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探偵小説三昧

日々,探偵小説を読みまくり、その感想を書き散らかすブログ


Posted in 11 2023

ヘザー・ヤング『円周率の日に先生は死んだ』(ハヤカワ文庫)

 ヘザー・ヤングの『円周率の日に先生は死んだ』を読む。知らない作家ではあるが、これは完全にタイトル買い。原題は The Distant Dead という抽象的なものなので、これは邦題が上手い。

 まずはストーリー。3月14日は円周率にちなんで円周率の日とされている。その日、ネヴァダ州の田舎町ラヴロックで、数学教師のアダム・マークルが焼死体で発見された。第一発見者はアダムの教え子であるサル・プレンティス。物静かで聡明なアダムだったが、生徒の人気は決して高くなく、親しい友人もいなかった。唯一、アダムを気にかけていた社会科教師のノラは、事件後何も話そうとしないサルに疑念を持ち、独りで二人の間に何があったのか調べようとするが……。

 円周率の日に先生は死んだ

 事件は主に少年サルと教師ノラ、さらにはサルの母親に惹かれていた地元消防団のジェイク、保安官補でノラの元夫メイスンらの視点で交互に語られる。また、事件後のパートと、アダムが学校に赴任してきた頃から遡って語られる過去パート、この二つも交錯するスタイルをとり、なかなか凝ったストーリー構成である。
 ただ、そこにミステリ的な意味はあまりない。アダムを殺害したのは誰か、という興味はもちろんあるものの、重きを置かれているのは、あくまでサルとアダムの交流であり、内面であり、さらには事件に自己の半生を投影して苦悩するノラの姿である。ここにサルの伯父やアダムの元妻、元教え子も絡んで、閉塞した田舎町での社会や人間を掘り下げてゆく。
 語り口も丁寧で、キャラクターもしっかり立っており、けっこうなボリュームもあって読み応えは十分である。

 一方、ミステリとしてはまずまずといったところ。事件関係者が少ないこともあって真相は読まれやすいが、どんでん返しも一応用意されている。ただ、全般的にミステリらしさが薄く、捜査の進展も終盤に入ってようやく、といった感じだから、そちらを当てにするとやや肩透かしをくう。
 とはいえ先に書いたように人間ドラマとしては読み応えもあるし、全然悪い小説ではない。そういう意味では普通小説として味わった方がよいのかもしれない。

 なお、タイトルからくる数学的なイメージが思ったほど内容に生かされていないことは少し残念。面白い数学に関する話は出てくるが、雑学的な範囲で止まっているため、もう少し事件に絡められると、また違った面白さも加えられただろう。といっても、これは邦題のせいなので著者には罪がないのだけれど。


森咲郭公鳥、森脇晃、Kashiba@猟奇の鉄人『Murder, She Drew Vol.4 Quick frowned A. B. Cox jumps over the lazy dog』(饒舌な中年たち)

 森咲郭公鳥、森脇晃、kashiba@猟奇の鉄人の三氏によるミステリ同人誌〈Murder, She Drew〉の最新刊『Murder, She Drew Vol.4 Quick frowned A. B. Cox jumps over the lazy dog』を読む。
 同人誌とはいえ、すでに海外クラシックミステリのファンであれば知らない者はいないであろう絵ときガイドブックであり、ディクスン・カーの別冊を含めるとこれで六冊目。今回は嬉しいことにアントニー・バークリーが産んだ探偵、シェリンガムとチタウィックの登場長篇12作を取り上げている。

 Murder She Drew Vol4_Quick frowned A B Cox jumps over the lazy dog

 内容はいつもどおり。作品ごとに殺人現場や舞台となる館のイラストを掲載し、それをもとに三人による鼎談を行う。鼎談は例によって、通常編とネタバレ編との二部構成である。
 この辺りについては前作の『Carr Graphic Vol.2 In the midst of the golden age』の感想で少しまとめたので、興味がある人はそちらを参考にしてほしい。
 なお、付け加えるとすれば、バークリーはあまり犯罪現場や世界観の創造に力を入れるタイプではないので、従来のカー作品などに比べると、だいぶイラスト作成に苦労したようだ。『毒入りチョコレート事件』なんて『最後の晩餐』みたい(笑)。

 それはさておき、本書で何より注目すべき点は、単純にアントニー・バークリーのシェリンガムとチタウィックの全登場長篇を取り上げたことだろう。我が国でもそれなりに海外ミステリ作家のガイドブックがあるけれど、いかんせんほとんどがビッグネームばかりである。おそらく作家数にして二十名にも満たないはずだ。まあビジネスとして見れば無理のない話ではあるのだが、バークリーのような大御所でも、これまでガイドブックや伝記等でまとめられたことはなかったのである。
 それが同人誌とはいえ、こうしてその業績を時系列で眺められるのは非常にありがたい。個人的にお気に入りの作家は、刊行順で読みたい派なのである。その作家の文章やミステリとしての質や方向性など、流れで掴んでおきたいのだ。ただ、不幸にもバークリーは評価が遅かったこともあって、原書の刊行順と日本での刊行順はバラバラ。面白い作品を書いていることはわかっても、実は「点」でしか理解していない。それでは作家としての真の実力を理解したことにはならないだろう。
 そういったモヤモヤを本書は晴らしてくれるわけである。多くのミステリファンがこれでバークリーを再読したくなったのではないか、そう思わせる一冊である。

三崎律日『奇書の世界史』(PHP文庫)

 このブログでは小説やミステリ関係以外の本の感想はあまりアップしていないのだが、実は息抜きに読んでいる雑学本もけっこうある。本日はそんな中から三崎律日の『奇書の世界史』がちょっと面白かったので取り上げてみたい。

 奇書の世界史

 内容はタイトルどおり世界史に影響を与えた奇書を紹介するというもの。ミステリファンであれば、奇書といえば『ドグラ・マグラ』や『黒死舘殺人事件』を思い浮かべるだろうが、本書で扱うのはそういう得体の知れない奇書ではない。いま読むと確かにトンデモ本だが、書かれた時代においては世の中に大きな影響を与えた書物である。また、その反対に当時は悪書として非難されたが、実は名著だった本。そういった本の数々を紹介している。

 たとえば魔女狩りに関するハンドブックとも言える『魔女に与える鉄槌』。野球がいかに若者にとって有害なものか解説した『野球と其害毒』。貧困層において増え続ける子供とその子供に悩まされて子殺しまで多発する状況を解決するために、富裕層のために子供を食糧として販売せよと提案する『穏健なる提案』などなど。
 まさにトンデモ本ばかり。『穏健なる提案』の内容などは俄かには信じられないほどだが、これを書いたのがあの『ガリバー旅行記』を書いたスウィフトの作品というのだからびっくりである。いや、考えたら『ガリバー旅行記』だって実は後半はかなりのトンデモ本だから、むしろ当然なのかも。

 まあ、そんな本の中身を読むだけでも普通に面白いのだが、本書がいいなと思ったのは、その本が世間でどのように評価されたか、著者がなぜそのような本を書いたのか、そういった周辺のストーリーも一緒に解説されているところだ。先ほどの『穏健なる提案』も、実は真面目に訴えているのではなく、母国の現状を嘆くあまりの怒りや諦め、皮肉などがないまぜになったもので、本の内容だけで判断すべきものでないことがわかる。

 総じてテレビの情報番組を観るノリというか、そういう感じで楽しめる一冊だろう。本書はもともと動画でアップされていたものを文章に再構成したものらしいので、動画のリズムやテンポなどが説明のわかりやすさや簡潔さに反映されているのかも知れない。


マイクル・コナリー『正義の弧(下)』(講談社文庫)

 マイクル・コナリーの『正義の弧』上下巻読了。
 ううむ、これはまた、いろいろとぶっ込んできたな(笑)。ただ、ストーリー上での衝撃はそれなりにあるけれども、どうにも描き方として浅いし、そもそも警察小説やハードボイルドとしては凡庸な出来だ。

正義の孤(下)

 まずミステリとしてみた場合、つまり警察小説やハードボイルドとしての評価になるが、女子高生殺人事件と一家殺害事件、二つの事件を並行して描いてはいるが、プロット上の工夫や捻りはあまり見られない。女子高生殺人事件の方では中盤の盛り上げは悪くないし、サプライズもないではないが、犯人の行動にそこまで説得力が感じられないのが残念。あまりに現実的ではないし、その解決の仕方、事後処理も含めてスッキリしないことだらけである。
 ただ、一家殺害事件の方はもっとシンプルなうえ、この事件に至ってはボッシュの苦悩や葛藤を描くために書かれたようなエピソードで、正直、事件としての面白みはない。

 本作は結局、ミステリとしての興味より、ボッシュとレネイのドラマに重点を置きすぎた感じである。
 つまり、かつての師弟関係から立場が逆転したボッシュとレネイの内面である。さらに老境に入ったボッシュの覚悟、その結果、正義を遂行することへの意識みたいなものが混然となって描かれる……はずだったのだが、こちらもまた消化不良である
 おそらくは全体においてボッシュがあっさりと割り切りすぎなのが原因だろう。かつての怒りに狂っていたボッシュも歳をとって丸くなったというのは簡単だが、丸くなったというより葛藤しなくなったという方が正解かもしれない。ボッシュは本作でとんでもない決断を二度ばかり行うのだが、本来それらは相当にショッキングなはずなのに、その際のボッシュの葛藤や苦悩の描き方が非常に少ない。そのせいで説得力にも欠けるのである。

 マンネリ化を防ぐために主人公の置かれる立場をしょっちゅう変えているのかも、というのは先日の感想でも書いたとおり。本作ではそれらに加え、上記のようなドラマ上のさまざまな爆弾を仕込んでいるのだけれど、それすらストーリーに変化を持たせるためのギミックに思えてしまう。

 ネット上ではまあまあ好意的な感想は多いし、確かに客観的に見ると凡百の警察小説に比べれば全然出来はいい方だろう。ただ、シリーズ中では落ちる方だろうし、個人的にはまったく納得のいくものではなかった。


マイクル・コナリー『正義の弧(上)』(講談社文庫)

 マイクル・コナリーの『正義の弧』をとりあえず上巻まで。前作『ダーク・アワーズ』に続いて、ハリー・ボッシュとレネイ・バラードの共演作である。

正義の孤(上)

 前作で警察を辞めることになったレネイ・バラードは、ボッシュのパートナーとして私立探偵になる寸前だったが、ラストで再び警察に戻るよう本部長に懇願される、というところで幕を下ろしている。
 本作はそれから一年後が舞台。レネイはロス市警に復帰したようで、彼女の希望によって、ロス市警に未解決事件を専門に扱うチームが立ち上げられる。彼女はそのチームのリーダーになるが、正規の警官は彼女一人、あとはみなパートタイムやボランティアというメンバーだった。市警に戻ったことでボッシュとは疎遠になっていたレネイだったが、このチームにこそボッシュが必要だった。
 ボッシュのもとを久しぶりに訪れたレネイは、ボッシュを誘い、三十年前の女子高生殺人事件を追う。だが、ボッシュはかつて解決できなかった一家殺害事件に執念を燃やしてしまい……。

 ボッシュとレネイのシリーズはなんだか一作ごとに主人公たちの状況が変わってしまい、ちょっと落ち着かない。これもまたマンネリ化を避けるための策の一つだとは思うが、主人公の立ち位置をあまり変えるのは、主人公の考え方や生き方がぶれてしまい、あまり得策とは思えない。
 実際、本作の上巻ではレネイがすっかり管理職になってしまい、どうにも精彩に欠ける印象だ。事件の方も過去の二つの未解決事件を追うが、そこまで動きは見られず。さあ、これを下巻でどう巻き返すか。


エドワード・D・ホック、他『Re-ClaM eX vol.5』(Re-ClaM eX)

 海外のクラシックミステリを専門にする同人誌『Re-ClaM Vol.11』とその別冊の短編アンソロジー『Re-ClaM eX vol.5』が届いたので目を通してみる。

 ReClaM eX Vol5

 本誌の『Re-ClaM Vol.11』は、アメリカのミステリ界において多大な作品と貢献を残した「ダブルデイ・クライムクラブ」の特集で、アメリカの探偵小説などの研究家エド・ハルスによるエッセイを掲載している。ダブルデイについては名前こそ知ってはいるが、その内幕や歴史などまったく知らなかっただけに、これはなかなか面白い読み物だった。
 「ダブルデイ・クライムクラブ」が素晴らしい作品を多く出版できたのは、もちろん編集者の力によるところは大きいのだが、個人的には興味深かったのは、初期の出版ビジネスへの意欲である。経営陣は売り上げを伸ばし、安定させるべく、さまざまなアイデアを出し、新たなシステムを構築していく。たとえば探偵小説のブランド化であったり、定期購読制を始めたり、印刷や製本も含めてワンストップで行うようにしたり、などなど。今でも行われているようビジネスモデルを次々と打ち出していたのだ。
 ハードで独裁的な業務体制方ら反発も少なくなかったようだが、少なくとも初期のこういう展開があるからこそ、のちの繁栄はなかったはずで、これには驚くばかりである。
 また、本誌でもうひとつ面白かったのがミルワード・ケネディの掌編「愚か者の選択」。完全犯罪を見抜いた貧乏医師が犯人と対峙するが……という内容で、短いながらも終盤に二転三転する展開が見事。


 『Re-ClaM eX vol.5』は以下の短編三作を収録。

エドワード・D・ホック No Good at Riddles「レオポルド警部と深夜の放火」
エドワード・D・ホック The Spy Who Had Father in Double-C「ダブルCを信じたスパイ」
シリル・ヘアー The Death of Amy Robsart「エイミー・ロブサートは死んだ」

 ホックのレオポルド警部は久しぶりに読んだが、相変わらず手堅い。ホックの他のシリーズものと違い、本格でありながら警察小説の雰囲気も大事にしている感じで、そこまで驚きはないけれどクセになる。

 「ダブルCを信じたスパイ」もホックのシリーズもの。暗号解読の専門家ジェフリー・ランド・シリーズの一作で、本作も例によって暗号もの。ただ、本作のネタは日本人には少し辛い。クリスチャンならわかるのだろうか?
 少し話は逸れるが、ホックのシリーズキャラは、怪盗ニックとかサム・ホーソーン、サイモン・アーク、コンピューター検察局はほぼほぼ翻訳されているが、それ以外のシリーズが完全放置なのはもったいないかぎりである。せめてレオポルド警部ものぐらいは、長らく品切れ中の講談社文庫『こちら殺人課!レオポルド警部の事件簿』と合わせて本にならないものだろうか。

 シリル・ヘアーの短編も嬉しい。緻密なプロットで登場人物の行動などすべてが計算されている印象。たまたまだろうけれど、なんとなくトリックの構成が「レオポルド警部と深夜の放火」と似ているイメージ。

ジョルジュ・シムノン『メグレとマジェスティック・ホテルの地階』(ハヤカワ文庫)

 ジョルジュ・シムノンの『メグレとマジェスティック・ホテルの地階』を読む。かつて『EQ』で『メグレと超高級ホテルの地階』として掲載されたものの新訳。一度読んでいるがまったく内容を覚えていないし、新訳文庫化とあれば、これはやはり読むしかあるまい。

 パリの高級ホテル〈マジェスティック〉の地下で女性の死体が発見された。発見者はホテルの従業員ドンジュ、被害者は宿泊客のアメリカ人実業家の妻であった。メグレ警視が捜査を続けるうち、ドンジュがかつてカンヌで被害者と関係があったことが明らかになり、状況はドンジュの怨恨による殺害であることを示していた。おまけに匿名の手紙によって、ドンジュはますます危うい立場に陥るが、メグレはどうしても彼の犯行だとは思えなかった……。

 メグレとマジェスティック・ホテルの地階

 当たり外れの差があまりないメグレものだが、そんな中でも本作は上位に位置する作品だろう。
 基本ストーリーは容疑者ドンジュの人生を再構築することが中心になる。性格はおとなしく、財産や外見も含めて何の取り柄もないドンジュの人生は、極めて寂しいものだった。しかし、同じように社会の底辺で生きる人たちにとって、彼は誠実な友人であり、彼のことを庇ってくれる者もいる。メグレもまた彼を信じようとする一人になる。
 捜査と並行してドンジュの人生にも迫ってゆくメグレが読みどころだが、下層階級と上流階級の差など、当時のフランスの厳しい現実を突きつけてくるところも鮮やかだ。しかし、これだけだと、まあ、いつものメグレものである。

 本作がいつものメグレものと比べて面白いのは、いつにも増してシムノンがサービス満点のところだ。メグレが女性にケチョンケチョン(死語)に言われたり、関係者に殴られたり、言葉が通じないアメリカ人と堂々巡りのやりとりを見せたり、対立する判事にネチネチ言われたり、挙句にそれまで溜まった鬱憤を晴らすかのように犯人を殴ったりもする。とにかく珍しくメグレがフル回転するイメージなのだ。
 極め付けはラスト。なんとメグレが皆を集めて謎解きをするのである。それだけに謎の設定もいつもより凝っている印象だし、それなりに意外性もある。

 メグレものは一応ミステリながら、まるで心理小説のような趣を備えている。特に初期作品はその印象が強いが、本作はそんなメグレものをエンターテインメントに寄せたという感じである。本作はシリーズ中期の作品だが、中期はそもそもそうしたエンタメ路線が強いといわれており、そういう意味ではメグレ初心者にもおすすめしやすい作品といえるだろう。


リチャード・オスマン『木曜殺人クラブ 逸れた銃弾』(ハヤカワミステリ)

 リチャード・オスマンの『木曜殺人クラブ 逸れた銃弾』を読む。高級老後施設クーパーズ・チェイスで毎週木曜日に集まり、未解決事件の解明に励む四人の老人たち。その彼らの活躍を描く、ご存知〈木曜殺人クラブ〉シリーズの一冊であある。

 こんな話。木曜殺人クラブが今回の研究対象に選んだのは、十年前に殺害された女性キャスターの未解決事件。ある特ダネを追っていた彼女は、深夜に車ごと崖から落とされたのだ。木曜殺人クラブの面々はツテをたどり、彼女と仲の良かった有名キャスターのマイクから情報を引き出そうとする。
 一方、木曜殺人クラブの一人、エリザベスは夫と共に謎の男に誘拐され、諜報員時代の友人であった元KGBのヴィクトルを殺害しろと脅迫される。さもないと木曜殺人クラブの友人ジョイスを殺すというのだ……。

 木曜殺人クラブ 逸れた銃弾

 誰しも静かで穏やかな老後を望んでいるのだろうが、木曜殺人クラブの四人は違う。表面的にはそう装っていても、その実は刺激やトラブルを恋しがっている。素人探偵ものにはいかにもありそうな設定だが、本作ではただの素人ではなく、中心メンバーが元諜報員だけに始末が悪い。
 彼らの活動は警察をも上回るが、愛すべき老人たちの行動に、いつしか警察にも友人が増え、そんな彼らのチームプレイが読みどころのひとつ。鮮やかなファインプレイばかりでなく、ドタバタの末の失敗もあるけれど、老人たちの活躍と推理がとにかく魅せるのだ。

 本作もそういった基本スタイルを押さえつつ、メインの事件と並行して、エリザベスが誘拐されたり殺人を強要されたりと、いつになくスリリングなエピソードも描かれて、よりパワーアップした印象だ。ネタバレになるから詳しくは書かないが、中盤でエリザベスの事件が解決するあたりから、もう面白すぎてあとは一気読み。
 どんでん返しもいつになく多いし、それがストーリーを壊さない範囲、やりすぎないところが非常にいい。

 また、このシリーズを支える魅力はキャラクターにあることは過去の感想でも書いたけれど、これは木曜殺人クラブやその関係者だけではない。敵対する悪人や犯罪者にもいえることなのだ。
 本作でも魅力的なキャラクターは多いが、とりわけ刑務所に収容されているコニー・ジョンソンやエリザベスを誘拐するバイキングは実に面白い存在だ。ここまで愛されキャラで統一できるのも、著者の筆力の賜物といえるだろう。

 ということで本作も間違いなくお勧め。シリーズ中でも一番の出来である。



ジュノー・ブラック『狐には向かない職業』(ハヤカワ文庫)

 ジュノー・ブラックの『狐には向かない職業』を読む。動物たちが仲良く暮らす村で起きた殺人事件、その謎を追うキツネの新聞記者の物語である。

 まずはストーリー。さまざまな森の動物たちが住む田舎町〈シェイディ・ホロウ〉。そこでは食物連鎖も関係なく、動物たちは人間のように皆何らかの仕事に就き、日々を平和に過ごしている。
 ところがある日、ヒキガエルのオットーが背中をナイフで刺されて死んでいるのが発見された。しかし検視の結果、オットーはナイフを刺される前に毒殺されていたことが判明する。新聞記者のキツネのヴェラが取材を続けると、平和に思えた村にも、実はいろいろな秘密があることがわかり……。

 狐には向かない職業

 住民がすべて動物という平和な村、という設定だけで何やらおとぎ話やファンタジーのようにも思えるが、ミステリの衣を着てはいるものの、実際、著者の狙っているのはその辺りなのだろう。

 というのも、ミステリである以上、ある程度の緻密さや論理性が要求されるが、本作はいろいろな意味でゆるい(苦笑)。ミステリにファンタジーやSF的な設定を用いる場合、各作家はまず世界観を作り込むところから始めるのが普通だろう。架空の世界であっても、いや、架空の世界だからこそ、ルールが固まっていないことにはミステリとして機能しなくなるからだ。
 ところが本作はそこまでカチッとした設定を作っているわけではない。田舎町なのに新聞社があったり、警察官のような公務員の存在の不思議だったり、そもそも〈シェイディ・ホロウ〉以外の世界はどうなっているのか等々。ツッコミどころは満載だが、著者はおとぎ話やファンタジーの色を強めることで、それらの問題にまとめて対処している。つまり「野暮なことは言いなさんな」というわけである。このユルユルの世界で起こる動物たちの微笑ましいドタバタを楽しんでほしいというところなのだろう。

 ただ、動物たちが活躍するミステリなのだから、もう少し動物たちを活かす工夫がほしい。登場人物が全員、動物だが、暮らしぶりはほぼ人間と変わらないし、それぞれの動物の能力なども少しは発揮されるけれど、内容にそこまで影響を与えているわけでもない。とりわけ主人公のキツネにいたっては、キツネ力を発揮するどころか最も人間くさい始末(笑)。
 また動物たちの会話や行動も少し子供向けの感じがして物足りなかった。これは読者層を意識してのことだろうが、そのくせ事件やその背景はそれなりに生臭かったりするので、このバランスの悪さは気になるところだ。

 まあ、この手のミステリにガチの謎解きを求めるのは確かに無粋ではあるので、そこは別にいいのだが、やはり動物ならではの魅力をもう少し打ち出した方が、普通に小説として面白くなったのではないだろうか。


フェルディナント・フォン・シーラッハ『神』(東京創元社)

 フェルディナント・フォン・シーラッハの『神』を読む。戯曲という形式を用い、安楽死をテーマにした作品である。

 こんな話。七十八歳になるゲルトナーは、数年前に最愛の妻を亡くし、以後は生きる気力を失っていた。もはや生きることに価値を見出せない彼は、自死の道を選ぶ。だが崖やビルから飛び降りたり列車に飛び込んだりという手段はとりたくない。ゲルトナーは静かに死ねるよう安楽死のための薬を医師に申請するが、老齢とはいえ健康体の人間に渡すことはできないと、薬の引き渡しを拒否されてしまう。
 この事態に対処すべく、ドイツ倫理委員会はゲルトナーや彼のホームドクターや顧問弁護士、法学・医学・神学の各分野から参考人を招集し、議論の結果、裁定を下すことにしたが……。

 神

 安楽死(ドイツでは臨死介助と呼ぶ)に関する是非の議論の様子をそのまま戯曲化した内容である。自死に医師が関与することの見解を各専門家が述べ、それにゲルトナー側の弁護士が反論するという流れで物語は展開する。
 読みどころはもちろん、どのような裁定が下されるのか、その根拠はどのようなものかにかかってくるのだが、議論の内容が専門的とはいえ門外漢にもわかりやすい説明で読みやすい。それどころか弁護士と参考人のやりとりは、法廷ミステリに通じる面白さもあるといえるだろう。

 世界ではヨーロッパを中心に安楽死を認める方向で少しずつ動いている。だがそれも多くは不治の病で苦痛が激しい場合、本人に意識がなく延命措置に頼るしかない場合などの切羽詰まった事例が中心だ。しかも、これらの場合でも、倫理的な問題は別に解決しているわけではなく、今なお議論は続いている状況がある。
 本作ではそこからさらに一歩進め、健康体の人の自死であるから、これは難しいのが当然である。人の「権利」裏」や「自由」を根拠としてゲルトナー側は議論を進め、法学・医学の専門家たちの旗色は次第に悪くなってゆく。ところが神学の参考人として、ティール司教が現れると風向きが変わってくる。ピークは司教が最後に述べた若い女性の例を述べるところであり、ここはやはり深く考えさせるものがある。

 ということで非常に教えられることの多い一作ではあるのだが、ラストは少し残念だった。というのも、著者は結末を『テロ』と同様、またしても読者任せにしてしまっているのである。
 この問題はあまりにも深いため、問題提議するだけでなく、一つの結果を示すことで、それが今度は関係者にどのような影響を与えるのか、そこまで踏み込まないとメッセージとしては不完全であろう。軽々しく結論づけられないのはわかるが、取り上げたからにはシーラッハ自身の考えはどうなのか、それを作品に反映してほしかった。


ジョン・スラデック『チク・タク・チク・タク・チク・タク・チク・タク・チク・タク・チク・タク・チク・タク・チク・タク・チク・タク・チク・タク』(竹書房文庫)

 ジョン・スラデックの『チク・タク・チク・タク・チク・タク・チク・タク・チク・タク・チク・タク・チク・タク・チク・タク・チク・タク・チク・タク』を読む。
 ミステリでも『見えないグリーン』という代表作を残しているスラデックだが、もちろんその前にSF界の奇才である。その彼が1983年に書いたロボットものが本書。

 あらゆる分野でロボットが使われるようになり、一般家庭でも普通に人型ロボットが家事をやってくれる時代。安全のためロボットにはアシモフ回路が組み込まれ、人間に危害を加えないよう制御されていた。
 ところが家事ロボットの「チク・タク」には、なぜかアシモフ回路が作動していなかった。そのためチク・タクは独自の判断でペンキ塗りの最中に少女を殺害し、その血で壁にアートを描いてしまう。しかし、犯行は露呈せず、それどころかアートが世間に評価され、チク・タクは金を手に入れることになった。
 使役から解放されたチク・タクは、自らの意志で行動することが可能になり、かねてから考えていた人間探求を本格的に始動させるのだが……。

 チク・タク

 表面的なストーリーだけでまとめると、本作はロボットによるピカレスク・ロマンと言えるだろう。人間に忠実なはずのロボットが邪魔者を次々と殺して成り上がる姿は、まさにピカレスク・ロマン。
 しかし、一般的なそれと異なり、本作の場合は、そこに主人公の大きな欲や野心というものがない。取って代わるのは使命感であったり、探究心であったり、義務感であったりする。その点がより薄ら寒いものを感じさせる。
 ロボットだから当然では、という説明はもちろん可能なのだが、では人間だったらそういうことがないのか、とは絶対に言えないし、我々は実際に報道などでそういう例を見てきている。そういう意味で本作はピカレスク・ロマンと言いつつ、本質は壮大なブラック・ユーモアと言えるだろう。とても笑える気にはなれないけれど。

 ただ、上記の感じ方は個人的なものであって、本作はその内容が内容なので、人によってさまざまな読み方も可能だろう。
 たとえば人間とロボットの関係を奴隷制度として読むこともできるし、チク・タクを成り上がる政治家や権力者を象徴する存在と見ることもできる。あるいは社会に潜むサイコパスの恐怖を具現化した存在と見ることもできよう。科学を法、正義や倫理との関係で考えるのもあり。もちろん素直にSFとして、アシモフの三原則を踏まえ、ロボットものの意義を探るという見方もあるだろう。
 チク・タクの行動にどの程度、理解・共感を示すことふができるのか、その辺がリトマス試験紙になりそうだ。

 ストーリーが強烈なので勢いだけで書いたような印象も受けるが、実はかなり練られた構成なのはさすがだ。ラストも初めから決まっていたような終わりかただし、現代と過去のエピソードの組み方もそう。ミステリ的な要素も少しあって、個人的にはチェスのエピソードが面白かった。

 とはいえ正直、諸手を挙げてオススメするタイプの作品ではない。これは著者ならではの実験小説であり、そういうところに興味がある人向きなのは確か。まあ、筒井作品などで免疫があれば大丈夫だとは思うが。


ピーター・スワンソン『8つの完璧な殺人』(創元推理文庫)

 ピーター・スワンソンの『8つの完璧な殺人』を読む。サスペンス、とりわけ叙述トリックを活かした作品で人気を博している作家の最新刊。本作はちょっといつもとは異なる雰囲気で始まり、これはいよいよ異なる趣向で攻めてきたかと思いきや。

 まずはストーリー。新刊も古書も扱うミステリー専門書店〈オールド・デヴィルズ・ブックストア〉。店主マルコム・カーショーは二人の従業員を雇い、大儲けはできないもののマニアには知られた店として、地道な経営がなされていた。
 ある日、マルコムのもとへFBI捜査官グウェンが訪ねてくる。彼女は店のブログに公開されている“完璧な殺人”という記事について問い合わせてきたのだ。それはマルコムが選んだ“完璧な殺人”を描いた8つのミステリ——『ABC殺人事件』、『見知らぬ乗客』、『赤い館の秘密』、『殺意』、『殺人保険』などなど——を紹介したリストだった。
 驚くべきことに、そのリストに載った作品と似たような手口で殺人が行われているという……。

 8つの完璧な殺人

 この導入がすべてだろう。言ってみれば8作のミステリを用いた見立て連続殺人を扱うのだ。作品はどれも実際に有名なミステリばかり(中には日本の読者に馴染みのないものもあるが)。ネタバレも山ほどあるので、当然ながら読者もそれらをほぼ読んでいる必要があり、畢竟、それなりのミステリ歴がある人でないと読むのはオススメできない。
 しかし逆に言えば、海外ミステリをそこそこ読んでいるなら、8作以外にも大量の作家、作品に言及があるので、その意味では非常に楽しく読めるだろう。

 ただ、今回の作品で注目したいのは、実はそういうマニアを喜ばせるような部分ではない。これまでのサスペンスとは違い、本格ミステリ的なスタイルをセレクトしたことにあるのだ。あくまでFBI捜査官の相談に乗るような形で、つまり安楽椅子探偵のような形でストーリーが展開するのである。
 個人的にはこれまでの作品が叙述トリックに終始し、あざとすぎる点が好みではなかったので、今回こそはミステリマニア限定みたいな話とはいえ、ようやく正統派で勝負するのかと安心していたのだが……。

 やはりピーター・スワンソンである。中盤からとんでもない方向にストーリーが転がり出す。もうね、何かあるとは多少予想はしていたけれど、まさかこの路線で来るとは。これから読む人の興を削ぐと思うので、もう何も書けないけれど、いやあ、やはりピーター・スワンソンである。

 もうね、著者のドヤ顔が目に浮かぶようで、気に入らない部分もないではないが、今回ばかりは著者の上手さとあざとさに脱帽である。


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プロフィール

sugata

Author:sugata
ミステリならなんでも好物。特に翻訳ミステリと国内外問わずクラシック全般。
四半世紀勤めていた書籍・WEB等の制作会社を辞め、2021年よりフリーランスの編集者&ライターとしてぼちぼち活動中。

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