- Date: Thu 16 02 2012
- Category: 海外作家 ポースト(M・D)
- Community: テーマ "推理小説・ミステリー" ジャンル "本・雑誌"
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メルヴィル・デイヴィスン・ポースト『ランドルフ・メイスンと7つの罪』(長崎出版)
メルヴィル・デイヴィスン・ポーストの『ランドルフ・メイスンと7つの罪』を読む。
ポーストといえば、いわゆる〈シャーロック・ホームズのライヴァルの一人〉でもあるアブナー伯父シリーズが知られているが、もう一つ有名なシリーズものがあって、それが本書の主人公でもある悪徳弁護士ランドルフ・メイスンものである。
このランドルフ・メイスンという探偵役がなかなか振るっている。困っている者を救うべく、その智力を活かすところは他の名探偵と共通だが、悪徳弁護士という誇称が示すとおり、彼は法の抜け道を探り、往々にして罪人すらも救ってしまう。正義感とかいうものはなく、ただただ自分の智力を試したいだけのために、である。
まあ、よく考えりゃホームズだって似たようなところはあるわけで、メイスンはこういう名探偵のもつ危うい要素を全面的に打ち出したキャラクターというわけだ。
このシリーズの後、ポーストはアメリカの正義を象徴するような探偵、アブナー伯父を書いていくわけだが、これは要するに裏表の関係であろう。ポーストはもともと法曹界の人間だったので、法のもつ力の恐ろしさや逆にその限界を日常的に実感していたはず。そういったジレンマや可能性を、まったく真逆の視点で描いたのがメイスンものとアブナー伯父ものということになるのだろう。

The Corpus Delicti「罪体」
Two Plungers of Manhattan「マンハッタンの投機家」
Woodford's Partner「ウッドフォードの共同出資者」
The Error of William Van Broom「ウィリアム・バン・ブルームの過ち」
The Men of the Jimmy「バールを持った男たち」
The Sheriff of Gullmore「ガルモアの郡保安官」
The Animus Furandi「犯意」
収録作は以上。
意外にバリエーションが少なくて、ほとんどの作品で扱われるのがコン・ゲームというか詐欺的な犯罪である。
まあ、それはいいのだけれど、問題はメイスンの考える手が法の抜け道という以前に、倫理的には完全に犯罪であるということだ。当時の法体系がまだまだ未整備であり、つけいる隙も多かったのだろうが、法律的根拠がけっこうシンプルなだけに、メイスンがすごいというよりこんな法律で大丈夫かと、そういう感想しか持てない。
少なくとも今の法律ではほぼ不可能だろうが、当時の事例としてどこまでリアリティがあるのか、本当にそれで法律上OKだったのか、そんなことばかりが気になって何だかスッキリしない読書になってしまった(苦笑)。
ポーストといえば、いわゆる〈シャーロック・ホームズのライヴァルの一人〉でもあるアブナー伯父シリーズが知られているが、もう一つ有名なシリーズものがあって、それが本書の主人公でもある悪徳弁護士ランドルフ・メイスンものである。
このランドルフ・メイスンという探偵役がなかなか振るっている。困っている者を救うべく、その智力を活かすところは他の名探偵と共通だが、悪徳弁護士という誇称が示すとおり、彼は法の抜け道を探り、往々にして罪人すらも救ってしまう。正義感とかいうものはなく、ただただ自分の智力を試したいだけのために、である。
まあ、よく考えりゃホームズだって似たようなところはあるわけで、メイスンはこういう名探偵のもつ危うい要素を全面的に打ち出したキャラクターというわけだ。
このシリーズの後、ポーストはアメリカの正義を象徴するような探偵、アブナー伯父を書いていくわけだが、これは要するに裏表の関係であろう。ポーストはもともと法曹界の人間だったので、法のもつ力の恐ろしさや逆にその限界を日常的に実感していたはず。そういったジレンマや可能性を、まったく真逆の視点で描いたのがメイスンものとアブナー伯父ものということになるのだろう。

The Corpus Delicti「罪体」
Two Plungers of Manhattan「マンハッタンの投機家」
Woodford's Partner「ウッドフォードの共同出資者」
The Error of William Van Broom「ウィリアム・バン・ブルームの過ち」
The Men of the Jimmy「バールを持った男たち」
The Sheriff of Gullmore「ガルモアの郡保安官」
The Animus Furandi「犯意」
収録作は以上。
意外にバリエーションが少なくて、ほとんどの作品で扱われるのがコン・ゲームというか詐欺的な犯罪である。
まあ、それはいいのだけれど、問題はメイスンの考える手が法の抜け道という以前に、倫理的には完全に犯罪であるということだ。当時の法体系がまだまだ未整備であり、つけいる隙も多かったのだろうが、法律的根拠がけっこうシンプルなだけに、メイスンがすごいというよりこんな法律で大丈夫かと、そういう感想しか持てない。
少なくとも今の法律ではほぼ不可能だろうが、当時の事例としてどこまでリアリティがあるのか、本当にそれで法律上OKだったのか、そんなことばかりが気になって何だかスッキリしない読書になってしまった(苦笑)。
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『歯と爪』ですか、懐かしい。ほとんど憶えてなかったので、ちょっと引っ張り出してみましたが、確かに罪体を扱っていました。やはり身近というか、アメリカの小説はけっこう法律をまともに扱うところがあって、お国柄を感じますね。
とはいえバリンジャーの時代はともかく、ポーストの時代に、疑わしきは罰せずというか、そういう罪体という客観的な部分が求められていたというのは、やはり凄いと言わざるをえません。その頃の日本なんて、自白さえあればOKの時代ですもんね。