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村上春樹『1Q84 BOOK2』(新潮社)
前回の記事からあっという間に十日間。修羅場というほどではないがとにかく気ぜわしくて、なかなか更新もままならない。なんとかこの三連休だけはしっかり休めることが確定したので、とりあえず宿題だった村上春樹の『1Q84』の感想をば。かなりダラダラ書いています。

まずは十分に面白く読めた。村上春樹がデビュー以来とってきたスタイルに加え、ここ十数年の間、深い関心を持ってきた(であろう)事柄が、様々な形で取り込まれ、詰め込まれ、ひとつの大きな物語としてまとめられている。
人の好みはあろうが、『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』や『羊をめぐる冒険』、『ダンス・ダンス・ダンス』あたりに次ぐ面白さであろう。ただし問題は、その面白さがどこからくるか、である。
本書は『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』と同様、二人の主人公による二つのストーリーが平行して進行する。
一人は予備校の数学教師をしながら小説家を目指している川奈天吾。彼は知り合いの編集者から、17歳の少女<ふかえり>こと深田絵里子の書いた作品をリライトしないかという誘いを受ける。それは荒削りながら素晴らしい魅力を持った作品であり、天吾はその後に予想されるスキャンダルなどのリスクを十分に承知しながらも、作品の持つ魅力に負け、その作業を請け負ってしまう。
もう一人はジムのインストラクター兼マッサージ師をしながら、裏では殺し屋として活動する女性、青豆。彼女は高速道路の非常口から歩いて外へ出たために、1984年から「1Q84年」という微妙に違う世界で生きることになる。
どうしても文体やセンスに注目が集まる村上春樹の作品だが、本作に関しては、構成にかなり気を遣っている。
天吾と青豆。この二人の物語は、一応はどちらもリアルな世界として描かれており、『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』のように、他方がファンタジーという設定ではない。物語が進むうち、この二人を巻き込んだ事件に関係性があり、この二人の関係、そして二人をとりまくこの世界の在り方が明らかになり、やがて融合するであろうという予感を高めてゆく。
その作業は実に緻密であり、物語の構成だけでもミステリ的な味わいをもたらす。さらにはその事件の背後に見え隠れする<リトル・ピープル>の存在、あるいは<空気さなぎ>といったシステムが、SF的な愉悦に誘ってくれる。
しかも小説内で題材に選ばれているのは、あの地下鉄サリン事件以降顕著になったカルト宗教の問題である。加えてDVや幼児虐待、文学論、メタフィクション、殺人といった様々なキーワードを散りばめながら物語を紡いでゆく。
また、二本の縦軸をサポートするかのように、さまざまなファクターが二元論的に繰り返し用いられているのも興味深い。
もちろん基本は天吾と青豆であるが、それ以外にも、二つの月、1984年と1Q84年、青豆とあゆみ、天吾とふかえり、さきがけとあけぼの、パシヴァとレシヴァなどなど。対ではあるが、それらは背反する場合もあれば、融合する場合もあり、また補完する場合もある。表面的なストーリーを引っ張るのが縦軸であるなら、これら横軸は著者のもつイメージの表出。それぞれの関係性を理解できれば、テーマが自然と炙り出されてくる。
テーマといえば、本作で村上春樹がメインに据えたのは、「闇」の存在である。
『1Q84』では様々な暴力の姿が示される。いつになく描写も激しく、対象も幅広い。それは幼児虐待やDV、いじめなど、青豆の行為もこれに含まれるであろう。普通に考えればそれら暴力は人の心にある闇から生まれると考えてよい。ではその闇はどこから生まれるのか? その闇の源はなんであろう?
村上春樹はその源を、個人を越えたところに持ってきた。春樹自身はインタビューに答えてカルト宗教の恐ろしさを『精神的な囲い込み』と評している。人の弱さにつけ込む圧倒的な支配。やがてそれは強大な目に見えない力となる。特定の主義や思想の絶対的な盲信からくるパワー。地下鉄サリン事件だけではなく様々なテロ事件の背景に宗教や思想があるのは説明の要もないだろう。
著者はそこからさらに一歩進める。それは単なるカルト宗教の恐怖なのか。そこにはさらに人智すら越えた、歯止めの効かない何かの力があるのではないか。村上春樹はそれを<リトル・ピープル>という形で示す。そして彼らの紡ぐ<空気さなぎ>が、何らかの発生装置の役目を備えていることを匂わす。ここで気になるのは、<空気さなぎ>を紡げるのは<リトル・ピープル>だけではなく、一般の人間でも可能だということ。だから怖い。
とまあ、こういった縦横幾重にも織り込まれた物語なのに、混乱することもなくサクサクと読めるのは、やはり村上春樹のセンスである。いや、むしろ技術か。
だが、この読みやすさゆえ、春樹作品を読んでいるときのいつもの心地よさゆえに、本作の物足りなさもある。面白いことは面白いのだが、それはいつもより派手なストーリーやキャラクターによるものではないか、そういう感じもまた拭えないのだ。本書が抱えるテーマ・素材は決して軽くないっていうか、実に重い。それだけに、生きるとはどういうことなのか、人間の生き方とは何なのか、冗談抜きで本書からそういうものを感じ取りたかったのだが、残念ながらそこまでには至らなかった。
とはいえ、この感想を書いている時点で、既に村上春樹が『1Q84 BOOK3』を執筆しているという報道がされている。果たして、村上春樹がどのようにこの物語の決着をつけるのか、メッセージをどこまでストレートに伝える覚悟があるのか、興味は尽きない。
この続きは『1Q84 BOOK3』でまた。

まずは十分に面白く読めた。村上春樹がデビュー以来とってきたスタイルに加え、ここ十数年の間、深い関心を持ってきた(であろう)事柄が、様々な形で取り込まれ、詰め込まれ、ひとつの大きな物語としてまとめられている。
人の好みはあろうが、『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』や『羊をめぐる冒険』、『ダンス・ダンス・ダンス』あたりに次ぐ面白さであろう。ただし問題は、その面白さがどこからくるか、である。
本書は『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』と同様、二人の主人公による二つのストーリーが平行して進行する。
一人は予備校の数学教師をしながら小説家を目指している川奈天吾。彼は知り合いの編集者から、17歳の少女<ふかえり>こと深田絵里子の書いた作品をリライトしないかという誘いを受ける。それは荒削りながら素晴らしい魅力を持った作品であり、天吾はその後に予想されるスキャンダルなどのリスクを十分に承知しながらも、作品の持つ魅力に負け、その作業を請け負ってしまう。
もう一人はジムのインストラクター兼マッサージ師をしながら、裏では殺し屋として活動する女性、青豆。彼女は高速道路の非常口から歩いて外へ出たために、1984年から「1Q84年」という微妙に違う世界で生きることになる。
どうしても文体やセンスに注目が集まる村上春樹の作品だが、本作に関しては、構成にかなり気を遣っている。
天吾と青豆。この二人の物語は、一応はどちらもリアルな世界として描かれており、『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』のように、他方がファンタジーという設定ではない。物語が進むうち、この二人を巻き込んだ事件に関係性があり、この二人の関係、そして二人をとりまくこの世界の在り方が明らかになり、やがて融合するであろうという予感を高めてゆく。
その作業は実に緻密であり、物語の構成だけでもミステリ的な味わいをもたらす。さらにはその事件の背後に見え隠れする<リトル・ピープル>の存在、あるいは<空気さなぎ>といったシステムが、SF的な愉悦に誘ってくれる。
しかも小説内で題材に選ばれているのは、あの地下鉄サリン事件以降顕著になったカルト宗教の問題である。加えてDVや幼児虐待、文学論、メタフィクション、殺人といった様々なキーワードを散りばめながら物語を紡いでゆく。
また、二本の縦軸をサポートするかのように、さまざまなファクターが二元論的に繰り返し用いられているのも興味深い。
もちろん基本は天吾と青豆であるが、それ以外にも、二つの月、1984年と1Q84年、青豆とあゆみ、天吾とふかえり、さきがけとあけぼの、パシヴァとレシヴァなどなど。対ではあるが、それらは背反する場合もあれば、融合する場合もあり、また補完する場合もある。表面的なストーリーを引っ張るのが縦軸であるなら、これら横軸は著者のもつイメージの表出。それぞれの関係性を理解できれば、テーマが自然と炙り出されてくる。
テーマといえば、本作で村上春樹がメインに据えたのは、「闇」の存在である。
『1Q84』では様々な暴力の姿が示される。いつになく描写も激しく、対象も幅広い。それは幼児虐待やDV、いじめなど、青豆の行為もこれに含まれるであろう。普通に考えればそれら暴力は人の心にある闇から生まれると考えてよい。ではその闇はどこから生まれるのか? その闇の源はなんであろう?
村上春樹はその源を、個人を越えたところに持ってきた。春樹自身はインタビューに答えてカルト宗教の恐ろしさを『精神的な囲い込み』と評している。人の弱さにつけ込む圧倒的な支配。やがてそれは強大な目に見えない力となる。特定の主義や思想の絶対的な盲信からくるパワー。地下鉄サリン事件だけではなく様々なテロ事件の背景に宗教や思想があるのは説明の要もないだろう。
著者はそこからさらに一歩進める。それは単なるカルト宗教の恐怖なのか。そこにはさらに人智すら越えた、歯止めの効かない何かの力があるのではないか。村上春樹はそれを<リトル・ピープル>という形で示す。そして彼らの紡ぐ<空気さなぎ>が、何らかの発生装置の役目を備えていることを匂わす。ここで気になるのは、<空気さなぎ>を紡げるのは<リトル・ピープル>だけではなく、一般の人間でも可能だということ。だから怖い。
とまあ、こういった縦横幾重にも織り込まれた物語なのに、混乱することもなくサクサクと読めるのは、やはり村上春樹のセンスである。いや、むしろ技術か。
だが、この読みやすさゆえ、春樹作品を読んでいるときのいつもの心地よさゆえに、本作の物足りなさもある。面白いことは面白いのだが、それはいつもより派手なストーリーやキャラクターによるものではないか、そういう感じもまた拭えないのだ。本書が抱えるテーマ・素材は決して軽くないっていうか、実に重い。それだけに、生きるとはどういうことなのか、人間の生き方とは何なのか、冗談抜きで本書からそういうものを感じ取りたかったのだが、残念ながらそこまでには至らなかった。
とはいえ、この感想を書いている時点で、既に村上春樹が『1Q84 BOOK3』を執筆しているという報道がされている。果たして、村上春樹がどのようにこの物語の決着をつけるのか、メッセージをどこまでストレートに伝える覚悟があるのか、興味は尽きない。
この続きは『1Q84 BOOK3』でまた。
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Comments
Edit
(前からタイトルって付けられましたっけ?)
なんとなく、巷では(売れてるやっかみもあるんだろうけど)大したことない、みたいな声が多いように思えるけど、ものすごくいろいろなことを考えさせられる作品ですよね。私も感想書いててとてつもなく長くなってしまったし。ちょっと浅めに書いてるのは意図的だと思う。BOOK3はどう来るんでしょうね?
ノーベル賞は今年もダメだった訳ですが、まああれもけっこういい加減な賞なんだなとちょっとわかってきた。村上さんには「いや僕はむしろ芥川賞の方をもらいたいですね、やれやれ」とかうそぶいて欲しい(笑)。
Posted at 22:55 on 10 10, 2009 by 少佐
少佐さん
いろいろと深読みできる内容で、それでいて楽しく読めるというのは、やはり村上春樹ならではでしょう。読者をわかった気にさせるのが巧い(笑)。
ただ、現実の事件をモチーフにしているのですから、変に思わせぶりな物語にせず、ガツンとしたストレートな形にはできなかったのだろうかと思ってます。まあ、それをやっちゃあ村上春樹ではなくなってしまうという話もありますが。
Posted at 01:56 on 10 11, 2009 by sugata