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探偵小説三昧

日々,探偵小説を読みまくり、その感想を書き散らかすブログ


Posted in 01 2024

オーエン・デイヴィス『九番目の招待客』(国書刊行会)

 国書刊行会〈奇想天外の本棚〉からオーエン・デイヴィスの『九番目の招待客』を読む。先日読んだ扶桑社ミステリーのグウェン・ブリストウ&ブルース・マニング『姿なき招待主』を原作にした戯曲版である

 九番目の招待客
▲オーエン・デイヴィス『九番目の招待客』(国書刊行会)【amazon

 基本的な設定や大まかなストーリーはもちろん小説版とほぼ同様なので、先日の記事を参考にしてもらうとして、小説版の戯曲版の違いについて少し書いておこう。
 といっても、この点については小説版である『姿なき招待主』の解説でも言及されており、あまり付け加えることはない。もっとも大きいのは、最後の最後で犯人が仕掛けるトラップの部分がカットされていることだろう。これに付随して犯人のキャラクター性が明らかになる長台詞も大幅に減っている。この両者によって、犯人の特異な部分が大幅に薄められてしまい、そもそもミステリとしての重要なネタが減らされるのはなんとも残念である。

 ただ、舞台で実際に見るということを考慮すると、戯曲版がいくつかの要素を削った理由も理解はできる。最後に語られる犯人の特異性も、そもそも一般にはわかりにくいところがあるし(特に当時は)、ラストで変に長台詞を聞かされるより、ハッピーエンドでサクッと切り上げた方が客ウケは良かったと思われる。

 まあ、そうはいっても純粋にミステリ的な観点だけでみれば、やはり出来としては小説版が上なのは動かないところだろう。そういえば『そして誰もいなくなった』も小説版と戯曲版でラストが異なるけれど、しかもあちらはよりストーリーに影響を与える違いである、それなのにどちらもアリだと思わせるのは、さすがクリスティ自身が脚本も手がけただけのことはある。

グウェン・ブリストウ&ブルース・マニング『姿なき招待主』(扶桑社ミステリー)

 グウェン・ブリストウ&ブルース・マニングによる『姿なき招待主』を読む。クリスティの『そして誰もいなくなった』の九年前に発表された、同趣向の先駆的作品である。

 こんな話。ニューオーリンズの上流社会で名を馳せている男女がパーティーに招待された。高層ビルの二十二階にあるペントハウスに集まったのは、地元の銀行家、政治家、女優、劇作家、弁護士、大学教授など八名。不思議だったのは招待主が誰なのか不明なこと、パーティーにも姿を現さないことだった。
 やがてその意味が明らかになる。ラジオから招待主の声が流れ、これから一時間毎に一人ずつゲストを殺害するというのである……。

 姿なき招待主
▲グウェン・ブリストウ&ブルース・マニング『姿なき招待主』(扶桑社ミステリー)【amazon

 孤島とペントハウスの違いはあれど、脱出不可能な空間に閉じ込められたゲストが一人ずつ殺されていくとう設定は、まさに『そして誰もいなくなった』である。ただし、本作の方が九年先行して発表されており、むしろクリスティの方が影響を受けた可能性も高いという。
 さすがに今となってはクリスティ作品の方が完成度、その他もろもろの点で出来は上だと感じるが、本作は決して歴史的価値が勝っているだけの作品ではない。『そして誰もいなくなった』とは異なる点で興味深いところもあるし、サスペンスという点でも負けてはいないだろう。

 サスペンスに大きく寄与しているのは、何より招待主=犯人とゲストの対決という構造を全面的に打ち出していることだ。招待主が終始、謎に包まれている『そして誰もいなくなった』に比べると、そこが大きな違いである。ラジオを通してメッセージを伝えるだけではなく、ゲストとの会話も成立させるところは、招待主の全知全能性を浮き上がらせる。もっと言えば、ほとんど声でしか登場しない招待主ではあるが、非常に特殊なキャラクター性を持たせていることは注目に値する。
 ややネタバレ気味なので詳しくは書かないが、これについては本書の解説でも書かれているとおりで、ある有名作品の系譜に連なるものだ。当時としてはそこが新しかったわけだが、現代では逆にこういう犯人像は理解しやすいところもあり、むしろ今の方がより楽しめる下地があるのかもしれない。

 気になる点もある。変に機械的トリックが多いこと、また、ゲストの癖などを熟知するという前提が必要なことなど、そこまで犯人に都合よく行くかなという感じは否めない。
 また、これは個人的な好みが強くなるけれど、構成や設定、犯人像に至るまで、全体的に子供っぽい印象を受けてしまう。こういうお話なのでどうしても突飛になるのは仕方ないのだけれど、だからこそもう少し設定や会話を自然な感じで馴染ませる工夫があれば良かった。

 ともあれ全体では悪い作品ではないので、記憶が新しいうちに本作の戯曲版『九番目の招待客』も読んでおきたいところだ。

ホレス・マッコイ『彼らは廃馬を撃つ』(王国社)

 ホレス・マッコイをもう一冊。長編第一作の『彼らは廃馬を撃つ』である。まずはストーリー。

 映画監督になることを目指してハリウッドにやってきた青年〈私〉だったが、現実は厳しくエキストラの仕事にもあぶれる始末だった。そんなある日、女優志望の女性グロリアと知り合い、賞金目当てでマラソン・ダンス大会にペアを組んで出場することになる。マラソン・ダンス大会とは、一時間五十分踊って十分間の休憩を挟み、これを繰り返して最後の一組になるまでひたすら踊り続ける過酷なコンテンストだった。
 プロや犯罪者など、訳ありの参加者に混じって踊り続ける二人だったが、徐々にグロリアの精神状態がおかしくなる中、他の競技者にもトラブルが頻発して……。

 彼らは廃馬を撃つ
▲ホレス・マッコイ『彼らは廃馬を撃つ』(王国社)【amazon

 マラソン・ダンス大会は実際に1920年代のアメリカで大流行したコンテンストである。ダンスコンテンスと言いながらも、その実は心身とも極限状態になる参加者の狂態を見せ物にするショーであった。時代が時代なので管理は杜撰だが、それでいて賞金額は莫大だから参加者も半数がこの競技を専門にやるプロ、その他も一攫千金を狙う有象無象が入り混じり、常にトラブルが絶えなかっという。
 そんな胡散臭い大会自体の面白さがベースにあり、そこに主人公ペアの徐々に壊れていく様子、また、他の競技者のさまざまな人間ドラマが描かれていて、長編としては短いながらも、独特の熱気と雰囲気に包まれた、非常に興味深い作品となっている。

 構成が少し凝っていて、主人公の青年は冒頭で裁判にかけられている。どうやらペアの女性を殺害した罪らしいのだ。ここでまず「エッ?」となるのだが、結末を先に明かしているだけに、彼がなぜ女性を殺すに至ったか、破滅に向かって主人公がどう壊れていくのか、そんな興味でもストーリーを引っ張ってゆく。というか、やはりメインテーマはこっちだろう。
 ただ、序盤の主人公は割と常識人で、とても狂っているようにも思えない。むしろペアを組むグロリアが危険たっぷりで、そのあたりが逆になんとも言えない先への不安を醸し出し、これが当時の貧しい若者の虚無感や絶望感に通じている。章ごとに設けられた、徐々に活字が大きくなる判決文も、カタストロフィを象徴しているかのようで効果的である。
 そしてそれに呼応するかのように、失神者が続出したり、主催者が難題を押し付けたり、大会の最中に犯罪者が逮捕されたり、大会が進むにつれて数々のトラブルが発生。先ほどの不安を裏づけるかのようで、読んでいるこちらもザワザワした気持ちに包まれてしまう。そしてラストの衝撃と明らかになるタイトルの意味。
 言いようのない読後感に襲われつつも、本作がかなり考え抜かれた構成の上に成り立っていることに、あらためて感心するのである。

 マラソン・ダンス大会をモチーフに、当時のアメリカの空気、若者の状況を鮮やかに描いた傑作で、ますます『屍衣にポケットはない』が楽しみになった。

 なお、管理人は王国者版で読んだが、現在は白水Uブックスで新刊を購入可能である。

ホレス・マッコイ『明日に別れの接吻を』(ハヤカワ文庫)

 ホレス・マッコイの『明日に別れの接吻を』を読む。今月末に新潮文庫から「海外名作発掘 HIDDEN MASTERPIECES」の新刊としてマッコイの『屍衣にポケットはない』https://amzn.to/49lm7Z1が出るというので、予習のために積ん読から引っ張り出してきた次第。ハードボイルドの傑作のひとつと言われてはいるが、恥ずかしながらこれが初読である。

 先に著者について軽く紹介しておくと、マッコイは第二次世界大戦を挟んで活躍したハードボイルドや犯罪小説系の作家である。大戦前にはシナリオライターとして、ハリウッドで三十三本の脚本に関わった経歴も持つが、シナリオライターとしても小説家としても、いまひとつ評価は得られていなかったようだ。大きく認められたのは、フランス語版が発売された戦後のこと。そこから逆輸入される形で、本国でも過去の長編が復刊され、そのタイミングで本書が刊行されて、ようやく一流作家として認められるようになったという。

 明日に別れの接吻を
 ▲ホレス・マッコイ『明日に別れの接吻を』(ハヤカワ文庫)【amazon

 こんな話。大学で優秀な成績を残したこともあるラルフ・コッターは裏社会で大物になるという野望があった。今は刑務所に収容されてはいるが、すでに脱走の準備は整っている。建物外で囚人が畑作業を行う農地、その用水路に拳銃が手配されていたのだ。
 そして決行のときが来た。ラルフは脱走仲間トコと共に看守を撃ち殺して脱走を図る。誤ってトコまで射殺してしまったものの、ラルフはなんとか脱走に成功し、脱走の手引きをした女性と共に成功への一歩を踏み出そうとするが……。

 おお、これはまたドがつくほどのストレートな犯罪小説ではないか。文庫の紹介文などではハードボイルドと謳われてはいるが、犯罪者が主人公なので個人的にはノワールやクライムノヴェルの方がピンとくるけれども、ま、そういう呼び方はともかくとして、実に力強い犯罪者の物語である。

 チンピラが己の才覚を過信するがあまりどん底に落ちてゆくといったタイプのクライムノヴェルは、それこそ掃いて捨てるほどあるのだけれど、本作がそんな類似作品と違うのは、主人公の造形と描き方にある。
 歴とした大学出でしかも成績は優秀だったこと、そのくせ確固とした理由もなく犯罪者の頂点を目指していること、心に何やら疾患を抱えているらしいこと、などなど。主人公は一見、無軌道でバカな若者の類に見えるのだが、実は頭の回転も良く、駆け引きもでき、時には自分を律することもできる。だが、その内なる闇によって抑制が効かない場合もあり、それが彼を苦しめる。
 本作は主人公のそうした心理描写が多いことも特徴的で、そう、確かにこの味わいはアメリカのハードボイルドというよりフランスのノワール。フランスで評価されたというデビュー長編と第二長編がどの程度心理描写に重きを置いているかは未読ゆえわからないが、本作とテイストが似ているのであれば、フランスでまず評価されたという理由も納得できる気がする。

 とはいえ、心理描写が多いから辛気臭い小説なのかというと、それはまた違う。先に書いたようにベースは、ドがつくほどのストレートな犯罪小説なのである。構成自体はシンプルで、派手な見せ場も多い。刑務所脱走シーンや悪徳警官や弁護士らとの丁々発止の駆け引き、輸送車の襲撃シーンなど緊迫感のあるエピソードを繋ぎ、魅力あるストーリーに仕上げている。
 まさに一気読みの小説である。そして衝撃的なラストシーンを経て、主人公がやりたかったのは本当は何だったのか、ようやく振り返る気持ちになる。こういうところも巧い。

 この手の作品が今どきどれぐらい人気を集めるかどうかはわからないが、とりあえず『屍衣にポケットはない』も楽しみに待ちたいところである。

佐々木徹/編訳『英国古典推理小説集』(岩波文庫)

 佐々木徹の編訳によるアンソロジー『英国古典推理小説集』を読む。英国最初の長篇推理小説と言われる「ノッティング・ヒルの謎」をはじめ、英国推理小説の始まりを体感できる古典推理小説を集めた一冊。岩波文庫から出たことも相まって、昨年の刊行当時はミステリファンの間でかなり話題になったことも記憶に新しい。

 英国古典推理小説集
▲佐々木徹/編訳『英国古典推理小説集』(岩波文庫)【amazon

チャールズ・ディケンズ『バーナビー・ラッジ』第一章より
 (付)エドガー・アラン・ポーによる書評
ウォーターズ「有罪か無罪か」
ヘンリー・ウッド夫人「七番の謎」
ウィルキー・コリンズ「誰がゼビディーを殺したか」
キャサリン・ルイーザ・パーキス「引き抜かれた短剣」
G・K・チェスタトン「イズリアル・ガウの名誉」
トマス・バーク「オターモゥル氏の手」
チャールズ・フィーリクス「ノッティング・ヒルの謎」

 収録作は以上。もちろん「ノッティング・ヒルの謎」が目玉であるとは思うし、個人的にも最も読みたかった作品だが、ポーによる『バーナビー・ラッジ』書評も素晴らしい。なんせミステリを読み始めた頃から、ポーが作品完結前に書評で『バーナビー・ラッジ』の真相を当てたというエピソードは何度もガイドブックなどで読まされてきたのだ。その書評がついに読めるというのが嬉しいではないか。
 また、英国探偵小説の発展の跡を辿るという全体のコンセプトも非常に面白い。犯罪におけるセンセーショナルな部分だけに注目していた小説が、その犯罪に隠された謎を推理するという部分に興味の軸が移っていく様はなかなかに興味深く、考えれば実に特殊な発展を遂げたものである。
 ただ、そうは言っても英国の古典小説である。推理を興味の中心に置くようになっても、そこには犯罪者の心理や倫理的な問題などを絡め、人間そのものの存在を語ることを忘れてはおらず、そこがまた読み応えを高めてくれる。
 もちろん現代の推理小説と技術的な差を云々してもしょうがないわけではあるが、それでもポーの書評やあるいは「イズリアル・ガウの名誉」、「オターモゥル氏の手」の作品などは今でも十分に輝きを放っており、実に上質、かつ楽しめるな短篇集となっている。

 以下、各作品のコメントなど。
 『バーナビー・ラッジ』第一章よりと(付)エドガー・アラン・ポーによる書評は、遂に読めた(書評の方)という感慨もあるのだけれど、1841年に「モルグ街の殺人」を書いたばかりのポーが一年も経たないうちに、推理小説に関するしっかりした観点を持って書評していることに驚くしかない。「モルグ街の殺人」が発表されたばかりということは、つまり推理小説というジャンルが生まれたばかりであり、多くの人にはそんな認識すらない時代である。しかし、ポーは早くも推理小説におけるフェアプレイや可能性にも言及している。少なくとも五十年は人の先をいっていたとしか思えず、改めてポーの凄さを思い知らされた。

 ウォーターズの「有罪か無罪か」は英国警察に刑事課が誕生してまだ間もない1849年に発表された作品。刑事が手がけた事件を回想するというシリーズの一作で、まだ推理というには難しいところがあるにせよ、刑事や捜査を扱った小説としては最初期の作品のひとつであり、「クイーンの定員」にも選ばれている(なんとNo.2である)。
 現在はヒラヤマ探偵文庫から『ある刑事の回想録』、『ある刑事の冒険談』の二冊が出ており、これも考えるとすごいことである。同人ゆえ数に限りがあるため、興味のある方はお早めに(例えばこちらで購入可能である)。

 ヘンリー・ウッド夫人の「七番の謎」は、ジョニー・ロドロ少年(十五、六才ぐらい?)を主人公にした風俗小説のシリーズの短編で、1877年に発表された。シリーズ全部で九十作ほどあり、そのうちの十作ほどが犯罪がらみだという。
 英国で1800年代後半に流行ったセンセーショナル・ノベルらしく、館の住人や使用人の人間ドラマをベースに、メイドの不可思議な死の真相を追っている。主人公の心情、ロマンス、異常心理など、実ははいくつもの大きな主題が交錯するため、やや冗長なところや読後感が中途半端な感はあるけれども、語りに読者を引き込み力があって意外に楽しめる。

 「誰がゼビディーを殺したか」は1880年の発表。ウィルキー・コリンズの作品だけあって、さすがに上手さがぐっと上がってくる。意外性もあるけれど、やはり警察官の心情に重きが置かれている印象。

 キャサリン・ルイーザ・パーキス「引き抜かれた短剣」は1893年の発表。この頃にはシャーロック・ホームズも登場しており、その影響を色濃く受けた女性探偵ラヴデイ・ブルックの一作である。スタイルとしてホームズというお手本ができたせいか、推理小説として一気にこなれた印象。

 チェスタトンの「イズリアル・ガウの名誉」(1911)、トマス・バークの「オターモゥル氏の手」(1929)は今更説明の要もない傑作。両者とも結末の意外性だけでなく、いわゆる“奇妙な味”を備えた一品。とりわけ「オターモゥル氏の手」は独特の語りと犯人像が強烈すぎて、短篇のオールタイムベスト10ぐらいには間違いなく入れたい作品だ。

 トリを飾るのはチャールズ・フィーリクスの「ノッティング・ヒルの謎」。本作だけが長篇のため、発表順ではなく最後に置いたとのこと。発表されたのは1863年であり、時期的には「有罪か無罪か」と「七番の謎」の間にくる。
 保険金殺人を扱っていること、書簡や証言で構成された叙述スタイル、真相の意外性など、予想以上に古さを感じさせない作品で、これは嬉しい誤算であった。

笹沢左保『地下水脈』(集英社文庫)

 なかなか本調子とはいかないが、久々に感想をアップする。ものは笹沢左保の『地下水脈』。著者には珍しいシリーズもので、『他殺岬』『求婚の密室』に続くルポライターの天知昌二郎を主人公とする一作である。

 こんな話。駿河湾に面する静岡県由比町で夫婦の心中と見られる事件が起こった。睡眠薬を飲んだ後、排気ガスをホースで車内に引き込みんだのである。しかし、二人には心中するような理由が見当たらず、死んだ男女には不向きな場所でもあった。手掛かりらしきものは、口紅によって「昌二郎 あなたにも」というメッセージが記されたハンカチであった。
 やがて死んだ小松原美子がルポライターの天知昌二郎と知り合いであることが判明し、警察は天知に疑いをかけるが……。

 地下水脈
▲笹沢左保『地下水脈』(集英社文庫)【amazon

 『他殺岬』、『求婚の密室』ほどではないにせよ、本作も非常にプロットの練られた力作と言える。
 ベースにあるのは男女の愛憎劇。そこから派生する人間ドラマが連鎖して悲劇を生み、序盤からはまったく想像できない真相が待っている。確かにぱっと見は二時間サスペンスドラマ的な雰囲気だし、一応は密室みたいな要素もあるのだが、そういう表面的な部分にあまりこだわってはいけない。
 本作の読みどころは、どちらかというとある事件の原因(動機といってもよい)を立証することがメインであり、そういう意味では非常に面白い試みがなされているのだ。

 ただ、事件が事件なのでどうしても派手さには欠けるし、偶然要素もちょっと気になってしまうので、著者の他の傑作と比べるとどうしても一枚落ちるのは仕方ないのだけれど、こういう形でもしっかり読ませるのはさすが笹沢左保であると思う。

 なお、本作は集英社文庫版で読んだが、背表紙が思いっきり誤植しているのはさすがに驚いてしまった。いや、著者名だけは間違えちゃダメだって。

能登半島地震

 元日に能登半島が巨大地震にみまわれた。管理人の実家はもろに被災地となり、現地の家族と連絡をとりつつ、少し状況が落ち着いたところで現地入りをすることにした。
 当ブログはあくまでミステリの感想かミステリにまつわる雑記を発表するものだが、今回はその方針を曲げ、自分自身のために現地入りの記録を残しておくことにする。
 なお、実際に見たことや感じたことをそのまま書いてはいるが、事実は各種ニュースの域を出るものではなく、中には個人的見解もあるので、他所様の参考になるかどうかはわからない。こういうことがあったのかと、そういう程度で読んでもらってけっこうである。
 また、ミステリ読書ブログの矜持として、本関連の話も最後に少しだけ絡めておく。

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 実家が能登半島地震で被災したため、しばらく現地入りしていた。といっても、この規模の地震で、この時期に個人ができることはそう多くない。幸いにも家族は一応無事で、富山県の親戚のところに身を寄せているので、当面必要なものを持っていくことが第一。次に自宅の被害状況の確認、そして火事場泥棒などの心配もあるので、とりあえず多少は家を片付け、持っていける貴重品は回収しておきたい。そんなところである。

 まず新幹線で向かったのは富山県高岡市である。管理人の実家は七尾市にあるのだが、実家はとても泊まれる状況ではないと連絡を受けていたので、弟一家が住む高岡にホテルをとり、そこで合流して車で現地に向かう。補給物資、例えば水や食料、ブルーシートなどもこの辺りでは問題なく揃うので、ここでダンボールやガムテープ、カッターなどといった作業用の備品も買い集める。高岡でも被害は出ているのだが、概ね石川県に近い西側の沿岸部であり、駅周辺などは思ったより平静な感じだ。

 高岡から七尾へ向かう最短ルートは氷見市の沿岸部を通っていくルートなのだが、こちらは道路が寸断されており、いったん金沢方面に出てから北上することになる。ただ、金沢方面へ出る最短ルートも途中で寸断されているので、かなりの迂回を強いられる。時間的には通常一時間のところが二時間ぐらいかかった。

 七尾までに限った話だが、思ったほどの渋滞はなかった。しかし、途中で段差や陥没、亀裂が目立ち、特に羽咋市を超えたあたりから酷くなる。二箇所ほど、陥没した場所を避ける形で新たに作られたような道路もあり、七尾へ行く道さえも一時はまったく不通だったことがわかる。そんな道路状況なので基本的にスピードは危なくて出せたものではない。
 また、この辺りは自動車専用道でもないかぎり、国道であっても狭い道ばかりである。大挙して個人の物資支援のボランティアが押し寄せると、渋滞は免れない可能性は高い。気落ちはありがたいが、まずは政府や自治体のHPで状況を確認してからにするとよいだろう。

 ようやく実家に着くと、瓦が一部落ちているのは確認したが、外観はそこまで崩れているわけではなかった。ところが家は倒壊こそしていないものの、もう中は無茶苦茶である。崩れた壁やガラスが散乱しており足の踏み場もない。しかも少し念入りに調べると、壁や土台にヒビが入っていたりする。中でも一番怖いのは、家を真正面から見ると中央部がわずかに沈んでいることである。
 実際に実家を見るまでは、倒壊したわけではないのでリフォームで対応できるかとも思ったのだが、すぐに壁などを修理する程度では済まないことがわかる。この調子ではおそらく柱や梁にも影響が出ているはずで、完全に解体して新築しないことには怖くて住めないだろう。
 ただ、能登半島の地震は17年前にも大きいのがあり、その後も小さい地震が頻発しているのである。今回のような大地震は、今後も十分起こりうる話である。また、震度は前回とあまり変わらないのに今回の被害が比較にならないほど大きいのは、震源が浅くなったからだという。しかもこの傾向は今後も変わらない見込みだという。そんなところに高齢の親が住む家を新築するというのもさすがに考えてしまう。
 こちらとしてはできれば今の場所からは離れ、もう少し安全な地域で、耐震性の高いマンションや高齢者施設に入ってもらいたい気持ちが強い。もちろん今の家は処分するしかない。だが小さな地方都市のことである。土地を売り払っても(そもそも買い手があるのか?)、家と廃材の処分だけでチャラになる可能性は高い。下手をすると足がでる可能性だってある。そもそも親が今後も元のところに住みたいと固執したら? それだけは勘弁してほしいが……ううむ。

 そんなことを弟と話しながら、罹災証明書のために必要な写真をガシガシと撮り、銀行や保険、不動産関係の重要書類、貴重品、当面必要となる身の回りのものを、瓦礫の山の中から引っ張り出してゆく。体をずっと動かしているせいか、不思議なことに悲しくはないのだが、そんなわけでまあ気は滅入る滅入る(苦笑)。
 12月30日のブログでも少し書いたのだけれど、自分自身についてはようやく身辺が落ち着いたと思っていたのだが、神様はなかなか休ませてくれないようだ。それにしてもリウマチが発症したタイミングじゃなくて本当によかった。もし出始めだったら、実家に戻ることもできなかったところだ。

 
▲階段も壁の瓦礫だらけで非常に危険。これでも少し歩けるようにしたのだ

 
▲かつては店舗だったスペースがガラス棚とかも多く、一番メチャクチャであった

 作業中は大きな揺れもなく、なんとか数時間かけて、明るいうちに区切りのいいところでいったん終了とする。なんせ暗くなると道路の段差もわからなくなるので、車で帰るのも危険なのである。
 片付けはこんなものだったが、それ以外では近所や他の親戚を少し周り、安否確認とこちらの避難先を伝えておく。また、役所への罹災証明書の手続き確認、新聞の停止(なんと毎日配達されているのである)、インフラ等の安全確認なども粛々と行う。片付けよりも、むしろこういう方が煩わしい
 その後、再び高岡に二時間かけて戻る。一応、本も持っていったのだが、あまりの疲れにその日は1ページも開かず、死んだように眠ってしまった。肉体的な疲れはもちろんだが、いつ揺れがくるかもわからない瓦礫の中での作業、段差やクラックに気をつけながらの運転という、精神的な緊張があって余計に疲れたようだ。

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 現地入りして気づいたことも少し箇条書きしておく。
※なお、これらはあくまで七尾市での状況である。七尾市でも十分に悲惨な状況だが、ご存じのように輪島市や珠洲市ではこんなものでは済まない状況がある。

・地震の際はやはり海岸沿いの被害が目立つ。津波の被害もあるのだけれど、基本的に水の近くはどうしても地盤が弱く、例えば高岡市では被害のほとんどが海岸沿いで、内陸部では少し大きく揺れた程度の感覚だったという。七尾市でも全壊や半壊した家の多くは海岸近くであった。

・ただし山間部でも、崖下や斜面沿いは土砂崩れの危険があるのでこちらも要注意。

・当たり前の話だが、古い家は耐震性が低く、全壊している家はやはり古い木造の家が多かった。

・とはいえ、ぱっと見で家が大丈夫だと判断してはいけない。七尾市でも全壊の家はそこまで多くはないものの(といっても100棟以上はある)、中はかなりのダメージを負っている。市内の近所や知り合いの家を訪ねても、家の基礎や土台、壁などがなんらかの形でやられている。それでもそこにとどまっている人が多いけれども(避難所よりはましだということで)、正直、でかい余震が来ると今度は全壊するする可能性もある。気持ちや事情はわかるけれど、本当に避難してほしいとつくづく思う。

・実家の墓があるお寺も見てきたが、墓地にある三分の一ぐらいの墓石は倒壊していた。実家の墓も倒れていたが、完全に直すのは無理なので、横倒しのまま寄せておく。それにしても墓石の重さは尋常ではなく、これの修繕費用もバカにならない。日本の地震の多さを考えると、都心のように集合式の納骨堂を検討するなど、墓のあり方も少し考えるべきではないかと思った。

・よく言われることだが、ブロック塀はやはり倒壊の可能性があるので非常に危険である。あと、鳥居、灯籠など、とにかく石でできた巨大物はいきなり凶器に変貌するため、こういうものの扱いも今後は考慮すべきであろう。

・七尾市は現在、停電はかなり解消されている。ガスはプロパン中心なので故障さえしていなければ使用可能だが、各戸での状況次第だから詳細は不明。また、この地域は石油ストーブも多いが、これも各戸での状況次第。一番大きいのは断水で、これは貯水池や水道管へのダメージがあった関係で、解消にはまだ相当にかかりそうだ。

・ちなみに電気や水道はブレーカー、元栓をしっかり止めておかないと、再開した時に家事や漏水のもとなるので要注意である。これは真っ先にやっておくべきこと。

・車があれば二時間も走れば必要なものは手に入る。しかし、ガソリンが入手しにくい状況で、また、長い時間留守にすることの危険があるため(火事場泥棒)、簡単には出かけられないのだという。

・補給物資は街中では比較的、スムーズに配給されているが、ブルーシートなどはけっこう争奪戦が激しかったという。ただ、地域によって必要な物資も微妙に異なるようなので、これも事前に確認する必要がある。

・これだけの大地震であっても、無事な家がある事実も見逃せない。場所や地形や地盤や家の築年数、耐震性、諸々の条件が重なった結果だと思うけれども、少なくとも日本のどこであっても地震の危険から逃れること不可能に思える現在、今後、家を建てるという人は、そういったリスクを全て、とは言わないまでもできるだけチェックして選ぶことは必要だろう。
 少なくとも沿岸部や川沿い、内陸部や山間部でも崖下や崖上を避けるだけで、かなりのリスクを減らすことができるはずである。これは地震だけでなく台風に対しても言えることだ。

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 最後に本絡みの話をひとつ。実は実家に向かう途中、家に置いてあった本の様子が気になって仕方がなかった。なんせ物心ついてから親に買ってもらった本をはじめ、大学進学で家を離れるまでに買っていた本がほぼ残っている。小学生から高校生の頃に読んだ思い入れのある本ばかりなのだ。
 できれば少しはサルベージしたいと思っていたのだが、結果から言うと多分九割は諦めるしかなかった。なんせガラスや瓦礫まみれの中にほとんどの本が埋もれているのである。
 そんな中、あかね書房の「少年少女世界推理文学全集全20巻」がまったく無傷で残っていたのを見つけたときには、不覚にも涙が出そうになった。あの大揺れの中で床にも落ちずに残っていたのである。
 そのほか無傷なのはサラブックスの「刑事コロンボ・シリーズ」、祥伝社ノンブックの「ウルフガイ・シリーズ」もろもろ三十冊程度、そして床には散乱していたが幸いにもガラスにはまみれず、かすり傷程度で済んだ創元推理文庫とハヤカワ文庫のエラリー・クイーン、そして創元のクリスティのほぼ揃い。中高の頃の本なのでベタなものばかりである。ただ、クリスティは残念ながら「クリスティ短編全集1」と「アクロイド」、「エヴァンズ」は酷い状態で諦めるしかなかった。
 結果的に他の備品等を合わせて、ダンボール三箱ぐらいに詰めることができた。なんせ角川の横溝正史、高木彬光、森村誠一あたりなんて全滅だから(さすがに揃いではなく、当時発売されていた分だけであるが)、これだけでも十分にありがたかった。

 
▲無事、我が家に収納されたあかね書房「少年少女世界推理文学全集全20巻」


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 結局、向こうには四日間ほどの滞在だったが、先に書いたように今の段階ではこれぐらいが精一杯である。家族にとっては、まず今後の住居をどうするかが最大の課題であり、今後もちょくちょく現地入りして家族会議を開かねばならないし、もう少し片付けも進めなければならない。ああ、憂鬱だ。

イーデン・フィルポッツ『孔雀屋敷』(創元推理文庫)

 今回の地震で少しブログやSNS等で実家のことに触れたところ、いろいろな方にお見舞いの言葉をいただきました。この場を借りて改めてお礼申し上げます。本当にありがとうございます。
 ちなみに管理人もなるはやで現地まで行って片付けや今後のことを話し合わなければならないが、まだ時期尚早ということで、現地からの連絡待ちである。
 ただ、それはそれとして読書は進める。ブログも進める。いい本は最良の精神安定剤にもなるのだ。

 というわけで今年一冊目の読了本は、イーデン・フィルポッツの短篇集『孔雀屋敷』。まずは収録作。

Peacock House「孔雀屋敷」
Stepan Trofimitch「ステパン・トロフィミッチ」
My First Murder「初めての殺人事件」
Three Dead Men「三人の死体」
The Iron Pineapple「鉄のパイナップル」
My Adventure in the Flying Scotsman: A Romance of London and North-Western Railway 「フライング・スコッツマン号での冒険」

 孔雀屋敷
▲イーデン・フィルポッツ『孔雀屋敷』(創元推理文庫)【amazon

 『赤毛のレドメイン家』や『闇からの声』という傑作がありつつも、黄金時代のほんの少し手前の作家というイメージがフィルポッツにはあり、その文体や作風には少し古さを感じるのも事実。だが、こうしてまとまった形でその作品群を読むと、こっちが年をとったせいもあるのだろうが、その時代がかった言い回しや情景描写が意外に心地よかった。
 ただ、ミステリではあるがそこまで謎解き興味を求めたものはなく、幻想的なものや文学的、冒険小説的なアプローチが多い。とはいえ、どれも面白く読めるものばかりで、むしろフィルポッツはこっちが本領なのだと思わせる。

 「孔雀屋敷」は過去の殺人事件を幻視した女性の物語。事件の発端が超常現象を扱い、幻想小説的ではあるけれども、そこからの流れが逆に本格探偵小説的になっている点が面白い。ダートムアの描写も雰囲気を上げている。

 「ステパン・トロフィミッチ」は労働者と支配階級の対立を描く。ロシア文学風味ながら、最後の最後でミステリに持っていくところがミソ。

 「初めての殺人事件」は新米警官の活躍を描く短編だが、ちょっとした様相の転換が読みどころ。主人公の警官が若干鼻につくのはご愛嬌か。

 「三人の死体」は本書中で最も本格探偵小説らしい作品。創元推理文庫の江戸川乱歩/編『世界推理短編傑作集3』に「三死人」の題名で収録されているので、ご存知の人も多いはず。心理的なアプローチで三つの事件を洞察するというところがフィルポッツならでは。

 「鉄のパイナップル」は何というか今でいうサイコパスを扱った作品と言えるかも。不穏な雰囲気がよろしい。

 「フライング・スコッツマン号での冒険」は一転して、冒険小説・サスペンス系の作品。平凡な主人公が仇敵の存在に怯える様子がリアルに描かれている。ラストでの主人公の反撃は他愛ないネタではあるけれども、もちろん読みどころはそこに至る主人公の心理なので、あまり気にはならない(もちろんトリッキーならいうことなはいのだけれど)。なお、これがフィルポッツ初めての著書となる。

 まとめ。決して歴史的価値ばかりではなく、上質なクラシックミステリと言える。もちろん今の基準で見ればそこまでのものでもないが、ジャンル小説としてのツボをよく押さえた、なかなかの好著であった。

謹賀新年

 新年明けましておめでとうございます。
 本年も『探偵小説三昧』を何卒よろしくお願い申しげます。

 昨年末の記事でも少し触れたけれど、今年はあまりクラシックが読めなかったので(特に国産)、今年はもう少しなんとかしたい。考えると他にも進行中の宿題があったりするので、今年の目標というわけでもないが、ちょっとどメモがわりに残しておく。

・ロス・マクドナルド邦訳全冊読破
・ディクスン・カー邦訳全冊読破
・SFミステリ読破

 まずは昨年に引き続きこの三つ。特にロスマクとカーは早くやっつけて、今年中にクロフツとクリスティの邦訳読破に進めたい。まあ、これはこの二、三年、毎年のように思っていることなんだけど(苦笑)。
 あと、クラシックの叢書の積ん読が非常に溜まってきているので、以下のものはちょっと巻き返しを図らないとならない。ROM叢書とRe-Clamはなんとか追いついている。

・論創海外ミステリ
・論創ミステリ叢書
・盛林堂ミステリアス文庫
・ヒラヤマ探偵文庫

 海外ミステリの新刊は投票の関係もあるので最低でも40冊ぐらいは消化したいところ。ただ、それ以外に遡って邦訳されたものを消化したい作家が何人かいる。とりあえずアン・クリーヴスとジョゼフ・ノックス、ミシェル・ビュッシあたりは最低でも。

 昭和作家読破計画はあまりにざっくりしているが、ここ数年読んでいる泡坂妻夫、梶龍雄、笹沢左保、多岐川恭、中町信、連城三紀彦あたりはコンプリートしたいと思っている作家である。ただ、それ以外にも手を広げたいし、とりあえず今思っているのは西村京太郎の初期作。

 ミステリ黎明期に書かれたものや、ミステリの親戚筋にあたる小説、文芸寄りの小説もぼちぼち読んでいるが、こちらはまったり進行で。とりあえずジェーン・オースティンやウィルキー・コリンズ、アン・ラドクリフが最優先。

 ということで、ザクっと宿題を挙げてみたけれど、自分の年間読書ペースでは間違いなくキャパオーバーである。一体どこまで読み、どこまで感想を書けるのか。ああ悩ましい。

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プロフィール

sugata

Author:sugata
ミステリならなんでも好物。特に翻訳ミステリと国内外問わずクラシック全般。
四半世紀勤めていた書籍・WEB等の制作会社を辞め、2021年よりフリーランスの編集者&ライターとしてぼちぼち活動中。

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