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坂口安吾『能面の秘密』(角川文庫)
坂口安吾の短編集『能面の秘密』を読む。
安吾といえば『白痴』や『堕落論』などで有名な無頼派と呼ばれる純文学作家だが、その一方では子供の頃からの熱烈な探偵小説ファンでもある。戦後には有名な『不連続殺人事件』を発表して第2回探偵作家クラブ賞を受賞するほか、推理短編やエッセイもけっこう残している。
今回読んだ『能面の秘密』は、主に1950年代前半に書かれた推理短編を集めたものだ。収録作は以下のとおり。
「投手殺人事件」
「南京虫殺人事件」
「選挙殺人事件」
「山の神殺人」
「正午の殺人」
「影のない犯人」
「心霊殺人事件」
「能面の秘密」

上で安吾が熱烈な探偵小説ファンだと書いたが、好みは純粋な本格ものだった。ただ、カーやヴァン・ダインのような味つけ(過剰なオカルト趣味や衒学趣味)は嫌いだったらしく、謎と論理重視はもちろんだが、簡潔でわかりやすい文体というのも重視していたようだ。好きな作家は横溝正史やクリスティというから実にまっとうである。
とはいえ「推理小説はパズル・ゲーム」と言い切ったり、あるいは友人らとミステリを読んでは犯人当て等の推理ゲームに興じていたり、というぐらいならよかったのだが、あるエッセイでカーの作品を「ツジツマの合わない非論理的な頭脳」と書いてみたり、それを褒める乱歩まで一刀両断。挙げ句は島田一男の『古墳殺人事件』を「これは、ひどすぎるよ。私にこれを読めという、宝石の記者は、まさに、こんなものを人に読ませるなんて、罪悪、犯罪ですよ」とまで罵倒し、これがきっかけで島田一男が本格を止めて新聞記者ものを書いたと言われているほどで、もうマニアックを通り越して最右翼な感じすら漂わせているところはさすがに無頼派。
まあ、そういうガチガチの本格好きの部分と、本来の純文学作家として培ってきたものとが合わさった結果が、『不連続殺人事件』であり、本書に収められた短編群であるといえるだろう。
ただし、こういう人にありがちなのだけれど、必ずしも自分でいうような作品を書いていたかというと話は別。甲賀三郎の例を出すまでもなく例外はあるもので、本書でも本格のコードに乗っ取ってはいるけれど、微妙にバランスが危うかったり、それどころか完全にバランスが壊れていたりといった作品もあり、それはそれで楽しい(笑)。いや、だからこそ楽しい(爆)。
基本はやはり本格である。とりわけ安吾の興味は物理的トリックより、アリバイや心理的なものに向けられている。本書の作品も確かにトリック的にそれほどすごいものはない。また、小説自体の構成も意外にまとまりが悪く、完成度自体は決して高くないという印象である。
ところがその弱点を支えているプロットなりテーマなりは実に強烈。結果として長所短所が目につきやすい、非常にアンバランスな安吾ならではのミステリが誕生したわけだ。『不連続殺人事件』もエキセントリックな登場人物だらけで初めて読む人はけっこう驚くだろうが、なに、あれは表面的には激しいけれど、中身はかなりまっとうな探偵小説である。
その点、本書の作品は肝心なところが危うくてよい(笑)。
とりわけ危ういところを紹介すると……。
例えば「投手殺人事件」。本書では一番本格の様式を備えているが(見取り図など2枚も入っている)、野球選手と女優の三角関係どころか四角関係、さらにスカウトや記者を巻き込む展開で、とにかく設定のぐだぐだ感がすごい。ところが世の中広いもので、小学館のガガガ文庫でこの作品を「跳訳」した本も出ているらしい。あな恐ろしや。
「選挙殺人事件」は勝ち目のない選挙にうってでた商店主に、なにか裏の理由があるのではないかと疑る記者の活躍。最後には事件も起こり探偵小説っぽくもなるが、この選挙の謎も含め、動機が最大のミソである。
「影のない犯人」は、本書中でも最大の問題作。男の死因を巡って、医者、剣術の先生、木彫家の三人が推理を巡らすといった展開で、そこだけ聞けば「黒後家蜘蛛」か「チョコレート事件」かという感じだが、いや、この作品の結末は相当ですよ。解説で権田萬治がその意義を書いているけれど、安吾にそこまでの意識があったかどうかはかなり疑問(笑)。
「心霊殺人事件」と「能面の秘密」は、巨勢博士と並ぶ安吾が生んだもう一人の探偵、伊勢崎九太夫が活躍する話。降霊術や鬼女の面をかぶった女按摩師など、導入部やギミックはどちらの作もとてつもなく魅力的なのだが、後半はあまりの意外性の無さに半分腰砕け状態。
ということで一般的にオススメはしかねるものの、「探偵小説」の愛好者には避けて通れない怪作が目白押し。覚悟を決めて一度はどうぞ。
安吾といえば『白痴』や『堕落論』などで有名な無頼派と呼ばれる純文学作家だが、その一方では子供の頃からの熱烈な探偵小説ファンでもある。戦後には有名な『不連続殺人事件』を発表して第2回探偵作家クラブ賞を受賞するほか、推理短編やエッセイもけっこう残している。
今回読んだ『能面の秘密』は、主に1950年代前半に書かれた推理短編を集めたものだ。収録作は以下のとおり。
「投手殺人事件」
「南京虫殺人事件」
「選挙殺人事件」
「山の神殺人」
「正午の殺人」
「影のない犯人」
「心霊殺人事件」
「能面の秘密」

上で安吾が熱烈な探偵小説ファンだと書いたが、好みは純粋な本格ものだった。ただ、カーやヴァン・ダインのような味つけ(過剰なオカルト趣味や衒学趣味)は嫌いだったらしく、謎と論理重視はもちろんだが、簡潔でわかりやすい文体というのも重視していたようだ。好きな作家は横溝正史やクリスティというから実にまっとうである。
とはいえ「推理小説はパズル・ゲーム」と言い切ったり、あるいは友人らとミステリを読んでは犯人当て等の推理ゲームに興じていたり、というぐらいならよかったのだが、あるエッセイでカーの作品を「ツジツマの合わない非論理的な頭脳」と書いてみたり、それを褒める乱歩まで一刀両断。挙げ句は島田一男の『古墳殺人事件』を「これは、ひどすぎるよ。私にこれを読めという、宝石の記者は、まさに、こんなものを人に読ませるなんて、罪悪、犯罪ですよ」とまで罵倒し、これがきっかけで島田一男が本格を止めて新聞記者ものを書いたと言われているほどで、もうマニアックを通り越して最右翼な感じすら漂わせているところはさすがに無頼派。
まあ、そういうガチガチの本格好きの部分と、本来の純文学作家として培ってきたものとが合わさった結果が、『不連続殺人事件』であり、本書に収められた短編群であるといえるだろう。
ただし、こういう人にありがちなのだけれど、必ずしも自分でいうような作品を書いていたかというと話は別。甲賀三郎の例を出すまでもなく例外はあるもので、本書でも本格のコードに乗っ取ってはいるけれど、微妙にバランスが危うかったり、それどころか完全にバランスが壊れていたりといった作品もあり、それはそれで楽しい(笑)。いや、だからこそ楽しい(爆)。
基本はやはり本格である。とりわけ安吾の興味は物理的トリックより、アリバイや心理的なものに向けられている。本書の作品も確かにトリック的にそれほどすごいものはない。また、小説自体の構成も意外にまとまりが悪く、完成度自体は決して高くないという印象である。
ところがその弱点を支えているプロットなりテーマなりは実に強烈。結果として長所短所が目につきやすい、非常にアンバランスな安吾ならではのミステリが誕生したわけだ。『不連続殺人事件』もエキセントリックな登場人物だらけで初めて読む人はけっこう驚くだろうが、なに、あれは表面的には激しいけれど、中身はかなりまっとうな探偵小説である。
その点、本書の作品は肝心なところが危うくてよい(笑)。
とりわけ危ういところを紹介すると……。
例えば「投手殺人事件」。本書では一番本格の様式を備えているが(見取り図など2枚も入っている)、野球選手と女優の三角関係どころか四角関係、さらにスカウトや記者を巻き込む展開で、とにかく設定のぐだぐだ感がすごい。ところが世の中広いもので、小学館のガガガ文庫でこの作品を「跳訳」した本も出ているらしい。あな恐ろしや。
「選挙殺人事件」は勝ち目のない選挙にうってでた商店主に、なにか裏の理由があるのではないかと疑る記者の活躍。最後には事件も起こり探偵小説っぽくもなるが、この選挙の謎も含め、動機が最大のミソである。
「影のない犯人」は、本書中でも最大の問題作。男の死因を巡って、医者、剣術の先生、木彫家の三人が推理を巡らすといった展開で、そこだけ聞けば「黒後家蜘蛛」か「チョコレート事件」かという感じだが、いや、この作品の結末は相当ですよ。解説で権田萬治がその意義を書いているけれど、安吾にそこまでの意識があったかどうかはかなり疑問(笑)。
「心霊殺人事件」と「能面の秘密」は、巨勢博士と並ぶ安吾が生んだもう一人の探偵、伊勢崎九太夫が活躍する話。降霊術や鬼女の面をかぶった女按摩師など、導入部やギミックはどちらの作もとてつもなく魅力的なのだが、後半はあまりの意外性の無さに半分腰砕け状態。
ということで一般的にオススメはしかねるものの、「探偵小説」の愛好者には避けて通れない怪作が目白押し。覚悟を決めて一度はどうぞ。
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Comments
Edit
こんにちは
安吾の探偵・推理小説は
『不連続殺人事件』しか読んだ事がなかったので
勉強になりました!
探してみます。
Posted at 12:44 on 08 10, 2009 by きみやす
きみやすさん
遅レス、すいません。
『不連続殺人事件』が気に入ってるのでしたら、これもけっこう楽しめると思います。ただし、ミステリの出来だけでいえば、かなり差はありますが(^_^;)
今から探すのでしたら、やっぱりちくま文庫版が入手しやすいでしょう。『不連続殺人事件』がかぶってしまうかもしれませんが、ちょっと珍しい『復員殺人事件』も入ってますから、割とお得感はあります。
Posted at 00:36 on 08 12, 2009 by sugata