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探偵小説三昧

天気がいいから今日は探偵小説でも読もうーーある中年編集者が日々探偵小説を読みまくり、その感想を書き散らかすページ。

 

ジョルジュ・シムノン『証人たち』(河出書房新社)

 久々にシムノンを手に取る。河出書房新社から【シムノン本格小説選】として刊行されているシリーズの一冊で、ものは『証人たち』。
 のっけから話が逸れて恐縮だが、この【シムノン本格小説選】。試みは実にありがたいのだが【シムノン本格小説選】というシリーズ名は何とかならんかったのか。おそらくはメグレ警視シリーズをはじめとするミステリ系作品群に対する「本格小説」なのだろうが、するとミステリは本格的ではない小説ということになるわけで、なかなかイラッとくる誇称ではある。まあ、悪気はないのだろうが、文芸担当編集者ならもう少し言葉に気を配ってほしいよねぇ。

 気を取り直してストーリー。
 重罪裁判所のローモン判事は病身の妻を抱え、心身ともに疲れ果てていた。そんな彼が担当することになったのは妻殺しのランベール事件。被告人ランベールは無罪を主張しているが、彼の経歴や状況から誰もが有罪だと信じて疑わなかった。やがて審理が始まったが、証人たちの証言が続くにつれ、事態は思いがけない方向に……。

 証人たち

 ほぼ全篇が法廷シーンという異色作。だからといって、ミステリで言う法廷ものとはちょっと趣が違い、ここでは弁護士と検事の丁々発止のやりとりや意外な真相などは皆無。シムノンが本作で描こうとするのは、当時フランスで採用されていた陪審員制度の矛盾であり、限界である。
 判事ローモンは思う。「人間が他の人間を理解するのは不可能である」。ローモンは裁判の朝、体調の悪さからアルコールを口にするのだが、周囲の者はそれを妻の看病疲れからの逃避とみなす。何十年もの間、ローモンと接してきた者ですら自分のことをまるで理解していないのだ。ましてや裁判で初めて被告人と会った陪審員が、その場で見聞きしただけの証言や証拠だけで被告の人生を決めてよいものなのか。最終的にローモンのとった判断は、制度そのものに絶望したような印象すら与えて興味深い。
 日本でも同様の裁判員制度が数年前から採用されているが、心のケアなども含めていろいろと問題のある制度なのだなと、あらためて考えさせられてしまった。

 裁判を通じて揺れ動くローモンの心理も読みどころ。病身の妻との生活は決して互いを思いやるものではなく、それぞれが相手に秘密をもつ。裁判の進行と共にそれが明らかになり、判決と同時にローモンのドラマもまた終わりを迎えるのだが、その相互に与える影響が注目である。これがあるから裁判パートも生きるわけで、こういう匙加減はシムノンならでは。ラスト一行で示されるローモンの決断は、裁判の結末より考えさせられる。
 全体的にセンスだけで持っていっている感じはするんだけど(苦笑)、やはりシムノンは巧い。

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プロフィール

sugata

Author:sugata
ミステリならなんでも好物。特に翻訳ミステリと国内外問わずクラシック全般。
四半世紀勤めていた書籍・WEB等の制作会社を辞め、2021年よりフリーランスの編集者&ライターとしてぼちぼち活動中。

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