- Date: Sun 24 07 2011
- Category: 国内作家 松本清張
- Community: テーマ "推理小説・ミステリー" ジャンル "本・雑誌"
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松本清張『松本清張短編全集09誤差』(光文社文庫)
『ぴあ』の最終号を買ってきた。管理人のようなおっさん世代が若い頃には、もうなくてはならぬ情報誌だったのだが、ご多分に漏れずインターネットに押されて部数を落とし、とうとうこの度休刊とあいなった。ひとつの時代の象徴であり、そして使命を終えたということになるのだろう。
映画、コンサート、演劇、スポーツ。『ぴあ』なくして当時のイベント毎や遊びは成り立たなかったのではないか、個人的にはそれぐらい依存していた。主な目的は名画座と芝居の上映情報。就職で上京してきた人間にとって、東京のそういう文化は地方では決して体験できないものであった。もちろんゼロではないが、その量が圧倒的に違う。『ぴあ』片手に劇場のはしごをしたことも懐かしい思い出である。当時は一日に映画三本とかまったく苦にならなかったんだな。今ではとてもそんな体力ないけど(苦笑)。
思えば『ぴあ』は、今のインターネットでのポータルサイトの役目をしっかり果たしていたのだ。記事としての情報だけでなく、ページの隅っこには「チケット譲ります」みたいなコーナーもあったりして、メディアは変われど根っこは同じなんだな。
ちなみにこの最終号には「創刊号復刻版」が付録でついていて、これがまた郷愁を誘う。
しかし、こうして感慨に耽っている度合いで年齢がわかるな。いろんな方がネット上で『ぴあ』休刊の記事を書いているが、やはり世代の違いがもろ温度差となって表れているのがいとおかし。
読了本は光文社文庫の『松本清張短編全集09誤差』。
相変わらずのアベレージの高さが驚異的な、松本清張短編全集の第九巻目。本書では昭和三十二年から三十五年にかけての作品が七編収録されている。
「装飾評伝」
「氷雨」
「誤差」
「紙の牙」
「発作」
「真贋の森」
「千利休」

もう何度も書いてきたことだが、清張の短篇でよく描かれるのは、社会悪の告発であり、それに翻弄される人間の運命である。ただ、それだけに留まらず、それらの物語を通じて渦中にある市井の人々の情念をねっとり炙り出していくところが凄い。
とはいえ清張も本書に収録された作品を書いている頃は、齢五十に届こうかというあたり。そろそろ丸くなるかと思いきや、いやあ清張自身が抱えていた「何か」は一向に治まる気配がないのが素晴らしい(苦笑)。
それでも頭の「装飾評伝」「氷雨」「誤差」あたりは意外にも抑えた筆致で、もちろん清張作品だから決してハッピーな物語やラストでないとはいえ、「氷雨」などは珍しく小粋な感じすら漂い、作風が変わったのかと錯覚したほどだ。
しかし「紙の牙」「発作」に至っては、いつもどおりの清張節が本領発揮。悪い選択肢ばかりを選び、一歩ずつ転落の道を歩んでゆくしがないサラリーマンや小役人の姿が執拗に描かれる。言ってみれば読者の予想どおりに主人公が転落してゆく「紙の牙」、反対に読者の意表をつく形で主人公の破滅を描く「発作」と、対比したパターンなのも面白い。
「真贋の森」は中編並のボリューム。清張がときおり扱う美術テーマの作品だが、アカデミズムの虚飾や犯罪の動機といったキモはもちろん外していない。むしろ長いだけあって掘り下げはいつも以上。「おれ」という一人称も効いている。
歴史物は珍しく「千利休」の一編のみ。利休と秀吉の確執を描いたものだが、こちらはちょっとボリューム不足か、物足りなさが目立つ。
結論。今回も全体としては十分楽しめる作品集であった。これといった強烈な作品はないけれど、強いて言えば「発作」のイヤーな感じは味わっておいて損はないかも(笑)。
映画、コンサート、演劇、スポーツ。『ぴあ』なくして当時のイベント毎や遊びは成り立たなかったのではないか、個人的にはそれぐらい依存していた。主な目的は名画座と芝居の上映情報。就職で上京してきた人間にとって、東京のそういう文化は地方では決して体験できないものであった。もちろんゼロではないが、その量が圧倒的に違う。『ぴあ』片手に劇場のはしごをしたことも懐かしい思い出である。当時は一日に映画三本とかまったく苦にならなかったんだな。今ではとてもそんな体力ないけど(苦笑)。
思えば『ぴあ』は、今のインターネットでのポータルサイトの役目をしっかり果たしていたのだ。記事としての情報だけでなく、ページの隅っこには「チケット譲ります」みたいなコーナーもあったりして、メディアは変われど根っこは同じなんだな。
ちなみにこの最終号には「創刊号復刻版」が付録でついていて、これがまた郷愁を誘う。
しかし、こうして感慨に耽っている度合いで年齢がわかるな。いろんな方がネット上で『ぴあ』休刊の記事を書いているが、やはり世代の違いがもろ温度差となって表れているのがいとおかし。
読了本は光文社文庫の『松本清張短編全集09誤差』。
相変わらずのアベレージの高さが驚異的な、松本清張短編全集の第九巻目。本書では昭和三十二年から三十五年にかけての作品が七編収録されている。
「装飾評伝」
「氷雨」
「誤差」
「紙の牙」
「発作」
「真贋の森」
「千利休」

もう何度も書いてきたことだが、清張の短篇でよく描かれるのは、社会悪の告発であり、それに翻弄される人間の運命である。ただ、それだけに留まらず、それらの物語を通じて渦中にある市井の人々の情念をねっとり炙り出していくところが凄い。
とはいえ清張も本書に収録された作品を書いている頃は、齢五十に届こうかというあたり。そろそろ丸くなるかと思いきや、いやあ清張自身が抱えていた「何か」は一向に治まる気配がないのが素晴らしい(苦笑)。
それでも頭の「装飾評伝」「氷雨」「誤差」あたりは意外にも抑えた筆致で、もちろん清張作品だから決してハッピーな物語やラストでないとはいえ、「氷雨」などは珍しく小粋な感じすら漂い、作風が変わったのかと錯覚したほどだ。
しかし「紙の牙」「発作」に至っては、いつもどおりの清張節が本領発揮。悪い選択肢ばかりを選び、一歩ずつ転落の道を歩んでゆくしがないサラリーマンや小役人の姿が執拗に描かれる。言ってみれば読者の予想どおりに主人公が転落してゆく「紙の牙」、反対に読者の意表をつく形で主人公の破滅を描く「発作」と、対比したパターンなのも面白い。
「真贋の森」は中編並のボリューム。清張がときおり扱う美術テーマの作品だが、アカデミズムの虚飾や犯罪の動機といったキモはもちろん外していない。むしろ長いだけあって掘り下げはいつも以上。「おれ」という一人称も効いている。
歴史物は珍しく「千利休」の一編のみ。利休と秀吉の確執を描いたものだが、こちらはちょっとボリューム不足か、物足りなさが目立つ。
結論。今回も全体としては十分楽しめる作品集であった。これといった強烈な作品はないけれど、強いて言えば「発作」のイヤーな感じは味わっておいて損はないかも(笑)。
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恥ずかしながら、この短篇全集を読み始めて、松本清張がこういうドロドロしたものを書くのを初めて知りました。社会派というだけで食わず嫌いの人も多いのでしょうが、この「ねっとり感」はやはり味わう価値がありますね。