Posted in 10 2023
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クリス・ハマー『渇きの地』(ハヤカワミステリ)
クリス・ハマーの『渇きの地』を読む。CWAの最優秀新人賞受賞作ということだが、著者は英国ではなくオーストラリアの作家である。
こんな話。オーストラリアの内陸にある小さな町リバーセンド。その小さな町で、牧師が五人の住民を銃殺するという惨劇が起こる。牧師は町の人気者だったが、小児性愛者として告発され、それが事件のきっかけになったのではないかと言われていた。
一年後、新聞記者のマーティン・スカーズデンは、事件が町にどういう影響を与えたのかという記事を書くため、一人でリバーセンドを訪れる。ところが取材を始めたマーティンは、当時の新聞記事が間違いだらけであり、それどころか牧師を庇うような発言をする住民が多いことに気づくが……。

著者はこれが長編デビュー作に当たるが、ジャーナリストとしての経験が長くノンフィクションの著書もあるだけに、本作がとてもデビュー長編とは思えないレベル。特にプロットの作り込みが半端ではない。
序盤のストーリーはゆったり進んでいく。主人公の新聞記者マーティンは一年前の事件を調査するのではなく、あくまで町の様相を取材していく。その中で、実は終わったと思われていた事件にもいろいろな矛盾、不都合が隠れているのではないかという疑念が浮かび上がる。中盤以降はさまざまな事実が明らかになり、その度にまるでオセロの白黒の目が反転するように、状況も次々に反転する。こうしたストーリーを可能にしているのがプロットの周到な作り込みである。
また、ミステリとして効果的なだけでなく、状況が反転するたびにマーティンを取り巻く人間関係にも大きな影響を与え、物語に奥行きをもたらしていく。こういうところも実に上手いなあと感心した。
というわけで全般的に優れた作品だし、面白い作品ではあるのだが、欲をいうと、著者ならでは、そして本作ならではの個性がもう少しほしかったところはある。本作でないと味わえないフックの部分だ。そのため面白いことは面白いし、上手いことは上手いが、どこかで読んだなあという感じを受けてしまうのである。
ちょうど今年のベストミステリの投票シーズンで、いろいろ各作品を振り返っているところなのだが、そういう部分ではちょっと負けている印象もある。
こんな話。オーストラリアの内陸にある小さな町リバーセンド。その小さな町で、牧師が五人の住民を銃殺するという惨劇が起こる。牧師は町の人気者だったが、小児性愛者として告発され、それが事件のきっかけになったのではないかと言われていた。
一年後、新聞記者のマーティン・スカーズデンは、事件が町にどういう影響を与えたのかという記事を書くため、一人でリバーセンドを訪れる。ところが取材を始めたマーティンは、当時の新聞記事が間違いだらけであり、それどころか牧師を庇うような発言をする住民が多いことに気づくが……。

著者はこれが長編デビュー作に当たるが、ジャーナリストとしての経験が長くノンフィクションの著書もあるだけに、本作がとてもデビュー長編とは思えないレベル。特にプロットの作り込みが半端ではない。
序盤のストーリーはゆったり進んでいく。主人公の新聞記者マーティンは一年前の事件を調査するのではなく、あくまで町の様相を取材していく。その中で、実は終わったと思われていた事件にもいろいろな矛盾、不都合が隠れているのではないかという疑念が浮かび上がる。中盤以降はさまざまな事実が明らかになり、その度にまるでオセロの白黒の目が反転するように、状況も次々に反転する。こうしたストーリーを可能にしているのがプロットの周到な作り込みである。
また、ミステリとして効果的なだけでなく、状況が反転するたびにマーティンを取り巻く人間関係にも大きな影響を与え、物語に奥行きをもたらしていく。こういうところも実に上手いなあと感心した。
というわけで全般的に優れた作品だし、面白い作品ではあるのだが、欲をいうと、著者ならでは、そして本作ならではの個性がもう少しほしかったところはある。本作でないと味わえないフックの部分だ。そのため面白いことは面白いし、上手いことは上手いが、どこかで読んだなあという感じを受けてしまうのである。
ちょうど今年のベストミステリの投票シーズンで、いろいろ各作品を振り返っているところなのだが、そういう部分ではちょっと負けている印象もある。
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マリアーナ・エンリケス『寝煙草の危険』(国書刊行会)
〈文学界のロック・スター〉、〈ホラー・プリンセス〉などの異名を持つアルゼンチンの作家、マリアーナ・エンリケスの短篇集『寝煙草の危険』を読む。まずは収録作。
El desentierro de la angelita「ちっちゃな天使を掘り返す」
La Virgen de la tosquera「湧水池の聖母」
El carrito「ショッピングカート」
El aljibe「井戸」
Rambla Triste「悲しみの大通り」
El mirador「展望塔」
Dónde estás corazón「どこにあるの、心臓」
Carne「肉」
Ni cumpleaños ni bautismos「誕生会でも洗礼式でもなく」
Chicos que vuelven「戻ってくる子供たち」
Los peligros de fumar en la cama「寝煙草の危険」
Cuando hablábamos co los muertos「わたしたちが死者と話していたとき」

本書は最近、国書刊行会が力を入れているスパニッシュ・ホラーの一冊でもある。少し前に読んだエルビラ・ナバロの『兎の島』も十分に堪能したが、本書もそれに勝るとも劣らない出来。実に粒揃いの短篇集である。
一応はホラーなので、書かれている内容は怪奇と恐怖に包まれており、けっこうな大騒ぎが描かれている作品もある。しかし文体のせいか全体的には静謐なイメージがつきまとっていて、それが怖さを逆に増幅させている。静かで冷たい恐怖だったり不安だったり、そういう得体の知れないものが、こちらにじわじわと浸透してくる感じがあり、それがある意味心地よいのだ。
もちろんそういう肌感だけで味わってもいいのだが、もう少し突っ込んでみると、“得体の知れないもの”が著者の母国アルゼンチンの抱える社会問題であることも容易には想像できる。ベタな表現になってしまうけれど、この爛れた社会、貧困やドラッグ、アルコール、暴力などにまみれた社会への怖れが根底にあり、それらが怪異として具象化され人々を苛んでゆく、そういう恐怖が描かれている。
また、主人公の多くが若者(特に女性)という点も大きいだろう。彼女たちはみな繊細であり、若さゆえの将来への不安を抱えている。その不安の源が、このやりきれない社会への怖れであり、自身が飲み込まれてしまうのではないかという恐怖につながるのではないだろうか。
アベレージが高いのでどれかとなると難しいが、個人的には「ちっちゃな天使を掘り返す」、「ショッピングカート」、「肉」、そして「戻ってくる子供たち」あたりが好み。
ホラーが苦手というような人もいるとは思うが、あまりそういうジャンル的なことは気にせず、騙されたと思って読んでほしい一冊。
El desentierro de la angelita「ちっちゃな天使を掘り返す」
La Virgen de la tosquera「湧水池の聖母」
El carrito「ショッピングカート」
El aljibe「井戸」
Rambla Triste「悲しみの大通り」
El mirador「展望塔」
Dónde estás corazón「どこにあるの、心臓」
Carne「肉」
Ni cumpleaños ni bautismos「誕生会でも洗礼式でもなく」
Chicos que vuelven「戻ってくる子供たち」
Los peligros de fumar en la cama「寝煙草の危険」
Cuando hablábamos co los muertos「わたしたちが死者と話していたとき」

本書は最近、国書刊行会が力を入れているスパニッシュ・ホラーの一冊でもある。少し前に読んだエルビラ・ナバロの『兎の島』も十分に堪能したが、本書もそれに勝るとも劣らない出来。実に粒揃いの短篇集である。
一応はホラーなので、書かれている内容は怪奇と恐怖に包まれており、けっこうな大騒ぎが描かれている作品もある。しかし文体のせいか全体的には静謐なイメージがつきまとっていて、それが怖さを逆に増幅させている。静かで冷たい恐怖だったり不安だったり、そういう得体の知れないものが、こちらにじわじわと浸透してくる感じがあり、それがある意味心地よいのだ。
もちろんそういう肌感だけで味わってもいいのだが、もう少し突っ込んでみると、“得体の知れないもの”が著者の母国アルゼンチンの抱える社会問題であることも容易には想像できる。ベタな表現になってしまうけれど、この爛れた社会、貧困やドラッグ、アルコール、暴力などにまみれた社会への怖れが根底にあり、それらが怪異として具象化され人々を苛んでゆく、そういう恐怖が描かれている。
また、主人公の多くが若者(特に女性)という点も大きいだろう。彼女たちはみな繊細であり、若さゆえの将来への不安を抱えている。その不安の源が、このやりきれない社会への怖れであり、自身が飲み込まれてしまうのではないかという恐怖につながるのではないだろうか。
アベレージが高いのでどれかとなると難しいが、個人的には「ちっちゃな天使を掘り返す」、「ショッピングカート」、「肉」、そして「戻ってくる子供たち」あたりが好み。
ホラーが苦手というような人もいるとは思うが、あまりそういうジャンル的なことは気にせず、騙されたと思って読んでほしい一冊。
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マーティン・エドワーズ『処刑台広場の女』(ハヤカワ文庫)
マーティン・エドワーズの『処刑台広場の女』を読む。我が国では、英国ミステリ作家の交流や〈ディテクション・クラブ〉の歴史を描いたノンフィクション『探偵小説の黄金時代』の著者として知られているが、本国では四十年のキャリアを誇る暦としたミステリ作家である。

まずはストーリー。舞台は1930年のロンドン。警察に適切なアドバイスを送ることで密かに名を知られている〈名探偵〉レイチェル・サヴァナク。だが同時に、彼女は犯人を自分で裁いているのではないかという黒い噂もあった。そんなレイチェルの正体を確かめたいと、新進記者のジェイコブは調査を始めるが、逆にレイチェルはその彼の取材を後押しするかのような行動をとる、だが気づくとジェイコブは、いつしか不可解な連続殺人事件の只中に巻き込まれていた。
なんとなくマーティン・エドワーズの作品は本格志向かと思っていたのだが、これがけっこうベタベタのサスペンスで、まずこれに驚いてしまった。しかも、時代を1930年に設定しているだけあって、現代ではちょっと荒唐無稽に思われる設定でまとめている。ちょっと強引かもしれないが、例えれば怪盗紳士ルパン・シリーズをはじめとした同時代の冒険小説・サスペンスを意識したような、それらを現代風に書き直したような印象である。
もちろん中途半端にアレンジするぐらいでは古臭さが先に立って、単なる企画倒れになってしまうだろう。しかし、著者は徹底的にエンタメを重視したサスペンスに仕上げており、これが見事なまでに面白い。先を予測させない展開、魅力的なキャラクター、緻密に構成されたプロットなどなど、一見お気楽なエンタメ小説に思えるが、その実、非常に練られた作品であることがわかる。
個人的には、いや本書を読んだ人なら誰もが思うことだろうが、正義とも悪ともつかぬレイチェルの存在がとにかく魅力的だ。だが、ただレイチェルだけを主人公にするのではなく、ジェイコブという真っ新な主人公を噛ませることで、レイチェルをよりミステリアスな存在にできるわけで、こういうところも著者の上手さだろう。
エンタメ度の高さゆえ、逆に評価されにくい作品かもしれないがこれはオススメ。ぜひ他の作品も翻訳されてほしいものだ。

まずはストーリー。舞台は1930年のロンドン。警察に適切なアドバイスを送ることで密かに名を知られている〈名探偵〉レイチェル・サヴァナク。だが同時に、彼女は犯人を自分で裁いているのではないかという黒い噂もあった。そんなレイチェルの正体を確かめたいと、新進記者のジェイコブは調査を始めるが、逆にレイチェルはその彼の取材を後押しするかのような行動をとる、だが気づくとジェイコブは、いつしか不可解な連続殺人事件の只中に巻き込まれていた。
なんとなくマーティン・エドワーズの作品は本格志向かと思っていたのだが、これがけっこうベタベタのサスペンスで、まずこれに驚いてしまった。しかも、時代を1930年に設定しているだけあって、現代ではちょっと荒唐無稽に思われる設定でまとめている。ちょっと強引かもしれないが、例えれば怪盗紳士ルパン・シリーズをはじめとした同時代の冒険小説・サスペンスを意識したような、それらを現代風に書き直したような印象である。
もちろん中途半端にアレンジするぐらいでは古臭さが先に立って、単なる企画倒れになってしまうだろう。しかし、著者は徹底的にエンタメを重視したサスペンスに仕上げており、これが見事なまでに面白い。先を予測させない展開、魅力的なキャラクター、緻密に構成されたプロットなどなど、一見お気楽なエンタメ小説に思えるが、その実、非常に練られた作品であることがわかる。
個人的には、いや本書を読んだ人なら誰もが思うことだろうが、正義とも悪ともつかぬレイチェルの存在がとにかく魅力的だ。だが、ただレイチェルだけを主人公にするのではなく、ジェイコブという真っ新な主人公を噛ませることで、レイチェルをよりミステリアスな存在にできるわけで、こういうところも著者の上手さだろう。
エンタメ度の高さゆえ、逆に評価されにくい作品かもしれないがこれはオススメ。ぜひ他の作品も翻訳されてほしいものだ。
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アンソニー・ホロヴィッツ『ナイフをひねれば』(創元推理文庫)
アンソニー・ホロヴィッツの『ナイフをひねれば』を読む。ホーソーン&ホロヴィッツ・シリーズも早いものでこれが四作目である。
まずはストーリー。ホロヴィッツが脚本を務めた舞台「マインドゲーム」。地方での公演をいくつかこなして好評を得たことで、プロデューサーのアフメトは手応えを感じており、いよいよロンドンでの初日を迎えることになった。
ところが初日の夜、早くも評論家の酷評が公開され、落胆するホロヴィッツ。すると翌朝、その評論家がナイフによって刺殺され、あろうことか凶器のナイフがホロヴィッツのものだったことから、容疑はホロヴィッツにかかる。このピンチを救えるのはホーソーンしかいない。しかし、ホロヴィッツとホーソーンは次作をめぐって衝突したばかりであった……。

このシリーズが始まったときに注目されたのは、ミステリとしての上手さもさることながら、著者がワトスン役として登場し、自身のプライバシーを虚実入り交ぜて描き、メタフィクション的な作品に仕上げたところだった。だが、三作目、四作目ともなるともはやメタな印象は薄れ、普通に作品世界として受け入れられるようになってきた印象が強い。
ただ、これがマイナスになるのかと思いきや、むしろ余計なイメージが省かれて、伝統的な英国ミステリらしくなってきたようにも思う。
こういう効果まで計算して著者が書いているとすれば驚きだが、その可能性は意外に高いかもしれない。少なくともそんなメタ的なオプションがなくとも、本シリーズは謎解きミステリとしてのクオリティをしっかりキープしており、本作ではそれが際立っているからだ。
著者が逮捕される展開とはいえ、本作は基本的には地味なストーリーだし、トリックなどもそこまで凝ったものではない。だが、それだけに伏線の貼り方や論理の展開が丁寧になされている。こういうスタイルもクラシックを意識してのことだろう。
ラストの謎解きシーンが関係者を全員集めて、という趣向も嬉しいが、これにも立派な理由があって、最後まで楽しめる一冊であった。
まずはストーリー。ホロヴィッツが脚本を務めた舞台「マインドゲーム」。地方での公演をいくつかこなして好評を得たことで、プロデューサーのアフメトは手応えを感じており、いよいよロンドンでの初日を迎えることになった。
ところが初日の夜、早くも評論家の酷評が公開され、落胆するホロヴィッツ。すると翌朝、その評論家がナイフによって刺殺され、あろうことか凶器のナイフがホロヴィッツのものだったことから、容疑はホロヴィッツにかかる。このピンチを救えるのはホーソーンしかいない。しかし、ホロヴィッツとホーソーンは次作をめぐって衝突したばかりであった……。

このシリーズが始まったときに注目されたのは、ミステリとしての上手さもさることながら、著者がワトスン役として登場し、自身のプライバシーを虚実入り交ぜて描き、メタフィクション的な作品に仕上げたところだった。だが、三作目、四作目ともなるともはやメタな印象は薄れ、普通に作品世界として受け入れられるようになってきた印象が強い。
ただ、これがマイナスになるのかと思いきや、むしろ余計なイメージが省かれて、伝統的な英国ミステリらしくなってきたようにも思う。
こういう効果まで計算して著者が書いているとすれば驚きだが、その可能性は意外に高いかもしれない。少なくともそんなメタ的なオプションがなくとも、本シリーズは謎解きミステリとしてのクオリティをしっかりキープしており、本作ではそれが際立っているからだ。
著者が逮捕される展開とはいえ、本作は基本的には地味なストーリーだし、トリックなどもそこまで凝ったものではない。だが、それだけに伏線の貼り方や論理の展開が丁寧になされている。こういうスタイルもクラシックを意識してのことだろう。
ラストの謎解きシーンが関係者を全員集めて、という趣向も嬉しいが、これにも立派な理由があって、最後まで楽しめる一冊であった。
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ジョセフ・ノックス『トゥルー・クライム・ストーリー』(新潮文庫)
あまりの分厚さに二の足を踏んでいたジョセフ・ノックスの『トゥルー・クライム・ストーリー』をようやく読み終える。
まずはストーリー。マンチェスター大学に入学し、学生寮に入ったキムとゾーイの双子の姉妹。双子ではあるが、子供の頃から父親のロバートは常にゾーイばかりを寵愛し、キムは常にゾーイを妬んでいた。だが、父の期待からくる重圧はゾーイをも苦しめていた。そんな姉妹が学生寮に入ったことで新たな火種となり、やがてゾーイが失踪事件を起こしてしまう。
それから六年後。売れない作家のイヴリンは、この未解決事件に着目し、ノンフィクションに仕上げようとする。作家仲間のジョセフ・ノックスに助言を仰ぎながら執筆を続けるが、彼女の周囲にも不穏な動きが起こっていた……。

これは確かに問題作。間違いなく、読み終わったら誰かと語りたくなるタイプの一冊である。
とにかく構成が非常に凝っている。本書自体が、『トゥルー・クライム・ストーリー』というノンフィクションの改定第二版という設定で、その中身はイヴリンがゾーイ失踪事件の関係者に取材したインタビューをまとめたものである。
十数人はいる関係者の証言によって事件が再現されるというスタイルだが、事実は一つでも、当然ながら人によって見え方・感じ方は変わるわけで、言ってみれば全員が“信頼できない語り手”である。そんな彼らの話の中から事実を探ってゆく面白さは格別。インタビューなどで全編構成されたミステリといえば、昨年の『ポピーのためにできること』を思い出すが、実際、スタイルとしてはかなり近い。
ただ、本作は全編インタビューによる構成というだけではなく、それが作中作であり、刊行されたノンフィクションというスタイルも同時にとっていることで、より複雑である。冒頭の序文では版元と編者であるジョセフ・ノックス(著者が自身の役で登場しており、これがまたややこしい)の間に一悶着あったことが匂わされていたり、イヴリンとノックスのメールでのやり取りが挿入されていたり、著者の側でもなんらかのトラブルが進んでいたことが窺えるようにしている。
こうした構成を利用した、全編にわたっての「胡散臭さ」が本書最大の魅力であろう。
とはいえ、ミステリとしても十分な出来である。物語が進むにつれ、“信頼できない語り手”が本当に信頼できないことが徐々に明らかになり、次々と犯人候補を挙げては外すという終盤は圧巻。それを著者が明言して引っ張るのはなく、あくまでインタビューによる読者誘導というテクニックが見事だ。
そして最後に明かされる真相と犯人。これもまた意外性にとんだ納得できるものであろう。
というわけで、本作は十分、傑作といえるだろう。全編インタビューという構成、メタフィクション、意外な真相&犯人など、著者は質量ともに盛れるだけ盛っており、もうこれでお腹いっぱいのはず。ところが、実は本作が“問題作”と呼ばれるのは、ここからなのだ。
読み終わっても、釈然としないこと、伏線とまではいわないが匂わせ程度のことがまだけっこう残っていることに読者は気付かされる。先ほど挙げた「胡散臭さ」が、ある事柄についてまったく解消されていないのである。
ここをどう受け止めるかで読後の反応は随分違ってくるだろう。結末を読者の想像に委ねる物語をリドル・ストーリーというけれど、本作はストーリ上では決着がついているのに、さらに別の真実があるのではないかと遠回しに匂わせてくる。それが独特の余韻を残しているのだが、気持ち悪さも多分に含んでいることも事実。娯楽小説としての爽快感、満足感などには程遠く、しかし、だからこそ本書の価値がある。
こんな作品ばかりが続くようならアレだけれど、本作に関しては素直に著者の圧倒的な筆力、アイデア、チャレンジ精神に盛大な拍手を送りたい。
まずはストーリー。マンチェスター大学に入学し、学生寮に入ったキムとゾーイの双子の姉妹。双子ではあるが、子供の頃から父親のロバートは常にゾーイばかりを寵愛し、キムは常にゾーイを妬んでいた。だが、父の期待からくる重圧はゾーイをも苦しめていた。そんな姉妹が学生寮に入ったことで新たな火種となり、やがてゾーイが失踪事件を起こしてしまう。
それから六年後。売れない作家のイヴリンは、この未解決事件に着目し、ノンフィクションに仕上げようとする。作家仲間のジョセフ・ノックスに助言を仰ぎながら執筆を続けるが、彼女の周囲にも不穏な動きが起こっていた……。

これは確かに問題作。間違いなく、読み終わったら誰かと語りたくなるタイプの一冊である。
とにかく構成が非常に凝っている。本書自体が、『トゥルー・クライム・ストーリー』というノンフィクションの改定第二版という設定で、その中身はイヴリンがゾーイ失踪事件の関係者に取材したインタビューをまとめたものである。
十数人はいる関係者の証言によって事件が再現されるというスタイルだが、事実は一つでも、当然ながら人によって見え方・感じ方は変わるわけで、言ってみれば全員が“信頼できない語り手”である。そんな彼らの話の中から事実を探ってゆく面白さは格別。インタビューなどで全編構成されたミステリといえば、昨年の『ポピーのためにできること』を思い出すが、実際、スタイルとしてはかなり近い。
ただ、本作は全編インタビューによる構成というだけではなく、それが作中作であり、刊行されたノンフィクションというスタイルも同時にとっていることで、より複雑である。冒頭の序文では版元と編者であるジョセフ・ノックス(著者が自身の役で登場しており、これがまたややこしい)の間に一悶着あったことが匂わされていたり、イヴリンとノックスのメールでのやり取りが挿入されていたり、著者の側でもなんらかのトラブルが進んでいたことが窺えるようにしている。
こうした構成を利用した、全編にわたっての「胡散臭さ」が本書最大の魅力であろう。
とはいえ、ミステリとしても十分な出来である。物語が進むにつれ、“信頼できない語り手”が本当に信頼できないことが徐々に明らかになり、次々と犯人候補を挙げては外すという終盤は圧巻。それを著者が明言して引っ張るのはなく、あくまでインタビューによる読者誘導というテクニックが見事だ。
そして最後に明かされる真相と犯人。これもまた意外性にとんだ納得できるものであろう。
というわけで、本作は十分、傑作といえるだろう。全編インタビューという構成、メタフィクション、意外な真相&犯人など、著者は質量ともに盛れるだけ盛っており、もうこれでお腹いっぱいのはず。ところが、実は本作が“問題作”と呼ばれるのは、ここからなのだ。
読み終わっても、釈然としないこと、伏線とまではいわないが匂わせ程度のことがまだけっこう残っていることに読者は気付かされる。先ほど挙げた「胡散臭さ」が、ある事柄についてまったく解消されていないのである。
ここをどう受け止めるかで読後の反応は随分違ってくるだろう。結末を読者の想像に委ねる物語をリドル・ストーリーというけれど、本作はストーリ上では決着がついているのに、さらに別の真実があるのではないかと遠回しに匂わせてくる。それが独特の余韻を残しているのだが、気持ち悪さも多分に含んでいることも事実。娯楽小説としての爽快感、満足感などには程遠く、しかし、だからこそ本書の価値がある。
こんな作品ばかりが続くようならアレだけれど、本作に関しては素直に著者の圧倒的な筆力、アイデア、チャレンジ精神に盛大な拍手を送りたい。
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エリー・ウィリアムズ『嘘つきのための辞書』(河出書房新社)
エリー・ウィリアムズの『嘘つきのための辞書』を読む。今年の五月に出た本だが、ネット上でちょっと評判になっていたので、店頭で手に取ってみた。すると帯のキャッチがなかなかいい。
「不機嫌な辞書編纂者たちの言語偏愛(ロゴフィリック)ラブストーリー」
「存在しない言葉がつなぐ、時を越えたふたつの恋と事件」
「未完成の辞書に紛れ込んだ謎の虚構の項目(マウントウィーゼル)」
キャッチにしては少々くどいけれど、内容は端的に理解できて、これは確かに面白そうだというので読んでみた次第である。

本作はふたつの時代のストーリーが交互に語られる。一つは現代のロンドンを舞台とし、スワンズビー社でインターンとして働くマロリーの物語。スワンズビー社はかつて自社ビルを建て、百人ほどの辞書編纂社を抱えて、1930年には「スワンズビー新百科辞書」を出版したほどの会社だ。しかし、凋落激しく、今ではビルの大半を他社に貸出し、小さな事務所でオーナー兼編集長のデイヴィッドとマロリーの二人だけで辞書のデジタル化を進めていたのだ。
しかし、会社には頻繁に脅迫電話がかかる上、マロリーはデイヴィッドからとんでもない話を聞かされる。スワンズビー新百科辞書には、「マウントウィーゼル」といって、他社が辞書の丸写しをできないよう虚構の言葉を入れているという。これは特に珍しくないことだが、スワンズビー新百科辞書にはそれが山のように混じっているというのだ。マロリーはそのマウントウィーゼルを全九巻の中からすべて探さなければならなくなる……。
もう一つの物語は、19世紀のロンドンが舞台。スワンズビー社で百名ほどの辞書編纂者の一人として働くピーター・ウィンスワースが主人公。ウィントワースは人付き合いが苦手で、舌足らずな喋り方を自衛手段とするうち、いつの間にかそれが癖になってしまった青年である。日々、さまざまな言葉に執着し、その定義づけを行ってはカードにまとめていたが、実は密かに自ら言葉を作り出すことを愉しみにしていた。そんな彼が、ある時、ペリカンと格闘していた女性に心を奪われ、その単調な生活に乱れが生じていく……。
ちょっと長くなってしまったが、こんな話。
確かにラブストーリーの要素は小さくないけれど、それ以上に楽しめるのが、現代、過去ともに言葉と辞書に取り憑かれ、振り回される人々のあれやこれやである。物語の随所に、さまざまな言葉の蘊蓄が虚実入り乱れて展開され、正直ストーリーよりそちらに興味がある人の方が楽しめるはずだ。
とはいえ、ストーリーがつまらないわけではない。特に現代パートではミステリ的な要素も含まれており、そちらはスワンズビー社にかかってくる脅迫電話に絡んでくる。これに対処しようとするマロリーとその同性の恋人ピップとのやりとりも軽妙で味がある。
ウィンスワースも言葉オタクとでもいうようなキャラクターで、彼の思考そのものが面白い。また、彼の行いがやがて辞書に影響を与えるだろうということは容易に察しがつくわけで、その過程を追うのも興味のひとつだろう。
個人的には過去パートでもう一波乱ほしかった気もするが、まずは楽しい一冊である。
「不機嫌な辞書編纂者たちの言語偏愛(ロゴフィリック)ラブストーリー」
「存在しない言葉がつなぐ、時を越えたふたつの恋と事件」
「未完成の辞書に紛れ込んだ謎の虚構の項目(マウントウィーゼル)」
キャッチにしては少々くどいけれど、内容は端的に理解できて、これは確かに面白そうだというので読んでみた次第である。

本作はふたつの時代のストーリーが交互に語られる。一つは現代のロンドンを舞台とし、スワンズビー社でインターンとして働くマロリーの物語。スワンズビー社はかつて自社ビルを建て、百人ほどの辞書編纂社を抱えて、1930年には「スワンズビー新百科辞書」を出版したほどの会社だ。しかし、凋落激しく、今ではビルの大半を他社に貸出し、小さな事務所でオーナー兼編集長のデイヴィッドとマロリーの二人だけで辞書のデジタル化を進めていたのだ。
しかし、会社には頻繁に脅迫電話がかかる上、マロリーはデイヴィッドからとんでもない話を聞かされる。スワンズビー新百科辞書には、「マウントウィーゼル」といって、他社が辞書の丸写しをできないよう虚構の言葉を入れているという。これは特に珍しくないことだが、スワンズビー新百科辞書にはそれが山のように混じっているというのだ。マロリーはそのマウントウィーゼルを全九巻の中からすべて探さなければならなくなる……。
もう一つの物語は、19世紀のロンドンが舞台。スワンズビー社で百名ほどの辞書編纂者の一人として働くピーター・ウィンスワースが主人公。ウィントワースは人付き合いが苦手で、舌足らずな喋り方を自衛手段とするうち、いつの間にかそれが癖になってしまった青年である。日々、さまざまな言葉に執着し、その定義づけを行ってはカードにまとめていたが、実は密かに自ら言葉を作り出すことを愉しみにしていた。そんな彼が、ある時、ペリカンと格闘していた女性に心を奪われ、その単調な生活に乱れが生じていく……。
ちょっと長くなってしまったが、こんな話。
確かにラブストーリーの要素は小さくないけれど、それ以上に楽しめるのが、現代、過去ともに言葉と辞書に取り憑かれ、振り回される人々のあれやこれやである。物語の随所に、さまざまな言葉の蘊蓄が虚実入り乱れて展開され、正直ストーリーよりそちらに興味がある人の方が楽しめるはずだ。
とはいえ、ストーリーがつまらないわけではない。特に現代パートではミステリ的な要素も含まれており、そちらはスワンズビー社にかかってくる脅迫電話に絡んでくる。これに対処しようとするマロリーとその同性の恋人ピップとのやりとりも軽妙で味がある。
ウィンスワースも言葉オタクとでもいうようなキャラクターで、彼の思考そのものが面白い。また、彼の行いがやがて辞書に影響を与えるだろうということは容易に察しがつくわけで、その過程を追うのも興味のひとつだろう。
個人的には過去パートでもう一波乱ほしかった気もするが、まずは楽しい一冊である。
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ホリー・ジャクソン『卒業生には向かない真実』(創元推理文庫)
ホリー・ジャクソンの『卒業生には向かない真実』を読む。高校生のピップを主人公にしたシリーズ、というか、三部作の完結編である。ただ、三部作というのも実は適切ではなくて、長篇一作を上中下の三冊に分けたぐらい密接に繋がった物語である。
だから、本作を読む前には、必ず三部作の順番どおり『自由研究には向かない殺人』、『優等生は探偵に向かない』を読んでからの方がいい。単独でもなんとか読めるという感想もネットで見たが、本作でそれをやるのは小説を途中から読み始めるようなものなので、さすがにいただけない。
こんな話。大学入学をひかえるピップは二つの悩みを抱えていた。一つは婦女暴行を行いながら無罪放免されたマックスをポッドキャストの配信で糾弾したため、マックスから名誉毀損で訴えられそうなこと。もうひとつは首を切られた鳩の死骸や道路に描かれた棒人間といったストーカー被害である。
ピップはその手口を調べるうち、六年間に起こった連続殺人との類似点に気づき、本格的に調査に乗り出してゆく……。

ネットで不穏な感想をいくつか目にしていたので心配はしていが、いや、これは問題作というより怪作に近いのではないか(笑)。
まさか方向性としてこのようなところに持っていくとは夢にも思わなかったので、とにかくサプライズがあればいいという人はともかく、普通のミステリファンでも、この話をすんなり受け入れられるとはなかなか思えないのである。それぐらいとんでもないことを著者はやってしまった。
ミステリとしての完成度は悪くない。本筋は非常によく練られたプロットで、著者が初めからこういう筋書きを考えていたのか、それとも途中で膨らませることにしていたのかは不明だが、『自由研究〜』、『優等生〜』すら壮大な伏線にしてしまう技量には恐れ入るしかない。普通の作家がフォローしないところまで書き込み、ときには回りくどく感じるときもあるが、まあそれは欠点というほどではない。
問題は主人公ピップの壊れ方、そして事件のプラスアルファの部分である。
『自由研究〜』では若さゆえの暴走という感じで見られたが、『優等生〜』ではポッドキャストで地元の事件の配信を行なうなど、歪んだ正義感が目立った。それらは犯罪ではないが、個人的には倫理的に受け入れられるようなものではなく、それをよしとするピップ、ひいては著者のセンスを評価できなかった(ミステリとしての出来はよかったが)。
本作ではピップの状態がさらに酷い。前作のトラウマによって、彼女の精神状態は最低にまで落ち込んでしまう。強迫観念に襲われ、同時に歪んだ正義感はますます増幅。自分の殻に閉じこもり、誰のことも完全には信頼しなくなる。恋人のラヴィにすら秘密にすることは多々あり、自分の内面をすべて吐露することはない。ピップはいつしか孤立し、当然ながら周囲からも信用されない。それがさらに彼女を頑なにするという悪循環。まあ、とにかく読んでいて痛々しく、とても悲劇の主人公として感情移入はできない。
そこから這い上がる成長物語であれば理解できるし、一作目からの盤石のテーマとなったのだろうが、著者は本作中盤で思い切った爆弾を落とす。それが事件のプラスアルファの部分だ。それによって、この三部作全体の流れをめちゃくちゃにし、著者の本当の狙いがよくわからなくなる。著者はこれで少女の成長物語としたかったのだろうか。
結局、ピップという主人公を使い、こういう物語にする必要があったのかという疑問がすべてだ。
ただ、本作のプラスアルファの部分は衝撃的ではあるが、ミステリとしては特に珍しいネタではない。しかし、青春ミステリとしてすでに一定評価を得たこのシリーズで、なぜそれをやるかということ。ピップ、そしてラヴィまでもがとった行動に、そこまでの説得力はないし、この二人に未来はない。
それとも著者はそういう未来をこそ示したかったのだろうか。
だから、本作を読む前には、必ず三部作の順番どおり『自由研究には向かない殺人』、『優等生は探偵に向かない』を読んでからの方がいい。単独でもなんとか読めるという感想もネットで見たが、本作でそれをやるのは小説を途中から読み始めるようなものなので、さすがにいただけない。
こんな話。大学入学をひかえるピップは二つの悩みを抱えていた。一つは婦女暴行を行いながら無罪放免されたマックスをポッドキャストの配信で糾弾したため、マックスから名誉毀損で訴えられそうなこと。もうひとつは首を切られた鳩の死骸や道路に描かれた棒人間といったストーカー被害である。
ピップはその手口を調べるうち、六年間に起こった連続殺人との類似点に気づき、本格的に調査に乗り出してゆく……。

ネットで不穏な感想をいくつか目にしていたので心配はしていが、いや、これは問題作というより怪作に近いのではないか(笑)。
まさか方向性としてこのようなところに持っていくとは夢にも思わなかったので、とにかくサプライズがあればいいという人はともかく、普通のミステリファンでも、この話をすんなり受け入れられるとはなかなか思えないのである。それぐらいとんでもないことを著者はやってしまった。
ミステリとしての完成度は悪くない。本筋は非常によく練られたプロットで、著者が初めからこういう筋書きを考えていたのか、それとも途中で膨らませることにしていたのかは不明だが、『自由研究〜』、『優等生〜』すら壮大な伏線にしてしまう技量には恐れ入るしかない。普通の作家がフォローしないところまで書き込み、ときには回りくどく感じるときもあるが、まあそれは欠点というほどではない。
問題は主人公ピップの壊れ方、そして事件のプラスアルファの部分である。
『自由研究〜』では若さゆえの暴走という感じで見られたが、『優等生〜』ではポッドキャストで地元の事件の配信を行なうなど、歪んだ正義感が目立った。それらは犯罪ではないが、個人的には倫理的に受け入れられるようなものではなく、それをよしとするピップ、ひいては著者のセンスを評価できなかった(ミステリとしての出来はよかったが)。
本作ではピップの状態がさらに酷い。前作のトラウマによって、彼女の精神状態は最低にまで落ち込んでしまう。強迫観念に襲われ、同時に歪んだ正義感はますます増幅。自分の殻に閉じこもり、誰のことも完全には信頼しなくなる。恋人のラヴィにすら秘密にすることは多々あり、自分の内面をすべて吐露することはない。ピップはいつしか孤立し、当然ながら周囲からも信用されない。それがさらに彼女を頑なにするという悪循環。まあ、とにかく読んでいて痛々しく、とても悲劇の主人公として感情移入はできない。
そこから這い上がる成長物語であれば理解できるし、一作目からの盤石のテーマとなったのだろうが、著者は本作中盤で思い切った爆弾を落とす。それが事件のプラスアルファの部分だ。それによって、この三部作全体の流れをめちゃくちゃにし、著者の本当の狙いがよくわからなくなる。著者はこれで少女の成長物語としたかったのだろうか。
結局、ピップという主人公を使い、こういう物語にする必要があったのかという疑問がすべてだ。
ただ、本作のプラスアルファの部分は衝撃的ではあるが、ミステリとしては特に珍しいネタではない。しかし、青春ミステリとしてすでに一定評価を得たこのシリーズで、なぜそれをやるかということ。ピップ、そしてラヴィまでもがとった行動に、そこまでの説得力はないし、この二人に未来はない。
それとも著者はそういう未来をこそ示したかったのだろうか。
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ドナ・バーバ・ヒグエラ『最後の語り部』(東京創元社)
ドナ・バーバ・ヒグエラの『最後の語り部』を読む。聞きなれない作家だが、著者はラテン系アメリカ人の児童文学作家で、本書はデビュー二作目にあたるという。本書は“物語をテーマにした物語”だということで、ミステリではないけれども非常に興味を持ち、とりあえず買っておいた一冊。ところがいざ読んでみると、これがまあ面白くて、上質の児童文学どころか、大人も十分に楽しめるバリバリのエンタメ小説であった。
地球に彗星が迫り、最後のときが近づいていた。人類は巨大宇宙船によって、他の惑星へ移住する計画を立てるが、宇宙船に乗ることができるのは、ごく一部の者たちだけであった。長い航行になるため、人々は睡眠状態のまま運ばれ、子供たちは睡眠中にさまざまな知識を脳にインストールされ、到着後には新世界の若き担い手となるよう期待されていた。また、その間は「世話人」というスタッフが管理することになっていた。
十三歳のペトラは、いつも昔話を聞かせてくれた大好きな祖母を残し、科学者の両親と宇宙船で出発する。だが、ペトラが目覚めとき、船内では世話人の手による革命が起こされ、予想もしない世界が出現していた。ペトラは彼らの計画を阻止すべく、物語を語ることで抵抗をするが……。

本作は基本的にはSF、しかも「世代宇宙船」的な要素も含まれたディープな設定である。ただ、読み終えた今は上質なファンタジーのようにも感じる。それはどこかしらノスタルジックな雰囲気を漂わせたストーリーや世界観が影響しているからで、そのノスタルジーは、やはり“物語”というテーマによるところが大きいだろう。
これがただの物語であれば、そこまでは思わなかったかもしれない。本作でいう“物語”とは、口承文学・伝承文学の類である。神話や伝説、昔話、歴史など、語り部が話して聞かせる物語だ。最大の特徴はもちろん本という形を取らないことだが、そのため口承文学は内容が一定せず、語り部によって、あるいは語るたびに物語が変化するのが大きな特徴である。
その場その場で話して聞かせるから、完全に同じ物語にならないのは当然としても、それ以上に語り部が意識して物語を変えることもある。それは語り部が生きた時代を反映させるからであり、昔からそうやって物語が語り継がれ、時代に合わせて変化してきたのだ。
本作はそうした“物語”の持つ力、歴史の持つ力によって、人類を救う少女の話である。いったいどうやればは物語で人類を救うというのか。ここが本好きには堪らないポイントであり、それは読んでからのお楽しみである。
宇宙船の中で革命が起きるというのも面白い設定だ。〈コレクティブ〉と名乗るこの集団は、平等な世界を目指し、すべてを分かち合う世界を構築しようとする。そんな彼らが地球崩壊の危機に直面したとき、革命、つまり宇宙船の乗っ取りを計画し、すべての過去を消して国を作ろうとする。
まあ、どこかで聞いたような主張だが、その手段をエキセントリックかつSF風に仕上げることで、うまく語り部の存在と絡めていてお見事。
ただ、〈コレクティブ〉は普通の存在ではなくなっているため、彼らの世代交代の過程はもう少し書き込むべきであり、説得力も増したはずである。手を抜いたわけでもなかろうが、そこはちょっと安易に流しているように感じた。
ついでに他の気になる点を挙げると、児童向けということもあるのか、バリバリのSFではあるが科学水準の内容にけっこうムラがあるのはいただけない。また、ご都合主義的な展開もちらほら感じないではない。これらは著者のツメの甘さと取ることもできるが、おそらくはストーリーの都合で調整している節がある。
ストーリー優先なのはわかるし、確かに成功はしているのだが、それだけにこういう疵がもったいなく感じた次第である。
と少し文句をつけてはみたが、長所がそれらを大きくを上回っているので、あまり気にすることもあるまい
テーマや設定だけでなく、キャラクター造形も悪くないし、主人公ペトラの成長も自然に描かれている。ストーリーも冒険小説といっていいぐらいのハラハラドキドキがあり、ミステリ好きにはちょっとしたサプライズも用意されていて、それがまたストーリーの重要なファクターになっている。
さまざまな魅力を備えた、贅沢かつ魅力的なエンタメ小説なのである。
地球に彗星が迫り、最後のときが近づいていた。人類は巨大宇宙船によって、他の惑星へ移住する計画を立てるが、宇宙船に乗ることができるのは、ごく一部の者たちだけであった。長い航行になるため、人々は睡眠状態のまま運ばれ、子供たちは睡眠中にさまざまな知識を脳にインストールされ、到着後には新世界の若き担い手となるよう期待されていた。また、その間は「世話人」というスタッフが管理することになっていた。
十三歳のペトラは、いつも昔話を聞かせてくれた大好きな祖母を残し、科学者の両親と宇宙船で出発する。だが、ペトラが目覚めとき、船内では世話人の手による革命が起こされ、予想もしない世界が出現していた。ペトラは彼らの計画を阻止すべく、物語を語ることで抵抗をするが……。

本作は基本的にはSF、しかも「世代宇宙船」的な要素も含まれたディープな設定である。ただ、読み終えた今は上質なファンタジーのようにも感じる。それはどこかしらノスタルジックな雰囲気を漂わせたストーリーや世界観が影響しているからで、そのノスタルジーは、やはり“物語”というテーマによるところが大きいだろう。
これがただの物語であれば、そこまでは思わなかったかもしれない。本作でいう“物語”とは、口承文学・伝承文学の類である。神話や伝説、昔話、歴史など、語り部が話して聞かせる物語だ。最大の特徴はもちろん本という形を取らないことだが、そのため口承文学は内容が一定せず、語り部によって、あるいは語るたびに物語が変化するのが大きな特徴である。
その場その場で話して聞かせるから、完全に同じ物語にならないのは当然としても、それ以上に語り部が意識して物語を変えることもある。それは語り部が生きた時代を反映させるからであり、昔からそうやって物語が語り継がれ、時代に合わせて変化してきたのだ。
本作はそうした“物語”の持つ力、歴史の持つ力によって、人類を救う少女の話である。いったいどうやればは物語で人類を救うというのか。ここが本好きには堪らないポイントであり、それは読んでからのお楽しみである。
宇宙船の中で革命が起きるというのも面白い設定だ。〈コレクティブ〉と名乗るこの集団は、平等な世界を目指し、すべてを分かち合う世界を構築しようとする。そんな彼らが地球崩壊の危機に直面したとき、革命、つまり宇宙船の乗っ取りを計画し、すべての過去を消して国を作ろうとする。
まあ、どこかで聞いたような主張だが、その手段をエキセントリックかつSF風に仕上げることで、うまく語り部の存在と絡めていてお見事。
ただ、〈コレクティブ〉は普通の存在ではなくなっているため、彼らの世代交代の過程はもう少し書き込むべきであり、説得力も増したはずである。手を抜いたわけでもなかろうが、そこはちょっと安易に流しているように感じた。
ついでに他の気になる点を挙げると、児童向けということもあるのか、バリバリのSFではあるが科学水準の内容にけっこうムラがあるのはいただけない。また、ご都合主義的な展開もちらほら感じないではない。これらは著者のツメの甘さと取ることもできるが、おそらくはストーリーの都合で調整している節がある。
ストーリー優先なのはわかるし、確かに成功はしているのだが、それだけにこういう疵がもったいなく感じた次第である。
と少し文句をつけてはみたが、長所がそれらを大きくを上回っているので、あまり気にすることもあるまい
テーマや設定だけでなく、キャラクター造形も悪くないし、主人公ペトラの成長も自然に描かれている。ストーリーも冒険小説といっていいぐらいのハラハラドキドキがあり、ミステリ好きにはちょっとしたサプライズも用意されていて、それがまたストーリーの重要なファクターになっている。
さまざまな魅力を備えた、贅沢かつ魅力的なエンタメ小説なのである。
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〈タイム〉誌ミステリー&スリラーのオールタイムベスト100
先日、〈タイム〉誌のミステリー&スリラーのオールタイムベスト100がネットで公開された。ざっと見ただけでもかなり個性的な内容だったので、とりあえず翻訳されているものを調べてみたのが以下のリストである。「所変われば」というのはもちろんあるだろうが、〈タイム〉誌という媒体も影響している感じである。
いくつか気づいた点については、リストの後にまとめているので、そちらもご参照ください。
また、もしかするとこれは翻訳されている等、抜けもあるかもしれないので、気づいた方いらっしゃればご連絡ください。
参照:The 100 Best Mystery and Thriller Books of All Time
ウィルキー・コリンズ『白衣の女』
ドストエフスキー『罪と罰』
A・K・グリーン『リーヴェンワース事件』
ヘンリー・ジェイムズ『ねじの回転』
アーサー・コナン・ドイル『バスカヴィル家の犬』
アガサ・クリスティ『アクロイド殺害事件』
マージェリー・アリンガム『The Crime at Black Dudley』
ミニオン・G・エバハート『夜間病棟』
ダシール・ハメット『マルタの鷹』
ルドルフ・フィッシャー『The Conjure-Man Dies』
ナイオ・マーシュ『アレン警部登場』
ドロシー・L・セイヤーズ『学寮祭の夜』
ジョン・ディクスン・カー『三つの棺』
ダフネ・デュ・モーリア『レベッカ』
エリック・アンブラー『ディミトリオスの棺』
ジェイムズ・M・ケイン『殺人保険』
チェスター・ハイムズ『If He Hollers Let Him Go』
ドロシイ・B・ヒューズ『孤独な場所で』
ジョセフィン・ティ『時の娘』
シャーロット・ジェイ『死の月』
イアン・フレミング『カジノ・ロワイヤル』
アイラ・レヴィン『死の接吻』
レイモンド・チャンドラー『長いお別れ』
マーガレット・ミラー『狙った獣』
グレアム・グリーン『おとなしいアメリカ人』
パトリシア・ハイスミス『太陽がいっぱい』(リプリー)
シャーリイ・ジャクスン『ずっとお城で暮らしてる』
ジョン・ル・カレ『寒い国から帰ってきたスパイ』
横溝正史『本陣殺人事件』
メアリ・ヒギンズ・クラーク『子供たちはどこにいる』
スティーヴン・キング『シャイニング』
ジェイムズ・クラムリー『さらば甘き口づけ』
ウンベルト・エーコ『薔薇の名前』
トム・クランシー『レッド・オクトーバーを追え』
バーバラ・ヴァイン『死との抱擁』
綾辻行人『十角館の殺人』
トマス・ハリス『羊たちの沈黙』
ウォルター・モズリー『ブルー・ドレスの女』
リンダ・ホーガン『Mean Spirit』
パトリシア・コーンウェル『検屍官』
ヘニング・マンケル『殺人者の顔』
エレノア・テイラー・ブランド『Dead Time』
ドナ・タート『シークレット・ヒストリー』
ペーター・ホゥ『スミラの雪の感覚』
ヴァレリー・ウィルソン・ウェズリィ『When Death Comes Stealing』
ハーラン・コーベン『カムバック・ヒーロー』
リー・チャイルド『キリング・フロアー』
高村薫『レディ・ジョーカー』
ヤスミナ・カドラ『Morituri』
桐野夏生『OUT』
ポーラ・L・ウッズ『エンジェル・シティ・ブルース』
ヴァル・マクダーミド『処刑の方程式』
トニ・ケイド・バンバーラ『Those Bones Are Not My Child』
バーバラ・ニーリイ『Blanche Passes Go』
ジョー・シャーロン『上海の紅い死』
ジョー・ネスボ『コマドリの賭け』
デニス・レヘイン『ミスティック・リバー』
カルロス・ルイス・サフォン『風の影』
テス・ジェリッツェン『外科医』
スティーヴン・L・カーター『オーシャン・パークの帝王』
サラ・ウォターズ『荊の城』
カミラ・レックパリ『氷姫』
ロベルト・ボラーニョ『2666』
ケイト・アトキンソン『探偵ブロディの事件ファイル』
東野圭吾『容疑者Xの献身』
スティーグ・ラーソン『ドラゴン・タトゥーの女』
マイクル・コナリー『リンカーン弁護士』
ナオミ・ヒラハラ『スネークスキン三味線』
ミーガン・アボット『暗黒街の女』
ローラ・リップマン『女たちの真実』
マイケル・シェイボン『ユダヤ警官同盟』
オルガ・トカルチュク『Drive Your Plow Over the Bones of the Dead』
クワイ・クァーティ『Wife of the Gods』
ルイーズ・ペニー『Bury Your Dead』
タナ・フレンチ『葬送の庭』
キム・オンス(クオン)『設計者』
フアン・ガブリエル・バスケス『物が落ちる音』
ギリアン・フリン『ゴーン・ガール』
ルイーズ・アードリック『The Round House』
横山秀夫『64』
ウィリアム・K・クルーガー『ありふれた祈り』
リアーン・モリアーティ『ささやかで大きな嘘』
セレステ・イング『秘密にしていたこと』
レイチェル・ハウゼル・ホール『Land of Shadows』
ヴィエト・タン・ウェン『シンパサイザー』
アッティカ・ロック『ブルーバード、ブルーバード』
ケリー・ギャレット『Hollywood Homicide』
オインカン・ブレイスウェイト『マイ・シスター、シリアルキラー』
スジャータ・マッシー『ボンベイ、マラバー・ヒルの未亡人たち』
アンジー・キム『ミラクル・クリーク』
ヘレン・フィリップス『The Need』
ライラ・ララミ『The Other Americans』
ルース・ウェア『The Turn of the Key』
ステフ・チャ『復讐の家』
S・A・コスビー『黒き荒野の果て』
ディーパ・アーナパーラ『ブート・バザールの少年探偵』
シルヴィア・モレノ=ガルシア『メキシカン・ゴシック』
アリッサ・コール『ブルックリンの死』
デイヴィッド・ヘスカ・ワンブリ・ワイデン『喪失の冬を刻む』
ロビン・ギグル『Survivor’s Guilt』
所感を残しておこう。
まず我が国で人気の作家が多数入っていない。ポオ、クイーン、ヴァン・ダイン、クロフツ、ロスマク、ウールリッチなどなど非常に多いのは注目すべきだろう。その逆に日本では知られていない作家も多いが、さすがにこちらには古い作家はおらず、比較的新しい作家ばかりだ。
それにしても大御所をここまで切り捨てるのは疑問が残るけれども(逆に同時代でランクインした作家の理由も知りたいところ)、日本でやるベスト100と違い、新しい作品を積極的に取り込もうとしているのは悪いことではない。ただ、過去の名作を捨ててまで入れる必要があるのかという作品も少なくないだけに難しいところである。
また、邦訳はあるが日本ではまったく評判にならなかった作品、さらには、その作家ならこの作品だろうという妙なセレクトも目立つ。たとえばナイオ・マーシュの『アレン警部登場』やマイクル・コナリーで『リンカーン弁護士』を選ぶセンスはちょっとどうなんだろう。
日本人作家が意外なほど多く選ばれているのも不思議だった。選ばれている作品は傑作揃いだし、選ばれていること自体は喜ばしいが、別にこれが日本のベスト・オブ・ベストとは思えないので、これらが選ばれた基準にこそ興味がある。たまたま近年、邦訳が進んだ結果なのか? 知り合いの日本人に紹介されたか? そもそも日本作品を戦後ぐらいから通して読んでいるアメリカ人はどの程度いるのかも疑問である。もしかしたら、どこかに説明があるかもしれない。
もうひとつ気づいたのが、まあ、これは想像していたけれど、ミステリからかなり離れた、要は人間ドラマを重視した作品が多いことだろう。ご存じのように近年のミステリでは、動機などが重視されていない作品、謎解きゲームのような作品は評価されにくい傾向がある。だから純粋な本格ミステリは海外で流行らないのだが、ただ、その中で正史の『本陣殺人事件』が選ばれているのは不思議である。
まあ、以上のようなクセのあるベスト100であり、決して鵜呑みにはせず、あくまで参考程度、話のネタぐらいがちょうどよいだろう。
※202301010,19:40追記
Dokuta 松川良宏さん、三門優祐さんよりご指摘いただき、下記を修正しました。ありがとうございます!
ジョー・シャーロン『上海の紅い死』(ハヤカワ・ミステリ文庫)
ナオミ・ヒラハラ『スネークスキン三味線』(小学館文庫)
キム・オンス『設計者』(クオン)
スジャータ・マッシー『ボンベイ、マラバー・ヒルの未亡人たち』
セレステ・インゲ『秘密にしていたこと』
いくつか気づいた点については、リストの後にまとめているので、そちらもご参照ください。
また、もしかするとこれは翻訳されている等、抜けもあるかもしれないので、気づいた方いらっしゃればご連絡ください。
参照:The 100 Best Mystery and Thriller Books of All Time
ウィルキー・コリンズ『白衣の女』
ドストエフスキー『罪と罰』
A・K・グリーン『リーヴェンワース事件』
ヘンリー・ジェイムズ『ねじの回転』
アーサー・コナン・ドイル『バスカヴィル家の犬』
アガサ・クリスティ『アクロイド殺害事件』
マージェリー・アリンガム『The Crime at Black Dudley』
ミニオン・G・エバハート『夜間病棟』
ダシール・ハメット『マルタの鷹』
ルドルフ・フィッシャー『The Conjure-Man Dies』
ナイオ・マーシュ『アレン警部登場』
ドロシー・L・セイヤーズ『学寮祭の夜』
ジョン・ディクスン・カー『三つの棺』
ダフネ・デュ・モーリア『レベッカ』
エリック・アンブラー『ディミトリオスの棺』
ジェイムズ・M・ケイン『殺人保険』
チェスター・ハイムズ『If He Hollers Let Him Go』
ドロシイ・B・ヒューズ『孤独な場所で』
ジョセフィン・ティ『時の娘』
シャーロット・ジェイ『死の月』
イアン・フレミング『カジノ・ロワイヤル』
アイラ・レヴィン『死の接吻』
レイモンド・チャンドラー『長いお別れ』
マーガレット・ミラー『狙った獣』
グレアム・グリーン『おとなしいアメリカ人』
パトリシア・ハイスミス『太陽がいっぱい』(リプリー)
シャーリイ・ジャクスン『ずっとお城で暮らしてる』
ジョン・ル・カレ『寒い国から帰ってきたスパイ』
横溝正史『本陣殺人事件』
メアリ・ヒギンズ・クラーク『子供たちはどこにいる』
スティーヴン・キング『シャイニング』
ジェイムズ・クラムリー『さらば甘き口づけ』
ウンベルト・エーコ『薔薇の名前』
トム・クランシー『レッド・オクトーバーを追え』
バーバラ・ヴァイン『死との抱擁』
綾辻行人『十角館の殺人』
トマス・ハリス『羊たちの沈黙』
ウォルター・モズリー『ブルー・ドレスの女』
リンダ・ホーガン『Mean Spirit』
パトリシア・コーンウェル『検屍官』
ヘニング・マンケル『殺人者の顔』
エレノア・テイラー・ブランド『Dead Time』
ドナ・タート『シークレット・ヒストリー』
ペーター・ホゥ『スミラの雪の感覚』
ヴァレリー・ウィルソン・ウェズリィ『When Death Comes Stealing』
ハーラン・コーベン『カムバック・ヒーロー』
リー・チャイルド『キリング・フロアー』
高村薫『レディ・ジョーカー』
ヤスミナ・カドラ『Morituri』
桐野夏生『OUT』
ポーラ・L・ウッズ『エンジェル・シティ・ブルース』
ヴァル・マクダーミド『処刑の方程式』
トニ・ケイド・バンバーラ『Those Bones Are Not My Child』
バーバラ・ニーリイ『Blanche Passes Go』
ジョー・シャーロン『上海の紅い死』
ジョー・ネスボ『コマドリの賭け』
デニス・レヘイン『ミスティック・リバー』
カルロス・ルイス・サフォン『風の影』
テス・ジェリッツェン『外科医』
スティーヴン・L・カーター『オーシャン・パークの帝王』
サラ・ウォターズ『荊の城』
カミラ・レックパリ『氷姫』
ロベルト・ボラーニョ『2666』
ケイト・アトキンソン『探偵ブロディの事件ファイル』
東野圭吾『容疑者Xの献身』
スティーグ・ラーソン『ドラゴン・タトゥーの女』
マイクル・コナリー『リンカーン弁護士』
ナオミ・ヒラハラ『スネークスキン三味線』
ミーガン・アボット『暗黒街の女』
ローラ・リップマン『女たちの真実』
マイケル・シェイボン『ユダヤ警官同盟』
オルガ・トカルチュク『Drive Your Plow Over the Bones of the Dead』
クワイ・クァーティ『Wife of the Gods』
ルイーズ・ペニー『Bury Your Dead』
タナ・フレンチ『葬送の庭』
キム・オンス(クオン)『設計者』
フアン・ガブリエル・バスケス『物が落ちる音』
ギリアン・フリン『ゴーン・ガール』
ルイーズ・アードリック『The Round House』
横山秀夫『64』
ウィリアム・K・クルーガー『ありふれた祈り』
リアーン・モリアーティ『ささやかで大きな嘘』
セレステ・イング『秘密にしていたこと』
レイチェル・ハウゼル・ホール『Land of Shadows』
ヴィエト・タン・ウェン『シンパサイザー』
アッティカ・ロック『ブルーバード、ブルーバード』
ケリー・ギャレット『Hollywood Homicide』
オインカン・ブレイスウェイト『マイ・シスター、シリアルキラー』
スジャータ・マッシー『ボンベイ、マラバー・ヒルの未亡人たち』
アンジー・キム『ミラクル・クリーク』
ヘレン・フィリップス『The Need』
ライラ・ララミ『The Other Americans』
ルース・ウェア『The Turn of the Key』
ステフ・チャ『復讐の家』
S・A・コスビー『黒き荒野の果て』
ディーパ・アーナパーラ『ブート・バザールの少年探偵』
シルヴィア・モレノ=ガルシア『メキシカン・ゴシック』
アリッサ・コール『ブルックリンの死』
デイヴィッド・ヘスカ・ワンブリ・ワイデン『喪失の冬を刻む』
ロビン・ギグル『Survivor’s Guilt』
所感を残しておこう。
まず我が国で人気の作家が多数入っていない。ポオ、クイーン、ヴァン・ダイン、クロフツ、ロスマク、ウールリッチなどなど非常に多いのは注目すべきだろう。その逆に日本では知られていない作家も多いが、さすがにこちらには古い作家はおらず、比較的新しい作家ばかりだ。
それにしても大御所をここまで切り捨てるのは疑問が残るけれども(逆に同時代でランクインした作家の理由も知りたいところ)、日本でやるベスト100と違い、新しい作品を積極的に取り込もうとしているのは悪いことではない。ただ、過去の名作を捨ててまで入れる必要があるのかという作品も少なくないだけに難しいところである。
また、邦訳はあるが日本ではまったく評判にならなかった作品、さらには、その作家ならこの作品だろうという妙なセレクトも目立つ。たとえばナイオ・マーシュの『アレン警部登場』やマイクル・コナリーで『リンカーン弁護士』を選ぶセンスはちょっとどうなんだろう。
日本人作家が意外なほど多く選ばれているのも不思議だった。選ばれている作品は傑作揃いだし、選ばれていること自体は喜ばしいが、別にこれが日本のベスト・オブ・ベストとは思えないので、これらが選ばれた基準にこそ興味がある。たまたま近年、邦訳が進んだ結果なのか? 知り合いの日本人に紹介されたか? そもそも日本作品を戦後ぐらいから通して読んでいるアメリカ人はどの程度いるのかも疑問である。もしかしたら、どこかに説明があるかもしれない。
もうひとつ気づいたのが、まあ、これは想像していたけれど、ミステリからかなり離れた、要は人間ドラマを重視した作品が多いことだろう。ご存じのように近年のミステリでは、動機などが重視されていない作品、謎解きゲームのような作品は評価されにくい傾向がある。だから純粋な本格ミステリは海外で流行らないのだが、ただ、その中で正史の『本陣殺人事件』が選ばれているのは不思議である。
まあ、以上のようなクセのあるベスト100であり、決して鵜呑みにはせず、あくまで参考程度、話のネタぐらいがちょうどよいだろう。
※202301010,19:40追記
Dokuta 松川良宏さん、三門優祐さんよりご指摘いただき、下記を修正しました。ありがとうございます!
ジョー・シャーロン『上海の紅い死』(ハヤカワ・ミステリ文庫)
ナオミ・ヒラハラ『スネークスキン三味線』(小学館文庫)
キム・オンス『設計者』(クオン)
スジャータ・マッシー『ボンベイ、マラバー・ヒルの未亡人たち』
セレステ・インゲ『秘密にしていたこと』
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ロス・トーマス『愚者の街(下)』(新潮文庫)
ロス・トーマスの『愚者の街』読了。『暗殺のジャムセッション』以来、ほぼ十年ぶりの新刊にたっぷりと酔いしれた。
こんな話。諜報員として香港を中心に活動するルシファー・C・ダイ。その地で長年の実績を積んできたダイだったが、ある時、任務中のトラブルに見舞われてしまい、組織を首になった上、三ヶ月の監獄暮らしを送る羽目になる。出所したダイは何の当てもなく、とりあえず手切金同然の退職金でホテルにチェックインするが、そこへ実業家を名乗るヴィクター・オーカットが、美人の秘書、強面の男を引き連れて訪ねてきた。
都市問題の専門家でもある彼らは、メキシコ湾に面する小都市スワンカートンを、腐らせてほしいと依頼するのだが…………。

久しぶりのロス・トーマスはやはりいい。何がいいと言って、とにかくキャラクター造形の面白さ、そして会話の妙である。
ストーリーはけっこう殺伐としている場合が多いけれど、ロス・トーマスは決して重厚な感じにはしない。かといってコミカルなクライム・コメディとももちろん違うわけで、ベースはシリアスながら、会話にそこはかとないユーモアや味わいを忍ばせてくる。この匙加減が絶妙なのだ。
たとえば、裏稼業をくぐり抜けてきた悪党たちが、腹の探り合いをしつつ、言葉によって激しく鍔迫り合いを見せるシーンがいくつもある。相手の手の内を知りつつブラフをかけ、時には余裕をかまし、いざとなれば勝負に出る。ただ、表面的にはあくまで実業家同士の打ち合わせのように穏やかで、激しく渦巻く感情はなかなか露わにはしない。だが時には、会話の中にそういった感情が溢れることがあり、思わずニヤッとするセリフがあったりする。そのユーモアは決してわかりやすいものではなく、主人公と同様に状況をを理解しつつ、まさに彼らの気持ちにならなければわからないものだったりするのだけれど、だからこそ会話が面白く、いつまでも読んでいたくなるのである。
本作はストーリーも上手い。「街をひとつ腐らせる」というのは、ハメットの『赤い収穫』を連想させるが、本作の元諜報員ダイも、基本的にはけっこう似たような手段をとる。数々の下準備がどのような形で結実するのか、何よりダイが最終的に何を目指していたのかが気になって、非常に引き込まれる。
また、構成は現在進行形の事件と並行し、ダイの子供時代などが断片的に挿入されて、いいアクセントになっている。過去と現在が同時進行される作品にはすっかり食傷気味なのだが、こういう仕掛けなしの、人間を掘り下げるための構成なら決して否定するものではない。
犯罪小説であり、ハードボイルドであり、冒険小説、スパイ小説、悪漢小説など、さまざまなジャンルを横断する渋めのエンターテインメント、これはおすすめである。
こんな話。諜報員として香港を中心に活動するルシファー・C・ダイ。その地で長年の実績を積んできたダイだったが、ある時、任務中のトラブルに見舞われてしまい、組織を首になった上、三ヶ月の監獄暮らしを送る羽目になる。出所したダイは何の当てもなく、とりあえず手切金同然の退職金でホテルにチェックインするが、そこへ実業家を名乗るヴィクター・オーカットが、美人の秘書、強面の男を引き連れて訪ねてきた。
都市問題の専門家でもある彼らは、メキシコ湾に面する小都市スワンカートンを、腐らせてほしいと依頼するのだが…………。

久しぶりのロス・トーマスはやはりいい。何がいいと言って、とにかくキャラクター造形の面白さ、そして会話の妙である。
ストーリーはけっこう殺伐としている場合が多いけれど、ロス・トーマスは決して重厚な感じにはしない。かといってコミカルなクライム・コメディとももちろん違うわけで、ベースはシリアスながら、会話にそこはかとないユーモアや味わいを忍ばせてくる。この匙加減が絶妙なのだ。
たとえば、裏稼業をくぐり抜けてきた悪党たちが、腹の探り合いをしつつ、言葉によって激しく鍔迫り合いを見せるシーンがいくつもある。相手の手の内を知りつつブラフをかけ、時には余裕をかまし、いざとなれば勝負に出る。ただ、表面的にはあくまで実業家同士の打ち合わせのように穏やかで、激しく渦巻く感情はなかなか露わにはしない。だが時には、会話の中にそういった感情が溢れることがあり、思わずニヤッとするセリフがあったりする。そのユーモアは決してわかりやすいものではなく、主人公と同様に状況をを理解しつつ、まさに彼らの気持ちにならなければわからないものだったりするのだけれど、だからこそ会話が面白く、いつまでも読んでいたくなるのである。
本作はストーリーも上手い。「街をひとつ腐らせる」というのは、ハメットの『赤い収穫』を連想させるが、本作の元諜報員ダイも、基本的にはけっこう似たような手段をとる。数々の下準備がどのような形で結実するのか、何よりダイが最終的に何を目指していたのかが気になって、非常に引き込まれる。
また、構成は現在進行形の事件と並行し、ダイの子供時代などが断片的に挿入されて、いいアクセントになっている。過去と現在が同時進行される作品にはすっかり食傷気味なのだが、こういう仕掛けなしの、人間を掘り下げるための構成なら決して否定するものではない。
犯罪小説であり、ハードボイルドであり、冒険小説、スパイ小説、悪漢小説など、さまざまなジャンルを横断する渋めのエンターテインメント、これはおすすめである。
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ロス・トーマス『愚者の街(上)』(新潮文庫)
新潮文庫の「海外名作発掘 HIDDEN MASTERPIECES」から、ロス・トーマスの『愚者の街』をとりあえず上巻まで消化。

詳しい感想は下巻読了時に譲るとして、新潮文庫の「海外名作発掘 HIDDEN MASTERPIECES」だが、これが他社の復刻とは微妙に異なる路線で、なかなかいい味を出している。
クラシックや復刻を手がける出版社は、嬉しいことに今や老舗から大手、同人に至るまであるのだが、ここまで次から次へと出るようになると、競争も激しくなって、淘汰されるところも出るかもしれない。となると、いかに独自性を打ち出して生き残るか、そこが大事なところだろう。
その点、新潮社の場合は大手の強みがあるとはいえ、あまり乱発しないことで各作品がけっこう話題になっているようにも感じられる。もちろん鉄は熱いうちに打つのがいいので、矢継ぎ早に二の矢三の矢を繰り出すのもいい場合もあるだろうが(たとえば初期の論創海外ミステリみたいなスタイル)。
ただ、新潮文庫はいいとしても、さまざまな版元からクラシックが出る現在、せっかく復刻されたのに早々に埋もれてしまう作品もあるのが残念だ。やはりシリーズや叢書、作品の価値を上げることは必要だろうと思うし、同時にセールス・売り方にもう少し工夫が必要だと思う。もともとクラシックミステリのパイなど高が知れているだろうし、ここで踏ん張らないと、先に書いたように淘汰が待っているだけではないか。
実際、これまでにも長崎出版や新樹社、晶文社、翔泳社、現代教養文庫あたりがクラシック系に手を出したものの、結局は撤退している。まあ長崎出版などは別に原因があったようだし、他の版元にも事情があったのは多少知っているので、必ずしも工夫云々だけの話ではないのだけれども、各版元はもう少し横の連携を強めるなり、何かやりようがあるだろう。個人レベルではそういう動きもあるのだろうし、部外者の勝手な意見ではあるのだが、なんだかもったいないんだよなあ。
ちなみに少しだけ『愚者の街』について触れておくと、久しぶりに読むロス・オーマス、やはり思白い。上巻まで読んだかぎりでは、『赤い収穫』をもう少し現代的・スパイ小説的にしたようなイメージで、そういう設定も悪くないのだが、何よりキャラクターの造形や会話が相変わらず絶品でる。以下、下巻に続く。

詳しい感想は下巻読了時に譲るとして、新潮文庫の「海外名作発掘 HIDDEN MASTERPIECES」だが、これが他社の復刻とは微妙に異なる路線で、なかなかいい味を出している。
クラシックや復刻を手がける出版社は、嬉しいことに今や老舗から大手、同人に至るまであるのだが、ここまで次から次へと出るようになると、競争も激しくなって、淘汰されるところも出るかもしれない。となると、いかに独自性を打ち出して生き残るか、そこが大事なところだろう。
その点、新潮社の場合は大手の強みがあるとはいえ、あまり乱発しないことで各作品がけっこう話題になっているようにも感じられる。もちろん鉄は熱いうちに打つのがいいので、矢継ぎ早に二の矢三の矢を繰り出すのもいい場合もあるだろうが(たとえば初期の論創海外ミステリみたいなスタイル)。
ただ、新潮文庫はいいとしても、さまざまな版元からクラシックが出る現在、せっかく復刻されたのに早々に埋もれてしまう作品もあるのが残念だ。やはりシリーズや叢書、作品の価値を上げることは必要だろうと思うし、同時にセールス・売り方にもう少し工夫が必要だと思う。もともとクラシックミステリのパイなど高が知れているだろうし、ここで踏ん張らないと、先に書いたように淘汰が待っているだけではないか。
実際、これまでにも長崎出版や新樹社、晶文社、翔泳社、現代教養文庫あたりがクラシック系に手を出したものの、結局は撤退している。まあ長崎出版などは別に原因があったようだし、他の版元にも事情があったのは多少知っているので、必ずしも工夫云々だけの話ではないのだけれども、各版元はもう少し横の連携を強めるなり、何かやりようがあるだろう。個人レベルではそういう動きもあるのだろうし、部外者の勝手な意見ではあるのだが、なんだかもったいないんだよなあ。
ちなみに少しだけ『愚者の街』について触れておくと、久しぶりに読むロス・オーマス、やはり思白い。上巻まで読んだかぎりでは、『赤い収穫』をもう少し現代的・スパイ小説的にしたようなイメージで、そういう設定も悪くないのだが、何よりキャラクターの造形や会話が相変わらず絶品でる。以下、下巻に続く。
『ロバート・アーサー自選傑作集 ガラスの橋』を読む。ロバート・アーサーといえば短篇の名手として知られているアメリカの作家で、古くは「新青年」や「EQMM」、「宝石」等にも短編が掲載されてはいるが、実際、管理人も含めて読んだことがあるのは「五十一番目の密室」と「ガラスの橋」ぐらいという人も多いだろう。
本書はそんな知っているようで知らない作家、ロバート・アーサーの日本初の短篇集である。

Mr. Manning's Money Tree「マニング氏の金の木」
Larceny and Old Lace「極悪と老嬢」
Midnight Visitor(別題:Midnight Visit)「真夜中の訪問者」
The Blow from Heaven(別題The Devil Knife)「天からの一撃」
The Glass Bridge「ガラスの橋」
Change of Adress「住所変更」
The Vanishing Passenger「消えた乗客」
Hard Case「非常な男」
The Adventure of the Single Footprint「一つの足跡の冒険」
Case of the Murderous Mice「三匹の盲(めしい)ネズミの謎」
収録作は以上。不可能犯罪ものから奇妙な味、ジュヴナイルにいたるまで幅広い内容の作品が揃っているが、全体的にはコミカルかつ洒脱なテイストでまとめられている。時代的にはちょっと古い作家なので、中には先が読めるような話や雑な話もあったが、総じて楽しめる短篇ばかりである。やはり真価はまとめて読まないことにはわからないものだ。
実はこの「コミカルかつ洒脱な」テイストがけっこう重要だと思っていて、ロバート・アーサーはどちらかというと日本では謎解き系の作家と紹介されることが多いと思うが、いざ読むとオチを効かせたクライムストーリーだったり、トリックを盛り込んだコントみたいな作品があったり、一歩間違えばバカバカしいネタの多い作家でもある。そういったミステリ的な面白さを読者に伝えるために、その仕掛け以上に、表現や描写においても実はかなり気を使っているように思えたのだ。
それは、いかにもアメリカンポップカルチャーとでもいうような味付け、すっと一般大衆に届く「コミカルかつ洒脱な」テイストなのである。この絶妙な匙加減によって仕掛けがストーリーにしっくりと馴染み、作品をより魅力的に見せてくれている。もちろん管理人の勝手な想像なので、著者がたまたまこういう作風だった可能性もあるけれど。
個人的にはクライムストーリー系に印象的なものが多くあったけれど、さすが自選集だけあってどの作品も面白い。冒頭の三作ほど紹介してみよう。
「マニング氏の金の木」は、銀行の金を着服して、他人の家の木の下に隠した男が主人公。やがて服役をすませた男だが、木はすでに大木となっており、簡単には掘り返せない。そこで男は近所に住み始め、その機会をうかがうのだが……。男の半生をコンパクトにまとめる手木宇和もよく、内容も面白い。どこかで読んだようなネタなのだけれど、もしかするとこれが元祖なのかもしれない。
「極悪と老嬢」もいい。甥の残した屋敷に引っ越そうとやってきた老嬢二人が、その屋敷を狙うギャングたちをこれまで読んだミステリの知識で迎え撃つというもの。知らなかったが日本で舞台にもなっているらしい(なんと黒柳徹子主演!)。
「真夜中の訪問者」はシリアスに見せかけておいて、どう考えてもコント(笑)。他にもクライムストーリー系では「住所変更」、「非常な男」も切れ味抜群。
とりあえず満足の一冊。ジャック・リッチーとかリチャード・レヴィンソン&ウィリアム・リンクあたりが好きな人なら、本書は間違いなくおすすめである。
本書はそんな知っているようで知らない作家、ロバート・アーサーの日本初の短篇集である。

Mr. Manning's Money Tree「マニング氏の金の木」
Larceny and Old Lace「極悪と老嬢」
Midnight Visitor(別題:Midnight Visit)「真夜中の訪問者」
The Blow from Heaven(別題The Devil Knife)「天からの一撃」
The Glass Bridge「ガラスの橋」
Change of Adress「住所変更」
The Vanishing Passenger「消えた乗客」
Hard Case「非常な男」
The Adventure of the Single Footprint「一つの足跡の冒険」
Case of the Murderous Mice「三匹の盲(めしい)ネズミの謎」
収録作は以上。不可能犯罪ものから奇妙な味、ジュヴナイルにいたるまで幅広い内容の作品が揃っているが、全体的にはコミカルかつ洒脱なテイストでまとめられている。時代的にはちょっと古い作家なので、中には先が読めるような話や雑な話もあったが、総じて楽しめる短篇ばかりである。やはり真価はまとめて読まないことにはわからないものだ。
実はこの「コミカルかつ洒脱な」テイストがけっこう重要だと思っていて、ロバート・アーサーはどちらかというと日本では謎解き系の作家と紹介されることが多いと思うが、いざ読むとオチを効かせたクライムストーリーだったり、トリックを盛り込んだコントみたいな作品があったり、一歩間違えばバカバカしいネタの多い作家でもある。そういったミステリ的な面白さを読者に伝えるために、その仕掛け以上に、表現や描写においても実はかなり気を使っているように思えたのだ。
それは、いかにもアメリカンポップカルチャーとでもいうような味付け、すっと一般大衆に届く「コミカルかつ洒脱な」テイストなのである。この絶妙な匙加減によって仕掛けがストーリーにしっくりと馴染み、作品をより魅力的に見せてくれている。もちろん管理人の勝手な想像なので、著者がたまたまこういう作風だった可能性もあるけれど。
個人的にはクライムストーリー系に印象的なものが多くあったけれど、さすが自選集だけあってどの作品も面白い。冒頭の三作ほど紹介してみよう。
「マニング氏の金の木」は、銀行の金を着服して、他人の家の木の下に隠した男が主人公。やがて服役をすませた男だが、木はすでに大木となっており、簡単には掘り返せない。そこで男は近所に住み始め、その機会をうかがうのだが……。男の半生をコンパクトにまとめる手木宇和もよく、内容も面白い。どこかで読んだようなネタなのだけれど、もしかするとこれが元祖なのかもしれない。
「極悪と老嬢」もいい。甥の残した屋敷に引っ越そうとやってきた老嬢二人が、その屋敷を狙うギャングたちをこれまで読んだミステリの知識で迎え撃つというもの。知らなかったが日本で舞台にもなっているらしい(なんと黒柳徹子主演!)。
「真夜中の訪問者」はシリアスに見せかけておいて、どう考えてもコント(笑)。他にもクライムストーリー系では「住所変更」、「非常な男」も切れ味抜群。
とりあえず満足の一冊。ジャック・リッチーとかリチャード・レヴィンソン&ウィリアム・リンクあたりが好きな人なら、本書は間違いなくおすすめである。