- Date: Sun 24 02 2013
- Category: 評論・エッセイ ラフリー(ジョン)
- Community: テーマ "評論集" ジャンル "本・雑誌"
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ジョン・ラフリー『別名S・S・ヴァン・ダイン ファイロ・ヴァンスを創造した男』(国書刊行会)
ミステリマガジンの4月号が「シャーロック」とそのライヴァルたち特集。ライヴァルといっても隅の老人や思考機械、アブナー伯父、ソーンダイク博士といったいわゆる聖典のライヴァルではなく、BBS製作のテレビドラマ「シャーロック」の方。ただ、特集と謳うわりにはページも記事も写真も少なくて、ちょっと拍子抜けである。ただ、あまり面白そうなものを次々紹介されても、いかんせんテレビドラマまで追いかける時間はさすがにがないのだが。気になるものはあとでDVDを大人買いして、老後に楽しむことになるんだろうなぁ(苦笑)。
ちなみに小特集が「百合ホームズ」という、ここまできたか的なお馬鹿企画。笑える。むしろこっちが楽しめた。ただ、こちらも解説的な記事が少なくてややツッコミ不足。
読了本はジョン・ラフリーの『別名S・S・ヴァン・ダイン ファイロ・ヴァンスを創造した男』。『グリーン家殺人事件』や『僧正殺人事件』で知られるS・S・ヴァン・ダインことウィラード・ハンティントン・ライトの評伝だが、これがとんでもない傑作であった。

これまでヴァン・ダインの経歴は、日本でほとんど知られていなかった。ガイドブックの類で紹介されているのは、ほとんどがヴァン・ダインとして登場した以後のことであり、その内容すらも乏しい。だいたいがどの解説でも判で押したように、 「美術評論家時代に病を患い、その療養中に二千冊の推理小説を読破して、自分でも書こうと思い立った」というものばかり。これはあの名著、森英俊氏編纂の『世界ミステリ作家事典』をもってしても同様である。
しかも、このエピソードすらどうやら真偽のほどが怪しいといわれていたのだが、実際、本書では、これが明らかな本人による捏造であることが説明されている。
本書はそんなヴァン・ダイン、いやウィラード・ハンティントン・ライトの半生を克明に描くとともに、彼の人となりを鮮やかに浮かび上がらせている。また、その副産物として、当時のアメリカの世相や風潮、文壇の様子や思想なども面白く読めるのがいい。
何といっても読みどころはライトの人間性、そして芸術に対するスタンスであろう。その結果としてライトの人生はわずかの栄光と数々の挫折に彩られており、その歩みは実に驚くべきものだ。
早熟で早くから文学に対する情熱をもち、その才能で頭角を現すライト。常に知的向上心と野心に満ちあふれていたライト。雑誌編集長から文学評論家、美術評論家、文学者としての変遷のなかで、自らのアイデンティティと常に背中合わせで挑戦を続けてきた彼は、妥協することなく理想を求め、多くの敵を生んでしまう。
だが最大の敵は自らの内面にこそあった。現実と理想の間で、ライトは酒に溺れ、薬に溺れ、女に溺れ、借金をこしらえる。そして、これまで自分が軽蔑していた探偵小説で成功したにもかかわらず(いや成功したからこそ、か)、その苦悩はさらに膨れあがる。やがて成功を収めたはずの探偵小説にも裏切られたとき、ライトはその生涯を終える。
これまで日本のミステリファンがもっていたイメージは完全に覆るといってよい。ライトの存在感は圧倒的で、正直、友達にはなりたくないタイプだが、そのラストは涙なしでは読めない。
結局、本書はある時代を生きた文学者の苦悩の記録である。人間ライトの歩みなのである。とはいえ、一時代を築いた探偵作家の真実もそこにはある。
・ライトがなぜS・S・ヴァン・ダインというペンネームを用いたか、
・本当に二千冊以上のミステリを読んだのか、
・なぜ嘘の略歴を発表したのか、
・なぜファイロ・ヴァンスは共感しにくい嫌なタイプの探偵になったのか、
・「どんな偉大なミステリ作家も六作以上の傑作は書けない」というコメントの真意はどこにあったのか、
・にもかかわらず本人はなぜ六作以上の作品を書いたのか、
・作中の語り手ヴァン・ダインはなぜあそこまで存在感のないワトソン役なのか、
・ガイドブック等でよく紹介される自画像はなぜ描かれたのか、
・そもそもなぜライトは探偵小説を書いたのか。
もう一切合切の疑問が本書で明らかになるのである。ひとつ言えるのは、ファイロ・ヴァンスはライトの理想とする分身であったということか。
管理人が初めて『ベンスン殺人事件』を読んだのは中学生の頃だった。当時のガイドブックや解説では、イギリスが牽引してきた探偵小説を母国アメリカに取り戻した功労者こそヴァン・ダインであり、その作品を近代建築に準えていたほどであった。長らく日本では探偵小説史を語るうえで欠かせない一ページだったのだ。
だが、いまやファイロ・ヴァンスの物語は、欧米のミステリ界では完全に忘れられた存在である。いや、そもそもヴァン・ダインの名前が本国で輝いていた時代はほんの一瞬に過ぎないのだ。この彼我の差は何なのだろう。思えば本格探偵小説がここまで人気のある国も珍しいという。日本はガラパゴスになっているのだろうか。
その答えを、今度は日本の評論家に書いてもらいたいものである。
とりえずクラシックミステリのファンや、ファイロ・ヴァンスの物語を六作は読んでいるという人であれば本書は必読。本書を抜きにして以後ヴァン・ダインを語ることは不可能である。それぐらい素晴らしい。
折しもヴァン・ダインの新訳も行われているので、ン十年ぶりに再読してみたくなってきた。
ちなみに小特集が「百合ホームズ」という、ここまできたか的なお馬鹿企画。笑える。むしろこっちが楽しめた。ただ、こちらも解説的な記事が少なくてややツッコミ不足。
読了本はジョン・ラフリーの『別名S・S・ヴァン・ダイン ファイロ・ヴァンスを創造した男』。『グリーン家殺人事件』や『僧正殺人事件』で知られるS・S・ヴァン・ダインことウィラード・ハンティントン・ライトの評伝だが、これがとんでもない傑作であった。

これまでヴァン・ダインの経歴は、日本でほとんど知られていなかった。ガイドブックの類で紹介されているのは、ほとんどがヴァン・ダインとして登場した以後のことであり、その内容すらも乏しい。だいたいがどの解説でも判で押したように、 「美術評論家時代に病を患い、その療養中に二千冊の推理小説を読破して、自分でも書こうと思い立った」というものばかり。これはあの名著、森英俊氏編纂の『世界ミステリ作家事典』をもってしても同様である。
しかも、このエピソードすらどうやら真偽のほどが怪しいといわれていたのだが、実際、本書では、これが明らかな本人による捏造であることが説明されている。
本書はそんなヴァン・ダイン、いやウィラード・ハンティントン・ライトの半生を克明に描くとともに、彼の人となりを鮮やかに浮かび上がらせている。また、その副産物として、当時のアメリカの世相や風潮、文壇の様子や思想なども面白く読めるのがいい。
何といっても読みどころはライトの人間性、そして芸術に対するスタンスであろう。その結果としてライトの人生はわずかの栄光と数々の挫折に彩られており、その歩みは実に驚くべきものだ。
早熟で早くから文学に対する情熱をもち、その才能で頭角を現すライト。常に知的向上心と野心に満ちあふれていたライト。雑誌編集長から文学評論家、美術評論家、文学者としての変遷のなかで、自らのアイデンティティと常に背中合わせで挑戦を続けてきた彼は、妥協することなく理想を求め、多くの敵を生んでしまう。
だが最大の敵は自らの内面にこそあった。現実と理想の間で、ライトは酒に溺れ、薬に溺れ、女に溺れ、借金をこしらえる。そして、これまで自分が軽蔑していた探偵小説で成功したにもかかわらず(いや成功したからこそ、か)、その苦悩はさらに膨れあがる。やがて成功を収めたはずの探偵小説にも裏切られたとき、ライトはその生涯を終える。
これまで日本のミステリファンがもっていたイメージは完全に覆るといってよい。ライトの存在感は圧倒的で、正直、友達にはなりたくないタイプだが、そのラストは涙なしでは読めない。
結局、本書はある時代を生きた文学者の苦悩の記録である。人間ライトの歩みなのである。とはいえ、一時代を築いた探偵作家の真実もそこにはある。
・ライトがなぜS・S・ヴァン・ダインというペンネームを用いたか、
・本当に二千冊以上のミステリを読んだのか、
・なぜ嘘の略歴を発表したのか、
・なぜファイロ・ヴァンスは共感しにくい嫌なタイプの探偵になったのか、
・「どんな偉大なミステリ作家も六作以上の傑作は書けない」というコメントの真意はどこにあったのか、
・にもかかわらず本人はなぜ六作以上の作品を書いたのか、
・作中の語り手ヴァン・ダインはなぜあそこまで存在感のないワトソン役なのか、
・ガイドブック等でよく紹介される自画像はなぜ描かれたのか、
・そもそもなぜライトは探偵小説を書いたのか。
もう一切合切の疑問が本書で明らかになるのである。ひとつ言えるのは、ファイロ・ヴァンスはライトの理想とする分身であったということか。
管理人が初めて『ベンスン殺人事件』を読んだのは中学生の頃だった。当時のガイドブックや解説では、イギリスが牽引してきた探偵小説を母国アメリカに取り戻した功労者こそヴァン・ダインであり、その作品を近代建築に準えていたほどであった。長らく日本では探偵小説史を語るうえで欠かせない一ページだったのだ。
だが、いまやファイロ・ヴァンスの物語は、欧米のミステリ界では完全に忘れられた存在である。いや、そもそもヴァン・ダインの名前が本国で輝いていた時代はほんの一瞬に過ぎないのだ。この彼我の差は何なのだろう。思えば本格探偵小説がここまで人気のある国も珍しいという。日本はガラパゴスになっているのだろうか。
その答えを、今度は日本の評論家に書いてもらいたいものである。
とりえずクラシックミステリのファンや、ファイロ・ヴァンスの物語を六作は読んでいるという人であれば本書は必読。本書を抜きにして以後ヴァン・ダインを語ることは不可能である。それぐらい素晴らしい。
折しもヴァン・ダインの新訳も行われているので、ン十年ぶりに再読してみたくなってきた。
むちゃくちゃ面白いですよ。ミステリに関わる部分は後半に入ってからですが、それまでの部分がまた実に素晴らしいんです。もう実際知り合いになったら絶対嫌なヤツなんですが、何というか、学問的・芸術的な向上心はあるのに、人間としてはまったく成長しないところが圧倒的にしびれます(笑)。いや、冗談でも何でもなく、そういうところが実に人間臭くていいんですよ。