Posted in 10 2022
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アントン・チェーホフ『狩場の悲劇』(中公文庫)
このところちょっと馴染みの薄いミステリを出してくれる中公文庫が、ついにチェーホフの『狩場の悲劇』を出してくれた。とはいえ、ミステリ的にはあくまで歴史的な意義ぐらいしかないと思っていたのだが、なかなかどうして、これがけっこうな掘り出し物であった。まあ、チェーホフをつかまえて掘り出し物でもないのだけれど(笑)。
まずはストーリー。モスクワにある出版社の編集部にある男がやってきて、自分の書いた小説を読んでほしいという。その小説の主人公はある地方へ赴任した予審判事セリョージャ。地元の伯爵アレクセイらと交流したり、ある娘と婚約までするのだが、やがて殺人事件が起こり、自ら捜査することに……という内容であった。
しかし、その小説を読んだ編集者は、肝心の謎がまだ決されていないことに気づき……。

チェーホフとミステリの関連でもっとも有名なのは、やはり創元推理文庫の『界短編傑作集1』に収録された「安全マッチ」であろう。そしてもう一つの作品が、長らく東都書房の『世界推理小説体系』に収録され、絶版のままになっていた本作である。
これがまあ歴史的価値ぐらいのものだと思っていたのだが、先にも書いたように意外に面白い。何といっても某有名トリックに先立つネタが用いられているのが一番の注目ではあるのだが、実はそれ以外にもいくつかミステリとしての先駆的な試みがあって、ディープなファンであればそういうのを確かめるだけでも読む価値がある。
ただ、そういう側面があるにしても、やはり本作の興味の中心はミステリ部分ではなく、ドラマや登場人物にあるだろう。主人公は予審判事を務めるエリートではあるが鼻持ちならないところも目立つ若者で、ぶっちゃけ人間的にはかなり不愉快なタイプである。ストーリーはその彼の恋愛模様や日々の放蕩ぶり、上流階級のドタバタを綴っていき、痛烈な皮肉に満ちている。何より自分勝手な主人公の心理描写が秀逸で、不愉快だけれど惹かれるという変な魅力がある。
だから正直、これだけで完結していいのではないかと思う話なのである。しかしチェーホフは最後の最後でいきなり殺人事件を突っ込み、あろうことかミステリ史上でも有名なネタをいくつか披露する。そもそもが作中作というスタイルであり、語り手たる主人公の言動が信頼しにくいことは明らかである。ましてや本作の主人公においては。作中でも最後にこういうラストを迎えるであろうことは触れているので、もちろん著者にしてみればいきなりではないのだろうが、匂わせ方は逆に目立ちすぎであるし、なんなら某有名トリックもぶち壊しであろう(苦笑)。
チェーホフにしてみれば、おそらく当時、流行っていた犯罪小説に自分なりに挑戦したかったか、あるいはパロディにしたかったかという感じだったのかもしれない。だがミステリとして見るならば決して出来はよくないし、かといってネタ自体は某有名トリックに先立つものであるから、無視するわけにもいかない。チェーホフが書いたことも含めて、なんだ評価に困るなあというのが本書の正直なところである(苦笑)。
というような長所短所ひっくるめ、いろいろな意味で楽しめる一作。真っ向からオススメとはいいにくいのだが、個人的には心の中で強くプッシュしておきたい。
まずはストーリー。モスクワにある出版社の編集部にある男がやってきて、自分の書いた小説を読んでほしいという。その小説の主人公はある地方へ赴任した予審判事セリョージャ。地元の伯爵アレクセイらと交流したり、ある娘と婚約までするのだが、やがて殺人事件が起こり、自ら捜査することに……という内容であった。
しかし、その小説を読んだ編集者は、肝心の謎がまだ決されていないことに気づき……。

チェーホフとミステリの関連でもっとも有名なのは、やはり創元推理文庫の『界短編傑作集1』に収録された「安全マッチ」であろう。そしてもう一つの作品が、長らく東都書房の『世界推理小説体系』に収録され、絶版のままになっていた本作である。
これがまあ歴史的価値ぐらいのものだと思っていたのだが、先にも書いたように意外に面白い。何といっても某有名トリックに先立つネタが用いられているのが一番の注目ではあるのだが、実はそれ以外にもいくつかミステリとしての先駆的な試みがあって、ディープなファンであればそういうのを確かめるだけでも読む価値がある。
ただ、そういう側面があるにしても、やはり本作の興味の中心はミステリ部分ではなく、ドラマや登場人物にあるだろう。主人公は予審判事を務めるエリートではあるが鼻持ちならないところも目立つ若者で、ぶっちゃけ人間的にはかなり不愉快なタイプである。ストーリーはその彼の恋愛模様や日々の放蕩ぶり、上流階級のドタバタを綴っていき、痛烈な皮肉に満ちている。何より自分勝手な主人公の心理描写が秀逸で、不愉快だけれど惹かれるという変な魅力がある。
だから正直、これだけで完結していいのではないかと思う話なのである。しかしチェーホフは最後の最後でいきなり殺人事件を突っ込み、あろうことかミステリ史上でも有名なネタをいくつか披露する。そもそもが作中作というスタイルであり、語り手たる主人公の言動が信頼しにくいことは明らかである。ましてや本作の主人公においては。作中でも最後にこういうラストを迎えるであろうことは触れているので、もちろん著者にしてみればいきなりではないのだろうが、匂わせ方は逆に目立ちすぎであるし、なんなら某有名トリックもぶち壊しであろう(苦笑)。
チェーホフにしてみれば、おそらく当時、流行っていた犯罪小説に自分なりに挑戦したかったか、あるいはパロディにしたかったかという感じだったのかもしれない。だがミステリとして見るならば決して出来はよくないし、かといってネタ自体は某有名トリックに先立つものであるから、無視するわけにもいかない。チェーホフが書いたことも含めて、なんだ評価に困るなあというのが本書の正直なところである(苦笑)。
というような長所短所ひっくるめ、いろいろな意味で楽しめる一作。真っ向からオススメとはいいにくいのだが、個人的には心の中で強くプッシュしておきたい。