたように意外に面白い。何といっても某有名トリックに先立つネタが用いられているのが一番の注目ではあるのだが、実はそれ以外にもいくつかミステリとしての先駆的な試みがあって、ディープなファンであればそういうのを確かめるだけでも読む価値がある。

 ただ、そういう側面があるにしても、やはり本作の興味の中心はミステリ部分ではなく、ドラマや登場人物にあるだろう。主人公は予審判事を務めるエリートではあるが鼻持ちならないところも目立つ若者で、ぶっちゃけ人間的にはかなり不愉快なタイプである。ストーリーはその彼の恋愛模様や日々の放蕩ぶり、上流階級のドタバタを綴っていき、痛烈な皮肉に満ちている。何より自分勝手な主人公の心理描写が秀逸で、不愉快だけれど惹かれるという変な魅力がある。

 だから正直、これだけで完結していいのではないかと思う話なのである。しかしチェーホフは最後の最後でいきなり殺人事件を突っ込み、あろうことかミステリ史上でも有名なネタをいくつか披露する。そもそもが作中作というスタイルであり、語り手たる主人公の言動が信頼しにくいことは明らかである。ましてや本作の主人公においては。作中でも最後にこういうラストを迎えるであろうことは触れているので、もちろん著者にしてみればいきなりではないのだろうが、匂わせ方は逆に目立ちすぎであるし、なんなら某有名トリックもぶち壊しであろう(苦笑)。
 チェーホフにしてみれば、おそらく当時、流行っていた犯罪小説に自分なりに挑戦したかったか、あるいはパロディにしたかったかという感じだったのかもしれない。だがミステリとして見るならば決して出来はよくないし、かといってネタ自体は某有名トリックに先立つものであるから、無視するわけにもいかない。チェーホフが書いたことも含めて、なんだ評価に困るなあというのが本書の正直なところである(苦笑)。

 というような長所短所ひっくるめ、いろいろな意味で楽しめる一作。真っ向からオススメとはいいにくいのだが、個人的には心の中で強くプッシュしておきたい。


マイクル・Z・リューイン『祖父の祈り』(ハヤカワミステリ)

 前回の読書がヘビーだったので、今回は少し質量ともに軽いものをと思って手に取ったのがマイクル・Z・リューインの『祖父の祈り』。あのリューインもとうとう八十歳になったということで、それを記念して早川書房から復刊やら新刊が相次いでおり本書もその一環。リューインについては先月だったか『ミステリマガジン』の九月号でも特集が組まれており、リューインも現況に関するエッセイを寄稿していたが、ペースが落ちたとはいえまだ普通に現役でいるのは実に喜ばしいことだ。

 さて、『祖父の祈り』だが、こんな話。世界は未知のウィルスのパンデミックによって荒廃した。物資は乏しくなり、治安は著しく悪化、格差社会は広がる一方で、富める者と貧する者は物理的にも政治的にも大きく分断されていた。
 そんな中、感染症で妻を亡くした老人は、娘と孫だけは何があっても守るのだという決意のもと、ときには泥棒までやりながら必死に暮らしている。しかし、街の状況は悪くなるばかりで、犯罪者はもちろん警官までもが脅威の対象となっていく。やがて思いもよらないことに家族が増える羽目になり、老人は現状を打破すべく、ある決心をするが……。

 祖父の祈り

 おっと、これは予想外。もっとライトな作品かと思っていたのだが、語り口こそ相変わらずの飄々としたリューインではあるけれど、内容はいわゆるディストピア小説。理想郷たるユートピアとは真逆の、近未来の暗黒世界を描いている。
 ウィルスの影響で多くの人々が亡くなり、残された人々も今なおウィルスに怯える世界。経済活動は衰退し、治安は悪化、国家システムがほぼ崩壊した無秩序な世界である。残された人々は厳しく管理され、警察も決して市民の盾にはならず、誰もが後ろを気にしながら歩く生活。まさしく絵に描いたような近未来SF的設定である。
 といっても、そこはリューイン。題材こそ重いけれど、社会システムの崩壊とか世界を救うといった壮大なストーリーには踏み込まず、あくまでごく普通の市民が家族を守るための日常を描くことに注力する。
 昔を懐かしみ、過去の思い出を語る老人の前に広がるのは正反対の現実。悲しみに包まれながらも、家族を守る義務があると自分を奮い立たせる。それは亡き妻の最後の頼みでもあったからだ。そんな老人の生き方、考え方は特に際立ったものではなく、実際大したことができるわけでもないのだけれど、だからこそじわじわと染みるものがある。そして、そういった経緯があるからこそ、最後の老人の行動が響くのである。

 そもそも家族については、リューインが長く追い続けているテーマである。旬のネタをいち早く自家薬籠中の物としたことに驚きはしたが、やはりリューインはリューイン。あくまで自分のスタイルで思うところを物語る姿勢に嬉しくなった。テーマがテーマだけに一見さんには物足りなく思われるかもしれないが、こういうディストピア小説があってもいいだろう。

※蛇の足その1……本作はミステリではないけれども、ミステリ作家らしい演出はいくつかあって、やはりこういう部分は巧い。個人的には娘と警官が出会ったときのエピソードに思わずニヤッとさせられた。

※蛇の足その2……なんとなくだけれどリューインの作風は椎名誠の作品と似ているかもしれない。特に半径五メートル(だっけ?)の作家的というところが。考えると『アドバード』もそれっぽい作品だったような記憶が。


クリス・ウィタカー『われら闇より天を見る』(早川書房)

 ちょっと集中的に今年の海外話題作を読んでいるのだが、なかでも評判がいいのが本日の読了本、クリス・ウィタカーの『われら闇より天を見る』。

 まずはストーリー。舞台はカリフォルニア州の小さな町、ケープ・ヘイヴン。三十年前、そこで飲酒運転によって一人の少女が命を落とし、その事件は今でも町の人々に暗い影を落としていた。事故を起こして服役中のヴィンセント、事件からいまだに立ち直れないスター、友人を密告した今は警察署長のウォーク、事件後に町を去ったマーサ……。彼らは皆当時の仲間同士でもあった。
 そんな町で、自称無法者の少女ダッチェスは、いまだに事件から立ち直れない母親の代わりに、幼い弟を守って懸命に暮らしていた。
 そこへ刑期を終えたヴィンセントが帰ってきた。ぎりぎりの均衡を保っていたケープ・ヘイヴンに新たな火種が持ち込まれ、悲劇が再び繰り返されようとしていた……。

 われら闇より天を見る

 なるほど。これは評判どおりの傑作だ。ぶっちゃけ新味はないのだけれど、非常に重厚で胸に迫るミステリ。とにかく読み応えが凄い。
 本作最大の特徴は、非常に特殊な少女を主人公(の一人)に設定したことだろう。ミステリではあるが著者が描きたかったのはやはりヒューマンドラマであり、とはいえミステリ部分も決して疎かにせず、そのバランスが最高である。主人公が底辺であがく少女といえば、どうしても『ザリガニの鳴くところ』と比べてしまうのだが、これは甲乙つけ難いだろう。

 そもそもこの手の作品はどうしてもミステリ以外の部分ばかりで評価される傾向がある。それはそれで否定するつもりはないのだが、やはりミステリという形式を用いるからにはミステリ的な面白さは大事にしてもらいたいわけで、その点、本作は普通にミステリとしても面白い。
 ベースにあるのは三十年前に起こった交通事故。しかしそれは単なる事故に収まらず、関係者の多くにさまざまな闇、病みを生んでしまう。それが月日の流れで消えることはなく、今に至るまで悪影響を及ぼし、ついにヴィンセントの釈放をきっかけに爆発する。このさまざまな闇が現代の事件とリンクしている構成が巧い。過去の事件と現代の事件がリンクするミステリは珍しくもないが、本作は過去の事故はあっても事件などはなく、その事故から発生した諸々の闇が徐々に明らかになり、それがミステリ的な驚きにも通じてくるのである。しかもそういう状況を、ほとんどの主要登場人物で設定しているという念の入れよう。
 強いていえばサプライズを小出しにしているのがちょっともったいなく感じないではない。ドラマがゆったり進むので、その流れに合わせてしまったところもあるのだろうか。引っ張るのが上手いとも言えるのだけれど。
 それはともかく、本作はそうした要素がまずミステリ的な驚きに貢献し、同時に業の深さというか因果応報というか、そういう感慨も同時に与えてくれるところがよいのである。

 ミステリとしても読みどころ十分の本作だが、結局というべきか(笑)、やはり本作の最大のキモは少女ダッチェスの存在感だろう。
 弟を守るため自らを無法者とうそぶく十三歳の少女の言動には常に激しい怒りが渦巻いている。だが、彼女のそうした怒りの下に、深い悲しみと絶望が潜んでいることもまた明らか。平穏を願いながらもどうしても他者に対して(同時に社会に対して)攻撃的になってしまう少女の姿は何ともやるせない。味方になってくれる人にも牙をむくため、ときには共感しにくいところもあるのだが、彼女をそうした行動に走らせてしまう確固とした理由や原因があり(それが他人にわかってもらえないことも多々あるのだが)、それが胸に堪える。
 だから共感はしにくいとしても、応援せずにはいられないのである。そんな彼女が少しずつ人間的に成長し、心を開いていくところは、読んでいるこちらも本当に嬉しくなるし、幸せを願わずにはいられない。ただ、著者は安易な成長物語として妥協しない。ダッチェスの道筋は順調ではなく、常に三歩進んで二歩下がるといった試行錯誤の連続。それに付き合う読者もまた、そこそこの覚悟が必要かも知れない。

 最初に少し書いたけれど、本作は格別新しいタイプの物語ではない。よくある筋立てではあるし、けれん味とは遠いところに位置する作品だ。たとえば昨今の作品なら時系列をいじって過去のパートを挿入したりするところだが、そういうのも一切ない。
 物語の中だけでしっかりと物語を完結させ、素直にキャラクターやストーリーのクオリティを上げることで、著者はメッセージをよりストレートに伝えようとしている。そこがよいのである。


アレックス・ベール『狼たちの宴』(扶桑社ミステリー)

 アレックス・ベールの『狼たちの宴』を読む。ユダヤ人古書店主が何の因果かゲシュタポ犯罪捜査官になりすます羽目になったイザーク・ルビンシュタイン・シリーズの第二弾である。
 ユダヤ人がゲシュタポの捜査官になりすますというスパイ小説・冒険小説的な面白さ、捜査官として事件の謎を解く警察小説・本格ミステリとしての面白さ、さまざまな要素を一度に楽しめ、シリーズ第一作となる『狼たちの城』は文句なしの傑作であった。
 ちなみに前回、ホリー・ジャクソン『優等生は探偵に向かない』の記事でも同じことを買いたような気がするが、本作も設定がかなり破天荒だから、本作だけで情報を消化するのはやや難しい。本作だけを楽しむこともできないではないが、できれば第一作の『狼たちの城』は読んでおいた方がよい。そもそもこちらも傑作なので、読まないのがもったいない。

 狼たちの宴

 さて、『狼たちの宴』だが、こんな話。
 ゲシュタポの犯罪捜査官アドルフ・ヴァイスマンに間違われ、何とか女優殺害事件を解決したユダヤ人の古書店主イザーク・ルビンシュタイン。ボロが出ないうちに脱出したいイザークは、レジスタンスと連絡を取るなか、戦況に大きな影響を与えると思われる機密文書の存在に気づく。脱出をギリギリまで延ばし、文書の奪取に動くイザークだったが、新たに殺人事件が発生し、またも捜査にあたることに……。

 相変わらず巧いし面白い。上でも書いたが、スパイ小説、冒険小説、警察小説、本格ミステリとさまざまな要素が入り乱れ、それでいて破綻なく、バランス良くまとまっているのが素晴らしい。本来であれば非常にシリアスで重い題材ではあるのだが、それをスリルや謎解きなど、幾つものエンタメ要素が混じることでまろやかにし、ユーモアもスパイスとして振りかけられているのもいいところだ。
 もちろん設定の面白さというところが大きいので、ストーリーやインパクトは第一作には及ばないものの、その分、事件の方にページを割くことができ、加えて今回はヴァイスマンの正体を疑うものが多数出てきて、そういう興味での面白さは向上している。特に後者については、ヴァイスマンに惹かれる女性や捜査の相棒、新聞記者など、多くの目がイザークの行動に注がれ、それらをどうやって切り抜けるかも要注目である。

 惜しむらくは、ややご都合主義的に流す傾向があるところだろう。前作でも少し目についたが、殺人事件の犯人を絞り込むところなどもそうだし、正体がバレるピンチもまさかという切り抜けかたをする。この辺りにもう少し工夫があればなおよかった。それらを考慮すると、面白いけれど前作には及ばずというところか。
 ただ、この状況が長く続くようだとさすがに現実的ではないし、下手をすると馬鹿馬鹿しさが先に立つ可能性もある。あまり長引かせず、できれば次作でキッチリと方をつけてほしいところだ。


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sugata

Author:sugata
ミステリならなんでも好物。特に翻訳ミステリと国内外問わずクラシック全般。
四半世紀勤めていた書籍・WEB等の制作会社を辞め、2021年よりフリーランスの編集者&ライターとしてぼちぼち活動中。

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