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連城三紀彦『黄昏のベルリン』(講談社文庫)
連城三紀彦の『黄昏のベルリン』を読む。
叙情溢れるミステリや男女の機微を描くことに定評ある著者が書いた国際謀略小説。その意外性もあったのか、1988年の文春ミステリーベスト10で見事1位に輝いた作品なのだが、恥ずかしながらこれが初読。
冒頭からして魅せる。
リオデジャネイロでは娼婦を殺害するハンスと呼ばれた男。ニューヨークの空港では裏の顔を互いに隠し、偽りの友情を演じる二人の男。東ベルリンでは愛する人に再会するため決死の覚悟で検問所を突破する若者。パリでは第二次大戦に思いを寄せる元ナチの老女。
そして東京。大晦日の夜、ホテルのバーで恋人を待つ画家の青木。だがその前に現れたのは恋人ではなく、謎のドイツ人女性エルザだった。青木の出自について語り始めた彼女の目的は?
一見なんの脈絡もなさそうなエピソードで幕を開ける物語は、やがてベルリンを舞台に、ある大きな陰謀の姿を炙り出してゆく。

いまでこそ一つに統一されたドイツだが、第二次大戦での敗北によって領土は分割され、長らく西ドイツと東ドイツに分かれた時代があった。とりわけ特殊だったのは首都ベルリンも西と東に分断され、文字どおり壁によって隔てられたことである。それは正に東西冷戦の象徴であり、資本主義と共産主義の対立を具現化したものでもあった。
一方で、ドイツはナチスとヒトラーを生んだ国でもある。ネオ・ナチなどという言葉もあるように、今でも密かに(あるいは大っぴらに)ナチズムを賞賛する人々もおり、何かと問題になることも少なくない。
先頃のワールドカップでみごと優勝し、そのパワーを見せつけたばかりのドイツではあるが、本書が書かれた二十五年ほど前までは、世界の火薬庫といっていいほどの、実にホットな場所だったのである。
そういうわけでひと頃のスパイ小説や謀略小説といえば、たいていは東西の対立を扱ったものかナチものという状況であった(ちょっと大げさだけど)。それだけ魅力的な素材だったということだが、読む前は若干の不安もないではなかった。なんせこれまで著者が書いてきたものとはあまりにもかけ離れている。
しかし、さすがは連城三紀彦。何の違和感もないどころか、きちんと自分流の謀略小説に落とし込んでいることにまず驚く。
ナチをテーマにした謀略小説ということで、察しのいいファンなら途中でネタは読めるかも知れない。しかし実は胆はそこではない。
いや、ミステリに免疫がない読者ならそれでも十分に破壊力はあるのだけれど、むしろミステリとしてのポイントは全体的な構図を鮮やかにひっくり返してみせることにある。著者の短篇ではしょっちゅうお目にかかる荒技だが、本作では注意を完全に別方向にそらされていたため、まったく油断していたころをガツンとやられる。実に巧い。
加えてミステリ読者をニヤリとさせる、某有名トリックも取り入れるところがまた憎い。普通にやられても単なる二番煎じで終わるところだが、舞台設定への組み込み方が秀逸で、ああ、このトリックはこの作品のために作られたのかと思わず勘違いしそうになるほど見事なのだ。
また、とりあえず謀略小説と書いてはいるが、実は本作は恋愛小説として読むことも可能だ。むしろ謀略小説の衣を借りた恋愛小説といっても良い。娯楽要素としての味つけとかではなく、きちんと恋愛を主題にしても読めるのである。
そして何より恐れ入るのは、この恋愛要素がなければ、本作はミステリとして成立しないということである。小説として十分に味わい深く、しかもその味わい深さゆえに、ミスリードが最大の効果を上げていると言えるだろう。
緻密なプロット、きめ細やかな描写力。蓋を開けてみればいつもながらのハイレベルな技術に裏打ちされた連城ミステリである。謀略小説と聞いて食わず嫌いの人もいるかもしれないが、やはりこれは読んでおくべきだろう。傑作。
叙情溢れるミステリや男女の機微を描くことに定評ある著者が書いた国際謀略小説。その意外性もあったのか、1988年の文春ミステリーベスト10で見事1位に輝いた作品なのだが、恥ずかしながらこれが初読。
冒頭からして魅せる。
リオデジャネイロでは娼婦を殺害するハンスと呼ばれた男。ニューヨークの空港では裏の顔を互いに隠し、偽りの友情を演じる二人の男。東ベルリンでは愛する人に再会するため決死の覚悟で検問所を突破する若者。パリでは第二次大戦に思いを寄せる元ナチの老女。
そして東京。大晦日の夜、ホテルのバーで恋人を待つ画家の青木。だがその前に現れたのは恋人ではなく、謎のドイツ人女性エルザだった。青木の出自について語り始めた彼女の目的は?
一見なんの脈絡もなさそうなエピソードで幕を開ける物語は、やがてベルリンを舞台に、ある大きな陰謀の姿を炙り出してゆく。

いまでこそ一つに統一されたドイツだが、第二次大戦での敗北によって領土は分割され、長らく西ドイツと東ドイツに分かれた時代があった。とりわけ特殊だったのは首都ベルリンも西と東に分断され、文字どおり壁によって隔てられたことである。それは正に東西冷戦の象徴であり、資本主義と共産主義の対立を具現化したものでもあった。
一方で、ドイツはナチスとヒトラーを生んだ国でもある。ネオ・ナチなどという言葉もあるように、今でも密かに(あるいは大っぴらに)ナチズムを賞賛する人々もおり、何かと問題になることも少なくない。
先頃のワールドカップでみごと優勝し、そのパワーを見せつけたばかりのドイツではあるが、本書が書かれた二十五年ほど前までは、世界の火薬庫といっていいほどの、実にホットな場所だったのである。
そういうわけでひと頃のスパイ小説や謀略小説といえば、たいていは東西の対立を扱ったものかナチものという状況であった(ちょっと大げさだけど)。それだけ魅力的な素材だったということだが、読む前は若干の不安もないではなかった。なんせこれまで著者が書いてきたものとはあまりにもかけ離れている。
しかし、さすがは連城三紀彦。何の違和感もないどころか、きちんと自分流の謀略小説に落とし込んでいることにまず驚く。
ナチをテーマにした謀略小説ということで、察しのいいファンなら途中でネタは読めるかも知れない。しかし実は胆はそこではない。
いや、ミステリに免疫がない読者ならそれでも十分に破壊力はあるのだけれど、むしろミステリとしてのポイントは全体的な構図を鮮やかにひっくり返してみせることにある。著者の短篇ではしょっちゅうお目にかかる荒技だが、本作では注意を完全に別方向にそらされていたため、まったく油断していたころをガツンとやられる。実に巧い。
加えてミステリ読者をニヤリとさせる、某有名トリックも取り入れるところがまた憎い。普通にやられても単なる二番煎じで終わるところだが、舞台設定への組み込み方が秀逸で、ああ、このトリックはこの作品のために作られたのかと思わず勘違いしそうになるほど見事なのだ。
また、とりあえず謀略小説と書いてはいるが、実は本作は恋愛小説として読むことも可能だ。むしろ謀略小説の衣を借りた恋愛小説といっても良い。娯楽要素としての味つけとかではなく、きちんと恋愛を主題にしても読めるのである。
そして何より恐れ入るのは、この恋愛要素がなければ、本作はミステリとして成立しないということである。小説として十分に味わい深く、しかもその味わい深さゆえに、ミスリードが最大の効果を上げていると言えるだろう。
緻密なプロット、きめ細やかな描写力。蓋を開けてみればいつもながらのハイレベルな技術に裏打ちされた連城ミステリである。謀略小説と聞いて食わず嫌いの人もいるかもしれないが、やはりこれは読んでおくべきだろう。傑作。
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涼さん
あ、涼さんもまだだったんですね。
私は長らく積んでいたのですが、今さら連城のナチ物でもないかなと、ずっと後回しにしていた一冊です。でもさすがは連城三紀彦ですね。謀略小説でもいつもどおりの感慨にひたらせてくれました。涼さんもぜひお楽しみください。
それにしても、この名作がまさかの絶版だったとは。しかも講談社と文春、2つも文庫版があるというのに……。
Posted at 06:54 on 07 26, 2014 by sugata