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 河出書房新社の【シムノン本格小説選】から『闇のオディッセー』を読む。
 シムノンといえばもちろんメグレ警視ものが有名だが、文芸系の作品でもその実力は広く認められている。【シムノン本格小説選】はそんなシムノンの文芸作品にスポットを当てた好シリーズ。
 ただ、ぶっちゃけ言うとメグレ警視ものであろうが文芸系の作品であろうが、それほど内容に差があるわけではない。どの作品においてもシムノンの興味は常に人間の内面そのものにあるわけで、それが犯罪をとおして明らかになるか、あるいは日常の暮らしの中から浮き彫りになるか程度の違いしかない。そのときの必要や状況に応じて、シムノンはそれを使い分けていただけではないだろうか。

 まあ、そんな能書きは置いといて、とりあえず粗筋。
 主人公は産婦人科クリニックを経営し、大学で教鞭もとるジャン・シャボ。豪華なマンションに妻と三人の子供と暮らし、おまけに妻公認の秘書兼愛人までいるという誰もが羨むほどの成功者である。しかしそんな彼にも人しれず悩みはあった。いや、それは悩みというより心の闇である。
 きっかけはある浮気が原因だった。シャボはクリニックで働く娘に手を出し、秘書に勘づかれてしまう。秘書はその娘をクビにするが、シャボはやがてその娘がセーヌ川に身投げしたという事実を知る。その後、シャボの周囲に脅迫めいたメッセージを残す若い男が出没する……。

 闇のオディッセー

 やはりシムノンの小説は素晴らしい。大傑作とかいうつもりはないが、どの作品も非常に安定した質をキープしており、読後になんともいえない余韻を残すものばかりだ。
 本作では主人公シャボが何一つ不自由のない富裕層の男ということで、普通なら感情移入しにくい設定のはずなのだが、これがまた描写がうますぎるので、何の違和感もなく物語に取り込まれてしまう。

 今の地位と冨を手に入れるために犠牲にしてきたもの、それが男の心を蝕んでいる。家族や仕事、火遊びにおいてすら男の心が満たされることはなく、むしろ空虚さだけが広がっていく。特に大きな事件が起きるわけではない。何ということのない日々の営みによって、少しずつシャボの内面が闇に冒されていくのである。
 最終的にシャボは拳銃を持ち歩くようになり、彼が向かおうとしているカタストロフィを予感させる。だが、シムノンは単なる悲劇で終わらせるのでなく、ラストでもうひとつ読者に宿題を与える。これがまた重くて不条理で。
 人の心の闇は際限がなく、どこまでも落ちることができるのだが、その先に待つ破滅がときに解放にもつながっているというイメージか。なかなか日本人には理解しにくいところではある。

 決して楽しい話ではないので積極的におすすめはしないが、心を活性化させるにはむしろこういう刺激も必要であろう



テーマ:推理小説・ミステリー - ジャンル:本・雑誌




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