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探偵小説三昧

天気がいいから今日は探偵小説でも読もうーーある中年編集者が日々探偵小説を読みまくり、その感想を書き散らかすページ。

 

村上春樹『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』(文藝春秋)

 やはり読まないわけにはいかない村上春樹『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』。別にハルキストではないが、やはり特別な作家というイメージは強い。なんせ管理人の世代は『羊をめぐる冒険』や『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』がリアルタイムだったので、そりゃインパクトは強かった。ただ、ここのところの作品は必ずしも満足できるものばかりではなく、本作も期待半分不安半分で手にとってみた。

 あらすじはちょっと長めゆえ、未読の方はご注意を。

 多崎つくるは大学二年の夏、ほとんど死ぬことだけを考えていた。故郷にいる高校時代からの友人グループから、もう会わないでくれと告げられたのだ。それは怖ろしいまでの喪失感であった。
 つくるを含め、男三人、女二人で構成されたそのグループは親友と呼ぶにふさわしい仲間であった。ただ、彼らは何かしら秀でた部分があったのに対し、つくるは自分が非常に凡庸で空虚な存在であると感じていた。
 また、彼らの名前にはいずれも色の字が入っており、互いを「アカ」や「シロ」と呼んでいたが、つくるだけはそのまま「つくる」であった。そこにも何かしらの欠落のようなものを感じるつくるであったが、それでも彼らはつくるを迎え入れてくれたし、つくるもそんな彼らが好きだった。
 その関係が、大学二年の夏、理由も明らかにされないまま終わりを迎える。
 やがて立ち直ったつくるは、昔から好きだった駅を「つくる」仕事に就き、沙羅という恋人もできた。あるとき沙羅は、つくるは四人の友達に会うべきだと告げる……。

 色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年

 ううむ、またも喪失と再生の物語であったか。
 形こそ異なれど、これは村上春樹が常に追求しているテーマ。そのテーマをサラッと物語にまとめるあたりはさすが。なぜつくるが絶交されなければならなかったのか。その謎を原動力にしてストーリーをひっぱる。
 幻想味は非常に薄く、内容自体はいつもの村上作品に比べると非常にわかりやすい。「色彩」はメタファーと言うのも憚れるほどストレートな意味であり、アイデンティティや個性に通じている。友人らとつき合いながら、つくるはそれが自分に決定的に欠けていることを自覚している。やがて友人らを失ったあと、文字どおりの孤独と喪失に襲われる。だがやがて駅を「作る」という職業によって自身のアイディンティを取り戻し、社会との係りや人との繋がりを確立しようとするのだ。
 ただ、駅を「作る」だけではまだ十分ではない。それは見せかけの再生であると、つくるの恋人・沙羅が指摘する。友人たちの元を訪れて、いったい当時何があったのかを確かめなければならない。それがすなわち巡礼の旅であり、本当の自己再生への道なのである。

 まあ、テーマはよいとして、どうも腑に落ちない部分がちらほら。いくつかの大事なところで説得力に欠けるのである。
 例えば、恋人の沙羅というのはつくるを再生に導く存在であり、つくる復活の核ともいえる存在でもある。その彼女の言動の印象が薄く、下手をするとつくるのエピゴーネンみたいにも思えるほど個性がない。友人たちのキャラクターが際だっているだけに、このような女性がつくるの再生の鍵を握っているように感じられないのは残念。要はつくるが惚れるほどの魅力に欠ける。
 主人公つくるの、自殺を考えたほどの闇がほとんど伝わってこないのも厳しい。つくるはいつもの村上作品の主人公同様、自己完結しすぎている。孤独さゆえの強さや客観性を備えすぎており、それがどう考えても自殺と結びつかないのだ。そもそも突然友人に絶交されて、その理由を確かめようともせず、ただ自殺を考えるのはどうにも不自然。
 さらにいうと、つくるが自分の魅力にここまで無頓着なのも嫌みだなというのもある(笑)。もしかすると、これが一番の欠点かもしれん(笑)。

 結論としてはまあまあ。決してつまらなくはないけれど、今回は分量的にもアッサリめなので、いつも以上に弱点が気になってしまったのは残念だ。『1Q84』からまだそれほど経っていないことだし、お楽しみはもう少し先にとっておいた方がいいのだろうね。

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プロフィール

sugata

Author:sugata
ミステリならなんでも好物。特に翻訳ミステリと国内外問わずクラシック全般。
四半世紀勤めていた書籍・WEB等の制作会社を辞め、2021年よりフリーランスの編集者&ライターとしてぼちぼち活動中。

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