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R・オースティン・フリーマン『ペンローズ失踪事件』(長崎出版)
ちなみにGWは神保町も静かなのかと思いきや、意外に人出が多いのには驚いた。休んでいる古書店もそこそこあるようだが、こんなときでないと神保町に来れない人も多いからなのか。それとも他に何か見るべきところでもあるのか。神保町で働くようになってもう十年以上になるが、まだまだ謎は多い。

読了本はR・オースティン・フリーマンの『ペンローズ失踪事件』。科学捜査の先鞭をつけたソーンダイク博士ものの一編である。
骨董品のコレクター、ペンローズ氏が行方不明になるという事件が起きた。自動車事故で老婦人をはね、その後に病院から姿を消したらしいことまではわかったが、その後は行方しれず。時を同じくしてペンローズ氏の父親が死亡したことから、遺産の相続問題が発生。果たしてペンローズ失踪の裏には何があったのか? ソーンダイク博士が得意の科学知識を武器に捜査に乗り出すが……。
ソーンダイク博士といえば、数多登場した同時代のホームズのライヴァルとしては、知名度・実力ともにトップクラス。しかしながら邦訳された作品を眺めると、短篇はよいとしても長篇がいまいち。科学捜査を基にした論理的な推理は、本格探偵小説の条件を満たしてはいるものの、魅力的な探偵小説の条件を満たしているとは言い難い。要はトリックやケレンなど、読者をアッと言わせる要素が少ないのが難点なのだ。
本作でも気になるのは当然その点だったのだが……これがまた微妙な作品。
ラストのソーンダイクの謎解きを読んでもわかるとおり、本格としてのツボはきっちりと突いており、なかなか悪くない。また、導入章のペンローズ登場の部分などは、キャラクターの個性も相まって、これから何が起こるのかといった期待を抱かせる魅力をもっている。
その一方でストーリーの単調さ(特に中盤)や仕掛けの地味さはいつもどおり。ホームズのライヴァルとはいえ、本書の発表年は1936年。ヴァン・ダインやクイーン、クリスティなどが既に代表作をいくつも書き上げている黄金時代に突入しており、もう少し何とかできなかったのかとも思うわけである。
結局、オースティン・フリーマンの作品は、常にこの長所と短所のバランスが評価の分かれ目になる気がする。本書の場合はほぼボーダーラインで、正直、いま読むべき必要性はほとんど感じられない。ただし本格の香りはそれなりに濃厚なので、個人的にはまずまず満足しているし、クラシックがとにかく好き、という人であればそれほど失望することもないはず。逆にいうと、クラシックに興味がない人は読んでいても辛かろうな。
なお、最後に翻訳で気になった点をひとつ。登場人物のひとりにミラーというスコットランド・ヤードの警視がいるのだが、これがソーンダイクに向かって「おまえ」呼ばわりするのは違和感バリバリで困った。いくらなんでも警察に何度も協力している関係者に向かって、警視ともあろうものがそんな無礼な口のきき方はしないだろう。訳者はこれが粋な翻訳だとでも思ったかね?
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Comments
なんかこのところsugataさんにケンカばっかりふっかけているような気がして恐縮の極みですが(笑)、わたしはソーンダイクものがけっこう好きだったりします。漂う空気がいいというか、ソーンダイク博士の常識人ぶりが肌に合うというか、少なくとも読んでいて退屈はしませんでした。
わたしが読んだのは「オスカー・ブロズキー事件」「事件簿1」「赤い拇指紋」「証拠は眠る」「ペンローズ失踪事件」「ポッターマック氏の失策」といったところですが、意外とリーダビリティが高くて、ちょっと推理小説でも読むか、といったときにピッタリなのであります。
特に「ポッターマック氏の失策」はわたし好みでしたが、問題があることも確かでありまして、1930年も過ぎて、そろそろハードボイルド派も台頭して来ようというときに、「偽造××トリック」をやるなっ! と読んでいて思わずツッコミを入れてしまいました(^^;) 読んでおられなければネタバレになるかもしれませんが、倒叙ものだからお許しいただけると思います(汗)
それでももっと読みたいですね、フリーマン。
Posted at 15:05 on 04 15, 2009 by ポール・ブリッツ
小林晋さん
私も編集に携わっている人間なので(ミステリとはまったく関係ないジャンルですが)、完璧な本を作るのが大変なのは、もちろん十分理解できるんですけどね。それでもこの本は、ちょっとアレッと思うところがありますね。件のミラー警視の口調もそうですが、解説もずいぶんさっぱりしていて物足りないです。作り手の思い入れが足りない、とか青いことを言うつもりはありませんが、もう少しマーケティングをしっかり行い、良い商品にする努力はしてほしいものだと思います。なんか偉そうですが(笑)
ちなみに
>ミラー警視がソーンダイク博士を犯罪者扱いしているような印象を受けました
という部分ですが、
「ハードボイルド小説によく出てくる、私立探偵を目の敵にしている横暴な刑事」ぐらいはいってますね。訳者の方はミステリの翻訳がまだ二冊目のようなので、もしかしたら本当にそういう先入観でやってしまった可能性もあったりして(笑)。編集の方も同様なのでしょうか。
Posted at 02:06 on 05 10, 2008 by sugata
sugataさん
自分が翻訳に手を染めているものですから、つい翻訳者に対して甘くなってしまうのです。
この場合は、確かにご指摘の通り、編集者がきちっと対応すれば問題なかったでしょう。いや、それ以前に、公僕たる警察官が一般市民であるソーンダイク博士に対して「おまえ」呼ばわりするのは、訳者自身おかしいことに気づかなければならない。訳書を買っていないので明言は慎むべきですが、sugataさんのお話を聞く限り、ミラー警視がソーンダイク博士を犯罪者扱いしているような印象を受けました(笑)――いや、笑いごとじゃないか。まあ、まさかそんなことはないのでしょうけど。
フリーマンは、ご存じのように数年前にHouse of Stratusでどかんと再版されたおかげで、テクストは入手が比較的容易なはずですから、幾つか読めばわかることです。そもそも、この作品を翻訳するにあたっては、当然、何らかのセレクションがあったはずです(たまたま原書が入手できたとか、半世紀前の翻訳出版と変わらない事情とは信じたくない)し、5~6作読めばおよその事情はつかめると思います。
訳者自身がミステリに通じていない場合は、編集者がサポートしなければならないわけですが、最近になってミステリの出版を始めた出版社なので、その点も手薄なのでしょう。
Posted at 12:26 on 05 08, 2008 by 小林 晋
小林晋さん
いらっしゃいませ。
数々のミステリを訳していらっしゃる小林さんですから、どこまで他の作品で裏をとるかという話は、さすがに現実味がありますね(笑)。特に、現代のシリーズ物をリアルタイムで紹介する場合、については非常に理解できます。
ですが、クラシック・ミステリのシリーズ作という、すでに世界観が確定している作品については、そうも言っていられないのではないでしょうか。
ソーンダイク博士ものの過去の作品を、少しでもチェックしていれば気がつくことでもありますし、そもそも普通に読んでいても、ミラーの粗暴な話し方だけは妙に浮いていて気になります。結局、翻訳というよりは仕事上の責任感やセンスの問題かと思うのですが、これは厳しい見方になるのでしょうか(苦笑)。
私見ですが、こういう場合は基本的に訳者ではなく、最終的にすべて編集者の責任だと考えています。間違いではないけれど、しっかり以後はチェックしてほしいなあと思いますね。逆にこれまでの翻訳がまずかったのだということであれば、それは「あとがき」等で指摘してほしいところでもありますね。
Posted at 00:40 on 05 05, 2008 by sugata
ミラー警視はソーンダイクものの初期から登場して、博士のおかげで手柄を立てることも多いですから、「おまえ」というのは問題ですね(笑)。
しかし、訳者はその作品だけ読んで訳していることがほとんどなので、その辺の人物関係を捉え損なうことは、ミステリに限らず大いにあり得ることです。過去の作家については何作か読んで、人物関係を捉えてから訳せばいいわけですが、現実にはそこまで要求するのは酷かもしれません。
一番厄介なのは、現代のシリーズ物をリアルタイムで紹介する場合です。なぜかというと、例えば、第1作が出た時点で翻訳を依頼されて仕上げたとする。その時は訳者なりに登場人物の言葉遣いなどを設定するわけですが、後続作品が出てくると、軌道修正しなければならない状況も出てくるわけです。その意味で、現代物の翻訳者さんは大変だと思います。
Posted at 23:24 on 05 04, 2008 by 小林 晋
ポール・ブリッツさん
ええっ、私ケンカ売られてたんですか(笑)。
ま、これまでのコメント読みかえしてみると、確かに意見は一見違うようにも見えますが、意外と認めるポイント認めないポイントはけっこう似てるんですよね。その振り幅に好みの違いが出てるのかなぁ、という感じでしょうか。オースティン・フリーマンも何だかんだでけっこう褒めているつもりなんですけどね(苦笑)。
とりあえずいろんな意見は当然あって然るべきだし、そういう感想こそ私も聞いてみたいですので、あまりお気遣いなく。
Posted at 00:47 on 04 16, 2009 by sugata